「これが私の父親―ジェフサ・クラウディウス博士の死の真相よ。父は他でもないこの世界で最も愛する娘の手にかかって死んだ―暗殺されたの。その時にこの子―レアの中から生まれたのが今ここに居る…私」
「彼女」は軽く胸元に手を添え、憂いの籠った蒼い目を伏せた。
解離性同一性障害―所謂「多重人格性障害」である。
よく娯楽小説、ドラマなどで題材とされる割とポピュラーな単語である。過大なストレスや堪え切れない事象等を人間が受けた際、その時の記憶や体験を自ら切り離して本人格とは異なる人格を作り上げて己自身を「客観視」し、自我崩壊を防ぐ一種の人体の自己保存、防御機能によって生じる精神疾患だ。
レアの場合は幼少時引き起こした妹―ラケル・クラウディウスへの傷害事件によって出来た拭いがたい負い目、後悔、恐怖、そして事件以降、半身不随になった妹への罪の意識、呵責。そして内心では妹に服従同然の自分の現状に対する疑問、不満、父親の愛情の半分を奪われたことで鬱積していた嫉妬心。と、様々なストレス要素を素に「彼女」の基礎が固まっていったのである。少女の精神の乖離は成功の過程でゆっくりとしかし確実に進んでいたのだ。
そして父ジェフサが暗殺された夜、主人格であるレアがショックで完全に心を閉ざした際、とうとう「彼女」は顕現―それがルージュだ。
愛した父親が他でもない自分の娘のラケルに無惨に惨殺されるという光景を前にしてレアは「レア・クラウディウス」という人間の自我崩壊を防ぐためにその事象の体験、記憶を切り離したのである。(レアがこの件に関してエノハに説明が出来ず、ルージュに「替わった」のはこの為だ。レアの人格はこの事実、体験、記憶を「無かった事」にしないと自我が保てなくなる為、エノハに対して何ら説明が出来ないのである)
謂わばこのルージュと言うレアの別人格はレアという女性の負の部分、封じたい、否定したい体験、記憶を素に生まれた別人格だ。
幼少の頃辛い、理不尽な体験をした子供が心を歪め、攻撃的な性格になりやすいのと同様に「レア・クラウディウス」と言う一個の人間が成長の過程で被る「負」の外部刺激を「受け皿」して一身に受けた人格は主人格と異なる攻撃性、幼稚さを持っても不思議ではない。
よってルージュの目的は非常にシンプルであった。彼女の「発生」の大きな一因となった父の愛情を半分奪い、そしてそれに大した価値を置いておらず、最期にはあろうことか自らの手で父を惨殺した妹―ルージュを「生んだ」と言っても過言ではない者―ラケル・クラウディウスへの復讐である。
「…本来であればエノハさん…貴方は私の妹―ラケルの下に行くはずだった人間。ラケルが出資し、発足した組織である『フェンリル極致化技術開発局』にね」
「『極致化技術開発局』…」
「その目的は『人類を生命の頂点へ回帰させる』こと」
「…」
その言葉を聞いた瞬間にエノハが寒々しそうな表情をした事に愉快そうにクックと笑いながらルージュは
「自分の目的の為に実の親も容赦なく、笑って殺した人間が掲げる大義名分がこれですものね…そんなカオをしたくなるのも解るわ。でもまぁ今はそれは置いといて…まずはその大義名分の達成の為にこの組織が何をしようとしているのか?から始めましょ」
「…」
「大雑把に分けると二つ。まず一つ目は…私…というかレアね?この子が主導になって動いているプロジェクト―父の代から受け継いだ長年の夢、究極の対アラガミ兵器『神機兵』の運用。そしてもう一つは…あの子―ラケルが推し進める計画―先程貴方に適合したと言った偏食因子―p66偏食因子に適合した世界中から選りすぐりのGEを集めて結成する特殊部隊―通称『ブラッド』の運用が主軸になっているわ。…ここまで言えばわかるわよね?」
「…俺がその部隊に入るはずだったわけか」
「その通り。先程レアが言った通り貴方はP66偏食因子に適合し、おまけにGEとしてのキャリア、実績文句なしの人間。当然私はそれを止める。手元に置いておきたいと考える」
「…妹に対する当てつけってわけか?」
「ご明察」
「…」
「くすくす…冗談よ。…半分は」
「…」
「あはははははっ!」
「…。探り、挑発は程々にしてほしいってさっき言ったと思うんだけどな?」
「うふっ。ごめんなさいっエノハさん♪今から真面目に説明するから許して?」
やれやれと大きく溜息を吐きながらエノハが頭を抱えると同時、ふっと執務室の電気が消えた。緑輝く庭園が見下ろせる日当たりのいい窓もカーテンが閉じられ、室内は真っ暗闇になった。しかし、常人より遥かに夜目の利くGEのエノハは特に狼狽はせず、暗闇の中でもすぐに目の前に居るルージュの表情がすぐにはっきりと認識できるくらいに焦点が合う。しかし先程エノハをからかった際の悪戯な少女の様な表情は形を潜めていた。
「…?」
訝しげなエノハを尻目に
「ありがと…」
ルージュがそう呟いた。その感謝の言葉の意味がエノハには解らない
「エノハさんのしかめっ面見たらおかしくて…。少し落ち着いたわ。耐えられそうな気がする」
彼女のその言葉と同時真っ暗闇だった執務室から一筋の光が走り、白い壁に反射する。どうやらプロジェクターの様だ。
「…!」
そこに映し出された一枚の写真に映った物体の何とも言えない醜悪な姿を目の当たりにしてエノハは押し黙る。「虚ろ」と呼ぶにふさわしい感情の宿らぬ金色の瞳、左右非対称でまるで経年劣化でボロボロに崩れ落ちる寸前のひび割れた人形のような表情をした何かが映し出されていた。
一切の好感も入る余地の無い悪夢でも早々お目にかかれなさそうな怪物の顔であった。
「…アラガミ…?」
お世辞にも友好そうな存在には見えない為、自然とその単語がエノハの口から出るが、ルージュは首を振る。
「…いいえ。これが神機兵。と、言ってもこれは神機兵の試作機―『零號神機兵』と言ってね?現在開発中の神機兵の主流の2種、長刀型、大剣型よりも以前に建造されたプロトタイプ。兵装の小型化が進んでいない段階の一体よ」
ルージュはそう言って今度はその神機兵の全体像を模写した図面らしき画像に切り替える。右サイドにこの物体の大きさを表すらしき走り書きの数字が書かれている。この数字が確かならば相当の巨大さだ。巨大アラガミであるウロヴォロスにすら匹敵する体躯を持っている事になる。
「…とても実戦に使える物では無かった。現在体の大部分が人工筋肉が主流の神機兵に対し、こちらは体構造の大半がオラクル細胞で構成されているから制御面において大きな課題を残してね?正直失敗作よ」
「君のその口振りからして」
「ええ…。作ったのは『私』。正確にはこの『子』だけどね」
ルージュは赤いつけ爪の切っ先をトントンと胸の中心に当てる。
「この失敗を基にこの『子』は神機兵を自律制御型から有人型にシフトさせた…自律制御は『オラクル細胞』というまだまだブラックボックスの多い細胞を制御し、指向性を持たせることの難しさ、危険性を鑑みるとまだまだ課題が多くてね」
一言に神機兵と言ってもその開発の方向性は現在おおよそ二つの「型」に分けられている。
一つは神機兵に直接人が乗り込み、「ロボット」と言うよりも神機の適性の無い普通の人間をアラガミと闘えるようにする謂わば「パワードスーツ」として運用する「有人制御型」だ。
搭乗員に専門の技術、訓練、適性(流石に神機適合程ではないが)を必要とし、おまけに内部に人間を乗せる以上、人体への負担を考えると機動性、運動性が制限されるデメリットはあるが人間特有の柔軟性、作戦運用など細かい精密な作戦行動が可能なうえ、定期的なパイロットのメンタルケア、性格審査を怠らなければ暴走のリスクも可能な限り抑えられる利点がある。
もう一方は「自律制御型」。
神機兵に予めある程度の行動の指向性をプログラミング、インプットし、自動で神機兵自体が状況判断、作戦行動を行う。
パイロットを擁さない為、搭乗員の負担への配慮の必要が無い。その為かなり無茶な機動が可能であり、理論上基本性能は前述を上回る。パイロットの育成、人材コストが発生せず、時間的、金銭的なコストパフォーマンスにも優れる。搭乗員の負傷、または死亡による「乗り手不足」も無用の心配であり、大元のシステムさえ完成させれば継続的運用性も高い。ただし作戦行動における柔軟性、行動の緻密さ、暴走のリスクと言う点では前述の有人型に現時点ではまだまだ劣っている段階にある。
神機兵開発責任者であるレア・クラウディウスは現在、有人型神機兵の開発に携わっているが元々は彼女自身、無人型、自律制御型の開発を推し進めていた。
しかし今現在エノハの目の前でスクリーンに映し出されている自律型神機兵「零號神機兵」の開発、失敗を契機に彼女は180度方針転換をしている。その理由には単純な「開発の失敗」「運用の難しさ」云々を素にした方針転換だけでなく決定的な理由があった。
そしてそれがレアがエノハを招き入れた事の一因ともなっている。
現在フェンリルデータベース通称「ノルン」に掲載されているレアの父親ジェフサ・クラウディウスを襲い、命を奪ったと言われる「識別不明のアラガミ」こそ紛れも無くこの零號神機兵であった。
しかも。
レアを更に苦しめたのがこれが懸念されていた「神機兵の自律タイプの暴走」では無く「完璧に制御された上」という点だ。当時レアはこの零號神機兵の自律制御の開発に四苦八苦していた。神機兵より遥かに小型な神機でさえ時に制御できずに人間を喰い殺す事もある。それより遥かに巨大なオラクル細胞の塊―零號神機兵の制御が困難を極める事は容易に想像がついたがそれでもその困難さは彼女の予想をはるかに越えており、彼女の研究は完全に行き詰っていた。
しかしその問題をあっさりと解消し、ものの見事に零號神機兵を制御し、「目標」を破壊させたのが妹―ラケル・クラウディウスであった。
本当に素晴らしい。天才だ。
妹のラケルに比べ遥かに神機兵の開発、研究に携わった時間が長いはずの自分が行き詰っていた問題をあっさり看破して見せた妹の手腕に研究者、開発者、科学者として舌を巻いた。嫉妬した。脱帽した。そして恐れ、絶望した。
その手腕が如何なく発揮された。実の父親を肉塊に変えるという圧倒的な所業を以て。
人類の天敵アラガミと闘う力を持ち、人の矛になり、盾になる父ジェフサ・クラウディウスの夢―神機兵が最初に手にかけたのがアラガミでは無く、よりにもよってジェフサ自身なのだから皮肉な話である。
レアは父親を喪った痛手、手を下したのが妹という事実、そして科学者、技術者、研究者としての圧倒的な敗北感に完全に叩きつぶされた。
「オラクル細胞で出来た対アラガミ兵器神機兵―それが持つもう一つの側面、可能性ってなんだと思う?エノハさん…?」
唐突にルージュはエノハにそう尋ねた。
「…究極の対人兵器…」
「…ご明察。零號神機兵、そして現在の初期型神機兵双方に共通する点はオラクル技術によって製造されているってこと。裏を返せばそれは人工アラガミを作っている事に他ならない。…妹のような怪物がそんな力を手に入れ、またアラガミ討伐に於いても有用な新世代のゴッドイーターを世界中から選りすぐっている現状…」
「…」
「妹は動いてる。社会的信用、貢献、研究者、科学者としての申し分ない実績を隠れ蓑に確実に何かを企んでる。人もアラガミもあの子に敵わなくなった先にあの子は一体何を見てるのかしらね」
―名誉?
地位?
金?
支配?
ううん違う。
あの子にそんな物を欲しがる感情は無い。
なら愉快犯?
目的も思想も無くただただ人形遊びを楽しんでいるだけ?
…違う。
あの子の今までの行動から鑑みればそれが一番近い様な気がするけど何故かそれも違うような気がする。
正直ラケルの狙いはレア、ルージュには解らない。しかし今確実に解るのはこれ以上妹を増長させてはいけないということだ。着々と権力、発言力、科学者としての地位を積み上げ、尚も多くの物、力を貪欲に手に入れようとする妹に対抗するために同時表に出たばかりのルージュにも力が必要だった。その上で必要不可欠のピースの一つが極東支部第一部隊隊長エノハであった。彼をラケルに渡すか自分の所に招き入れるかで雲泥の差がある。招き入れられれば一石二鳥どころの話ではない。ラケルの増長を抑え、同時ルージュに欠けているピースを大きく埋める事の出来る逸材だ。しかし公に彼を召集する事は当然出来ない。レアのもう一つの人格ルージュの存在をラケルはまだ知らないとはいえ、普段従順な姉がGE最強クラスの個人を自分を差し於いて招き入れたとなれば当然訝しげに思うだろう。
そこで
「ならエノハに死んでもらおう」
と言うのがルージュの出した結論であった。自分の下に招き入れる上でも、ラケルに渡す事を防ぐ上でもそれが一番都合が良かった。
表向き死んでもらって秘密裏に自分の下に来てもらうか。味方にならないのであれば廃人、死人同然にしてラケルの下ではとても使い物にならなくするか―と言う双方の意味において。
どちらにしてもルージュにとって益はある。主人格レアでは決して出来ない選択を惜しげも無くルージュは決行した。
「結果」は幸いにも「形式的」にエノハは死に、その行使力、有用性は一切失われていないままに自らの手元に置けている状態。最高の結果だ。思いの外あの「人質」は覿面に作用したようである。
そこはエノハに対して行った数々の挑発まがいの振舞いから引きずり出した彼の態度から容易に測りしれた。同時これからも十二分にその「効果」を発揮してくれる事も確信した。
彼女―ルージュは彼女の復讐を完遂する上で最高のピースを手に入れた。
彼女の目の前に立ちはだかる障害を全て払いのけ、愛し、そして憎し妹ラケルへの道を。彼女の喉元へと復讐の切っ先を突き立てるまでの道を切り開くことのできる人間を。
「うふふっ…」
ルージュは美しく整えられた両手の指先をエノハの指先に軽く触れさせ、美しいコーンフラワー色の蒼い目を輝かせ、慈しむような視線をエノハに向けてこう言った。
「どうかしら?私の手をとってくれないかしら?エノハさん…お願い」
「…」
その指先から無言でエノハは自らの手をスッと遠ざける。少し面白くなさそうにルージュはふんと視線を泳がせるが予想の範疇だったのだろう。直ぐに表情を取り戻し怪しく微笑んだ。
「…解っていると思うがあくまで『あの子』が『無事であるからこそ』意味があることは百も承知だろうが敢えて言っとく。くれぐれも『あの子』は丁重に扱え」
「…ええ。勿論よ。ただ…」
「ただ…?」
「私にとって貴方が『価値がある人だからこそ』リッカさんに意味がある、無事である必要がある。と、いうことはくれぐれも忘れないでね?」
「…」
「エノハさん…?『貴方は』私を裏切らないでね?失望させないでね…?」
そう言ってルージュは傍らに置いていたフェンリルの紋章が施された舌ピアスを掴み、呑み込んだ。
「…今日はたくさんお話が出来て楽しかったわ…エノハさん。今後の事は外に控えているナルと起きた『この子』に聞いてね」
だらりと気だるそうに頭を後ろに傾かせ、ルージュは舌を出す。舌の先でフェンリルの紋章が象られた舌ピアスを転がしながら流し目でエノハを見る。
唇と舌、炎のように渦巻いた癖のある髪―全ての「紅」を妖しく輝かせ、彼女は微笑む。
「じゃあ…おやすみなさい。エノハさん」
「…おやすみ」
―ルージュ。