…結局見に行けなかった今夏のMI最新作。しゃあねぇDVDで見るか…。
2072年欧州
―クラウディウス家邸宅
「どうぞ。こちらへエノハ様。もう少しで『お目覚め』になられると思いますから」
「…ナル」
少し咎める様な口調でエノハは隣に居る女性―ナルに軽く悪態をついた。
「…あ。これは申し訳ありません。エノハ『さん』」
くすりと笑って、彼女は唇に軽く指を添えて笑う。服装、姿勢、振舞い全てに於いて隙のない軍人らしい彼女だが、微笑むと24歳という年相応に可愛らしい女性らしさが顔を出す。
「…コレは最早性分ですね。慣れるまでもう少し時間がかかりそうです。どうか平にご容赦くださいエノハ様……。あ」
「…」
再びの失態に少し気まずそうにナルは視線を泳がせ、恥ずかしそうに軍帽を深くかぶりなおして目を隠す。
「ナル?…もういっそのこと俺の事呼び捨てにしてくれたらいい。レイス達にはそうしてるだろ?」
「…申し訳ありません。不覚です…」
目を隠したままナルはその部屋にエノハを招き入れる。
先日ここを初めて訪れた際と違う所は今回は「彼女」との対面にナルが付き添ってくれているということだ。
「…すぅ…」
ナルに招き入れられたエノハの目に執務室の中央のソファに赤髪の美しい女性が寝息をたてて眠っている姿が映る。その深い深い眠りは彼女から普段の大人の女性として、貴族として、そして研究者としての威厳を保つための緊張感を奪っている。まるで少女の様な穏やかな寝顔だ。
「…。最近忙しいのか」
「…えぇ。お父上であるジェフサ様からお受け継ぎになった長年の研究成果が佳境に入っていますから」
それ故に最近
「彼女」が「出てくる」回数が増えているらしい。
眠る赤髪の女性―レアの傍らにあるテーブルには既にフェンリルの紋章を象った舌ピアスが置かれていた。それを無言で眺めているエノハに
「…どうぞ」
ナルは衣擦れの音も無く既にレアの向かいの席のソファの前で彼を手で招き入れ、ゆっくりと席に着いたと時同じくして
「……んっ…はぁ……」
眠っていたレアの美しい赤い口紅で染まった艶めかしい唇から吐息を漏らしながら美しい顔を俯かせて数秒後―
「目覚めた」彼女はゆっくりと顔を上げた。
レア・クラウディウスという女性はこの若さにして研究者として世界的権威であり、同時に富める者として様々な社交場を行き交っていた。
そんな清も濁も入り混じった大人の世界を渡り歩く為に必要な調和、調度された適切な表情、振舞い方を自然と身につけている。
しかし、今その全てをかなぐり捨てて彼女の中から「彼女」は現れる。
いつもの優雅さ、上品さは形を潜め、好奇心、悪戯心、そして凶暴性を宿した周りの人間の心をざわつかせる表情。
蒼い瞳が目の前に居るエノハを映し、にたりと嬉しそうに歪む。燃え盛る様な美しい赤い髪の隙間から覗くその蒼い瞳に図り知れぬ激情を宿していることに疑いの余地のない光を携え、彼女は微笑む。
「…おはよう。エノハさん?」
「…おはよう。ルージュ」
―俺は「彼女」と出会ったあの日、直感的に「彼女」をそう名付けた。
エノハがこの場所でレア・クラウディウスと初めて出会った日、そして「彼女」に邂逅したあの日あの時まで時間は遡る。
「…初めましてっ。エノハヤマメさん?」
真っ赤な口紅を差した艶やかな唇を血で濡れた舌先でなぞった結果、「彼女」の口の端に口紅と血が混じった赤い線が走る。元々妖しい微笑みを携えた唇がその赤い線によって左右非対称の奇妙な笑顔を作りだしている。
それに気付いたのか「彼女」は直ぐに口元を細い指先で拭い、「…とれた?」とでも言いたげにゆらりと顔を傾けながらエノハに微笑んだ。
「…」
「反応は頂戴エノハさん。まぁ気持ちは解らないでもないけど」
無反応のエノハに「彼女」は機嫌を損ねたのか口を少し尖らせながら、腕を組む。
「…ふざけているとかそう言うのでは…ないんだろうな」
「これまた順当な反応とは言えるけどもう少し優しい言葉が欲しかったかな」
「他を当たってくれ」
「…ふふ。そう気を悪くしないで?」
先程まで一定の距離、そして節度を保ってエノハに接してきたレアと違い、「彼女」はつかつかと土足で人の心の中を踏み入る様な軽い足取りでエノハの元へ赤い髪と豊満な肢体を揺らして歩み寄る。
思わず相手が受け入れてしまいかねない魅力を元々自分が兼ね備えているという自覚、自負があるのであろう。
横に並んだエノハを見定めるようにちらりと横目で見、くるりと向き直る。全体的な仕草が先程までのレアに比べると格段に幼い。十代半ばから後半程の印象を受ける。
だからエノハも合わせて少し口調を変えた。
「…見ての通り私はこう言う存在よ。今さっきまで貴方と話していたレア・クラウディウスは眠ってるの。私の中で…んふふっ」
そう言って豊満な胸元に両手を添え、乳房の形が変わるぐらいに強く握り込む。
その所作は「自分の体を扱う」動作に見えない。危うい手つきだ。官能的、魅惑的を通り越して正直気味が悪い。挑発的な眼差しをエノハに向けて彼の目の前のレア・クラウディウス「らしき」女性は微笑む。
「…とりあえず君がさっきまでのレア博士と違う人間という仮定で話を進めよう」
「疑り深いのね」
「…。レア博士は俺をここに連れてきた本当の理由を『君』なら話せると残した。早速だけど本題に入ってくれ」
「…不感症なの?エノハさんって」
自分の問いかけを無視して本題に入ろうとしたエノハの問いかけを「彼女」もまた無視し、エノハの表情を下から覗き込むような姿勢でニィッと悪戯な微笑みを向ける。
その問いかけも無視しようとしたエノハが言葉を発しようとした直前
「やっぱり決めた女の子しか目に入らないの?まぁ確かに美人よね。リッカさん…だっけ?」
「…!!」
ぐわっと周囲の空気が歪む。エノハの発した怒気に「彼女」の顔に少し不機嫌そうな色が差し込んだ。エノハの反応があまりにも予想の範疇を超えなかったためだろう。
「少しからかいが過ぎたわ。ごめんなさい。でも…貴方も知っての通り彼女は私達の手の中。それを十分に留意しといて。私に対する態度には気をつけなさい」
「彼女」はエノハから背を向けて歩き出してちらりと横目だけ向け、こう付け加えた。
「…私は『この子』ほど甘くない。貴方を強引に連れてきたことにも、リッカさんを『人質』にとることにも全く負い目は感じてないから」
圧倒的な武力を持ち合わせた個人に対して全く物怖じしない鋭い視線を向ける。
ここから「彼女」が自分の目的のためには全く手段を選ばない性格である事に疑いの余地は無い。この女はエノハの行動で自分に何か不具合、不利益が生ずれば間違いなくリッカに危害を及ぼす―そんな確信がエノハの怒気を納める。
自分の行動に迷い、負い目を感じていないシンプルな思考回路。
「彼女」が今「眠っている」と言うレアであればブレーキをかけるところを躊躇い無くアクセルを踏み込む真逆の性質を「彼女」は持っていた。
「君がここまでする『理由』を今すぐここで偽りなく答えてくれると嬉しい。それとあまり過度な挑発とか『探り』を今の俺にしないでくれ。こっちも全くの冷静ってわけじゃない」
「…。座って。ナルにお茶を用意させるわ」
ここまで「彼女」を頑なに、脇目も振らず、手段を選ばなくさせる根源は一体何なのか。それを知る為にエノハは今は私憤を抑えて席に着く。
この女は扱いが非常に難しい。
「私の父親であるジェフサ・クラウディウスの事をどこまでエノハさんは知ってる?」
意外な切り口から二人の会話は再開する。
「…俺は直接の面識はない。親父から話を聞かされ続けてた程度だ」
「それでいいわ。答えてくれる?」
故 ジェフサ・クラウディウス博士
享年53
専門分野はオラクルアクチュエータ。
由緒正しき貴族の生まれでありながら実直な性格で「ノブレス・オブ・リージュ」つまり「富める者として世界、人々への奉仕、貢献」を行動理念にした人格者。
実の娘であるレア・クラウディウスも彼が残したその技術、知識を継承する技術者である。
「親父は『暑苦しくて真面目すぎるけどまごうこと無く本物の善人』って言ってたな。で、同時に間違いなく世界最高峰の科学者、技術者だって」
「…うふふ」
父親を褒められた事に嬉しそうに初めてとても素直に「彼女」は笑った。
「…」
「…!んんっ!続けて?」
「専門分野は確か…オラクルアクチュエータ。平たく言うとロボット工学の専門家で、その道の世界的第一人者…つまり…オラクル細胞とロボット工学を組み合わせた対アラガミ兵器―『神機兵』開発プロジェクトの最高開発責任者…だったか?」
「流石ね。商売敵になるかもしれない相手の事はチェックしているってこと?」
「まさか。そんなつもりはないよ」
「本当かしら?」
「…疑り深いな」
「お互いにね♪」
頬杖をついて楽しそうにそう言った「彼女」を前に大げさにエノハは溜息をつく。そしてこう続けた。
「…形は違えど同じアラガミ討伐を目的としてる以上、味方になっても敵になる事は無い。事はそう単純じゃないのかもしれないけど、少なくとも現場で命賭けてる俺らの様な人間にとっては人手が増え、負担も犠牲も減るのであればこれ以上の事はない。それに…」
「それに…?」
「その開発総責任者が『まごうこと無く本物の善人』って他でもない親父に聞かされ続けてきたんだ。十分俺にとっては信じるに値する。君と同様…まぁちょっと悔しいけど俺も自分の親父を尊敬、信頼してる」
「…」
「…父親を尊敬しているのは君だけじゃない。俺の周りには何故か父親を尊敬している奴が不思議と多くてね。そんな奴等に囲まれてると自然と俺も認めざるを得なかった。だからこれに関しては本当に嘘偽りない、俺の本音さ」
ここに来て初めてエノハは心根を正直に晒し、いつものように微笑んだ。目の前の印象がころころ変わる掴み所のない女性からわずかに感じた自分との共通点、接点を手繰り寄せる。すると思いの外素直な笑顔をした彼女に少しざわついていた心根が和らいだのだ。
「本当に惜しい人が亡くなったってことは例え会ったことのない俺でも解る」
心からの同情をこめてエノハがそう漏らした時であった。
そんなエノハの嘘偽りない自然な心からの一言が―
完全に引き金になった。
ぶつっ
そんな音が目の前の少女から響く。
紅い髪が内から湧き出るものによって逆立つように膨れ上がり、蒼い双眸は様々な感情が入り混じった涙によって揺れ、歪み、内から湧き出る物を必死でこらえようと噛みしめた唇から血が噴き出してとうとう両目から零れおちた大粒の涙に混ざり、美しい「彼女」の顎の線を伝っていく。
とめどなく溢れ出る涙が顎の線の頂で紅い雫になり、次々と床に滴り落ちていく。その雫の何粒かを俯きながら見届けた後、「彼女」はきっと目の前のエノハを三角にした瞳で見上げ、睨んだ。幼い少女が年長の人間の自分に対する納得のいかない叱責に目線だけで反抗するみたいに。
そして不明瞭に震える喉からこう絞り出した。
「…がうの」
「……ん?」
「ちがうの…」
「…違う?」
「父は……パパは亡くなったんじゃない!!」
更に「彼女」の言葉が幼くなる。
「殺されたの!!!私の目の前で!!許さない!!絶対許さないから!!!!」
最早貴族としての振舞い、節度、恥も外聞も無く、一層幼くなった心根を惜しげも無く晒し、泣き喚きながら立ちあがり、彼女は続ける。
許さない。許さない。絶対許さないと。
絶句のエノハの目の前全てが真っ赤に染まっている。
怒りによって膨れ上がった深紅の髪。血で赤く染まった涙を撒き散らしながら。
視覚的には紅とは正反対の「彼女」の美しいコーンフラワーブルーの瞳でさえ全てを燃やしつくすような激しい情動によって紅く見えてしまいそうだった。
情熱
憤怒
そして
復讐の「紅」
その時映った彼女の姿を見、エノハは直感的に「彼女」の呼び名を決めた。
「ルージュ」
と。
そして彼女―ルージュは最後にこう言った。
「絶対!!絶対許さないんだから!!!貴方だけは!!」
「――――――ラケル!!!!!!!!」
同時刻―
欧州支部
旧英軍の大型空母、イージス艦、潜水艦の造船ドッグ内にて。
金属を切断、溶接する作業員に混じり、高級そうな背広を脱ぎ、白シャツ一枚になって汗だくになりながら設計図を開いた設計士らしき人間が大きな声を上げて作業員に的確な指示を出している。
「…」
その光景をこの施設の上階である貴賓室であり、けたたましい建造音を遮る防音設備の行きとどいた部屋の中で荘厳な音楽を聞きながらガラス越しに無言で見守っている一人の人間の姿がある。
全身を真っ黒な衣装に身を包み、その体は矮小で繊細、少し扱いを間違えただけで簡単に壊れてしまいそうな人形の様な金髪の美しい女性であった。
まさかこの女性が目の前で建造されているこの巨大な建造物が完成後の運用を一手に任されているなど誰が想像するだろうか。
「…進捗状況は?」
その可憐な容姿から寸分のズレも無い、美しく繊細な声が荘厳なオペラ曲が流れる室内に控えめに響いていく。しかしその掻き消えそうな繊細な声を余すことなく受け取って言葉を発する者が彼女の背後に居た。そこから彼女「達」の付き合いの長さが垣間見えた。
「73パーセント。先日のグレム局長の希望で少々内装の意匠に関して修正を余儀なくされ、予定より3.8パーセントの遅れが出ているが…まぁ大きな問題は無いだろう」
礼儀正しさと品行方正さがにじみ出た青年の声であった。
「ふふふっ…あの方も相変わらずですこと」
くすくすとまるで鼻の中で鈴を転がすみたいに女性は笑った。
「いよいよ私達の長年の夢が叶うのですね。そして今から生まれるこの子はまさしく世界に変革と安寧をもたらす文字通りの『黒船』と言ったところでしょうか?」
「ふっ…『黒船来航』か。狭い自分達の世界と考え、価値観を全て覆す概念の『来航』を差す極東―かつて日本であった国の言葉…。確かに相応しいかもしれないな」
「この子の完成の暁に極東は是非とも訪れたい場所です」
「ああ。…そして同時『我々』の真価が試される時だ」
「ええ。期待していますよ?……叶うなればどうかその時の為に…『彼』には是非とも貴方…いいえ。これから生まれる私達の『家族』の一員になって頂きたかったものですね」
「…俺も『彼』とは是非とも一度お会いしたかった。そして共に戦いたかった」
「ええ…本当に」
そう言って女性は手元に置いていたノートパソコンの電源を灯し、その画面に映し出されたデータベースを隣に居る青年と共に覗き込む。
榎葉 山女
そのデータベースの写真欄に赤い印が押されている。「KIA」と描かれた赤い印。つまり正式な死亡確認の印である。
「…これも何かの縁。今は私達の『家族』になるはずだった彼の冥福を祈りましょう。
…ジュリウス」
「…はい。
―ラケル博士」