一週間経っても魚津城は未だに落ちない。そのことに晴貞は苛立っていた。誰もいないこの場は紙・筆といった物が散乱している。普段振りまいている笑顔を無くしてただ物という物に当たり散らしている彼が原因であった。
しかも昨日の戦では上杉軍の流れ矢よって民兵達を指揮していた畠山七人衆の一人である温井景隆が討ち死した。これに動揺した民兵達が少人数であるが逃亡した民兵達にも理性が戻って来て中には動揺がある者達が出ている。
元々かれらは家族を捕らえられたり、加賀や能登の重臣達が行った罪を擦り付けられ無罪の罪で死んでいった者達の家族である。
絶望によって穴がぽっかりと空いたかれらの心を掌握して、晴貞は朝倉に警戒する為に足りなくなった兵を補う為の民兵組織を作り上げた。だが、それも徐々に数が減り、極楽浄土に行くよりも上杉への恐怖が募った者達が出てきた。
晴貞はその者達を密かに斬り捨て「かれらは異端の者達に我らを売ろうとした」と首を示すことで恐怖心を煽らせ、民兵達に限らず他の将兵達の支持も集め、さらに彼の奥底に眠る残虐な行為によって得ることが出来る充実感を獲得していた。
最初は民兵達によって魚津城に入った者達の心を攻めて士気を低くした上で一気に魚津城を正規兵も投入して落とそうとしていたにもかかわらず、魚津城は少数の兵で形はどうであれ大軍を何度も撃退している為に士気は高まるばかりでこのままでは援軍が来る前に魚津城を落として北陸道に通じる道を作ろうとする目論見が外れてしまう。
折角上杉軍の将兵達が東北へ出払っているのだからこの好機を逃さないで一気に越後まで取ろうと意気込んでの遠征であったが、このままでは遅かれ早かれ本願寺からの支援が無くなる可能性も高まる現状で何も手を打たずに包囲と攻撃の繰り返しでは領地を増やすことも出来ずに反撃に遭う危険も高い。
本願寺に幕府が加賀の内情を調べるように命じているのは知っている。本願寺からまだ使者は来ていない。幕府の人物が来る可能性も危惧したが、それは無くなったようだ。
その前に魚津城を落とし、越中を完全に掌握してしまえば本願寺に対する言い訳も出来るというものだ。「上杉は自軍が不利な為に我々に濡れ衣を着せようとしているだけだ」と言って金でも掴ませれば全ては穏便に解決して自分の思い通りになるというもの。
しかし、このままでは全てが水の泡となってしまう。今まで積み上げてきた権力と名声が手に汲み上げた水のように零れ落ちるのだ。強欲な晴貞にとってそれは命を取られることよりも受け入れられないことである。
このまま包囲していれば物量的に一向一揆勢が有利。遅かれ早かれ必ず落ちる。晴貞はそうしている暇が無いと知っていた。
上杉軍の援軍が春日山を進発して先鋒の小島弥太郎率いる六千が既に不動山城まで到着しているらしい。上杉軍の機動力を考えるとこのまま後四日、五日もすれば必ず姿を表せる。だが、傲慢な彼は決して松倉城や富山城に退いて体勢を整えるという選択肢を持っていなかった。そして、彼は同時に自分の軍隊にかなりの自信を持っていた。
四半刻後に攻撃を決断した時、口うるさい輩などどこにもいなかった。
魚津城城内では兵糧問題を解決して謙信率いる援軍がようやく春日山を進発したという報告を受け、五人がこれからどうするか話し合おうとした時だった。
「申し上げます。敵が攻撃を開始しようとしています!」
嫌な予感を心に抱きつつ五人は慌てて櫓に登り、敵を確認する。いつも通りの民兵達の中に大きな違いがあった。鎧を着けた兵が多く混ざっている。
「来るべき時が来たか・・・・・・」
「如何する? このままではこの魚津城も保たぬぞ」
「焦ることはありません。これは逆に好機です」
苦い表情の四人を尻目に龍兵衛はそう言って四人を驚かせながら下に降りると先程の敵の陣形を思い出しながら石を敵の陣形代わりにして地面に形を作る。
「城攻めにて最も用いられるのは魚鱗の陣です。そして、この陣形を特化させた陣形が鋒矢の陣。しかし、この陣形は長所も短所も特化させている陣形で、一度側面に回られ、包囲されると非常に脆く、縦横あらゆる偵察から兵を多く見せることが出来て、敵より寡兵である場合、正面突破に有効です。しかし、敵は正規兵だけでもこちらより上、しかも富樫は我々が籠城しか出来ないと見て明らかに柔軟性を無視して一気にこの魚津城を落とそうとしています」
「すると、出るのか?」
朝信の問いに力強く頷く龍兵衛に連動するかのように景資と盛徳が嬉しそうにしている。龍兵衛はその二人に視線を向けて指示を出そうとするが、朝信が険しい表情をして待ったをかける。
「今までとは訳が違うのだぞ。正規兵も敵は使ってきている。まともな訓練も装備もしていない民兵ならともかくそれなりにも訓練している正規兵がいる。危険とは思わないのか?」
「それは敵も同じでしょう。かれらは正規兵を使って一気に勝負を付けようとしている。つまりそれは・・・・・・」
「妾達への援軍が近いということか」
龍兵衛の言葉を聞く前に景資が前に出た。魚津城に入った情報よりも上杉軍は近付いているということだろう。
「ですが、それは敵の策とは考えられませんか?」
「寺島殿、それは考え過ぎです。何故に籠城で精一杯の我々にわざわざ策を弄してまで勝とうとするのです? 黙って包囲していればいずれは落ちるというのに」
犠牲と時間を気にせずに魚津城を攻めていた一向一揆勢が時間を気にし始めた。明らかに何か異変が起きたとしか考えられない。
だとしたら晴貞が正規兵も組み入れている理由は焦りが出てきたということに他ならない。それに付け込んで敵を撹乱するというのが軍師の冥利に尽きるというもの。
まるで師匠みたいなことを言っているなと内心で笑いながら龍兵衛は景資と盛徳に指示を出した。
「お二人は二千五百の兵で左翼から回り込み、右へと真っ直ぐに突破をして下さい。ずれてはいけません。真っ直ぐに駆けて下さい」
「あいわかった」
「斎藤殿、我々も出る準備を致しましょう」
朝信が頷くと同時に龍兵衛は動いた。また、景資と盛徳は待機していた兵達の下に向かい、声を上げる。
「門を開け! 我らはこれより敵の側面を突く! 遅れを取れば死すと心に決めよ! 決して離れるな!」
盛徳が槍を高く掲げ、兵を鼓舞する。兵達もそれに合わせて高らかに声を上げる。その隣で景資が指示を出して自らが先頭に立ち、城門から一気に側面目指した。盛徳もそれに続いて出撃する。
一向一揆勢は魚津城を攻めることだけに目が行っていた為に魚津城側が攻めてくるとは考えていなかったようで指揮官らしい者達も困惑しているらしく、迎撃の体勢も整えることもままならない。
その状況を嘲笑うかのようにその先頭を無視して二人が率いる上杉軍は中軍の左翼に斬り込んで行った。
景資の剣舞と盛徳の槍が絡み合うように互いが互いを信じ合って多過ぎる程の敵軍を無人の野の如く駆け巡る。
一向一揆勢の鋒矢の陣は完全に側面の攻撃されると対応が出来ないような状態になっている為に完全に混乱状態に陥っている。
また、一人一人の技量は上杉軍には及ばない為、容易く突破出来る。鋒矢の陣は最後尾に総大将が陣取るのが基本的で、今回もそれに当たった。
中軍を率いるのは畠山軍、主君を傀儡にし、専横を極めている家の兵達は主君の義慶が一旦退くように言っているにもかかわらず、実質上指揮を執っている長続連がそれを押さえつけて「命を惜しまずかかれ!」と命じたものだからますます混乱している。
そこに景資が愛刀達を引っさげ、盛徳が槍を振り回して目の前にいる畠山の兵達を蟻を踏み潰すように屍へと変えているのだから逃亡する兵も出てくる有り様だ。
しかし、かれらも逃げることは出来ない。後ろに逃げれば富樫軍が逃げれば本願寺の指示に背くという理由で容赦なく味方から殺される。
進めば敵に殺され、退けば味方に殺される。八方塞がりになった中軍一万は、たった二千五百の兵によって敗北を喫するしかなかった。
「ふむ、あれが指揮をしている者のようじゃのう」
「行きますか?」
「ならぬ。先程、龍兵衛に言われたことを忘れたか?」
こちらの兵は敵の三分の一にしか過ぎないのにここで欲を出せば間違いなく囲まれる。
景資はそのまま真っ直ぐ進むように軍を鼓舞すると真っ直ぐ一直線に走った。
その雄姿は魚津城の櫓からもはっきりと見えていた。龍兵衛と朝信は満足そうに頷いてかれらの武勇を称えている。
「さすが、お二人は随分と暴れ回っていますね」
「うむ・・・・・・して、如何する?」
「無論、敵の前線を討ちます。かれらにいつまでも攻めさせている訳にもいきませんから、一千の兵で出撃して下さい。城の守りは自分と資正殿にお任せを」
朝信は頷くとすぐに槍を片手に櫓を降りるとすぐに準備を終えて真っ直ぐ敵の前線に突っ込んでいく。前線の一向一揆勢は一万。しかし、朝信は怯まない。
指揮官としての有能さだけではそこまで上杉軍にその人有りとは言われない。彼が越後中に名を轟かせているのは『越後の鍾馗』と称される武勇があるからこそである。
鍾馗は唐の六代皇帝玄宗が瘧にかかり床に伏せた時、玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねるとそれが鍾馗であったという伝説がある。
今の朝信の前にいるのは鬼ではなく人間。かれらを討つことなど魚津城の守らんと気を吐いている彼の敵ではない。
朝信の武勇は自身が率いる僅か一千の兵を奮い立たせ、一万の兵に対する恐怖を無くすに十分であった。
髭一本も無い端正な顔と黒と白を基調とした鎧に次から次へと返り血が付いていく。普通ならばそれに近付こうとする者などいなくなる筈だが、民兵達は遮二無二襲い掛かってくるが、間近で見るとやはりその殺気は明らかに兵そのものである。
「ほう、まだ来るか。よかろう、お前達をもはや民として扱いはしない。兵として見よう。掛かって来い!」
鍾馗と化した朝信にどのような敵が来ようとも関係がない。ただ、真っ直ぐに突き進むのみ。
前線の変化は景資達にも伝わっていた。
「景資殿、斎藤様が敵に突撃を始めました」
「手筈通りという訳か。よし、行くぞ!」
右まで一直線に突破することに成功した景資達は混乱している中軍への攻撃を止めて休むことなく前線の横腹に襲い掛かった。
「三者三様とは言うが、これほどとは・・・・・・」
龍兵衛から感嘆の声が漏れてしまうのも無理はない。それほどに三人の武勇は突出していた。隣にいる資正もその戦舞に見入っている。だが、それを見てつまらなそうにしている者が一人いた。
「はぁ~なんで私だけは留守居なのさ!」
「さっきからそればかりですね。竹俣殿」
長いぼさぼさとした黒髪に緑色の粗末な服を身に付け、駄々を捏ねるように出撃させろと言っている女性は竹俣慶綱である。
彼女も揚北衆の一人で川中島の戦いでは、乗馬武具を失いながら奮戦し賞された。
どちらかというと彼女の子孫の方が有名で米沢藩で上杉綱憲の傅役を務め、竹俣西家の祖となった竹俣義秀や上杉鷹山の藩政改革で鷹山の右腕として活躍した竹俣当綱などがいることで有名である。
朝信に従って魚津城の守備に付いていたが、根っからの武人でまるで景家のような人物だ。
「一応、何があるか分からないですし。いざという時に誰かいた方が良いでしょう?」
「それは分かってるけど・・・・・・」
その辺はきちんとわきまえているので自分がここにいる理由も把握しているから龍兵衛も良しとしている。
敵が奇襲をしてくるということも考えると龍兵衛は戦えないことは無いが、軍師なので指揮を執らなければならない。資正は弓を得意としているので接近戦になると心許ない。ならば消去法でという訳で慶綱が残ることになった。
資正も犬達を率いて戦いたいという思いもあったが、先の戦で民兵達を指揮していた将を弓矢で討ち取っている為に今回はこちらに回っている。
今のところ奇襲の気配は無く、敵もこちらからの予想外の襲撃で混乱状態に陥っているし、心配無いと考えていつ頃皆を退かせるかを見定めている時だった。
「河田様、春日山より書状が届きました」
援軍が来る前には必ず寄越して欲しいと言っていたのでおそらくそれだろうと思いながら期待を込めて中を改める。
しかし、読めば読むほどに龍兵衛は顔をしかめ、気付けば声に出ていた。
「嘘だろ・・・・・・」
「どうした?」
天を仰いで顔を手で覆ったまま龍兵衛は隣の資正と慶綱に渡す。中を見た途端に二人は愕然とした。
武田軍の馬場信晴と虎綱春日を先鋒に信玄が六千の兵を連れて再び川中島の近くに来ている。その為、謙信は急遽川中島に八千の兵を引き連れて行く準備を進める為、残りの四千を魚津城に向かわせる故にそれまで持ち堪えろというものであった。
「眠れる獅子・・・・・・いや、虎がとうとう虎穴から復活したか・・・・・・」
「ええ、武田となれば謙信様は間違いなく川中島に赴くでしょう。そうなれば一向一揆勢に対して攻勢に転ずるのは難しくなります」
謙信率いる一万二千だからこそ一向一揆勢三万に対抗出来るが、もし六千で別の将が率いるとなると上杉が一向一揆勢に対する攻勢に転ずる理由が浄土真宗でないと公言している謙信がいない為に無くなり、そもそも攻勢に転ずることが不可能になる。
そもそも、越後から来た情報が一向一揆勢に伝わっているとも考えられる。そうなれば晴貞は魚津城に構うことなく、援軍と対峙してそちらを叩くかもしれない。
弥太郎のことだから悟られるような動きをするとは思えないが、今回加賀には優秀な間者がいる。油断が出来ない。
正規兵を魚津城に留めておくことはどう考えても無いと思うが、これまでの戦の段階で民兵達の残りの戦力は未だに一万を切っていない。魚津城の兵四千とでは先の戦のように虚を突かない限りは勝利は出来ない。
龍兵衛がそう考えている間に二人が書状を読み終えて、嘆きの声が伝わってくる。絶望的な状況ではないが、勝利する為に乗り込んだこの戦でまたもや先の東北との戦と同様に完全な勝利を不可能にさせられた怒りが嘆きへと変わっているのだ。
龍兵衛が手を叩いて注目を集めさせる。軍師としてはこの城を何としてでも守らなければならない。出すべき指示をしっかりと出さなければ動揺が兵にまで広がりそれでは守れるものも守れない。
まずはこのことはここにいる主だった者達だけが知る事実であること。次に取り敢えずは謙信がやってきているというふうにしておいて、士気を盛り上げておくこと。最後にこの戦が終わり次第、出丸を守る吉江宗信に援軍をさらに百に増やして、一応は夜襲に備えること。
素早く指示を出し終えた時だった。気配の無い所からすっと誰かが姿を表せた。
「段蔵、どうしたんだ?」
「能登から援軍が近付いているよ!」
「何!?」
思わず慶綱は叫んでしまった。彼女を落ち着かせて段蔵に話を続けさせる。聞けばその数は二、三千と少ないが、今までこちらが向こうに出した犠牲とほぼ同じぐらいの数である。
こちらの援軍が少ない以上はその数が与える魚津城の上杉軍への衝撃はかなり強い。
「段蔵、敵の援軍は今どの辺りにいる?」
「あたしが最後に見たのは二日前に富山城に後五里ぐらいになった所かな」
「それならあまり焦ることは無いでしょう。太田殿、今までの戦略を変える必要はありません。斎藤殿達が帰ってきたらもう一度今のことを話しましょう」
龍兵衛は頭の中で地図を作り上げ、情報を聞いて軍師として一人、冷静にあっさりと言い切った。
今頃は富山城に入った頃か進発して間もない頃かいった辺りと見て良い。仮に休みも取らずに上杉軍が率いる援軍に間に合わせてやって来たとしたら危険である。
奇策は何度も使えるものではない。夜襲は毎日、毎日向こうが警戒している為にどうしても出来ない。
これから先はまたしばらく後手後手になるのを我慢しなければならない。
「(しばらくがいつまで続くかだがな・・・・・・)」
魚津城自体はそこまで堅牢な城ではない。長い間は保たないが、知っている歴史を繰り返す訳にはいかない。だからこそここには史実ではいない者もいる。そして、援軍も来ているのだから、勝てなくても負けてはならない。
胸に決意を秘めて龍兵衛は朝信達に撤退の合図を送るように伝えた。