学校が半ドンだった冬のある日。私達は石油ストーブを取り囲む形でお菓子をつまんでいた。特に活動することもなく暇だったからだ。そんな時、お姉ちゃんがふと口を開いた。
「そう言えばさ、今日ジョンの様子が変だったのよ」
「いつも変じゃない」
夏凜さんが煮干しをつまみながら言う。身も蓋もない言いぐさだけど、確かにその通りだ。大佐は毎日変だ。つまり、変じゃ無くて世間一般的な価値観で『普通』になった時、初めて大佐が『変になった』と言うことが出来る。
「つまり、大佐が普通になっちゃったの?」
「いや、いつも通り変なんだけど、そのベクトルが違うというか……」
この日、大佐は部室に顔を出していなかった。お姉ちゃんが言うには、いつもは部室に直行している大佐がいつの間にかどこかへフラフラと行ってしまったらしい。奴らしくないです、コイツは何か裏があります。
「どんな感じだったんですか?」
友奈さんが首を傾げて訊いた。お姉ちゃんはウームと考えて、
「なんて言うかね、その……輝いてた」
「え」
「風先輩それは……大佐がチェレンコフ光を発していたということですか?」
「んな物騒なもんじゃないわよ。なんかね、喜びがにじみ出てる感じ……?」
お姉ちゃんの話はスカートの上からお尻を撫でるようなものだ。実態がどうも見えてこない。
でも、大佐の状況はすぐに分かることになった。
「
扉が開け放たれて、大佐が姿を現したのだ。
「あっ、ジョン! まったく、どこ行ってたのよ」
「風、今日は最高の一日だったよ」
「はぁ?」
姿を現した大佐は確かに異様な雰囲気を放っていた。なんというか、妙ににこやかというか………そう、輝いてる。喜びが筋肉の節々からにじみ出ていて、それはもう変だった。
「散歩に行って、それからヘルスクラブでご機嫌なマッサージ。あんまり気分が良くて、そのままそこで昼寝をした………煮干し! それ大好物なんだ」
大佐は静かに素早くシュワッと夏凜さんに接近すると煮干しをヒョイと取り上げて口の中に放り込んだ。夏凜さんが怒り混じりの悲鳴を上げる。
「何すんのよ!」
「何も怒ることないだろう。人生は音楽、友達、そしてこの煮干し。最高だ。人生の喜びを分かち合おう」
「煮干しが人生そのものだということは認めるわ。でも、それとこれとは話が別よ!」
すると大佐はふぅとため息をついて、純粋無垢なチワワのように潤んだ瞳で夏凜さんを見つめ返した。そのあまりの不気味さに夏凜さんはたじろぐ。私たちも近寄る勇気が無くて遠巻きに二人を眺めていた。
「そう怒っていては身体に悪い……血圧が上がる。夏凜、君はもっと自分を大事にすべきだ」
「な、何を……」
「夏凜ったら照れてるわよこんな状況で」
「あはは、夏凜ちゃんチョロイねー」
「風、友奈! 覚えときなさいよ!」
ちょうどその時、廊下から音楽が聞こえてきた。どうやら、管弦楽部が練習を始めたらしい。曲はタンゴのようだ。ご機嫌な曲が学校中に響き渡っている。大佐は夏凜さんの手を掴んだ。
「えっ」
「タンゴでも」
「えぇっ? アッ!?」
デレッデッデェェェン♪
勇者部の部室は突如としてダンスホールと化した。大佐の太い腕に夏凜さんはブンブン振り回されている。友奈さんと東郷先輩はそれをやんややんやと手を叩きながら楽しそうに見ていた。
でも、お姉ちゃんは神妙な顔をしながら腕を組んでいた。
「お姉ちゃんどうしたの?」
「……やっぱり今日のジョンは変だわ」
「うん、見てれば分かる」
「……あ」
お姉ちゃんは何か閃いたように手を打った。そして、「ジョン!」とタンゴを踊る大佐に呼びかけた。
「何だい風」
「ジョン、あなたの無上の喜びは?」
「そんなの決まってるじゃないか。勇者部のみんなで、平和に楽しく暮らすことだよ」
大佐にしてはあまりにも常識的な発言に暖房が効いているにもかかわらず身体が震えた。そんな大佐のおでこに友奈さんが恐る恐るチョンと触った。瞬間、まるで沸騰した薬缶に触れたように手を引っ込めて耳たぶを触った。
「大佐スッゴイ熱!?」
「何言ってんのよコイツが風邪なんて人間的な病魔に襲われるわけないじゃない」
夏凜さんもつま先を伸ばして大佐のおでこに手を触れた。
「うおっ熱っ!?」
「みんな離れて! メイトリックス大佐が爆発する!」
「東郷ったら何くだらない冗談言ってるのよ。それより、保健室にでも連れてった方が良いんじゃないの?」
お姉ちゃんの言う事は至極もっともなことだ。私も大佐のおでこに触ってみたけど、焼き石かと思ったほどに熱かった。ていうか人間が発して良い熱じゃない気がする。布団なんかかけようものなら熱で発火してしまうんじゃないだろうか。
こんな熱い男(そのままの意味)を担いで保健室に行くのは至難の業だ。皮膚がただれる。お姉ちゃんは
友奈さんに保健室から担架か車椅子を持ってくるように頼んだ。
と、その時。
私達のスマホが一斉にアラームお鳴らし始めた。
樹海化警報……バーテックスが攻めてきたんだ。
「こんな時に……」
これだからバーテックスは気に食わねぇんだ。こっちの都合も考えずに、全く身勝手な連中だよ。
それにしても、大佐がダウンしているというのは私たちにとって大ピンチだ。戦力が下がるうえ、この大男を守りながら戦わなければならない。
私達の不安を他所に世界はみるみる樹海に呑みこまれていった。
※
樹海化が完了したころには既に私達はそれぞれ変身を終えている。ただし、今回は大佐の『デエェェェェェェエン』は無し。大佐は近くにある神樹様の根っこに腰かけている。どことなく女々しい雰囲気を放っているけど、全くもって不気味だ。こんなのが街中に現れたら都市伝説として未来永劫語り継がれるに違いない。
敵の姿は遠くに小さく見えた。放熱板のようなものを纏ったバーテックスだ。
「じきに星屑も来るわね。これは、ここで迎え撃つ方が良いのかしら? 東郷?」
「そうですね。下手に展開するのは得策ではないでしょう」
「大佐も動けないしね」
友奈さんが心配そうに一瞥して言う。対して大佐は「今日の晩御飯どうしよう」などと言っている。平和。
そうこうしている内にバーテックスはみるみる近づいてきて、星屑の大軍も押し寄せてきた。
「来たわよ!」
「弾幕張ります」
東郷先輩は銃を構えるとすぐさま濃厚な弾幕を張り始めた。もっぱら狙撃の東郷先輩には珍しい戦い方だ。でも、いつもの弾幕担当が戦えないのだからしょうがない。
「東郷さんやる~」
「プロですから」
「東郷が引き寄せてる内に、私達はバーテックスに回り込むわよ。友奈と夏凜は右、樹は私についてきて!」
「了解!」
バーテックスは神樹様の方角へ一直線に突き進んでいる。進路上には東郷先輩と大佐がいるから、どうにかそれまでに仕留めておきたい。
『そういえば』
移動中、連絡用のスマホから友奈さんの心配そうな声が聞こえてきた。
『なんかあのバーテックス、前に見た気がしません?』
「なんですって?」
お姉ちゃんが訊き返す。
『はい、なんだか、あのバーテックスと前に戦った気がするんです』
友奈さんと同じことは私もさっきから気になっていた。あのバーテックスの姿にデジャヴを感じる。思い過ごしだったと思っていたけど、友奈さんも感じていたようだ。
『何バカなこと言ってんのよ……!』
「そうよ友奈。バーテックスは同じ種は二つとないのよ」
友奈さんの言ったことを夏凜さんとお姉ちゃんは真っ向から否定した。でも、声の端々にデジャヴへの共感がにじみ出ていて、震えていた。
バーテックスは全部で十二体、それを倒せば全ておしまい。そう分かっているから私達は戦っていけるわけで——。
「言ってても仕方ないわ。さっさとケリつけるわよ!」
お姉ちゃんが振り切るように言って武器を構えた。
と、その時、バーテックスが口っぽいところにエネルギーを溜めはじめた。ビームか何かを放つつもりらしい。
「あっ!」
お姉ちゃんがマズイと言うように悲鳴を上げた。
バーテックスの射線上には東郷先輩と、そしてすっかり女々しくなってしまった大佐がいる。バーテックスは動けない大佐に目をつけたのかもしれない。
「東郷達、危ないわっ!」
『えっ?』
叫んだ、次の瞬間。バーテックスからビームが放たれた。放たれたビームはまっすぐ進み、伏せ撃ちしていた東郷先輩の真上を通過、その後ろに腰かけていた大佐に直撃し、大爆発を起こした。
「ジョン!?」
「大佐!」
もうもうと煙が立ちこめる。なんてことだ、あんな強力そうなビームを食らったらひとたまりもない。生きていられる生き物はいないはずだ。
煙はしばらく同じ場所を漂った後、ようやっとのこと立ち消えた。砲撃の後には大きなクレーターが出来ていて、地面がごっそり抉れていた。
そしてその真ん中に、神樹様の根に腰かける全裸の大佐の姿があった。
「良かった、服が燃えただけだったのね」
お姉ちゃんがホッとする。みんなも大佐が無事息災なのを確認して安心したようだ。なんか色々おかしい気もするけど。
それはバーテックスも同じなようで、「撃ち所が悪かったかな?」とでも言いたげに身体を軋ませるともう一度ビームを放った。ビームは寸分違わず大佐に直進して大佐に直撃した。しかし、再び煙が晴れて現れたのは全裸で傷一つない大佐の姿だった。大佐は寒いと見えて、くしゃみを一つした。
「東郷」
「はい?」
「君の着ている服が欲しい。死ぬほど寒い」
「嫌です」
それにしても大佐は本当に人間なのだろうか。人間は極限まで鍛え上げると身体にビームコーティングでも施されるのだろうか。
それはひとまず置いといて、大佐にバーテックスの攻撃がほとんど通用しないことが解った以上、護衛する必要もない。ほっといてバーテックス退治に専念できる。
「よし! それじゃみんな行くわよ!」
「了解っ!」
私達は答えると武器を構えた。
「片が付いたわ」
「早い」
「当然だぜ、勇者部の私達に勝てるもんか」
優しい
「あっ、あそこ」
戦いが終わって一息ついていた時、友奈さんが遠くにあるものを見つけた。
「あっ」
「あれは……」
そこにいたのはこの間の女の子だった。遠くて表情は全く見えないけど、こちらをじっと見つめているのは分かる。
女の子はしばらくしない内にまたフッと姿を消してしまった。
「やはりアイツは……プレデター……」
夏凜さんが呟く。
追おうか——誰もがそう思った。でも、間もなく樹海化は解けるし、大佐なしでプレデターと対決するのは少々心もとない。
「今日のところは諦めよう。それより、ジョンをどうにかしなきゃ。とりあえず、犬吠埼家に運び込むわよ」
大佐はいつの間にか裸のまま気を失ってしまっていた。バーテックスには勝てても、風邪には勝てないらしい。
※
樹海化が溶けた後、私達は大佐を当直室から借りてきた布団でスマキにすると四人で担いで、東郷先輩の先導のもと犬吠埼家へと向かった。スマキにされた大男を女子中学生がえっちらおっちら運んでいく画は何とも奇妙なものだけど、日頃の行いが良いからだろうか、途中すれ違ったお巡りさんにも特に言われることは無かった。
犬吠埼家に到着すると私達はお姉ちゃんに言われて大佐をお姉ちゃんのベッドに放り込んだ。サスペンションが聞いたことのない音を立てる。床が抜けてベッドごと大佐が階下に落ちていくんじゃないかとヒヤヒヤしたけどさすがにそんな漫画みたいなことは起こらなかった。
「それじゃぁ、私と東郷はお粥とか作るから、三人はジョンの傍にいてあげて」
「はーい」
大佐は熱にうなされる様子もなく、電源を落としたみたいに眠っている。
「ねえ」
「なぁに夏凜ちゃん」
「こいつピクリとも動かないんだけど」
「よく眠ってるね」
「死んでんじゃない?」
夏凜さんに言われて友奈さんが脈を計った。
「生きてるよ」
「ならいいんだけど。大体コイツうるさいときとそうじゃないときの落差大きすぎるのよ」
それは夏凜さんに全面的に同意できる。静かな時はもう存在を消せるレベルに静かだけど、うるさいときはずっと、
「ほあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
とか、
「ああああああああああああああ!」
と叫び続けている。
しばらく私たち三人は雑談(お天気、税金、インフレ)に華を咲かせていた。すると、突然大佐がムクリと起き上って辺りをゆっくり見まわたした。
「大佐、お目ざめですか?」
私がそう訊くと枕元にあったサングラスをかけてゆっくり私の顔を見つめた。無言で。なんか言えよ。
「なに、ジョンお目ざめ?」
その時丁度お姉ちゃんが東郷先輩とお粥を持ってきた。ほのかな出汁の香りが部屋の中にふわっと広がる。
「ジョン、調子は?」
「悪くない」
「お腹は?」
「空いてる」
「あなたの至上の喜びは?」
「敵を打ち負かすこと! そいつらの息の根を止め、バーテックス共の悲鳴を聞くときです」
大佐がムキムキそう答えるとみんなはイエアホゥウ! と歓声をあげた。
「それでいい! よく言った!」
と、お姉ちゃん。
「これでいつもの大佐ですね」
東郷先輩も目元に涙を浮かべながら嬉しそうに言う。何をこんなに感動しているんだろう。
何はともあれ大佐の熱は下がった。何でも、大佐の身体の抵抗力が凄くて、その反動で熱が爆上げしたらしい。『人間の身体』って不思議。
ベッドから降りた大佐はアツアツのお粥をぺろりと食べてしまった。本当に調子が戻ったようだ。
「それにしても、あの女の子、誰なんだろ」
「何言ってるのよ友奈。あんなのプレデターに決まってるじゃない」
夏凜さんは自分の鞄から煮干しを取り出して一匹口に放り込みながら言った。
「でも、見た感じ普通の女の子って感じじゃない? そもそも、プレデターだからって樹海の中で動けるのかな」
「じゃぁ誰だっていうのよ」
「なんにせよ——」
友奈さんと夏凜さんの不毛な議論をお姉ちゃんが止めた。
「アイツがプレデターだろうと何だろうと、何かあることは確かよ。今度見つけたら……」
「首をへし折る?」
「もージョンったら過激派なんだ。……話を聞かないとね」
もしかしたら、あのプレデター(仮)は私たちの感じたデジャブについて何か知ってるかもしれない。意思の疎通ができるのかは知れないけど、やってみる価値はある。
SS書く時にガンダムなんて読むもんじゃない。文章が御大将節になりそうになる。