【凍結】HSDDにて転生し、運命の外道神父に憑依しました   作:鈴北岳

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久しぶりの投稿でございます
半年以上お待たせして申し訳ありませんでした……









08 動機とetcについて

 

 

 

 

 ――死線が交差する。

 

 銀白の魔弾がかつてないほどの物量を以って、黒き僧衣を押し潰さんと襲い掛かる。

 

 白銀の刀身がかつてないほどの速度を以って、銀の平面を切り開かんと斬り伏せる。

 

 銀白と白銀が煌き閃き儚き光の欠片をまき散らして幾重にも折り重なり、紡がれ織られて荒涼とした岩山を彩り消える。月明かりの無い無明の闇夜、幻想的な光景が瞬く間にいくつも輝く。

 

 その光の裏側で、死神が大鎌を研いでいると知らず。

 

 闇の中で冥府の悪鬼共が舌なめずりをしていると知らず。

 

 人知れず死闘は死線をいくつも形成し切り裂かれる。

 

 もっとも。

 

 その死線を作るのは銀白の龍皇で、それを断つのは僧衣の信徒でしかないのだが。

 

「――――――は」

 

 闇夜で閃く銀白の光の残滓に黒い僧衣の少年の姿が映し出される。

 

 汗は既に干からびて、肌を濡らすのは己の血潮。今すぐにでも死にそうな青ざめた顔で、紫色の唇が苦しげに蠢く。眼はとうに限界を迎えたか、冥府の亡者のように血涙が滴り落ちる。

 

 どう見ても、戦える状態ではなかった。動ける状態ではなかった。

 

 動いてはならない負傷だった。

 

 だがそれでも僧衣の少年は動く。四肢を繰り、死線を斬り拓き死から逃れる。

 

 死からの逃避、死への対峙。相反する二つの行為を纏め上げ、死ぬよりも辛い状態にありながらも死へと逃げようとしない。それはありえないと断言できる処刑台への行進。死を理解しながらも、なお進もうと足掻く愚者の足取りだ。

 

 だからこそ――解せない。

 

 ヴァーリは闘争を好む。好むからこそ、敵対する人物の分析を詳らかに行う。能力はもちろんのこと、その人物自身のことすらも。どのようにすれば勝てるか、どのように煽れば挑んでくるか。その策を模索するためならば、その手間には力を抜かない。

 

 だから、今のこの少年の行動と感情は理解できない。

 

 ――この少年はヴァーリと初めて相対した時から何も変わった様子は無い。

 

 ――最初と同様。僅かな諦観と、強靭な精神力。

 

 ――まるで、老成した人物と相対しているよう。

 

「解せんな」

 

 ヴァーリは攻撃の手を止めた。

 

「貴様、どうして殺意が無い」

 

 殺意――というよりも、そもそも、この少年からは意思が感じられなかった。

 

 何か物事を為す時、もっとも重要なことは為そうという意思である。人を殺すのならば殺意を、人に尽くすのならば善意を、人に害なすのであれば悪意を。意思持たぬ生者などこの世には存在しない。

 

 ヴァーリの唐突な質問に対しても平然とした態度は崩さない。肩で息をしながらも、死に掛けの表情をしていながらも。

 

 それが当然とでも言うように。

 

 答えは無い。当然だ。敵は既に死に体。答えるだけの気力と体力があるのならば、それを全て戦闘につぎ込む。それは戦士としての当然の能力であり、責務だ。

 

 ああ、そうだ。当然だとも。

 

 気味が悪いほどに、この敵の行動は理にかない過ぎている。

 

 だからこそ不愉快。

 

 だからこそ不可解。

 

 ――どうしてそこまで人形のように徹することができるのか。

 

 ――どうしてそうまでして死に急ごうというのか。

 

 疑問は尽きない。これに近いタイプの敵とは戦ったことはあるが、眼の前のこれに、あの敵ほどの気迫は無い。殺意も信仰も使命感も。何もかもが無い。

 

 あるのはただ、薄らぼんやりとした不気味な何かだけだ。

 

「――――ふん」

 

 ヴァーリはそこで思考を断ち切る。

 

 いかにも無駄なことを考えていたとばかりに、先程までの思索を忘却する。

 

 ああそうだ。今、それは関係無い。敵にいかに信念が有ろうと無かろうと、己はこれまでそうしてきたのだ。故に、今もそうだ。

 

 魔弾では仕留めきれない。かといって接近戦ではあの切り裂く術が待ち構えている。その上、なんらかの武術を会得している。

 

 遠距離では仕留められず、近距離では逆転の可能性がある。

 

 常套手段で行けば遠距離だ。わざわざ遠距離は苦手だという敵の手札がわかった上で接近戦を挑むなど愚の骨頂。

 

 ――だが、それではつまらないのも事実。

 

 全身装甲の下、ヴァーリの口元がつりあがる。

 

 言峰は不穏な気配を感じて。

 

 

 ――――――瞬間、空間が激震する。

 

 

 音速の壁を超えて、白い彗星が夜を蹴散らす。

 

 人ではけっして超えることの出来ない速度。それは、悪魔の血筋と二天龍の力があればこその力技。

 

 避けられない防げない。

 

 音速を超えた攻撃というものは、常人にとってはそんなものだ。視認できるかどうかすら怪しい。ましてや、それに対応するのは普通ならばできやしない。

 

 だからこそ願う。

 

 この少年が普通ではないことを。

 

 

――/――

 

 

 実際、言峰綺礼はどうあがいても普通ではない。

 

 一度死に、一度生き返った。

 

 死んだ時の感覚は鮮明に覚えている。

 

 死に逝く時の感覚を覚えている。

 

 大事な何かが流れ出る喪失感と、煩雑な何かが消えゆく解放感。

 

 冷えた体が温かな水底に落ちていく――そんな、もの。

 

 死ぬ直前の感覚も覚えている。

 

 蛇に睨まれた蛙の金縛り。内臓が腹の底から震え上がった。

 

 とても平静になんていられやしない。

 

 ――――――だからこそ、今この瞬間、死ぬ直前と同じ感覚を味わっているこの瞬間。

       死に逝く時と、それと同じものを味わってはいけないと思った。

 

 

――/――

 

 

(バラン)(ス・ブ)(レイク)――(ヴェニ) (・グレ)(イル・)(スピリ) (トゥス)

 

 ガシャン、とガラスが砕け散るような音がした。

 

 同時に二人ともが、後方へと吹き飛んだ。

 

 だが、二人ともが同じような衝撃を感じたのではない。双方ともに同様に顔を苦悶に歪めているからこそ、同じ衝撃を味わったのではない。物理的にも、精神的にも。

 

 黒い影はすぐさま空中で体勢を立て直し、しかし、白い影は未だ体勢を立て直すことができていない。またとない好機だが、飛来する黒鍵は無く、代わりに、鮮やかな火炎の爆撃がヴァーリを襲った。

 

「チィッ――」

 

『DivideDivideDivideDivideDivideDivide!!』

 

 だがそれもすぐさま霧散する。視線を向け、体に炎が接触した瞬間に何重もの半減吸収を発動。残った火は吹けば消えるほどの微々たるもの。ヴァーリは悪魔の翼を顕現させ、空中に止まった。

 

 ――いない。

 

 言峰の姿を探した。だがいない。耳を澄まそうとも、息が上空で聞こえた。

 

『ヴァーリ!』

 

「な――!?」

 

 空中に黒の僧衣。得物は何一つとして持たず、無機質な光を灯す黒い瞳が炯々と輝いている。否々、銀白の光によって映し出されている。

 

 ヴァーリが驚愕に眼を見開くと同時、言峰の手元で聖なる光が燦然と輝き――眩い刀身の、聖剣が姿を現した。その柄に掌底をぶち当て、ヴァーリの鎧を打ち貫かんと刃が走る。だが、その刃は銀白の鎧に当たると同時に砕け散る。強度が足りない。

 

 放たれる銀白の魔弾。ヴァーリが言峰の頭蓋へとそれを打ち出す。するとまたしても言峰の手元が燦然と輝き――現れた刃が、魔弾を切り裂き、砕け散った。

 

 銀白の軌跡を残して蹴りが奔る。それを片手で受け流したついで、その反動で言峰の姿が闇夜に落ちて消える。途端、ヴァーリの頭上より飛来する炎。

 

『DivideDivideDivide!!』

 

「――アルビオン、いったい何が起きている?」

 

 この力の検討はつく。数度見たことのある力――すなわち、神器だ。だがだからこそ解せない。どうして、四つもの神器を持っているというのか。追憶の鏡、白炎の双手、闇夜の大盾、聖剣創造。それも、四つのうち三つは珍しい神器だ。

 

『おそらく禁手だろう。能力は他の神器の能力の使用とみた。――厄介な』

 

 アルビオン――白龍皇は過去を思い出し苦々しく呟く。規模はともかく、これではまるで、聖書の神を相手取るようなものだ。

 

「なるほど」

 

 血が滾る。未だに相手に殺意が無いのが気に食わないが、これはそれを補って余りある。だってそうだろう。神器所持者は少ない上に、それを使う戦士は少ない。神器所持者と戦うだけでも幸運だというのに、その神器を複数扱う敵と戦う?

 

「面白い」

 

 獰猛に口元が吊り上がる。

 

 神器を複数扱えるということは、更に少ないパターン――つまり、神器の能力を補完し合った行動があるということ。これを未だ不服だと言うのなら、世の中はあまりにもつまらない。

 

 ヴァーリの眼前に魔方陣が浮かび上がる。本来ならば人間相手には使わない術式。それを以って。

 

「そこだッ!」

 

 闇に紛れた不届き者へと、銀白の魔弾を奔らせる。同時に炸裂する銀白の翼、超音速を以って僧衣へと迫る。それを迎え撃つのは聖剣の山。魔弾はその大半を砕き尽きて、ヴァーリがその残骸を薙ぎ払い、黒い僧衣へと肉薄する。

 

 音速の拳を辛うじて避け、その腕へと聖剣を奔らせる。しかし一瞬でそれは半減吸収され、儚く消える。僧衣が闇に落ち、背後に現れる。それを回し蹴りで退け、魔弾を放つ。避けられる。同時、ヴァーリの眼前で猛火が猛った。視界が塞がれる。言峰の気配が消えた。

 

 思考する。この次の行動を。

 

 今、ヴァーリは視界が塞がれている。視界に入るのは目に痛い紅蓮を放つ猛火。視覚は役に立たない。常套手段としては、破壊力の高い攻撃でその猛火諸共吹き飛ばす。だがその気配は無い。神器の特製上、ヴァーリは力の流れに敏感だ。第二案としては背後からの急襲。これも無い。そもそもこんな思考をさせている時点でこの可能性は潰える。第三案としては、闇の大盾を利用しての逃走。だがこれも無い。空間に揺らぎは感じられない。

 

 ヴァーリの思考はここまでで止まる。これ以上時間は無く、案も咄嗟には思い浮かばない。

 

 だから、一切合財を薙ぎ払う。

 

 魔力を集中させた。自分を中心に渦を巻かせて臨界点に無理矢理引き上げた。

 

「――――――ズァッ!!」

 

 全方位三百六十度、臨界点を突破した魔力の暴力を叩き込む。内から外へと広がる爆発。膨大な熱量が急激に外に広がり、一瞬の停滞の内、その空いた空間へと急激に空気が沈み込む。

 

 局所的な擬似台風。それは周囲の全てを飲み込む。

 

 そこに黒い僧衣が紛れた気配は無い。――上空に、影が差すまでは。

 

 ヴァーリの眼下で光が迸る。正視に耐えないほど清純で清らかな光。下からの光にヴァーリの背後に影が差す。

 

 ――いた。

 

 黒い僧衣の少年がそこにいた。ヴァーリはすぐさま一筋の彗星の如く突進する。その余波だけで人間が蒸発しかねないほどの加速。やはり呆気無く音を置き去りに、空気分子を焼け押し退けて。

 

 黄金の槍を携えている。

 

 清純な光源。誰もが求めてやまなかった神の奇跡。

 

 聖の概念を体現したモノ。かつて、かつてないほどの聖人の血を吸ったとされる奇跡の槍。

 

 その、あまりの聖なる様に、死にたくなるほどの。

 

「――――面白い」

 

 ――――黄昏の聖槍(トゥルー・ロンギヌス)

 

 ――――神滅具の頂点にしてその原点

 

「それすらも持ち出すか――――!!」

 

 それが、少年の手の内にあった。

 

 魔力がヴァーリの拳に集約される。聖なる力が槍の一点に集約される。

 

 ――両者共に超火力。神滅具の中でも危険とされるその二つ。

 一方は仮初とはいえ、崩壊した秩序の産物。イレギュラーという点では同格ゆえに――

 

 

 

 

「――――――ハ」

 

 激戦直後の荒野は暁を迎えていた。

 

「――――――ハハ」

 

 朝日が照らし出した先に、元の情景は既に無い。

 

 あるのはすり鉢状に抉れた大地。地層が見えるほどに深く深く抉れたクレーター。隕石が降ってきたからこうなったと言われたら納得しそうなほど。

 

「――――――ハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 その荒野の一角。クレーターの中心でヴァーリは大の字に寝転びながら哄笑していた。

 

 銀白の鎧は既に無い。故にヴァーリの服装は普段着のそれと大差無い。モノトーン調の、容姿に見合うお洒落なものだ。

 

 ――それが、()()()()血に汚れていた。

 

「く、くくく、はははははは…………! あー――――痛い」

 

 血だらけになりながらも、満面の笑みを浮かべて幸せそうに笑っていた。

 

 あの戦闘は非常に有意義だった。いくつか不満は残るものの、それは後々の楽しみとしていた方が何かと都合が良い。

 

 最初はあの聖剣にしか興味が無かった。デュランダル。全てを切り裂き、かつ、刃こぼれの無い理想の剣。たしかに噂に違わぬ破壊力だ。惜しむらくは所持者。あの年齢にしては大したものだが、物心ついたときから所持していたにしては、いささか拍子抜けだった。まったく、中途半端はこれだからよろしくない。だが、心意気は良い。これからの精進に期待。

 

 元々、少年を殺し、あの聖剣所持者を怒らせて戦う予定だった。だって劇的だろう。力は無いが質実剛健で敬虔な同僚の死。後で聞けば一目置いていたというのだから、なおのことドラマチックだ。強者に相応しい物語(トラウマ)だ。この後、きっと彼女は素晴らしい進化を遂げるに違いないと、この計画を画策した時は思っていた。

 

 だが結果はどうだ。これだ。この地に伏した傷だらけの自分の体だ。

 

 遊んだ帰りに遭遇、間違えて戦闘、そして圧勝。というストーリーが台無しだ。

 

 これでは苦戦も良いところ。

 

「まったく、楽しいにも程があるだろう……!! 嬉し過ぎる誤算だ! ッ……ッズ……! 本当に、素晴らしい…………!」

 

 予想外だった。

 

 まさかあの暗殺者風情がここまでするとは。

 

 闇討ち上等のエクソシスト。集団戦において最も警戒が必要と評判の戦士。たしかにそこまで言うだけの価値はある。あの隠行は習ってそうそうできるものではない。決定力も素晴らしい。何度食らっても防ぎ方の見当がつかないあの術。ここまで徹底して素晴らしい術は初めてだ。

 

 加えて禁手の多様性。こちらは決定打にやや欠けるかと思いきや、またしてもそうではない。まだまだ甘いが、それなりに筋は良かったと言えよう。結果はどうあれ、特にあの神滅具はびっくりだ。あれを主戦力とするならば、天使はともかく、堕天使や悪魔はひとたまりも無い。

 

 天使陣営の尖兵としては、優秀過ぎるにも程がある。

 

「――惜しいな」

 

 ふと、ヴァーリは呟いた。先ほどまでの楽しげな表情と声音は無い。言峰と相対してわかったことだが、あれは典型的とは言えないが、元々の性根は修行僧そのそれに近い気がする。

 

 だからこそ言峰綺礼は聖職者のまま一生涯を終える。教会にとって都合の良い殺しを引き受け続けて、いつか父のように家族を持って安らかに死ぬ。

 

 我欲の乏しい人間だ。

 

 だからこそ、言峰綺礼は上位争いに食い込むことはけっして無い。

 

 加えてあの脆弱な肉体。あの程度で限界を迎えるなど、脆弱に過ぎる。

 

「願わくば、転生悪魔になってほしいものだ」

 

 心底からそう願う。

 

 だが、きっと彼は転生しない。彼は人間として生き、人間として死ぬ。生涯に疑問を持つ事無く、心は平らなまま永遠に平静に違いない。

 

 だが、もしも、と思う。

 

 もしも彼が悪魔に転生するのならば。

 

 悪魔の肉体と時間を得た言峰綺礼ならば。

 

「必ず――――」

 

 

 

 

 目が覚めた。

 

 ら、月光に照らされた白い天井が見えた。

 

 どうやら、俺は生きのびたらしい。心臓は温かに波打っているし、右腕に刻まれているいくつかの刻印の疼きが感じられるから。

 

「――――告げる(セット)

 

 身体を解析。大きな手術でもあったのか、体のほとんどが物理的にツギハギだらけ。他人の臓器はさすがに無いが、他人の血液が五割以上を占めている辺り、奇跡だとしか言いようが無い。治癒魔術も用いたのか、他者の魔力の痕跡が気持ち悪いほど残っている。

 

 俺が寝ていた日数は一日から二日の間。アーシアの力の残滓が無いことから判断しての予測だから、正確さには欠けるだろうが、父さんの性格から考えてアーシアを呼ばないということは無いだろう。

 

 あれだけの戦闘でこの怪我ならば儲け物だろう。

 

「――――ふぅ」

 

 深呼吸を一つ。したらピリリと体が痛んだ。ツギハギになっているせいだろう。意識すると少し痒い。

 

 腹に力を入れてみる。痛くない。右手を動かしてみる。痛くない。左手を動かしてみる。何やら重い。範囲は肘から下。何か暖かい物が乗っている。

 

 視線を動かす。

 

 ……青い髪の少女がいた。寝ている。少し、驚いた。

 

 時刻は何時だろうか。さすがにこの気温で風邪を引くことは無いだろうが、子供がこうやって寝ているのはダメだろう。きちんとしろよ、大人たち。

 

 上体を起こす。

 

「――――――」

 

 軽い痛み。だけど体の芯に響く。鈍器で殴られた後のような感覚に近い。

 

 力の入らない右腕を動かす。左腕はゼノヴィアの枕になっているので、動かすことはできない。右手でゼノヴィアの肩を触った。子供らしい高めの体温と滑らかな肌。熟睡している。無理も無い。あの戦闘の後だ。しばらく体は本調子にはならないだろう。

 

 肩を揺らそうと腕に力を込めて、――――止めた。

 

 このまま熟睡しているのならこのままが良い。

 

 代わりに、というか、何というか、ゼノヴィアの頭に右手を置いてみた。良くドラマであるような、よくやった、のサイン。軽く振動を与えないようにポンポンと。月光を微かに反射する柔らかな髪。ついでに優しく髪を触ってみる。

 

「…………」

 

 今は誰もいない。この病室に起きている人間は誰もいない。

 

 少し強い風が室内に入る。物の擦れる音、耳の捉える風の音。

 

「……よく、頑張った」

 

 勇敢な少女へ祝福を。

 

 聞かす気の無い無意味な言葉。自己満足にも程遠く、この場面ならこう言った方が良いかな、とかいう何ともな理由で言った言葉。何とも無い、ありふれた言葉。

 

 脈絡無く、言ってみる。

 

「――――二日ぶりかな、ジジ」

 

 視線の真逆。強い風の吹きつけてきた窓の外。

 

「にゃんだ、気づいてたの」

 

 有り得ない方角からの声。右手を離し、視線を窓へ。

 

 白いカーテンに黒いシルエットが映っていた。時折波打つカーテンの間から和服の袖が視界に映る。

 

 風が止み、現れたのは妖艶な女性。豊かな黒髪の琥珀色の瞳を持つ、最上級の猫の妖怪にして転生悪魔。

 

「白々しい台詞はよせ、化け猫。よもや、私が気づかないとでも」

 

 誰でも気づく。不特定多数の魔力の残り香。その中でも一際の異色をそれは放っていた。明らかな異物でありながら、明らかな特効薬。それは俺がジジと接触して感じていた仙術独特の気配。

 

 つまるところ、この化け猫は俺に仙術を使っていたのだ。

 

 そうでもなければあの激戦の後でこんなに早く目が覚めるわけが無い。

 

「にゃはは。やっぱり君はおかしいにゃ」

 

 普通はそんなものには気づかない、ジジ――改め、黒歌はそう断言した。

 

「周りが必死でないだけだ。それに、私自身暇だった。こういう細かいすることをするのには慣れている」

 

「慣れているからってできるもんじゃにゃいんだけどにゃぁ」

 

 いやいや、世の中、慣れでできることって結構あるぞ。

 

 実際細かいことに気をつけていなかったら、俺は教会の中で細切れになっていただろうし。あの白髪のせいで。ふぁっく。

 

「――――どうして、白龍皇があそこにいた?」

 

「私を追ってたからじゃにゃいかにゃ? 私、人気者だからにゃー」

 

「白々しいな、化け猫。大方、グルだったのだろう、貴様らは」

 

 ザァ、とカーテンが音を立てて揺れる。琥珀色の瞳から初めてからかう色が消える。

 

 確信を持った俺の言葉に、黒歌はからかう姿勢を一時中断したのだ。

 

「理由は彼の性格からして、掘り出し物を探す、もしくは将来有望な戦士の成長を促すためのパフォーマンスだろう」

 

 所詮、今思いついただけの理由だが。一番の理由は原作知識だけど、そんなの口が裂けても言えないからねぇ。

 

「――――――正解」

 

 心底から楽しげな声だった。

 

「大胆だな。ともすればヴァーリはグリゴリから除名されかねんというのに」

 

「冗談は程々にするにゃん。ヴァーリは二天龍にゃ」

 

 そう、ヴァーリは二天龍。加えて魔王の血族。スペックは過去最高の白龍皇であり、本人の気質も戦士として最上だ。アザゼルはそれを良く理解している。仮にセラフから身柄引き渡しの要求があっても、何としてでも、ある程度の損失を覚悟でヴァーリを擁護するに違いない。

 

 そして、セラフはきっとヴァーリを強く糾弾することはできない。たかだか聖剣使い程度が、ヴァーリに見合う価値があるはずがないのだ。

 

「そうだな。だから貴様は私の前に顔を出した」

 

 否。

 

 そんなことで俺の前に姿を現したりしない。

 

「他に何か用事があるのだろう、私に」

 

「ヴァーリからの伝言にゃ」

 

 …………うわぁ。

 

 嫌だ、すっげえ嫌だ。

 

「にゃふふふ……、ご愁傷様にゃ。言峰綺礼君、君はヴァーリに目を付けられちゃったにゃん」

 

「………………………………。バカな」

 

 危うくなんでさと言いかけた口を閉じて汎用性の高い台詞で代用。

 

 いやー、言峰がなんでさってなんでさ。

 

 俺の台詞が笑いのツボに入ったのか、黒歌は本当に楽しげに肩を震わせていた。若干咽ているような声が聞こえてきているので、本当に面白おかしいのだろう。ああ、本当に。畜生め。ふぁっく。

 

「……ぶふっ」

 

 おいこらてめえ、何時かふんじばってあんなことやこんなことしてやるから覚悟しとけや。

 

 左手の上のものが若干震えていることには無視したいです、はい。

 

「ヴァーリは君の事を非常に気に入ったにゃん。本当に。転生悪魔になれと伝えて来い、とまで言わせたくらいにゃんだから」

 

 断固として断る。

 

 ……あぁ、いや。ハーレムは欲しいです、ハーレム。悪魔になってにゃんごろしたいです。

 

 畜生、この世に神様はいないのか。俺の人生、何故か詰みかけているぞ。老後の楽しみがガリガリと恐ろしい速度で死亡フラグに立て換わっていってやがる。本当に何故だ。俺の体内に龍がいるとかそういうオチだけは本当に勘弁してくれよ、こんちくしょう。

 

「――まあ、でも」

 

 スゥッ、と黒歌が俺の上に馬乗りになっていた。

 

 着崩れた着物の間から豊満な谷間が覗く。男なら誰もが陥落しかねない色気を俺の眼の前で振りまきながら、白魚のような指で、俺の首筋に触れた。

 

「――――ここで殺して、死体をグレモリーに送りつける」

 

 艶美な瞳に、冷徹なものが宿る。

 

 何度も見てきた、殺害を躊躇わない戦士の眼光。

 

「という案もあるんだけどにゃ――ぁ」

 

 スウ、と指は蠱惑的に首筋をなぞって俺の顎を持ち上げる。露になった喉笛に、黒歌の唇が触れた。次いで、ザラリと湿った舌が舐める。

 

 皮膚が削られている。

 

「聞けば、グレモリーの一族と親しいそうじゃにゃいか? 愛情深いグレモリー、まだ未熟なグレモリー――リアス。彼女にゃら、お前を悪魔に転生させる」

 

「二天龍も堕ちたものだな。よもやそのような世迷言を抜かすなど」

 

 やけに喉の辺りの皮膚が冷たい。顎の裏側まで舌が這う。

 

「息子の亡骸を前に泣き崩れる父親。敬虔な信徒として有名な璃正神父。彼が涙ながらに頼み込めば?」

 

「それも有り得んな。父はその程度の悲しみに魂は売らん」

 

「――――悲しいにゃ、お前は」

 

 大きな胸が押し付けられる。黒歌の顔は俺の後ろに移動し、耳を食む。

 

 囁くように。

 

「――ガランドウ。〝愛〟のにゃんたるかを知らにゃい愚か者」

 

「――――ハ」

 

 心臓が燃え上がる。かつてないほどの、激情が渦巻いた。

 

「流石に妹のために犯罪者となった者は言うことが違う」

 

 時が止まる。

 

「愛を知らない愚か者? それは貴様だ、黒歌」

 

 動揺する気配が耳朶を打つ。

 

 暖かな者が俺から離れる。代わりに、冷たく恐ろしいものが首に巻きつけられた。琥珀色の瞳は、美術館の展示品の無機質だ。

 

 それに、唇が吊り上がる。

 

「愛とはな、相手を不幸にさせたくないという強い感情だ。我が父は、それを知っている。愛とは何たるかを心得ている。父さんは、俺が父さんの魂を売って欲しくないことを知っている」

 

 言峰璃正は偉大な聖職者として生涯を終える――今の俺はそれを望んでいる。

 

 だって貴いだろう。俺よりも遥かに貴い。息子に全幅の信頼を置き、信用している。そして同時に、大切に思っている。思ってくれている。こんな俺なんかに対して、本当に。

 

 人を信じるということは、弱さを曝け出すということだ。俺にはそんな覚悟は無い。だというのに、父さんはそれを実行している。俺がヘマをしても、悪魔と接触しても、裁かれないようにしてくれた。きっと苦労したはずだ。聖職者が悪魔に助けられるなんて噴飯ものだというのに。

 

「俺が信じていなくとも、父は私を信じている」

 

 だから俺は、きっと、この先ずっとこの世界に関わり続ける。父さんが生きている限り、ずっと。

 

 父さんは〝私〟を信じた。〝私〟を価値あるものとして信じた。

 

 俺はそれを裏切りたくない。偉大な人物を裏切る価値なんて俺には無いから。

 

「それに比べて貴様はどうだ? なまじ優れていたために、妹を不幸にした救いようの無い女よ」

 

「――――お前は、バカだにゃ。あそこにいたら酷いことになるってわからにゃい?」

 

 黒歌の唇が残忍に捲れ上がる。笑みの失敗作の見本。

 

 内に秘めた激情が丸出しも程がある。底を知らさずに怒るというのが、最も優れた脅しだというのに。それができないところで、お前は俺に負けている。

 

「バカは貴様だ、女」

 

 お前は、俺を怖がっている。

 

「私には見えるぞ。貴様が愛する妹に嫌われていると知りながら、一縷の望みを捨てきれずに持ち続けているのを。何とも滑稽だ。当たり前のことを当たり前とは思えないとは」

 

 ギリッ、と首に力が加わる。白魚が俺の首を断とうとしているのだ。

 

 左手で、左手の上で動く人間を押し止める。

 

「妹に愛する姉を恨ませるということがどれだけの不幸か認識していないな、貴様は。――裏切ったのだよ、黒歌という愚者は。愛する妹の愛を。最善だと思った策が次善だと気づかずに、貴様は、己の善性に酔って愛した者を傷つけた」

 

 愛する者の裏切りほどの悲劇は無い。

 

 黒歌はそれに気がつかなかった。

 

「愛する者の幸せを奪うこと。それは最悪の罪科だろう」

 

 脳裏に過ぎるとあるワンシーン。

 

 男が妻子を殺している。無価値なもののために、自分にとって大切なものを悲しませた。絶望させた。己と同じ、己と同じ絶望を味あわせた。

 

 胃が蠕動する。気持ち悪い。思考がぐらぐらするには最適に過ぎる映像だ。

 

「妹の年齢はいくつだったかな。私には化け猫の年齢などとんと検討がつかんが、外見通りとすれば中々酷な事をする。人間では愛に飢えてしょうがない年頃だろうに」

 

 黒歌の表情は変わらない。氷のように凍てついている。

 

 

「――――ああ

 貴様の妹は今、どれだけの()()を抱えていることか」

 

 

 殺意が宿る。

 

 琥珀色の瞳が混乱のまま俺を殺せという精神状態をそのまま投影している。

 

 白魚のような指に力がこもる。迸る殺意と共に、力がこもる。

 

 ――――数秒後の死

 

 それを、聖なる光が切り裂いた。

 

「――――――ッ」

 

 行動は素早かった。青い彗星が黒い魔物を断ち切る前に、黒歌は病室の窓枠に移動していた。着物の袖が、大きく切り裂かれていた。底から覗く白磁の肌に切り傷は無い。

 

「深追いはするな」

 

「了解した」

 

 俺を守るように、ゼノヴィアが二振りの聖剣を交差させて構えていた。付け焼刃の剣術も甚だしいが、そこに俺が加わるとなれば、この空間ならばなんとか機能する。

 

 俺を呪い殺さんばかりに睨みつける黒歌。それに、冷ややかな視線をぶつけてみる。

 

「気に障ったかね。障ったのなら謝罪しよう。まだまだ私は未熟でね、相手の機微がわからない」

 

 嘘だけど。

 

 まあ、未熟なのには変わりない。だってあの程度のことで、喧嘩腰になるなんて精進が足らな過ぎる。

 

「だが、懺悔がしたくなればまた来ると良い。私はこの通り未熟だが、心は広くあろうと思っている。相手が何者であれ、救いの手を差し伸べよう」

 

「――」

 

 無反応。

 

 というか、怒りのあまり思考がグチャグチャで何を言うべきか迷っていると見た。わずかだが、仙術に綻びが感じられる。

 

「――――お前は」

 

 ザァ、と風が吹きつけた。砂漠特有の乾いた風。黒歌の言葉は風に浚われてしまう。

 

 白いカーテンが一際大きく動いた。それが黒歌の姿を完全に隠す。次の瞬間には、黒歌は消えていた。

 

「剣を仕舞って構わん」

 

「ああ」

 

 俺の言葉に大人しく従うゼノヴィア。

 

 そういえば、俺はまだあの呪いを解いていないのだが、大丈夫だったのだろうか。俺の少し疑問を含んだ視線に気づいたのか、ゼノヴィアは自分の脚を指差した。震えていた。

 

 …………よくもまあ、それで前衛をしようとする気になれたな。後衛がこんな様だって言うのに。

 

「凄いな、言峰さんは」

 

 唐突に、ゼノヴィアがそんなことを言い出した。

 

「まさしく文武両道していらっしゃる。強い戦闘スタイルだけでなく、あのような深い思想を持っておられるとは」

 

 危うく噴出しかけた。

 

 ゼノヴィアの敬語が拙過ぎて面白過ぎる。不慣れなのが前面に出ていて、すっごいアレだ。こやつやりおる。俺を笑い死にさせる気か。

 

「敬語はよせ。似合わない上に必要が無い」

 

「いや、敬語は必要でしょう。私は今、凄く言峰さんを尊敬している。賞金首相手に、怖がることなくあそこまで言うなど、並大抵ではない――と、思います」

 

「御託はいいからとにかく止めろ」

 

 不自然過ぎて会話に集中できない。少し睨んで強く言ってみる。

 

「……はい」

 

 シュンと垂れる犬耳を幻視した。

 

 ……いかん、頭が悪い。今すぐゼノヴィアに抱きついてムツゴロウしたいとかカット。

 

 悪過ぎるだろう俺の頭。

 

 表情筋を見習え。まだ鉄面皮だぞ。

 

「…………言峰さん、すまなかった」

 

 しばらくして、またしても唐突に謝られた。

 

「私が……、もっと強ければ」

 

 沈痛な表情で、ゼノヴィアはそう言った。他にも何か言おうと言葉を探しているようだが、あまり見つけられていないようだ。

 

 それでも、俺の指示に従っておけば、と言わない辺り流石だと言える。

 

 優秀だという点で。

 

「構わない。私も同じだ」

 

 まあまあ本音。それに相手が悪かった。だけどここで甘やかすようなことを言うと、少しばかり大変な予感がするから慰めるような言葉はいらないだろう。

 

「ところで」

 

 ふと、一つ疑問が浮かび上がった。

 

 ゼノヴィアが起きている事に気づいたのはバカな事件である。あの時こいつは笑い出しやがったのだ。それには嫌でも気づくのだが……。

 

「いつから起きていた」

 

 これが疑問である。

 

 少なくとも俺が言うまでには起きていたはずだが、それ以前に起きていたような気配は全然無い。今思い返してもまったくわからないのだ。

 

「むぅ……」

 

 俺が尋ねるとゼノヴィアは少し黙り込んで、薄っすらと頬を赤く染めた。……待て、今のやり取りの何処に照れる要素がある。

 

「それにはモクヒケンとやらを行使したいのですが」

 

 そんな表情のまま生真面目にそんなことをのたまうゼノヴィア。心なし表情は堅い気がするし、態度も若干警戒気味だ。けれど重ねて尋ねればきっと素直に白状するだろう。

 

 俺は黙り込んでみせる。視線はゼノヴィアに固定。数秒すると、ゼノヴィアの視線があっちこっち。

 

 ……正直、凄く気になるのだが、追究はよしておいた方が良い気がした。

 

 

 


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