気分が悪い。
どうやら「彼」の感応波の影響を受けたエノハの中のオラクル細胞が活性化し、アラガミ化を引き起こしているらしい。
その為にレアが用意してくれた追加のP-66偏食因子を投与するエノハの命綱の注射器―
「・・♪」
それを口に銜え、挑発的に灰色の前髪と帽子で半分覆い隠された蒼い目を愉快そうに細めていた。
事の発端は五分前。
英国―ロンドン
旧ライブハウス内にて。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「いや。皆挨拶しようよ・・これから僕たちのリーダーになってくれる人なんだし」
くせ毛で細目の少年が諭すように他の三人の少年少女に声をかける。が、
銀髪猫少女は思案するような表情でその提案をスルー。赤髪そばかす少女は相変わらずニヤニヤと笑ってスルー。「尖った」灰髪の帽子少年に至っては完全無視ととり付くシマが無く、気苦労の大きそうな溜息をついて細目の少年はエノハを見、
「すいません・・」
一言謝った。
「いや・・」
エノハは苦笑してその少年の労と気遣いに感謝する表情をした後、他の三人を見据え、
「とりあえず名前を―」と言おうとした時であった。
「――――っ!!!???」
エノハに突如全身の痛みが襲い、思わず膝をついた。まるで身体全体の皮膚の薄皮一枚下を無数の針で貫かれた何とも言えない痺れ、痛痒さが襲う。
「え!?大丈夫ですか!?」
細目の少年が駆け寄る前にエノハの隣にレアが腰掛け、エノハの手首の脈をとる。
「・・・。新しく投与した「慣らし」のP-66因子がこの子たちの中の因子と共鳴したと同時にオラクル細胞も活性化してる・・思っていたよりも拒絶反応が早い・・!とりあえず応急処置しないと・・ノエル!?これを彼にとりあえず注射して!」
レアは白衣の裾から注射器を出し、細目の少年―ノエルに渡した後、
「『レア』に変わる。これを注射したら小康状態になるから後は『レア』に診てもらうから。・・・少しの間エノハさんをお願いノエル」
そう言ってレア「らしき」女性は胸のポッケから取り出したフェンリルの紋章が施された舌ピアスを呑みこんだ。そしてその上体がまるで強力な睡眠剤を服用したかのようにぐらりと揺れ、後ろ向きに倒れそうな所に
「・・よっと」
いつの間にかレアの背後に回り込んでいた銀髪の少女がもたれ込んできた彼女の体をしっかりと支えた後、しゃがみこんだエノハを見据えた。
「ぐっ・・・あ・・」
俯いたまままともに立つ事も出来ないエノハを見下ろしつつ銀髪の少女は
「・・まだP-66に完全に適合していないってことか・・まぁP-55因子がまだ体内に残留してる分、拒絶反応は当然出るよね・・。ノエル・・?その人お願い」
「う、うん!りょうか・・―――!!???」
「・・!?」
細目の少年―ノエルが何もない自分の掌の中を疑う様にして目を見開いた後、その背後にある影を銀髪の少女はレアの体を支えたまま見上げた。影の正体は解っていた。
「・・・リグ」
「影」を銀髪の少女はそう呼んだ。
「っ!!何すんだよ!」
ノエルが憤りながら振り返るとそこには現在のエノハの命綱である注射器を危うい手つきで転がしすワークキャップをかぶった蒼い瞳の少年がいた。ノエルの手から注射器を掠め取っていたのだ。
「はっ・・初対面早々なっさけねぇ奴・・こんな奴が俺らのリーダーになるだぁ・・?笑えるぜ」
嫌悪感を一切隠さず、鼻で笑って少年―リグは注射器を持て余しながら脆くエノハを見下ろした。侮蔑の表情をまだその幼い表情全面に広げて。
「か、返せよ!!この人死んじゃうだろ!!リグ!!??」
ノエルは両手で追いすがるが、リグは注射器を持った右手をひょいひょいと上に掲げてノエルの追跡を躱し、残った左手でノエルの顔を抑える。どうやら典型的ないじめっ子タイプらしい。
「うっせ・・・第一お前がしっかりしてりゃあこんな奴に頼らず済んだんだろうが・・このグズ。誰のお陰でママが苦労してわざわざこんな奴を呼び寄せる羽目になっちまったんだろうなぁ・・?お前がドジでのろまでビビりでヘマさえしてなきゃ・・」
「・・ぐっ!!!」
リグの左手の指と指の間から悔しそうなノエルの顔が覗く。悔しくて言い返したいがどうやら反論の余地が無いらしい。ノエルの抵抗が心なし緩んだ事にさらにリグは整った顔を不機嫌そうな顔にして今度は銀髪の少女をきっと鋭い目で見下ろしつつ睨む。
「・・・」
射殺すようなリグの非難の眼であるがノエルとは違い、少女は全くひるむ様子を見せない。ちっと舌打ちをした後、リグは少女の名を呼んだ。
「だからお前がリーダーをやれば良かったんだよ・・『レイス』」
銀髪の少女―『レイス』と呼ばれた少女は最近声変わりした低いリグの恫喝の声を受け流し、涼しげで、しかしどっしりと心根の据わった真っ直ぐとしたオリーブ色の瞳でリグを見据え淡々とこう答える。
「・・・言ったはずだよリグ。私は。そして私らの力は所詮『半端者』。遅かれ早かれ導いてくれる人が必要になる。で。それが出来るのは私じゃない。かといってこの人がそうかも解らない・・けどママが選んでくれた人である以上、私は信じる。・・信じるしかない」
「で、その当の救世主サマがこのザマか?俺はこんな奴に命令された揚句、足引っ張られて死ぬのなんざまっぴらゴメンだ」
「・・・」
少女―『レイス』は反論せず無言のままただリグの瞳をしっかりと見据えていた。その真っ直ぐさに気圧されたようにさらに少年―リグの顔が不機嫌になった時
「リ~~グ~~~ママが起きたら怒られるよ~~?」
間延びした様な声で一人我関せずであった赤髪のそばかす少女がステージの壇上で足をぶらつかせ、緑色の瞳を泳がせながらやる気なさげに頬杖をついていた。口調ではリグを止めているが、実際はどっちでもいいらしい。
「アナン・・君もリグをちゃんと止めてくれよ・・」
ノエルが赤髪の少女をそう呼んだ。
「やだ~~~めんどくさい。・・第一子供っぽいリグ見んのも困ってるノエル見んのも嫌いじゃないし見てる~~~」
「なんだそりゃ・・」
アナン―やる気なさげな態度に奇妙な好意をさらっと混ぜる掴み所のない少女の様だ。
「・・とりあえずそれを返したげてリグ。最初っからP-66に適応した私らとこの人は違うんだ」
「やなこった。いっそのことこのままアラガミ化させて即『処分』しちまえば面倒も無くネェ?ママも寝てるこったし起きた時に『投与したけど間に合わなかった』って言やぁ済む話だろ?」
せせら笑いながらリグは「とり返したければとり返してみろや」と言わんばかりにポイポイと注射器を手荒に扱った。挑発的な態度にノエルはぎりりとほぞを噛む。
しかし『レイス』は
「・・相手してらんない」
一蹴し、『レイス』は抱きかかえたレアをゆっくりと運び、母を労る孝行娘のように壁に寝かせた。
「アハハ。リグ。振られたね」
「うっせぇ!!アナン!!」
「おーこわ。でもそのちっささがいいわぁ・・身長と一緒で。か~わいっ」
話は終わったが状況は一切変わらず、ノエルは焦っていた。
引っ込みがつかなくなったリグが即注射器を返す事はないだろう。早くしないとこの人が死んでしまう。しかし自分ではどうしようもない。でも何とかして助けないと。
何故ならこの人はある意味・・―僕のせいでここに居るんだ。
ノエルはエノハを支えながら、心はくず折れそうだった。無力感に苛まれる。
その時だった。
「・・・ありがと。もう大丈夫」
「・・え?」
くぐもった声だが力強い口調であった。俯いた顔を上げ、支えになっていたノエルが手を離すとその肩を借り、エノハは立ち上がる。
「・・・ちっ」
「おー」
その姿を見てリグが忌々しそうに舌打ちし、アナンは興味深そうに口をすぼめる。
「だ、大丈夫ですか?」
「うん。・・・確か君はノエルって言ってたよね・・ありがとうノエル」
「あ。すいません・・。こんな自己紹介になっちゃって」
「で、君はリグと」
「・・・」
「君はアナン」
「は~い。はじめまして~」
アナンはぴょこりと手を上げる。
「で、君がレイス・・だね」
寝かせたレアの隣で『レイス』はこくりと頷く。軽い会釈にも見えた。
その態度を見てエノハは気付く。
この子もリグの様にはっきりと表には出さないがエノハに対して懐疑的な所が消しきれていないのだと。エノハのGEとしてのキャリアはある程度レアから聞かされていたとしても所詮は他者を通じての情報―本当にその人が自分の命を預けるに値する人間かどうかなんて解らない。
だから知りたいのだろう。
彼女も。そしてこの目の前のはっきりと敵対心を隠さない解りやすい少年―リグも。
「おい・・提案があるぜ。アンタ・・この話断って帰ってくんねぇか?だったらコレはくれてやるよ」
譲歩のセリフであるがリグは相も変わらず乱雑にエノハの命綱の注射器を乱雑に扱って挑発的な態度を崩さない。
煽って相手の焦る様を眺めたいようだが・・
「・・悪いがそれは出来ない相談だ。こっちにも事情があってね」
エノハにはのれんに腕押しだった。一気にリグは気分を害したかのようにあっさりとつっけんどんになる。幼い。
「シラネぇよ。失せろって言ってんだ」
「・・・建設的に行こう。それ以外の方法でどうすればそれを返してくれる?」
「返さねぇよ。返してほしくばテメェで取りに来い。そうだな・・・ハンデとしてあんたの掌が俺に触れる事が出来さえすれば返してやるぜ。鬼ごっこだ。やったことあるだろう?あんたが俺に触れる事さえ出来たらこれも返すし、あんたの言う事は聞いてやるよ」
そう言ってリグは手を広げて辺りを見回した。
ここは元ライブハウスで在り、大別すれば狭いとは言えない空間だが流石に「鬼ごっこ」をするには少々狭い。隠れる場所も限られている。そこまで難解な課題では無い様にすら思える。
「・・・それだけで俺の言う事を聞いてくれるのか?」
「はっ・・『それだけ』?」
くっくと少年は整った顔を歪ませて笑い、続けてこう言った。
「アンタは俺に死ぬまで触れねぇよ」
ぱちん
リグがそう言って右手の指を弾いたと同時であった。
ズオッ!!
「・・・・!!」
リグの身体が黄金色に輝き、その小さなまだ伸び切っていない身体がオーラを纏って何倍にも大きく見えた。彼の周りに積み重なった埃が円周状に舞う。
「こほっ!!ちょっとちょっとぉ!!いきなり『それ』やる!?リグぅ!!?」
咳き込みながら背後に居る少女―アナンはその在りえない現象に対して全くの逡巡なく、迷惑そうに言い放った。他二人も無言でその光景を見据えている。つまり彼らにとってさして驚く現象ではないという事。
「ほぉら・・意味が解ったろ?あんたの言う『それだけ』がどれほど不可能なことか」
リグのその姿は明らかに神機「解放」状態であった。神機も持たず、また当然捕食するアラガミもここには居ない。しかし目の前の現実は圧倒的な存在感を伴ってエノハの目の前に鎮座する。
ワークキャップの合間から覗く蒼い目を光らせ、金色のオーラに包まれた少年―リグは不敵にほほ笑んで
「あ。そうそう。言い忘れてた。・・あくまでルールは「あんたの掌が俺に触れたら」あんたの勝ちってことだ。つまり―」
「!」
「・・・俺はアンタに触れる事が出来るってことだ」
瞬時にエノハの目の前に金色のオーラを纏った少年が懐に入り込み、構えていた。
何とも手前勝手な俺様ルール。
圧倒的有利、自分の優遇を保持したまま相手を一方的に蹂躙する為のルール。
要するに彼は
「ガキ」
だ。
しかしその「ガキ」は備えていた。
あまりに未熟、幼い精神をもった器に宿った力は分不相応なほど強力な力であった。
P-66偏食因子によって選ばれ、生きのび、GEとなった褒美として与えられる特性、能力。後にそれは「血の力」と呼ばれる事となる。
そして彼の「血の力」は後にこう名付けられた。
「孤高」
自分一人を能動的に解放状態にし、己一人を高みに登らせる能力。
己を含め、同じ志を共にする者全てを同じ高みに登らせる血の力―「統制」
ブラッド因子―P-66偏食因子の第一の覚醒者であるジュリウス・ヴィスコンティの血の力の完全なる下位の能力。
彼は。そして彼達「ハイド」は『レイス』が言った通り―「半端者」。
ジュリウス・ヴィスコンティが所属するフェンリル極致化技術開発局に属するGE特殊部隊―通称「ブラッド」に選ばれなかった「半端者」である。
しかし、その「半端者」に与えられた力は他者を踏みにじるには、そして己を歪ませるには十分な過分過ぎる力であった。
―・・・・・!!!!!?
軽く胸の中心を押されただけ、触れる様な掌底であったがそれを受けたエノハの体はまるでボーリングの玉の様にはじき飛ばされ、朽ちたライブハウスに積み上げられた座イスをピンの様に弾き飛ばしてエノハの体はそれに埋もれた。
・・何気に対人戦を書くのは初めてだな。