上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第八十六話 灯は希望か、絶望か

「申し上げます。上杉軍は魚津城に援軍を派遣した模様。その数、三千程かと」

「うむ、ご苦労」

 

 富山城では富樫晴貞が将兵達を集めて軍議を行っていた。とはいえ、殆どの将は頭を下げて彼の面構えを見る者はいない。

 辛うじて彼の隣にいる畠山義慶がちらちらと見ているだけである。

 

「援軍を率いる将は誰か?」

「河田長親を大将に、吉江景資と太田資正が副将として」

「追放された反逆者に、どこの馬の骨とも知らぬところから成り上がった者に、元は山内憲政の家臣とは・・・・・・はっ、よほど上杉が人材がいないと見える」

 

 言い終えると下品な笑いを上げながら晴貞は「な? な?」と諸将を見渡す。将達は頭を下げて「ごもっともです」と頭を下げてそれ以上何も言わない。

 誰も何も言わずにただ晴貞は低い笑い声が響く中ででおずおずと義慶は口を開く。

 

「富樫殿、その・・・・・・河田長親は上杉の中でも軍師としての能力は高く、吉江景資や太田資正も勇将です。あまり侮っては、足元を掬われかねないかと・・・・・・」

 

 蚊の鳴くような声であったが、他の者が沈黙を保っていた為にその声ははっきりと晴貞の耳に入った。

 晴貞は今まで義慶がこちらの顔色を窺っていたことに気付いていなかった為、驚いて義慶を見たが、すぐに口元を笑わせて彼に近寄った。

 

「そうだな、その通りだ。相手が誰であろうと油断はいかん。済まないな義慶殿、今の言葉で目が覚めた」

 

 はっはっ、と笑いながら背中を叩いて再び元の位置に戻るとすぐに晴貞は軍議の締め括りに各々に指示を出した。

 各々が無言で頭を下げながら出て行く。その中には義慶の妹である義隆や神保長職が娘の長住もいる。二人共、文字通り晴貞に篭絡され、心を無くし、傀儡となってしまっていた。

 軍議を散会させて全員が出て行くのを確認すると晴貞は再びにっこりと笑いながら義慶に近付く。そして「お礼を言わなければ」と言うと普段は決して見せない怒りの形相を露わにして義慶に殴りかかった。

 

「余計なことをしやがった礼だ。たっぷりとくれてやる」

 

 何発何発も足りないと言わんばかりに殴り続ける。義慶も流石にやられっぱなしではなく、止めてくれと目で訴える。しかし、それが逆に晴貞の怒りの火に油を注いだ。

 

「ふざけるな。お前は飾り物、口出しする資格はない」

 

 笑いながらそう言って、さらに殴り倒す。胸倉を掴みながら倒れそうになっている義慶を起こして殴るだけでなく膝で蹴りも入れる。

 義慶の顔が鼻血と唇が切れて出てきた血で真っ赤になってようやく晴貞は殴るのを止めた。そして、彼の胸倉を突き放すとその顔面を足で押し付けて転がすように足裏で頬を撫でながら義慶を見下す。

 

「言ったよな? お前は見逃してやると。ここにいる連中は俺が本願寺からの命令だと言えば簡単に動いてくれる。素面でいたかったら大人しくしていることだ。もし今度邪魔するようなら・・・・・・反逆者として処刑してやる」

 

 返答はない。義慶は気絶して何も聞こえていない。舌打ちすると晴貞は恨みを晴らすように義慶の脇腹を蹴ると軍議の間から出て行った。

 

「ふんっ、大人しくしていれば良かったものを。まったく要らぬ時間を掛けてしまった」

 

 忠言は耳に痛いというが、独善的な晴貞にとって人からのそれは本当に邪魔なものである。

 こうなったのも全ては義慶が首を突っ込んできたせいだと考えていた。

 だが、すぐにそんなことを忘れて、彼はニヤニヤと笑い出した。

 

「もうすぐだ。もうすぐでお前を殺せる。そして、俺が俺の為の天下を作る一歩が始まるのさ・・・・・・」

 

 廊下を笑い声が支配した。そして、彼はここにはいない最大の邪魔者に向けて最高の礼を以て八月の照りつける太陽が立ち上る空に伝えた。

 

「なぁ、上杉謙信」

 

 

 

 

 

「今夜には魚津城に到着するので支度を怠らないようにしてください」

 

 龍兵衛がそう伝えると将達は一層表情が険しいものになった。

 急ぎに急いで不動山城と天神山城での補給もそこそこに昨夜は野営となってしまったが、そのおかげもあって一向一揆勢が魚津城を包囲して四日目の日に魚津城に入ることが出来る。

 魚津城を守る斎藤朝信は三万の兵に臆することなく、また城内の将兵達も逃亡者は一人もいないままに城を守っていると報告が入っている。

 後は援軍の先鋒として出立した上杉軍三千が夜陰に紛れて魚津城に急いで入るだけであるのだが、ここにいる四人の将、龍兵衛の他に景資・資正と天神山城から合流した寺島盛徳はさっさと城に入ろうという気はさらさらなかった。

 聞けば、魚津城を包囲してから晴貞は三日間の間、昼も夜も交代で休むことなく攻め続けているらしい。

 いくら傀儡のような物に化したからといって中身はただの人。疲れも溜まることはある。

 そもそも籠城戦は守っているだけでは敵を撃退出来ない。敵の一向一揆勢は意気盛んでどこかで士気を挫くことが必要になってくる。

 籠城している斎藤朝信率いる一千の兵では夜襲を行っても敵が二手に別れ、一方で足止めを喰らってもう一方で少ない兵力がさらに少なくなったところを魚津城を攻められては一溜まりもない。それも昼も夜も休むことなく攻めている一向一揆勢にそのような隙は無いと見た方が賢明である。

 つまり、逆に取れば魚津城に敵の目は行っていて周辺に対する目は疎かになっているということだ。

 

「全員に一刻程進軍した後、休みを取って夕暮れ時になったらすぐに進軍を開始します」

 

 幸いにも不動山城の先の謙信出奔の際に粛清された山本寺定長の弟、山本寺景長が一千の兵を貸し与えてくれた為に戦力は増強している。

 景長自身は自分も行こうと鎧まで準備していたが、そこは流石に四人から止められた。

 仮に魚津城が落城して景長が死んだらどうなる?

 では、その時に貴殿らが死んだらどうなる?

 その言い合いをした結果、謙信と一緒に来るようにするという妥協案で決着した。詳細を言えば、景資が怒気を孕んだ気を出して半ば強引に行った訳であるが、それで彼は了解したのだから良かったのだ。

 あまりやりたくなかったが、致し方ないのであったのだ。いくら相手が上杉の庶流であってもこれぐらいは許される。

 要らぬ思考が働いた頭を内心で叩く。龍兵衛は三人が頷いて異論があることを確認するとそれぞれに指示を出して自身は地図を片手にどこを攻めるべきかに思考を集中させた。

 

 

 春日山城では誰これ構わず人々が走り回っている。 兵糧の運搬が主な仕事であるが、主力の将兵達が敗北必至の戦に挑もうとしているのを前に、急いで救援に向かわなくてはと思う心が皆の足を走ることに変えている。

 弥太郎や兼続が汗を拭うことも時間の無駄だと言わんばかりに矢継ぎ早に兵達へ指示を出している。  

 無論、颯馬や本庄実及らも情報を探り、決して手を緩めることを許されない状況が続いているのは確かである。

 時には謙信や景勝、あの慶次も自ら腰を上げて兵糧の運搬の指示や徹底した兵の調練の監視も行った。 

 とはいえ、なかなか八千人分の兵糧を集めるのにはかなりの苦労を労する。しかし、それ以上に魚津城にいる斎藤朝信やこれから魚津城に入る龍兵衛達を思えばそれ程の苦労とは思っていなかった。

 特に慶次が真面目に仕事をしていた時は全員が驚き、ある人は目を何度もこすり、ある人は夢ではないかと頬をつねり、ある人は顎を外して、ある人はこれは明日は雨が降ると準備をし、ある人は慶次に霊が乗り移ったと加持祈祷をするべきだと謙信に直訴するという有り様だった。

 

「ふぅ・・・・・・」

 

 謙信は汗を拭いながら一時の休憩に入った。周りには颯馬や兼続達が謙信同様に水を含み、景勝も一緒に座って可愛らしく団子を頬張っている。

 

「颯馬、兼続、済まないな。ここまでお前達を使って」

「いえ、お気になさらず。謙信様や景勝様までがこうして働かれているのですから我らも休む間もありません」

 

 律儀に兼続がすぐに答える。疲れの色は見えないように見えるが、明らかに誤魔化している。文字通りの三日三晩、ほぼ不眠不休でやってきているのだから体調を崩さない方だけでも褒めておくべきである。

 

「ほう、暗に休ませろと言っているようにも聞こえたのは私の気のせいか?」

「ぶっ!? ち、違います! 謙信様の勘違いです!」

「なんだ。結局、私のせいか」

「ですから、違います! 言葉を選ばなかった私のせいです!」

 

 水を吹き出してすぐ否定したが、謙信のせいと言っているようにも聞き取れるような物言いをして、謙信は迷うことなく重箱の隅をつつくようにじとっとした目で兼続を睨むと兼続は周りがその様子に笑いを堪えているのを気にせず、慌ててまた否定する。

 最終的に謙信が笑って「冗談だ」と言ってその場は収まった。

 上杉がこれほど気楽なことが出来るのは順調に行けば、予定していたよりも早い時期に援軍を送り込むことが出来ると計算上は可能だと判断しているからだ。

 

「京からの報告も無い。これでは救援して終わりかな」

「今度こそはあいつを斬ってやれると思ったんだが、残念だ」

 

 謙信も弥太郎も吐き捨てるような物言いでここにはいない忌々しい輩が最大の軽蔑をするのに値することを物語っている。

 京から報告が無いということはどこかで揉み消しがあったからだと判断して良い。そうなった以上は本願寺が織田に負け、影響力が弱まるのを見計らって加賀を攻めるのが良い。

 本願寺が敗れるのにはさほど時間は掛からないだろうというが判断で、いっそ伊勢長島の一向一揆勢に本願寺の目が行っている隙に攻めるという意見も出始めている。

 これは兼続が主張している論だが、おそらく龍兵衛が戻ったらまた言い争いになるだろうなと謙信は思っていた。

 龍兵衛はこのことには慎重派で、将軍家の力が借りれなかったら、本願寺が敗れるまで待つべきだとずっと主張してきたからだ。

 謙信自身は正直どちらにも道理がある為に迷っている。だが、越後国内での浄土真宗の影響力は弱まり、国内での一向一揆の反乱が起きる可能性は低くなったのでそろそろとは考えていた。

 

「弥太郎、兵に遠征の準備もさせておいて何も収穫なしで撤退するなど笑い話だ」

「・・・・・・なるほど、分かった。明日から兵の調練をより強化しよう」

 

 北陸の安寧は上杉の安寧に繋がる。その為への過程は違うとはいえ、四人はその最後の決着点はそこだと一致していた。

 ならば、自分は上杉家当主として今の状況下で最も良いと判断した選択肢を選ぶのみ。そして、それを聞いた時、兼続の顔が興奮で紅潮したのを謙信は見た。

 

 

 

 

 

 魚津城は本来、松倉城の支城である。築城年代は定かではないが、室町時代に守護畠山氏の守護職椎名氏により築かれたといわれる。

 北陸道に築かれた為に後に上杉が築いた天神山城と共に越中に進軍するにせよ、越後に進軍するにせよ重要な拠点である。 

 その為に長く上杉家に仕え、知勇兼備で有能な斎藤朝信がここを守っている。しかし、将が有能で兵が精鋭であっても意味を成さない時はある。

 

「しかし、壮観だ・・・・・・」

「呑気なことを言う。お主も大分余裕が出てきたのう」

 

「善き哉善き哉」と隣で面白そうにしている景資も変わらないだろうという指摘を内心でしつつ、再び城内の櫓から城外の一向一揆勢を見る。 

 今のように目の前に三万によって城を包囲された時である。質が数によって押し潰されるのはよくあることである。

 かれらが着陣する前までの三日間、彼は三万の兵に対して僅か一千の兵で城を守っていた。それだけでも彼の力がどれほどのものか分かる。

 それを彼に面と向かって到着した四人が称賛すると朝信は手をひらひらされて「大したことではない」と否定した。

 その顔は照れ隠しや謙遜をしているのではなく、本当に大したことではなかったと書いてある。

 

『一向一揆勢は三万と唄っているが、実際に戦闘を経験している正規の兵は後ろに控えている。城攻めの前線には武器も装備もままならない民兵のみ。あの者達が退けば富樫の下郎はかれらを容赦なく自身の配下に斬り捨てるつもりだろう。今まで我らが戦っていたのは戦いの前哨戦に過ぎぬ。おそらく、これからが本番ぞ』

 

 それは龍兵衛も考えていたことであった。かれらの主力である正規兵は一万五千、民兵も一万五千。実際に戦を出来るのは前者の一万五千。必ずどこかで全軍を使った総攻撃を仕掛けてくる筈。そう考えた彼は毎日、気を抜かずに敵陣営を見張っている。

 

「しかし、斎藤殿はそう言っていたし、俺もそう思っていたけど、援軍が来ても向こうは正規の兵を使おうとしないな」

 

 城に入って三日目、三万の兵は一割程度はやられている。その殆どが民兵で、正規の兵は無傷のままと言って良い。一方の民兵は一旦体勢を立て直さないと堂々巡りを繰り返すような状態になっているのは城からでも分かっていた。

 

「妾達の目を民兵に釘付けにして、他の策を考えているのやもしれんな」 

「天神山城を襲うと? それは流石に危険ですよ。富樫もそれは分かっているでしょう」

 

 晴貞は残虐非道、冷酷無比で上杉家中には名が通っているが、加賀や能登、越中を一代で席巻した手腕は侮れない。

 天神山城は小国頼久が二千の兵で守り、不動山城の山本寺景長の送った一千の兵が援軍として入っている。

 頼久も当然のように援軍を派遣しようとしたが、朝信も龍兵衛も断った。天神山城の兵が手薄になったのを知れば、間違いなく晴貞は動く。

 動きたくなる状況であるのは間違いなないが、そう誘発させるように晴貞はさせているのかもしれない。

 

「富樫晴貞の狙い通りにはさせない。貴様には最大の侮辱と残虐さを併せ持つ処刑方法で殺してやる・・・・・・」

 

 龍兵衛のこめかみに青筋が沸き立つように出来上がり、怒りを露わに彼は隠そうともしない。

 隣にいた景資は珍しくはっきりとした彼の意思を聞いて少なからず驚いたが、周りにいた兵達もその言葉に改めて表情を引き締めて奮起したように見えた。

 

「そういえば能元は如何した?」

「謙信様に頼んで置いてきました」

 

 あっけらかんと言ってみせた龍兵衛に景資は空いた口が塞がらない。

 

「このような状況で不協和音を招くような存在はじゃまにしかなりません。兵だけ借りてきて、兵糧を送ることに専念させました」

「随分と怒ったのではないか?」

「ええ、しかし、それが最適かと」

 

 万全と期して魚津城を守る為、ならば致し方ないと景資も息を吐いて頷く。

 

「呆れました?」

「当然じゃ」

「富樫程倒したくて仕方無い存在はいないのでね」

 

 そう言われると否定出来ない。何故なら景資も晴貞を恨んでいたからだ。

 将軍の時から加賀は一向一揆によって当主は傀儡となっていると聞かされていたが、蓋を開けてみれば加賀の国主は己を殺めんとした三好と同じぐらいに許されざる輩であった。

 向こうの陣営にいるであろう神保長住の父、長職は病の為に春日山城で療養している。

 景資は龍兵衛達と長職の下に出立前に向かい、必ず長住を奪還するように約束した。しかし、長職は首を横に振って「気休めにもならん」と否定した。

 

「私もかつては一国一城の主であった。そして、富樫晴貞という男をよく知っている。また、今の上杉の状況もな」

 

 以前と変わらない人に言い聞かせるようで、相手を不機嫌にさせない物言いで布団から身体を起こして続ける。

 

「奴は一度ものにしたものを離しはしない。そして、上杉には本願寺が後ろにいる奴を討つことが、織田の台頭を考えて難しい」

 

 一度咳き込むとぐっと景資達に身体を近付けて病人とは思えない鋭い目つきで三人を見る。

 

「魚津城を守るので精一杯の今、どうやって娘・・・・・・長住を奪還することが出来るのだ?」

 

 景資は答えに窮した。理に適い、現実的に難しい。それは重々承知していた。それでも長職の病が少しでも良くなることを信じ、良かれと思い言った言葉が逆に彼に陰を指した。

 

「そうやって諦めるのは如何なものでしょうか?」

「何?」

 

 龍兵衛は即答であった。景資達も驚いたが、最も驚いていたのは間違いなく長職であろう。一番状況を熟知している筈の男が何故か一番に反論をしてきた。

 

「たしかに早々と無理と諦めるのはこの状況下ではやむを得ないことかもしれません。されど、やってもいないのに駄目だと諦めてはやれることもやれなくなります・・・・・・」

 

「違いますか?」と問い掛ける視線の先にいる長職はおとがいに手を当てて考え込むとすぐに顔を上げた。

 

「お主、では長住を取り戻す策があると申すのか?」

「いいえ、今のところはありません」

「なんじゃ、少しだけ期待した私が馬鹿みたいではないか」

 

 長職は笑い、龍兵衛も笑う。他の者は二人のやり取りを見守るしか出来ない。堂々としているのは景資ぐらいだ。

 笑いが収まると長職は横になって「もう良い」と手で示す。布団の中からでも機嫌が悪くなったのがよく分かった。

 

「ですが・・・・・・」

 

 景資達二人が立ち上がって部屋を出ようとする中で龍兵衛だけは布団の中を覗き込んだ。

 

「自分はたしかに『今はない』と言いましたが、絶対に不可能とは申していませんよ?」

 

 その言葉をした途端に布団の中の雰囲気が変わったのを景資は感じ取った。すると、長職は再び起き上がって訝しげに彼を見る。

 

「まさか、この戦に勝機があると考えているのか?」

「それは難しいでしょう。しかし、我々も負ける気は全くありません。必ず魚津城は守り抜いてみせます。謙信様は援軍として来着し、一向一揆勢を追い払った後におそらく越中を攻めるでしょう。どうです? もしかしたらあなたのご息女を奪還する時が出来るかもしれませんよ?」

「お主、どうして謙信公が越中を攻めると?」

「ただの推測ですよ。まぁ、外れた場合でも、ひょっとすればひょっとすると、ご息女は帰ってくるかもしれませんよ?」

「城を守るので精一杯の状況であるのは分かっておろう。何故にそこまで言い切れる!?」

 

 喉の奥から叫ぶような声を出したせいか長職は酷く咳き込んだ。慌てて資正が駆け寄り、彼の背中をさする。落ち着いたのを見計らって龍兵衛は口を開いた。

 

「少しでも希望があるのに何故最初から諦めてかかるのです? たしかに一向一揆勢に勝てない可能性は高いですが、負ける可能性が高い訳ではない。さらに言えば、神保長住殿をお救いする可能性もある訳です? 違いますか?」

 

 再び長職は笑った。今回は軽く鼻で笑うものだったが、明らかに先程とは違って雰囲気は緩いものであった。

 

「ふん、若造が、言うではないか。まぁ、良いだろう、期待して待っている。勝てたらなお良いがな」

「気休めにもなりませんね」

「言ったつもりもない」

「こりゃ、失敬」

 

 長職はもう一度軽く笑うと手で下がるように言うと長職は再び布団の中に入った。

 それから二人は櫓へと登ったが、途端に龍兵衛は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。慌てて景資は顔をのぞき込む。しかし、途端に笑ってしまった。

 

「まぁ、悪いことを言った訳でもないのに、あそこまで恥ずかしがることはなかったろう」

 

 どうやら龍兵衛はあの時何も考えずに勝手に言葉が出ていたようで顔を少し赤くして、それを誤魔化す為に唇を噛み締めていた。

 先程のことが恥ずかしがったのかと単刀直入に聞いてみると慌てて「何のことでしょう?」と取り繕おうとして柱の角に足の指をぶつけて悶絶しているのを見ていたら嫌でも分かる。

 

「よいよい。誰にも言わぬ」

「笑いながら言われても信用出来ません」

 

 櫓を降りながら和やかに話していると戦場であることを忘れてしまいそうになる。少なくとも劣勢にたたされているとは思えない雰囲気だ。

 

「申し上げます。敵軍に動く兆しがあります」

 

 櫓にいた兵の声が降りかかる。見れば、敵は陣形を変えて一気に城門を突破する為に動いている。

 

「出丸を取らず、一気に虎口を破る腹積もりですか。景資殿、どうやらお喋りはここまでですな」

「まったく、空気の読めない連中じゃ。仕方ない。憂さ晴らしと参るかのう」

「養父と会う暇も無いとは、至極残念ですな」

 

 彼女の形上の養父である吉江宗信が出丸にて指揮を執っているが、時間を割いて様子を見に行くことが出来ていない。

 

「まぁ、終わったらゆっくりとな」

「では、早くあの者達の目を覚まさなくては」

 

 敵軍の目を覚まさせるには晴貞を討ち取ることが必要になる。今回は不可能かもしれないが、まだ望みが絶たれた訳ではない。信じて時を待てば見える光もある。

 

「資正殿と盛徳殿を北の郭と南の郭に向かわせて、万が一に備えて西にも兵を派遣しましょう」

「良かろう。采配は任せる・・・・・・行くぞ!」

 

 景資は戦闘へ頭を切り替え、愛刀達は揃えて颯爽と前に出た。

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