G・E・C 2  時不知   作:GREATWHITE

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男が目覚めた場所は知らない病室であった。

其処に居た見知らぬ身なりの整った壮年の男性は、対照的に栄養失調によりみすぼらしく頬のこけた病床の男にこう尋ねる。何の変哲もない、初対面の人間に対してはありふれた質問だ。

「名前は?」

しかし病床の男はこう言った。

「…ありません」

余りに意外過ぎる言葉に一瞬目を見開いたのち、壮年の男性は口を手でつぐんで暫し一考した後、男にこう切り出した。

「そうか。なら仕方ねぇ。…しかし名前がねぇのはやっぱ不便だ。俺が名前を付けてやるよ。そうだなぁ―」

調えられた身なりに似つかわしくない、案外ぞんざいな口調の壮年の男性はにかりとそう言って名前のない男に笑った。



それから数十年後―

現在―フェンリル香港支部


「…老師。貴方をこの支部に受け入れたというその方は…今どこに?」

「死んだ」

「…そうですか」

青年―「サクラ」はその回答に特に驚きはしなかった。人は死ぬものである。このご時世ならそれはなおさら身近な存在だ。特段気にも留めず言葉を其処で留めた「サクラ」であったが、その彼の耳にあまりにも意外な林の次の言葉が入ってきた。

「私が殺した」

「…!?」






本音 3

 

「…そう驚くことかね?我々は元々こういう商売だ。互いに利害が衝突すれば時に身内、家族、血を分けた兄弟同士ですら離反、反目し、時に殺し合うこともする。だからこそ私は今『ここに居る』ワケだが」

 

事も無げにそう言い切って男は自分の足元を右手の人差し指で示しながら己の立ち位置を改めて知らしめるように不敵に笑って佇んでいた。

 

この香港支部を統べる「影」の顔役としてここに居る男―「林 則徐」として。

 

それでも自分の実の親より遥かに恩義のある存在を反社会組織の「伝統」、「慣例」とは言え、躊躇なく葬ったかのように語る林に「サクラ」は閉口する。

 

「そんな顔をしなくていい。…君らGEでも『こういう事』が全く無いというワケではあるまいて?」

 

恐らくアラガミ化したGEの事を指して言っているのだろう。これだけ裏事情に精通した男だ。知っていても不思議ではない。

 

実は「GEが偏食因子の過剰摂取によって時にアラガミ化する」ことに関してはフェンリルの一般市民クラスには開示されていない秘匿情報である。一応は「世界の希望」、「守護者」、「救世主」の象徴でもあるGEが時に辿る過酷な運命を知られてしまうことは非常にフェンリル市民の住民感情に動揺や不安を煽る可能性があるため、部外秘として伏せられているのだ。

 

その「事情」とやらに「サクラ」自身は少なからず関わってきた方のGEである。時に同胞と言える存在を葬り、そして親友の父を手に掛けたことのある彼にとって林の言葉を到底否定することは出来なかった。

 

「…」

 

意外な事実を淡々と語った林、そしてその言葉に自分の辿った道、経験を反芻して言葉を失った「サクラ」を前に愉快そうに笑って林は再び言葉を紡ぐ。今度はやや年長の人間として若者を気遣う大人の口調で。

 

「別に私とてただこの座が欲しくて恩人を切り捨てたわけではない。まぁ野心はあったのは確かであろうが…それだけで恩義のある人間を殺すようなことはしない。少なくとも私は、な」

 

ちゃんと理由がある―そう言葉を紡いで林は遠くを見るような目でこう呟いた。

 

「彼にとって最愛の妻子を喪った事は周りの人間が思っている以上に痛手であったようでな…香港が『フェンリル香港支部』として世界でも有数のゆるぎない立場を確立した後…すべてを手に入れたと同時、人として何かを失ったかのように血を求めた彼の晩年の振舞いには目に余るものがあった。例え意に沿わぬものに対しては容赦なく暴力、脅し、時に殺すことが基本の我らの様な組織においてもな…」

 

この香港を陰で牛耳ることの出来る程の権力、財力、地位、功績―凡そ「男」という存在として全てを併せ持ちながらも、たった一つの大切な存在を守り切れなかったことを彼は悔やみ、引きずり続けたのである。

 

「差し詰め晩年の彼は『気が触れた狂人』、君ら若者的に解りやすく言えば『老害』といった所かな?ふっふふ…。過剰な粛清、弾圧の数々を繰り返した彼を私は組織から追放し、間もなく彼は死んだ。直接手は下してはいないにしろ私が殺したも同然だ。そしてその彼の地位にそのまま後釜として就いた…」

 

「…」

 

「何とも滞りなく。スムーズに。な…。他でもない彼のおかげだ」

 

「え?」

 

「…考えてもみたまえ。大層な偉人の名を与えられたとはいえ私は元々余所者、そして存在すらもしなかった人間だ。そんな人間が組織の長に納まるなど納得しない者が居ないわけがなかろう?この世界は元々世襲的な風潮も強い。彼がここ香港に残すことになる膨大な権益を巡って必ず組織内で諍いが起きる。しかし、時代は間違いなく最悪の時代。我々の組織だけの話ではない。この香港という巨大な船を維持し、保つためには支部規模で鉄の結束と出来る限り波風を立てないスムーズな世代交代が必要だった。その為に彼はまた『必要悪』になった」

 

からからと音を立て、林の電動車椅子が雑居ビル屋上から乗り出さんばかりに前進。

 

「…老師!?」

 

「…」

 

「…!…」

 

思わず駆け寄ろうとする「サクラ」を手で制して林はこう続けた。表情を「サクラ」に見せないようにして。彼の視線の先には広大に拡がり、輝く香港支部の姿―

 

 

「…見たまえよ。この地は今も昔も、名も無き者達の血と汗によって築かれた我々にとって珠玉の楼閣だ。美しいだろう?」

 

 

林はそう言って両手を拡げた。

 

最早死にぞこない、この雑居ビルの屋上から突き落とす様に、今そっと背中を押す程度の僅かな力をくわえればあっさり事切れてしまいそうな程の男の声は力強く、澄み切り、そして誇らしげであった。

 

彼の広げた両手、両掌の中にありながら同時誰のものでもない、敢えて言うなればこの地の歴史を紡いだ、そしてこの地で今も尚生き抜かんとしている者達の物―謂わば「誇り」そのものである香港支部を見据えて。

 

「…彼は狂人を演じてその実、何よりもこの地を想っていた。本人は何も語ってはくれなかったが私は知っている。彼こそが本当の英雄だ。私はその座を受け継いだに過ぎない」

 

穏やかな口調だった。しかし直後、荒々しく口調が変わる。違い無き心底の憤り―「本音」を晒した男の言葉であった。

 

 

「そんなこの地を今統べる男はあろうことか敵を住まわせ、売り渡そうとしている……!!この地はあんな男のモノではない!かつて他国に奪われ、尊厳すら見失いながらもその後この地に逃れた、同時夢と理想を求めて訪れた我々の祖先、難民達が築きあげ、そしてアラガミの出現後も彼や彼の仲間達が守り、今に残した珠玉の地だ。あんな男に、そしてアラガミなどに奪われてなるものか…!!」

 

「…」

 

「…『サクラ』君。この私の『本音』を君がどう判断するか最初に言った通り君次第だ。

どう判断してくれても構わない。信じる必要もない。ただ私は今の自分が出来る範囲の事をし、この腐った動かない体の代わりに動いてくれる、働いてくれる者達を信じるのみ。以上だ」

 

「…」

 

最早これ以上の押し問答は必要なかった。「サクラ」、そして林、両者の沈黙そのものが無言の盟約となって成立し、締結された瞬間である。その時―

 

 

ピリリッ

 

 

「…!失礼。老師」

 

「サクラ」の携帯端末から呼び出し音が鳴る。「取っても?」という「サクラ」の意思表示に何の躊躇いもなく、いつもの掴めない表情、雰囲気に戻っていた林が「かまわんよ」と言いたげに頷いた。

 

「はい…ん。ああ…ノエルか。どうだ?首尾は。ん、ん、ん。…早いな。了解分かった。その方向で引き続き進めて…。…いやノエル。やっぱりキミには休息を命じる。昨日から働き詰めだろ?…君は命令しないと休まないからな。ん?…ダメだって。休め。命令だ」

 

尚も数秒のやり取りの後、ようやく電話の向こうでノエルが折れたのか、「サクラ」が端末の通話終了ボタンを押しながらふぅとため息を吐く。

 

「…中々よく働く部下をお持ちのようだな。『サクラ』君」

 

「お互い様ですよ。…事とは重なるものですね。…作戦決行日が決定しました」

 

「ほぉ」

 

 

 

「…今日から一週間後の七月一日―香港返還記念祭に乗じて作戦を決行します」

 

 

 

その「サクラ」の言葉を契機に俄かに林の顔が真剣な面持ちに変わる。ややもすれば「何故よりによってそんな記念の日に」と聞きたくなるような日程だ。しかし、すぐにその作戦日時の「意図」を察したのかふっと表情を緩め、頷く。

 

「…良き日柄だ。成程な…其の日であればこの香港支部は特例として最下層貧民街である『幽霊(ユリン)』の住民ですらもこの支部の中層地区までの自由な出入りを許される。煩雑な手続きもなく彼らを別の場所に移せるというワケだ」

 

「そういう事です。戦闘の飛び火による住民の被害が最小限に防げます。何しろ彼らの直下で戦闘が起きるわけですから地上に影響が出ないと限りませんからね」

 

「さらに君らの地下での派手な戦争音楽は地上での返還祭典の熱狂、歓声、爆竹、花火に覆い隠されるわけだ」

 

「出来るだけ静かに粛々とやるつもりですがね。でも住民のパニックによって起こる負傷者、犠牲がでることはやはり懸念でしたから。ただし…住民の避難誘導、情報統制に関しては組織の力をお借りすることになります」

 

「問題ない。ほんの一日、住民を『疎開』させればよい話だろう?連中には自分らが『避難している』という感覚すら与えんさ。豪勢な『遠足』にでも連れて行こう。…良い機会だ。これを機に彼らにもっと外の世界、この香港支部に触れてもらおうか」

 

「…いいのでは。難民とは言え内需を動かす潜在能力はあるはずです」

 

「それに彼等とて好き好んで他者との関りを断ったワケではあるまい。彼等にもどこかにあるはずなのだ。『人のコミュニティの中で生きたい』という根源的欲求がな」

 

「…」

 

林の出生、そして半生を知った「サクラ」にとってその言葉は重みがあった。無言のまま頷く。

 

 

「その日は香港返還の記念日と同時、もう一度この地を奪還する天王山となるわけか。これは中々に痛快ではないか?えぇ?『サクラ』君」

 

嬉しそうに林はそう呟いた。

 

 

 

 

 




林の電動車椅子を押しながら「サクラ」は背後の暗闇に向かってこう呟いた。


「聞いたな?…『レイス』?」

「何…?」



「…」

その「サクラ」の声掛けを契機に背後の暗闇からわずかに気配が漏れるのをようやく林は察知。常に自分が「彼女」の監視下にあった事を理解する。

―…!

流石の林も驚きを隠せず目を見開いて背後の暗闇に刮目する。彼も曲がりなりにこの世界を生き抜いてきた男だ。尾行やヒットマンの襲撃で背後を盗られることのリスクは重々承知で常に注意を払っている。しかし全く捕捉できなかった。

自分自身の「失態」、「失念」というよりも完全に力不足、いや「別次元」というべきか。常人には達することの出来ない境地に脱帽する他ない。

―成程…我々が常人の常識、世界、理解とは異なる人間であるように、彼等もまた違った世界の人間という事か…。

そんな彼の複雑な心境を余所に「サクラ」は背後の闇に溶け込んだ死神の少女に続いてこう語りかける。

「作戦決行日は一週間後だ。各自準備とコンディションを整えておくように」

林にとっては僅かに気配は察知できる程度で未だ彼女の姿は見えない。そもそも本当に居るのかどうかすらも曖昧なほどであった。が―


「…了解」


その事務的な、しかしほんの少し恥ずかしそうな返事にようやく感情の動きが読み取れたと同時、林にも大体の彼女の居場所、そして同時彼女の謂わば「心の居場所」が解る。

どうやら彼女は…「サクラ」にも無断でこっそりついてきたようだ。恐らくは彼を心配して。

「…『サクラ』君。君は時々部下の躾がなっているのかなっていないのかが解らんな…」

「あ、はは…。…すいません」

自分の身の上話を知らぬ間に彼女にも聞かれていたであろうことに対し、「不快」というよりも少し居心地の悪さを感じた林は少々嫌味を込め、小声でそう「サクラ」に苦言を呈する。そんな彼に「サクラ」は面目なさそうに苦笑いを浮かべ軽く頭を下げた後、再び暗闇に語りかける。

「…『レイス』?」

「…はい?」

「思ったより夜風が冷たい。心配せず先に帰っていてくれ。風邪、ひかないようにな?」

「…子ども扱いしないで」

そう言い残して暗闇から気配が消える。「サクラ」の少し意地悪い気遣いの言葉を振り切るようにようやくそう言いきった返答にまたほんの少し恥ずかしそうな残り香を残して。


―…。


自分の身の上話を盗み聞きしていた人間が彼女のような人間で在ることに林は悪い気分はしなかった。おおよそ自分とは全く関わりのなかった世界、この地の為に命を懸けて闘おうという余所者達の源泉―「本音」を純粋に知りたい、と林は思うが彼らはそれを望まないだろう。

残念だ、と言いたげに苦笑して林は前に進む。






一週間後の七月一日。奇しくもこの香港が1997年に返還された記念日。

この地を古くより「清と濁」とで分けれるのであれば「濁」の観点から携わってきた「影」の守り人は今、究極の余所者、協力者達を交え始動する。

誰のものでもない。しかしここに現在も住み、そしてここにかつて住んでいた者達が築き上げた珠玉の地―香港支部を再び奪還、いや独立する記念日とするために。










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