G・E・C 2  時不知   作:GREATWHITE

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何を求めた考えた

形良く盛り上がった胸が浅い呼吸にあわせて上下する。彼女が生きている証。その事実に少年―リグは安堵すると同時に無力感に苛まれ下唇を苦々しげに噛みしめる。

 

「よし…一安心といったところカ…」

 

老船医はそう呟いた。

 

数分前、ビクトリア湾洋上にてヘイセンの所有するクルーザーにナルフと共に回収され、デッキにナルフを担ぎ上げたのちは乗り合わせた老船医にリグは彼女を任せることしか出来なかった。心身共に激しい消耗によって再び意識を無くし、力なく横たわるナルを放心のまま見守るのみだ。老船医の酸素吸入ほか適切な応急処置によってみるみる彼女の容態が安定しているのは理解できているのだが感情が付いていかない。構成員から手渡された毛布、温かい茶にも興味を示さずただナルを両膝に手を付けたまま見下ろす。

 

その拳は変色するほど固く握られていた。

 

「…」

 

―畜生。

 

リグはまた下唇を強く噛み締めた。一命を取り留めたとは言えナルは全身擦過傷、肩に大火傷、低酸素症に加えて低体温症。酸素マスクを口元に施され、当分の間意識を取り戻さないであろう痛々しいナルの姿を前に閉口するリグの背に―

 

「…君たち二人は十二分に任務を果たした。君も少し休みたまえリグ君」

 

声をかけたのは電動車椅子に乗った凶相の男―ヘイセンの長、林である。しかしその言葉に対するリグの反応は意外なものであった。

 

「…俺とナル姉の『メッセージ』はちゃんと伝わった?…『あいつら』に」

 

思わず林が軽く目を見開くほど肉体的、精神的にも均整がとれていることに疑いの余地のない口調。

 

「…!」

 

ー…ほぉ。あのGE連中の中で最も幼く、危うい面が目立つように見えたがこの少年…なかなかどうして。

 

正に「男子三日会わざれば」なんとやら、だ。同時それは示唆する。このほんの連絡、交信不能の数十分がどれ程彼等にとって濃密な修羅場であったことを。それはリグ、そして満身創痍で辛くも生還したナルの姿から容易に推察できた。

 

せめてその「成果」を確認したい―当然の感情だ。

 

「伝わっとるよ。…中々に厄介な特性を持っとるな奴は。君らの努力は無駄にせん」

 

「だから」―と林は続けかけた。君らはハッキリと十分すぎる戦果と功績を上げたのだ―だからあとは、と。

 

しかしー

 

「状況は?」

 

リグが遮る。

 

「…行くつもりかね?」

 

「状況は?」

 

「…『見ての通り』だ。…ファリン」

 

「は…」

 

林の反応を全く意に介さず情報の開示のみを端的に要求するリグの有無を言わせぬ態度に林は背後の部下であり、付き人の女性―ファリンに目配せし、ノートpcを開かせる。直前ほんの一瞬「…本当によろしいのですか」と言いたげにファリンは横目で林に視線を向け確認する。

 

―構わん。

 

―…分かりました。

 

二人は目でそう会話し、ファリンは端末操作後、液晶画面をリグ側に反転させる。

 

映し出された液晶画面にはここにいないハイドの構成員―「レイス」、アナン、そしてヘイセンお抱えのGE―「J」の顔写真、そのとなりには彼らのバイタル、脳波を表すデータが表示されている―はずなのだが…

 

―…確かに「見ての通り」だ、な。

 

現在そのデータ表示は一律「No signal」と表示されている。本来なら横線状の心電図が表示されるはずのこの画面。にも関わらずこの状態が意味するのは該当者、機器が完全に圏外に居る場合、そもそも機器が電源オフまたは故障等によって作動していない場合、…若しくは彼らが何らかの強烈なジャミング地帯にいる場合、そして…既に取り付けられた機器ごと完全に「破壊」されている可能性等が考えられる。

 

「最後の通信は三分前。彼らは今奴のオラクル偏食場―empパルス圏内。つい先程までの君ら同様捕捉不能。…消息不明だ」

 

希望的観測等は一切交えず事務的に林は言い切る。隣のファリンは言葉を発さず表情を殺していた。「J」を案じているのだろう。そして恐らく「レイス」、アナンの事も。その証拠に俯きつつも、鋭く整えられた彼女の目が薄く開き、瞳が泳いでいるのがリグにもわかる。

 

「…そうか。聞きたい事がもうひとつ」

 

「…」

 

林は恐らくリグが尋ねてくるであろう次の質問が容易に想像できる。そして同時返答に困る事が予想できた。何があったのかはまだ詳しく聞かされてはいないとは言え、今目の前に居る少年は危うさと幼さを感じさせたつい一時間ほど前の少年―リグとは最早別人だという印象を林は既に受けていた。下手な取り繕い等簡単に見透かされてしまうだろう。其ほどに成長が見えた。

 

同時

 

ー…えてしてこういう時が一番危ういものだ。若者というものはな。

 

今までとはまた種類の違う危うさが生まれていることも容易に林には感じ取れる。職業柄今まで幾人ものそういう人間を見てきたのだから。

 

―はてさて…どうしたものか。

 

「これ」を伝えれば確実にリグは戦場に舞い戻る。肉体的、精神的に細部において隠しきれない消耗をかかえたままだ。しかし自分やファリンを含め、この場にいる彼の組織の構成員には所詮、リグがいざ本気になれば止めるすべなどないのだとも理解している。力ずくで止めることも話術で引き留めることももはや不可能となればもう答えはひとつ。彼を行かせることだ。彼らだけの戦場へ。

 

そもそも何せー

 

...状況は最早抜き差しならない程の逼迫した、ここにいる彼らだけでなくこの香港支部全体の危機に瀕するほどの事態に直面していたからだ。動ける人間、人手は限られているこの状況で間違いなく未だリグは強力な戦力。最前線に出、体を張れる人間が一人でも多くほしい―そんな状況にこのわずか数十分の間に変化してしまっていたのだ。

 

林が重々しく口を開く。

 

「…最悪の。『サクラ』君が最も懸念していた事が現実になった。『レイス』君、アナン君。そして『J』が確かに確認した。通信だけではない…この映像も交えてな」

 

林が歩み寄ろうとするファリンを制し、自ら端末を操作するとpc画面がフルスクリーンの動画に切り替わる。

 

「…。………!!」

 

「彼らが通信不能になる前に送ってきた映像だ。…おぞましいものよ」

 

そこに写った映像に俄にリグの目が見開かれ、表情が曇る。同時デッキに立て掛けた彼の愛機の方を見やった。既に彼と共に改修された彼の愛機ーケルベロスは神機技術者の構成員によって調整段階。技術者は目線だけリグに向け、指を三本立てた。

 

「三分。それまでに老師の話を聞け」という合図である。リグは無言でうなずき、再び林に視線を向けた。

 

「更に詳細、情報を彼らと共有し、こちらもできうる限りの備えをしたかったところだが其れも叶わなかった。この映像を彼らから受信して程なく通信を始め彼らとの一切の情報交換が不可能になった。…奴に気付かれたのだよ」

 

「…」

 

「リグ君、そしてナル君。君ら二人の行動が決死の『陽動』であったことにな」

 

 

時間は少し遡る。

 

 

「…不可解な事がある」

 

黒泉アジト内での作戦決行前のブリーフィングを一通り終えた際、「サクラ」がこう呟いた。

 

この透神―固有種アラガミ、インビジブルがこの香港支部に根城を築いてから相当の期間が経過している。間違いなく各国に点在するフェンリル支部ーつまりアラガミ装甲壁「内」で生存した単一のアラガミとしては最長期間の種になるであろう。この嬉しくない最長「飼育」期間はこのアラガミの特異な生態故にハッキリとした期間、詳細は判然とはしていない。(研究目的、もしくは人間型アラガミ―シオとの謂わば「交流」を目的として長期間支部内部に留まった特殊ケースを除く。)

 

が。

 

一方でハッキリとされている事がある。

 

このアラガミがこの支部内部においてもほぼアラガミの生態を失わず、アラガミの根源的欲求ー「食べること」に沿って多くの物を捕食しているという事実だ。それも尋常ではない物量、そして人的被害が発生。犠牲者は実に確認されているだけで一万人近くが餌食となっている。

 

ではそもそも彼らは「どこに」行ったのか―?

 

と言ってもこれは「人間が死ねばどこへいくのか、何になるのか」等の哲学、又はオカルトの類の物ではない。もっとシンプルで根元的なものだ。

 

奴に捕食された多くの民間人、そしてGE。これ等を無理矢理にひとくくりにするのであれば「有機物」である。無機物すら喰らうアラガミであるが透神が主にこの支部内部で喰らった、摂取したものは大半が有機物である。

 

しかしここで疑問が生じる。

 

支部内「滞在」期間に加え、単一のアラガミが喰らった被害者の数でもまた歴代トップクラスであろうこのアラガミが何故「この程度の規模」で存在できるのか?である。

 

当初は薄暗く狭い地下水脈でひっそりと潜伏出来る「想定小型、中型クラスのアラガミ」と想定されていた本種。リグとナルとの遭遇によってすでに「大型」に近い体躯であることは先程判明したがそれでもおかしい。

これ程までに異常な量の有機物を単一のアラガミが摂取したにも関わらず、何故そのある意味「慎ましい」生態を維持できるのか?ーと言うことだ。アラガミは喰らった物の情報をもとに進化、変容、そして巨大化する。摂取した食物によって得た情報と栄養素によって得られる膨大な「容量」を何らかの形で反映させる。例えば姿形、大きさ。それだけでなく自己防衛のための武器、特殊能力を取捨選択するのだ。

 

より多くのものを喰らえるように、己と言う個を防衛するために創意工夫を重ねる。外界に蔓延る数多のライバル達を出し抜く為に。

 

ではこの安全を保証された香港支部内、「アラガミ装甲壁」の中ではどうなる―?

 

ここでは餌は向こうからやって来る。何も知らない無力で非力な隣人―ヒトだ。減れば補充もされる。

 

ヒトは矮小で基本脆弱だが曲がりなりにも前時代の進化の突端にあった生物。かつては自分達を万物の「霊長」とまで驕った種だ。その塩基配列に含まれたそこそこの情報量は侮れない。加えてその手で創られる物は自然界では決して発生しないアラガミにとっても不思議で頓珍漢な珍味だらけときている。

おまけに彼らが建造したこの場所を覆う巨大な黒い壁―装甲壁はおっかない他の強大な敵アラガミすら退けるときている。

 

まさに至れり尽くせり。

 

膨大な栄養源をフル活用して汗水垂らすまでもなく、安全で快適を保証された棲み家。

 

彼にとって安全で同時、無限の水脈湧きでる広大な井戸―香港支部。

 

しかし、それは裏を返せばそのままでは居られなくなる事でもある。食べることで得た栄養素、言い替えるならアラガミを成長、進化させる「容量」は消えてなくならない。進化―アラガミにとって最大最高の目的である。謂わば「容量の使い道」を模索する必要があるのだ。

 

ではウロヴォロスのような大きな体躯を得ようか?

 

いや必要ない。

 

この狭い地下水脈では大きく鈍重な体躯など不必要。エネルギー効率も落ちる。

 

ならばより頑丈な体、爪、牙?

 

全てを破壊し、喰らうことの出来るアラガミとしての圧倒的な力を得ようか?

 

それも不要だ。というよりはそもそも得た容量は膨大とは言え、いざ外の世界では高が知れた物だ。アラガミ同士の相互捕食を繰り返しそのなかで生き残った掛け値なしのバケモノ連中蔓延る外界でそこそこにはやれてもいずれ出会う理不尽レベルの絶対強者を前にしては屈服、服従する他ない。

 

アラガミの世界では服従、屈服=死だ。

 

個の死をサイクルの一部として割り切ったアラガミであればともかく、本種のような強固な「我」をもつ者にとってそれは看過出来ない。だからこそわざわざそれらから逃れる為にこの支部内、装甲壁内に籠ったのだ。

 

 

要するにこのアラガミは今、そもそも何がしたいのか―?何を求めるのか―?という疑問を「サクラ」はかかえていた。

 

 

 

 

そして今日。

 

それは判明した。

 

 

 

このアラガミが地下水脈内で、自身の特殊偏食場パルスを駆使し、頑なに他者の侵入を拒んだ棲みか―デッドゾーンにその答えはあった。

 

リグとナルフの必死の陽動によって引き付けた透神の背後を「レイス」、アナン、そして「J」は突き進み、そして達した。

 

 

 

最悪の事実に。

 

 

 

 

十分前―

 

高速で地下水脈内を駆け抜けながらも全く息を切らす事もなく、迷いのない足取りで走る三人の姿があった。

 

「……」

 

仄暗く僅かに海水の滴る水脈内を水飛沫をあげながら先頭を駆ける少年―「J」は無言のままほんのすこし後方に目配せし、すぐ後ろを走る少女二人―「レイス」、そして殿のアナンの表情を確認、

 

「…」

 

「〜〜♪」

 

無表情とニコニコ鼻歌混じりと対照的だが共通しているのは息を切らすどころか余裕の表情だということ。彼女達が彼のペースについて全く問題ない事を察するとさらに彼は走行速度を上げる。

 

―急がねぇと…!!

 

「J」は焦っていた。

 

リグ、そしてナルフとの交信はすでに不可能。間違いなく奴と接触、若しくは交戦状態であることに疑いの余地はない。そして未だ戦勝報告無し、特殊偏食場パルスが健在の現状を鑑みると二人の奇襲は失敗したと考えてもいい。既に二人とも殺されている可能性すらある。

 

―…考えんな今は!

 

今は彼等の身を案じることよりもプライオリティの高い使命が「J」そして彼に続く彼女達に課されている。この三人の目的地はこの地下水脈内にかつて建造され、有事の際は心臓部となりうる施設―変電所だ。

 

 

元々この地下水脈はこの支部の支配階級、要人の逃走、同時有事の際のシェルターとして建造された施設である。一定期間内の人間の生活基盤を支える為に当然最低限のインフラが整っていなくてはならない。そのうちの最優先事項、核の一つとも言えるのがまず電気供給だ。

変電所が当初から存在しているであろうことは明白であり、おまけにここに至るまでの黒泉の構成員の潜入調査でらしき施設の目撃報告、同時マフィアと支部自体がまだ共生関係であったころの香港支部地下の大規模な改修、建設計画のデーター地下水脈内の建造資料、設計図にもそれらしき施設のデータがあり、地理的要素等で大まかな建造場所も検討がついていた。

 

しかしーそれ以上は様々な意味、理由、事情が重なり踏み込めずにいた。

 

それ以上の情報収集は香港支部の機密情報管制に阻まれ頓挫、なら地下に直接構成員を送り込んで調べようにもそこは透神のテリトリーの真っ只中。侵入後即襲われ構成員は悉く全滅。情報を得られず犠牲だけが増えると言うサイクルを早々に打ち切る他無かった。

 

それを初めて今日打開したのだ。それを成したのがリグとナルフである。彼等の奮戦、そして逃走はそれを追撃する他無かった透神の移動によってパルスの影響範囲をも大きく変えさせ、かつてデッドゾーンであった水脈内深層をパルス影響範囲外にし、ほかGE三人を到達させたのである。それだけではない。パルスの範囲外になったということは当然計器、観測機器が正常に作動する。通信、通話あらゆる情報共有が瞬時に可能だ。

 

しかしそれは同時に。

 

辿り着いた三人。そして彼等に取り付けられた観測機器を通して送られた膨大なデータを通して黒泉、ハイドの構成員全てを戦慄させることとなる。それは「その事態」をある程度予測していた「サクラ」ですら例外ではなかった。

 

 

「うっ…」

 

 

 

その「地点」に足を踏み入れた瞬間にまず「レイス」が呻き、口を抑えて立ち竦むほどの強烈な凶兆が周囲一帯を覆っていた。彼女だけではない。

 

「うっわ~~…この先行きたくねぇ~~」

 

アナンすら顔を青くしてそう漏らすほどだ。楽天的な軽い口調は崩さないものの心底生理的嫌悪を隠しきれない口調で。

 

彼女らを先導していたはずの「J」は一旦彼女らと離れ、直前に発見した変電施設内に侵入、本電源を起こして周囲一帯の光源を確保するために二人と別行動を取っていた。

 

もっとも。

 

周囲を照らさずとも元々鋭敏な感知能力を持つ彼自身も今彼女達の感じている凶兆を薄々感じ取っていただろう。その証拠が次の彼の通信の口調によく顕れていた。

 

『…OK。予備電源確保したよ。周囲一帯を照らすよ。皆…覚悟はいいか?』

 

「覚悟」―

 

彼女達にだけではない。通信を聞いている全員―作戦に従事しているハイド、そして林、ファリンを初めとする黒泉の構成員、そして現状戦況を見守る他ないオペレーターを勤める「サクラ」に宛てた通信である。

 

『…OK。「J」。やってくれ…』

 

無言の彼女らの代わりにそう呟いた「サクラ」の返答を契機に「J」はぎりりと本電源レバー思いっきり引く。

 

重厚なバチンという音と同時にごうごうと巨大なモーターが次々に作動したことをしめす物々しい音が重く響き渡る。水脈内の天井に設置され、一見長い放置期間の末、朽ち果てた様にしか見えなかった無数の電灯がパチンパチンと音をたて火花を散らしながら点灯していく。行き先を示していくかのように順々に。

 

そして―

 

バッ

 

バッ

 

バッ

 

「レイス」、アナンが辿り着いたその「地点」にも次々と電灯が灯る。

 

 

 

 

その場所は地下施設内では特別拓けた場所であった。有事の際、ここに移り住む人間の生存の為の物資を保管する倉庫兼、最低限の生活資材等も製造可能にするプラント―巨大な工業施設であった。

 

一片500m以上の長方形の空間に無数の多目的工業機器が整然と敷き詰められ、各々が稼働可能を示す青緑色のランプが灯りだす。有事の際の生命線とも言える設備だけにやや形式は古いとはいえ高価かつ高等な機器が用意されているようだ。こまめに整備すれば十二分に現在でも利用可能なその手の技術者にとっては宝の山と言っても過言ではない。こんな有用な施設が利用されることなく打ち捨てられていた事をさぞかし残念がるはずの光景である。

 

だが「サクラ」ですら今はその余韻に浸ることができない。

 

いや。

 

例え誰が見ても「このおぞましい光景」を見れば眉を歪め、閉口するだろう。

 

『…「レイス」』

 

「……。はいお兄」

 

『…カメラをもう少し引いてくれ。音声も拡張モードに。…そいつらが…

 

 

「生きてる」なら音も拾えるはず』

 

 

「了解。…見える?コレ…」

 

明らかに堪えきれない生理的嫌悪を催していることが伝わる彼女の口調に「サクラ」は頷いた。

 

『ああ…後はそれに…その、な』

 

「解ってるよ。『触れて』みるよ。私の手で…直接ね」

 

『…すまない』

 

「いいよ…私の仕事だし。『コイツら』がアイツにとって何なのか知らなきゃなんないしね」

 

そんな二人のやり取りに

 

「待った。『レイス』」

 

アナンが割り込んだ。

 

「ん?」

 

「交代。コレ私が撮影しとくからアンタは嫌かもしんないけどいち早く触れてみて。いつ通信が出来なくなるか解んないし分担した方が早い…よっ!」

 

人差し指と親指を立て、くりくりと手首を軸に振りつつ、お役目の「チェンジ」を申し出、「レイス」の返答を待たずアナンは跳躍する。何時もはサボりぐせのあるアナンの行動が早い。それほどに事態は逼迫していた。だからといって騒いでも必要以上にたじろいでも生まれる物は無い。その点はアナンは非常にリアリストなところがある。

 

「ん。こっからならよく見えると思う。まぁ…叶うなれば直視したくねぇ〜けど…仕方無いねこりゃ」

 

工場上部側面に取り付けられた連絡通路にて広い視野を確保しつつ、アナンは首に取り付けられたカメラでゆっくりと周囲を撮影する。

 

「…どおぉ?『サクラ』さん。そっち全景でちゃんと見えてる?…想像以上にデカイよこれ。…うぇ〜ん最悪」

 

『ああ…イヤになるほどよく見える。もう少し近づいて音も拾ってくれるか?』

 

「うぅ~~っ酷な要求ですなぁ。行くけどぉ~~……はいっ!はい!どうすか!聞こえてまスカ~~!?」

 

『すまないアナン…でもちょっとうるさい』

 

「へい…。…」

 

『……。聞こえる…』

 

ー当然だけど……

 

「生きて」やがる。すべて。

 

 

ドっ…

 

どっ…

 

 

ドクンー

 

 

 

 

そこには―

 

工場の天井に設置された幾つもの巨大な照明機器の光に照らされ、殻の無いゲル状の粘膜におおわれた無数の黒い球体が帯状に何層も重なっている光景が映し出されていた。

 

「こんだけ趣味の悪いパーティーの飾りつけ…初めて見たよ」

 

何時ものアナンの軽口もこの圧倒的な光景を前にしては生理的嫌悪感が勝るようだ。「サクラ」も全くの同感のようで暫く言葉がでない。

 

 

言うまでもなくこの物体は―

 

 

「卵」だ。

 

 

奇しくもカエル、イモリなどの両生類が水中に生む帯状の粘膜に包まれた殻に覆われていないゲル状の卵の姿にそれは酷似していた。分裂、もしくは霧散したオラクル細胞の再結集、再構成によって増殖するはずのアラガミの初めて観測された増殖、否、これはまさに「繁殖」方法である。

世界的に類を見ない大発見であるが、その当事者の彼らは感激など到底できる代物ではない。同時呆けてばかりもいられないと「サクラ」が通信を再開しようと通信ボタンに手を置こうとした瞬間、

 

「はんっ…!パーティーの飾りつけか…確、かにぴったっ…りかも知んない、ね…」

 

息苦しそうな少女の声が割り込んできた。「レイス」である。

 

『「レイス」!?大丈夫か!?』

 

「…!!ぃええええぇぇ~~。ウソぉ。もうさわったの…『レイス』ぅ…」

 

「『いち早く触れ』っ…つったのあんたでしょうがぁ~…」

 

カエルに惜しげもなく触れる友人を前にした女の子のような感心とヒキがない交ぜになった口調のアナンの一言に、右手を押さえつつ涙目の「レイス」が苦言を呈する。それでも尚アナンは「よく触れんね~」と言いたげにポカンと口を開けた。同時ちょっと「私たちしばらく距離置きましょう」と言いたげにアナンは後ずさる。

 

「…。そんなこと言ってらんないよお兄、アナン…コレ…ヤバイ。マズイって」

 

『…具体的には?』

 

「『生きてる』とかそういう問題じゃない……!!!明らかに孵化寸前だよ…コレっ…!」

 

そう「レイス」が叫んだ瞬間、周囲に一際大きく重い

 

 

 

ドクンっ……!!!!!!

 

 

 

という実際には音を伴わない胎動、鼓動、鳴動が周囲に拡がったのを感覚的にその場にいた「レイス」、アナン、そして変電所から二人のもとに既に戻り、照らし出された悪夢の様な光景を前に閉口していた「J」が関知し―

 

ぞっ……!!

 

「……!」

 

「ひっ…!」

 

「…ぐおっっつ……!!」

 

誰一人例外なく総毛立った。通信先で彼らの動揺の声と同時に彼らに取り付けられたオラクル反応の観測計器が跳ね上がったことにより、その場に居ない「サクラ」にも事態のさらなる逼迫が感じ取れる。

 

 

「皆…お兄、しっかり聞いて。教えるよ。触れてみて解った。コイツらの考え、目的、で、本体の奴の本当の目的も…」

 

「『レイス』ちゃん…」

 

「…ん。聞かせて『レイス』」

 

恐怖と嫌悪感を振り払うような口調で気丈に「レイス」は言葉を紡ぎ出す。その姿に他二人は浮き足立った心根を立て直し、彼女の傍らに集結。一言一句聞き漏らすまいと同時、この数十秒、否、数秒先に状況が激変する可能性を踏まえた上で臨戦体制で構えつつ頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

インビジブルー透神は当然自らのアラガミとして抗えないサガに頭を悩ませていた。葛藤していた。そして理解もしていた。

 

彼が属するアラガミという生物の生態上、この安住の地で恒久的に現状を維持することは不可能であることを。

 

食らえば食らう程に巨大化する己の体、代謝の活発化、巨大化。それに伴い落ちていくエネルギー効率、そしてより高次のエネルギー源を求めざるを得ないアラガミという生物のサガー言うなればアラガミの個として高次欲求を「持たざるを得ない」段階に差し掛かっていたのである。しかし同時にそれを完全に否定したいわけでも無かった。

 

元来狡猾で無機質とは程遠い、アラガミ固有種特有の粘着質な性質を持ち合わせた彼は自分の有り余る「容量」を消費する方法を模索していた。そして今回彼が選んだその行為は本来アラガミが持ち得ないはずの「未成熟の個体を卵生、または胎生によって誕生させる」という原始的な「繁殖」という手段であった。

 

ただし通常の生物における「交配」によってではなく、単一の個体による繁殖行為ー所謂、「単為生殖」で透神は産卵している。

これは近親相姦による繁殖以上に問題点の多い危険な繁殖方法であり、普通の交配が2を2で割って1を作る行為ならこれは1を2で割って0.5を作る行為に等しい。親世代より劣る子世代の個体が生まれるのは想像に難くない。元より個体数の激減や生息域の拡散等によって交配相手の確保が困難な場合に生物が苦肉の策として採用する最終手段と言える繁殖方法である。

 

しかし、この欠点だらけの行為によって生じるリスクーこれこそが何よりもこの透神というアラガミにとって都合が良かったのである。

 

通常のアラガミの「増殖」では後から生まれる個体程、前回の失敗、教訓を活かしてアップデートされた個体が生まれる。その個体が古い個体を喰らうことでより高次の存在へと昇華し、種としての底上げを図るのがごく一部の種を除いたアラガミの基本的な生態である。しかし前述したように単為生殖では親を超える個体は非常に産まれにくい。遺伝子が複数種との「交配」によって得られる情報量が雲泥の差であるからだ。個として親を上回れないどころか親の欠点、欠陥を受け継いだままの上、さらに短命化、不妊などの負の遺産を残すのである。

 

繰り返すがこれが非常にこのアラガミにとって都合が良いのだ。何故ならあくまでこのアラガミは固有種。

 

そもそも種の存続ではなく己の存命、個の維持こそが至上命題。つまりー自らの「劣化コピー」に余計な物は必要ないのだ。遺産を与える必要などないのだ。受け継がせるものなどないのだ。ただひたすら己の存続のためだけに利用してやればいい。「子」ではない。いわば「道具」である。

 

ここにある全ての卵に生物が子世代ー自分の遺伝子を受け継ぐ物に対して通常抱く感情をこのアラガミは微塵も持ち合わせてはいない。奴がこの自分の劣化コピーに対して要求する物は単純明快だ。

 

アラガミの本能のままに喰らえ。お前達は余計なことを考える必要はない。

 

この安全な井戸の中で地上に溢れる未成熟な生命体を誰にも邪魔されずに喰らい尽くし、思いのままに分裂し数を増やせ。その愚鈍な性質のままで。

 

 

その中でただ一匹特別な自分が存在すればいい。ただ唯一の個体として。

 

木を隠すのなら森の中。特別な、たった一匹の大事な大事な己を隠すための隠れ蓑。

 

これでもう誰にも見つからない。見つけられない。近づけない。脅かされない。

 

 

 

本当の意味での「インビジブル」。不可視と化す。

 

 

 

そして透神は知っていた。解っていた。理解していた。

 

数年の月日をこの場所で過ごした。その間に隣人ーヒトを観察し、彼らの営み、習性、生態、そして「周期」を把握していた。そしてその周期の中で最も利用できそうな習慣、タイミングを理解していた。

 

それは何の周期か?…決まっている。

 

 

「今」だ。「祭り」だ。年に一度の。

 

 

今日はこの香港という都市の数奇な歴史によって生まれた最高の記念日ー返還祭の行われる日。この日は言い換えるならばこの地で最も生命体が溢れ返る日なのだ。世界中の各支部より熱に浮かされたヒト、モノ全てが集結、溢れかえる日なのだ。

 

このタイミングでひた隠しにし続けた自分の勢力を一斉に解放。手当たり次第に溢れかえるヒト、モノを襲わせ、喰らわせて短時間で高みに、この井戸の中の頂点に辿り着くには絶好、そして最高の年に一度の機会(チャンス)なのである。

 

 

 

 

安全な井戸の中、無限に湧く水脈の中。

 

 

 

 

 

…其処で何を考え「た」?

 

 

 

 

 

「最後の蛙」は何を考え「た」?

 

 

 

 

それはー人間からの独立。

 

 

 

 

あろう事かこの地がかつて植民地支配から解放されたとされるこの記念日に、だ。

 

最悪の発想、そして皮肉以外何物でもない。

 

 

 

 

それはー

 

 

 

 

 

「革命」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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