前時代で栄華を極めた世界の各都市が軒並み突然現れた人類の天敵―アラガミの出現によって崩壊、衰退の一途をたどる中でも前時代の伝統、格式を保ちつつ激動の時代に合わせて発展を遂げたまさしくこの時代に於いての「成功例」の筆頭ともいえるフェンリル支部―
それがこの香港支部である。
が、物事には何事も裏表があるようにこの支部にも当然そういうものはある。
まずその一つがこの香港支部内の地下に走った現在では完全に放置、封鎖され、まるで遺跡の如く残った地下空洞、地下水脈、地下通路である。
元々アラガミも生物である以上、当然「エサ」の多い場所に集まる習性がある。当然、人間やその他生物、そしてアラガミにとって人工物、機械等の自然界には存在しない物珍しい「嗜好品」の多くが集まる人口密集地帯なぞ格好の餌場だ。真っ先に狙われる。
しかし、21世紀初頭に経済的に大きな発展を遂げた中国という国家の中でも香港という土地は1997年に返還されるまで英国の植民地であったため、一足早く近代化が進んだ土地柄であり、本格的に中国が資本主義経済を導入する前にすでに投資家、資本家によって多額の海外企業への出資が行われていた。その一つに欧州の製薬企業であったフェンリルの前身企業―そこにも巨額出資を行っていた為に彼らが生み出したアラガミ装甲壁の採用も早く、人的、文化的被害も最小限に抑えられた背景がある。
しかし、桁外れで出鱈目な程急速な進化を遂げるアラガミ達に対する保険―いざ装甲壁が破られた際、貴族、企業役員、政府要人などを私財と共に秘密裏に、迅速に避難させるために支部の地下に脱出用の幾重に葉脈の如く張り巡らされた地下通路が建設されていた。
現在でこそある程度「アラガミ」という生物の理解が進み、成層圏より上を飛行、または生息できるようなアラガミがごくわずかであるという試算もなされ、空路の方が海路、陸路より遥かにリスクが少ないことが判明し、お払い箱となった「血脈」だがその後も香港支部の地下でひっそりと放置されている。
そこにエノハたちが香港支部を訪れる一か月前―GE「上海」支部の隊員たちが集結していた。
彼らの目的は香港支部が地下水脈、地下通路と共に秘密裏に放置している「とあるアラガミの討伐」―詰まるところ現在の「ハイド」と目的を同じとしていた。
前回記載したように香港支部からの支援や手助けは全くない状態である。地下水脈内部の地理的情報も全く開示されていない状態、そして持ち込めた物資、人材ともに最低限。凡そリスクしかない状態であるが彼らはここに来た。迷うことなく。彼らには強い熱意と意志、
…そして「打算」があったからだ。
上海支部は中国主要三支部の中でもとかく貴族階級の支部長派と市民派―たたき上げの副支部長派に分かれた内部抗争が激化の一途をたどっていた。
数か月前、上海支部でアラガミが装甲壁を突破し、外部居住区を蹂躙した際、駆り出された主にフェンリル下層市民の中から輩出されたGE第二部隊からの追加支援、救援要請をフェンリル貴族派の要人の親族が配属されているGE第一部隊が拒否した結果、市民、第二部隊GE共に多数の死傷者を出した。
この事件で端を発したこの遺恨はここ香港支部にまで飛び火することとなる。
発言権、政治的影響力、資金など全てにおいて貴族派と差がある副支部長派にとって出来ることはシンプルに「成果を出すこと」のみである。アラガミの討伐数、有用なコアの確保、それがフェンリルのより上部組織、北京支部または欧州本部の目に止まることしかこの状況を打開する方法はない、と考え、多くの犠牲の中で団結した副支部長派は奮闘、実際に結果と成果をだしつつあった。
支部長派の奸計や謀略によって手柄を横取りされたりと相変わらず苦渋を舐めることはあったものの、残念ながら碌に出撃もせず、「後方待機、バックアップ」の名目で安全圏で待機していたお飾りの第一部隊に比べればよほど組織的に纏まっていた為、上海支部のフェンリル市民、外部支部、そしてとある「新興団体」からの支持もあり、副支部長派が支部長派に代わって上海支部の全権を握るというあまりに痛快な改革、革命まであと一歩のところまで来ていた。
しかし―彼らはここで功を焦った。
そんな渦中で飛び込んできた隣の香港支部に現れた「とあるアラガミ」の情報―
その「事の顛末」は上海支部で煮え湯を散々飲まされてきた境遇の彼らにとって許しがたいものであった。このアラガミを討伐し、コアを手に入れられれば今度こそ支部長派、貴族派を締め出せる、追い出せる―そして今も世界の各支部で不平等、不当な待遇に晒されている者たちに希望を与えることが出来る―
彼らの心がけ、境遇は確かに理解できる。正直素晴らしい。
しかし繰り返す。「彼らは功を焦った」。
彼らは情報収集、状況把握を怠り、そして何よりも「謀ったように」都合のいいタイミングで飛び込んできた「とあるアラガミ」の情報に喰いついてしまった。
結果―
派遣した上海支部の部隊は全滅。彼らは「とあるアラガミ」の討伐どころか、そのアラガミの正体、姿さえ拝めずに全員殺される。
何故ならそのアラガミは―不可視(インビジブル)だったからだ。
場所と時変わって一か月後―
フェンリル欧州支部「ハイド」本部にて
「…」
エノハはレアとナルフが持参した映写機の映像を「ハイド」の隊員達、「レイス」、アナン、そしてリグとノエルと共に見ていた。
それに映し出されているのは上海支部の隊員達の作戦前の決起の姿である。場所は言うまでもなく香港支部―地下水脈、地下通路である。
『…!!…!?…!!!』
上海支部第二部隊の恐らく隊長格であろうがっしりとした190センチはありそうな大男が軍人の様に規律正しい立ち姿勢で数人のGEを前にし、綺麗な北京語(マンダリン)で隊員たちを鼓舞している姿であった。
その鼓舞の声に隊員達、そしてこの映像を撮った撮影者までも巻き込んだ気持ちの高揚、士気の高ぶりがひしひしと伝わってくる映像である。
だがこの映像を見ているエノハにとってその光景は些か…滑稽に映る他なかった。顔を鎮痛に歪め、内心「やめろ…」と呟いていた。彼自身「結果」は解っているというのにそう願わずに居られなかった。
彼らは映像の中で大した前情報もなく、頼りない資材と物資、人員で敵地に乗り込み、侵入し、そこで今、堂々と大声を張り上げ、決起集会を行っている。強い意志、目標、団結力はうかがえる。
しかし、間もなく彼らはここで一歩も動けず全滅することになるのだから。
「…」
その映像を見ていたその場の全員が各々性格に沿った反応をする。「レイス」は相かわらずポーカーフェイスだが呆れと憤りの隠せない顔で目を逸らし、アナンは「あ~あ」と言いたげに首を振る、ノエルは既に顔を逸らし、リグは苛立たし気に奥歯を噛みしめて頭を掻く。
基本アラガミ戦闘はGE側が身を隠し、奇襲、先制攻撃が基本。彼らが行うのはスポーツではない、あくまで実戦なのだ。時に「美学」というものは使いどころを間違えれば生き残るうえで最も邪魔なものになりかねない。
最初にまず部下を鼓舞していた190センチの男―恐らく隊長格の男の上半身が―
消えた。まるで空気に喰われたみたいに。
その直後、悲鳴と怒号が響き、隊長格の男の下半身が吹き上げる血の噴水が撮影しているカメラに点々と付着する中、撮影者の動揺が目に見えて分かるように酔いそうなほど上下、左右に不規則にぶれる。その中の端々で他の隊員もまた隊長格の男と同じ様に体の一部分、乃至、全身がまるで異次元空間に吸い込まれたみたいに欠損していき、悲鳴、もしくは悲鳴すら上げられず敢え無く事切れていく姿が映る。
この映像でわかる。このアラガミは敢えて―この撮影者を「生かしている」。
自分の能力、力を誇示するように。そして―
『はぁっ……!!はぁっ…!!』
悲鳴も怒号も最早響かず、ただ撮影者の過呼吸レベルの吐息が聞こえる。時折祈るような、命乞いをする様なか細い声も集音マイクが拾っていた。目の前一面に広がる血だまりに点々と横たわる変わり果てた仲間たちの姿を前にしているのだ。その動揺は当然と言えた。
そして暫くすると映像は途切れ、画面がフェードアウトした。
ここで映像は終わる。暫くその映像を見終わった「ハイド」全員が無言であった。あまりに凄惨であり、同時あまりに不用意、杜撰で滑稽ですらあった光景に上手く言葉が出ないのだ。そんな中ようやく口を開いたのはエノハであった。
「この撮影者…カメラがフェードアウトしていた時、まだ生きていたな…『カメラだけが作動しなくなった』って感じだった」
その言葉に―
「…ええ。このカメラを回収、調査したフェンリル職員によるとカメラだけは全くの無傷、稼働も映像解析も全く問題なかったそうよ。このカメラの撮影者も周りに居た隊員達すべてが完全に絶死の中で不自然な程綺麗に残されていたらしいわ」
レアが手元の端末に記載されている詳細事項を確認しつつ、エノハの言葉にこくりとうなずく。
「つまり…カメラは一時的に完全に起動不能、起動障害に陥って撮影が不可能になったってことだね~~?…つ・ま・り」
意外にも四人のハイド・チルドレンの中でも分析力の高いアナンは頬杖突きながら事を察し、結論を述べた。
「このアラガミは特殊パルス―EMPパルスを持っている。つまりコイツは『固有種』ってワケだ」
「…それもそれだけじゃない。現れた当初、それを行使せずに現れた。つまり…この『カメラ』という物体が人間にとってどういうものなのかを知っていた。そして敢えてそれを持っている人間を最後まで生かしてその光景を映させたのち最後にEMPパルスを発生させ、カメラの機能を停止させた…ってことだよね」
「レイス」も冷静にこの怪物が短い映像の間に見せた「意図」を把握していた。
「へええ~~っ♪…自分の姿…いんや、自分の姿を見せないまんまその光景を見せつけたってワケだ。悪知恵働くじゃん?コイツ」
アナンは感嘆したように、しかし笑顔を交えずに頷きながらこう言った。それにエノハも同調し、現在解っているこのアラガミの情報からこのアラガミの能力、特殊性を最後にこうまとめた。
「…例え姿を見せなくても人間には姿の見えない相手を捕捉する道具がいくつかある。でもこのアラガミには無理だ。位置を把握するための動体感知器も、温度感知器も、そしてオペレーションによって遠隔で位置を知らせたり、情報交換をするための交信機器も全てEMPパルスによって停止させられるからな。そして…『見て』の通り『目視』も不可能ときてる」
目視はできず、文明の利器による捕捉も不可能。
まさしく「不可視」のアラガミである。
現在の所、このアラガミ固有種の厳密な種別は不明。現場に上海支部の隊員がこのアラガミを傷つけることも出来なかったため、体液等の残留物もなく、近似種すらも不明。
姿形(なりかたち)というものは人やその他の生物に限らず、アラガミという異形の生物すらも彼らの動き、習性、攻撃傾向をある程度表している面があるものだ。しかしそもそも姿すら見えないコイツに限っては現在、全くのすべてにおいて目隠し、情報不足である。
解るのは以前「ハイド」が遭遇した固有種―「ヒドラ」、そして「ヴィーナス変異種」、そして彼らは遭遇していないがマンハッタンに巣食っていたディアウス・ピターの変異種―「父祖」と同様にこのアラガミが「自分」というものの能力、生態的地位を「経験」の中で理解し、そして現在の香港支部においての自分の「立場」すらも理解している節があるということだ。
そしてこのアラガミの唯一の資料映像から導き出せる結論を「ハイド」の全員は既に理解していた。
香港支部にかつて建造された地下水脈、地下通路で起きたこの悲劇―詰まるところこのアラガミは既に香港支部内に潜伏し、そして―それを「半ば黙認されている」ということだ。
香港支部に巣食う邪悪な隣人の正体、そして目的は今もって不明。
彼の現在の仮称された名は文字通りの―
…「インビジブル」。