神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第一章 2

 

          * 2 *

 

 

 夏姫と手分けして運んだカップの数は五つ。

 そろそろ外が薄暗くなり始める時間、僕の家のLDKには昨日起こったことの説明を聞くために、人が集まってきていた。

「今日は、これで全員?」

「ん。まぁね」

 先にダイニングテーブルに座っている百合乃の正面の席が遠坂で、集まったメンツの顔を見渡してそう言った。

 猛臣はいまスフィアロボティクスの関西支社で缶詰になってると連絡があった。

 スフィアの停止からまだ一日と経っていない。

 スフィアロボティクスは上から下まで大変なことになっているらしかった。猛臣からは時間ができたら連絡する、という短いメッセージが来ているだけだった。

 平泉夫人もまだ入院中で、後日時間を取ってゆっくり話がしたいと、芳野さん経由で言われている。

 夏姫と並んで席に着いた僕の正面には、居心地悪そうにしている近藤が座り、僕に近いテーブルの端には百合乃が座っている。

 テーブルの長辺を挟んで百合乃と向き合う遠坂は、怒っているのとも、悲しそうにしてるのとも違う、複雑な表情を浮かべていた。

「今日、中里は?」

「連絡はしたんだけどね……」

 隣の空席を気にしつつ言った近藤に、僕はそう答える。

 今日集まって、昨日のことを報告するって連絡は、もちろん灯理にも知らせていた。

 でも彼女からは「今日はごめんなさい」というメッセージが返ってきただけで、その後は反応がない。心配ではあるけど、了解の言葉だけで追求はしていなかった。

「大丈夫かな? 灯理……」

「いまはそっとしておくしかないよ」

「うん……」

 テーブルの下で、夏姫の手が僕の手に触れた。心細そうに伸ばされたそれを、僕は包み込むように握る。瞳に不安の色を浮かべている夏姫に、僕はそれ以上の言葉を返すことができなかった。

 たぶん、僕たちの中で、誰よりも強く願いが叶うことを望んでいた灯理。

 スフィアの機能停止は社会的な事件ではあるけれど、僕たちエリキシルソーサラーにとっては、願いが断たれたことを意味する。

 僕を利用したり、夏姫たちを騙したり、自分の身体を差し出すくらいに強く願っていた奇跡が叶わなくなったいま、灯理がどんな想いを抱いているのかは、僕には想像もできない。

 ――連絡を待つしか、ないよな。

 どんな言葉も、どんな行動も、彼女の慰めにはならない。彼女を慰めるのは、僕の役割でもない。

 それがわかっている僕には、彼女から連絡してきてくれることを待つ以外、できることはなかった。

「さて、昨日あったことを全部説明してくれる? おにぃちゃん。あたしも全部知ってるわけじゃないんだ」

「ん……。わかった」

 灯理のことを想ってうつむいてしまっていたとき、そう大きな声で百合乃が言った。

 顔を上げた僕は、小さく息を吐いて気持ちを切り換えた後、集まってる全員の顔を見てから、昨日あったことを話し始めた。

 

 

            *

 

 

 サイドテーブルの定位置に医療用スマートギアを置いた灯理は、そのままベッドに身体を投げ出した。

 ベージュの制服を着替えなければ、と思うが、うつぶせに寝転がったまま、動く気力も湧かない。

 灯理の部屋は、綺麗に片付けられていた。

 つい先日までは、フレイとフレイヤに新しい衣装をつくるための裁縫道具や、ドールを調整するための機材が部屋の至るところに出ていたが、そのすべては仕舞われていた。

 フレイとフレイヤは、机の上で静かに目を閉じ、立位タイプのハンガー台に置かれている。

「ごめんなさい、克樹さん……」

 布団に押しつけていた顔を横に向け、灯理はここにはいない克樹に、小さな声で謝罪の言葉を述べる。

 机の上に置いてある携帯端末は、先ほどから何度かメッセージの着信を告げる鳴動があった。

 おそらく克樹から。

 昨日の夜、今日集まって話をするというのは聞いていた。行かなければならないとは思っていた。

 けれど、行けなかった。

 寝返りを打って仰向けになった灯理の両の瞼は、腫れ上がっている。目の下も腫れ、隈になっていた。

 腰よりも長い、栗色の髪よりも深い色をしているはずの灯理の瞳は、いまは赤く充血している。

 いまも顔が歪んで涙が溜まってきているこの顔を、克樹たちには見せられなかった。

「終わったんですね……」

 夜中、灯理はフレイとフレイヤを動かそうと、様々なことを試した。

 スフィアを交換しても、完全に分解して一から組み立て直しても、フレイとフレイヤが動くことはなかった。ドールとのリンクを行うことすらできなかった。

 スフィアが、反応してくれなかった。

 克樹がモルガーナと、魔女と呼んでいる人物。

 その人がすべてのスフィアの機能を停止したと聞いた。

 それにより、エリキシルバトルが終わったのだ、と。

 信じたくはなかったが、信じるしかなかった。

 スフィアドールをアライズさせられなくなった自分は、エリキシルソーサラーの資格を失ったのだと知った。

「こんなのって、あんまりです……」

 感情のない顔で、何も見えていない目から涙を流し、灯理はつぶやくように言う。

 自分が最後まで勝ち残れる可能性がないことは、充分にわかっていた。それでもまだエリキシルソーサラーだという、微かな希望にすがって、これまでやって来られた。

 一度は諦めた。

 医者からはもう二度と目は見えないだろうと、原因が不明で治療する方法がないと言われて、諦めるしかなかった。

 けれどその後、実験に参加してスマートギアを通してではあったけれど、もう一度ものが見えるようになったときは、本当に嬉しかった。たとえ肉眼ほどには見えなくても、生きる希望が湧いた。それからエリキシルバトルに参加して、願いを叶えるために必死になって、現実を知って、微かな希望にすがった。

 その希望すら打ち砕かれたいまは、泣き腫らして過ごすこと以外、灯理にできることはなかった。

 絶望の後に生まれた希望。

 そしてその消失は、それが小さなものだとわかっていたのに、最初のものよりも大きな絶望を灯理にもたらしていた。

 やらなければならないとわかっていることですら、できないほどに。

「でも、このままではいられないのです」

 額に手の甲を当てて、灯理はため息とともにその言葉を吐き出した。

 涙はまだ止まらない。

 起き上がる気力もない。

 けれど、それでも、このままではいられない。

 いま灯理の胸の中にあるのは「最後まで見届けたい」という想い。

 エリキシルバトルのこと、魔女のこと、イドゥンやリーリエや百合乃のこと。灯理にはわからないことが多すぎた。

 結果は出てしまっている。

 自分の結末は着いている。

 それでも灯理は、知らないことを知らないままではいられない。

「もうすぐ、行きます。でもいまは、ごめんなさい」

 届かない言葉を口にして、灯理は両手で顔を覆って、小さく嗚咽を漏らし続けた。

 

 

            *

 

 

「……ウソじゃ、ないんだよね?」

「いまさらウソなんて吐かないよ。それはお前だってわかってるだろ? 遠坂」

「うん……」

 悲しそうだったりつらそうだったりする微妙な表情に、何かを考えているように眉根にシワを寄せている遠坂は、頷いてうつむいた。

 エリキシルバトルに参加することになったところだけじゃなく、百合乃が死んだ理由のところから始めて、昨日起こったことまでを全部、遠坂たちに説明した。

 泣きそうな顔で口を引き結び、夏姫はテーブルの下で僕の手を強く握ってきていた。

 近藤は困惑の色を目に浮かべ、諦めたようなため息を吐いている。

 百合乃だけは澄ました顔で、湯飲みからお茶を飲んでいる。

 ――でも、違うんだろうな。

 顔は澄ましていても、昨日の夜の反応から考えれば、百合乃の胸中もかなり複雑なはずだ。それを表に出さないようにしているだけだろう。

 昨日のことを思い出して、胸の詰まりがこみ上げてきそうになるのを夏姫の手を強く握り返して抑え込む。

「誰かに話したりはするなよ。少なくとも魔女がどうにかなるまでは。遠坂だけの問題じゃなく、僕たちや、他の人まで影響するからな」

「うん、わかってる。でも……、でもどうにかならないの? もう一度エリクサーを集めて、百合乃ちゃんをちゃんと人間にするとか、リーリエちゃんを復活させるとか、さ」

「それは――」

 顔を上げてそんなことを言う遠坂に、僕は百合乃に目を向ける。

「たぶん、無理だと思います」

 落ち着いた様子で、僕の視線に微笑みを返してきてから、百合乃が答える。

「その両方を叶えるためには、おにぃちゃんとリーリエが一年かけて集めた量の何倍かのエリクサーが必要だと思う。片方だけでも、いま魔女さんが持ってるエリクサーでもたぶん足りないんじゃないかな? エリクサーについては、あたしもあんまり詳しくないんだけど」

「そうなんだ……」

「リーリエも、エイナさんも、イドゥンって女神様からは生命体として認識されてるみたいだから、エリクサーが起こせる生命の奇跡の対象にはなると思うんだけど……、量が足りないんだぁ」

「そっか」

 うつむいて眉根にシワを寄せ、遠坂は考え込み始める。

 昨日のうちにある程度説明しておいたからってのもあるだろうけど、夏姫や近藤からは言いたいことはないらしい。

 悲しそうな目で僕を見つめる夏姫と、目頭を押さえて天井を仰いでる近藤から言葉が発せられることはなかった。

「うん……。わかった。ここ一年くらい、克樹の様子がおかしかった理由も、――夏姫と、いきなり仲良くなった理由も、わかった。さすがに話せないよね。いまもワタシが無理矢理聞いちゃった感じだね」

 寂しそうにも見える色を瞳に浮かべる遠坂は、僕に微笑みかけた後、夏姫に目を向け、泣きそうなほど顔を歪めた。

 それに答えるように真っ直ぐに遠坂を見つめる夏姫の、表情とともに口元を引き締めた理由は、僕にはわからない。

 たぶんふたりの間で、何かわかり合うような意思疎通があるのだろう。

「……今日は、そろそろ帰るね」

 お茶をゆっくり飲み干した後、そう言って遠坂は立ち上がった。

「時間が大丈夫なら、こっちはまだいいぞ。百合乃と、話したいことはあるだろ? 遠坂」

「ん……。それはあるけど、また今度、近いうちに遊びにくるから、そんときにする。さすがに今日は、一気にいろいろわかって、頭の中が整理できないから」

「わかった」

「オレもそろそろ帰るよ」

 言って近藤も席を立つ。

「そういうことなら、そろそろ暗いし、家まで送ってくれる?」

「あー。……わかった」

 玄関まで見送ろうとした僕をいらないと言うように肩越しに手を振った遠坂が、近藤に言う。

 一年前のことと言えど、近藤が原因で怪我をした遠坂は、今日の話を聞いたからか、もう気にしてる様子はない。逆にまだ近藤の方は遠慮してる雰囲気があるけど。

「えぇっと、アタシは……」

 残されたのは僕と百合乃と、夏姫。

 いつもならこれくらいの時間だったら、軽く買い物行って一緒に食事つくって食べるのが定番の流れだ。

 でもいまは、百合乃がいる。

 どうするべきか迷ってるらしい視線を向けてくる夏姫に、僕もこの後どうするかに悩む。

 昨日まで夏姫の家に転がり込んでいたから、正直たいした食材もない。

「今日の夕食は何にするんですか? 夏姫さん」

「え?」「え?」

 空色のツインテールを揺らしながら僕と夏姫を交互に見て、百合乃が当たり前のような口調で問うてくる。

「夕食は、その……、適当に……」

「うんうん、そうだね。えぇっと、アタシは――」

「夏姫さんがおにぃちゃんの食事、よくつくりに来てるんですよね?」

 腰を浮かせた僕と夏姫は、思わず顔を見合わせてしまっていた。

 百合乃はある程度リーリエの記憶を保持してるみたいだし、夏姫との関係は別に隠すようなことでもない。

 でもまだ話題にも上がっていなかったことだし、当たり前のように言われるとなんだか恥ずかしい。

「なんで、そんなことを……」

「だって、キッチンにあるおっきい鍋とかけっこう専門的な器具とか、面倒臭がりのおにぃちゃんが使うようなものじゃないよね? ペアのカップとかお茶碗とかあるしさー。それにあたしの部屋、だいたいそのままだったけど、最近誰かが使ってた形跡あったし」

「ま、まぁな」

「というか、いまのあたしの身体って便利でね、リーリエがやってたホームオートメーションと接続して操作するってこともできるんだよね。ログだって見れちゃう」

「……」

「それにさ、ここまでのおにぃちゃんの様子見てたら、そう言うことなんだなぁ、って気づくよ、さすがに。あたしじゃなくても、誰だってね」

 昨日の今日でまだ指摘されてなかっただけで、隠すまでもなくバレていたらしい。

 ニヤニヤしながら僕を見つめてくる百合乃に、反論の言葉もない。

 夏姫の方を見てみると、諦めたように笑っていた。

「夏姫さん、たぶん料理上手だよね? 面倒臭がりだから言葉に出すこと少ないけど、おにぃちゃんってけっこう食いしん坊だからねぇ。胃袋つかめば勝ちだよ?」

「アタシは……、少しはつくり慣れてる程度だけど」

「なんだよ、そのアドバイスは……」

 両肘をテーブルに着いて、手に顎を乗せて楽しそうにしてる百合乃。

 恥ずかしいことを指摘されて反応に困るところだが、そんな彼女の様子は、本当に昔の通りで、嬉しさと懐かしさで泣きそうな気持ちになってくる。

「それで、おにぃちゃんと夏姫さんは、付き合ってるんだ?」

「え? いや、それは……、違って……」

「うっ……、うんっ。克樹とは、ほら、エリキシルバトルが終わるまでは、お互いエリクサーで叶えたい願いを持った敵同士だし……。終わってから、その……、改めて考えるってことにしてあって――」

「エリキシルバトルは、終わったよ」

 それまでと違い、笑ってない目で、百合乃が言った。

「まだ全部片づいたわけじゃないけど、エリキシルバトルは終わったよ。――リーリエが、終わらせた」

 人と同じで、感情の色がよく見えるはずの瞳を、ガラス玉のように無色にした百合乃。

 無色透明の奥に、激しく燃え盛る感情を抑え込んでいる彼女に、僕は何か言ってやりたいと思ったのに、何も言えなかった。

「だからさ」

 その言葉とともに瞳に嬉しさを溢れさせ、百合乃は笑う。

「もう大丈夫だよね? 思うところはあるだろうけど、おにぃちゃんと夏姫さんが付き合うのに障害はなくなったでしょ。だから、ふたりは恋人同士ってことで、いいんだよね?」

「それは……、その……」

「えぇっと、えっとね?」

 急速に僕は顔が熱くなっていくのを感じていた。

 夏姫の方に顔を向けて、目だけでちらりと見てみると、彼女も同じように少し顔をうつむかせて僕のことをうかがうようにしていた。

「ね? どうなの?」

 いまにも噴き出しそうな声でけしかけてくる百合乃。

 呷られて恥ずかしさが限界に達したのか、テーブルの下で握り合っていた手を離そうとする夏姫。

 ――あぁ、確かにその通りだな。

 恥ずかしくて顔が熱くなっているのは変わらないけど、慌ててる様子の夏姫を見て、僕は冷静になれた。

 椅子から立ち上がり、離さなかった手を引いて夏姫を立ち上がらせる。

 耳まで真っ赤にして僕のことを見てくれない彼女の、胸元に添えられていた右手を取り、向き合う。

 おずおずと、下から覗き込むように見つめてくる夏姫の目を、真っ直ぐに見つめる。

 それから、言った。

「夏姫。僕は君のことが好きだ。愛してる。――僕と、付き合ってくれ」

「っ!!」

 声にならない言葉を大きく開けた口から吐き出して、目を見開いた夏姫が固まる。

 テーブルに両肘を着いたままの百合乃が、楽しげに僕たちのことを眺めてきてるのは視界の隅に見えてるけど、何も言ってくる様子はない。

 ――これはけじめだ。

 僕の想いを、夏姫はもう知っている。

 僕は夏姫の想いを、充分に感じてる。

 想いが通じ合っていれば問題はない。それで大丈夫な関係もあるだろう。

 でも僕にはちっとも大丈夫じゃない。問題ありまくりだ。充分なんて口が裂けても言えない。

 知っていると思ってた。

 通じ合ってるつもりだった。

 実際には僕はリーリエのことをぜんぜん知らなかった。自分のことだって見えてなかった。

 僕のおごりが、リーリエを消滅させた。

 いや、もしかしたら結果は変わらなかったかも知れない。

 敵はモルガーナ。それからエイナ。

 僕とリーリエの力じゃ結局、エリクサーを使い百合乃を復活させる以外に、あいつの野望を潰えさせることはできなかった可能性は高い。

 それでも僕はリーリエのことを知らず、理解せず、僕の勝手な思い込みで彼女を突き放してしまった。

 もっと、何かできたかも知れなかったのに。

 そのつもりだとか、そのはずだとか、そうだと信じてるとか、自分の中の想いだけじゃ足りない。

 想いと、言葉と、行動と、その全部を使って、僕は伝えなくちゃいけない。確かめないといけない。何度でも伝えて、確かめ続けないといけない。

 僕という人間には、それが必要だから。

「僕は君と一緒に幸せになりたい。君に僕と一緒に幸せになってほしい。夏姫、僕は君のことが、好きだ」

 ぽかんと開けていた口を閉じ、夏姫が目をつむる。

 赤いままの顔に浮かんだ、笑み。

 僕が映る綺麗な瞳を見せてくれたとき、夏姫が答えてくれた。

「アタシも克樹のことが好き。大好き。愛してる。アタシは克樹と一緒に幸せになりたい。だから――」

 わずかに首を傾げて、彼女は笑む。

 その笑みは、これまで見た中で、推測に過ぎないけど彼女の人生の中で、一番幸せな笑みだ。

「アタシを、克樹の恋人にしてください」

「――うん」

 真っ直ぐに見つめる夏姫のことが、誰よりも愛おしくて、可愛らしい。

 僕のことだけを瞳に映してる夏姫の気持ちが、言葉以上に伝わってくる。

 右手を左手を、左手と右手を、指を絡めて握り合った僕と夏姫。

「好きだ、夏姫。愛してる」

「好きだよ、克樹。愛してる」

 僕は夏姫の瞳に吸いつけられるように、顔を近づけていく。

 瞳以上にいまは引力があるように思えるその唇に、自分の唇に近づけていく。

 と、そこで思い出す。

「うん、やっと気づいてくれた? ここにはあたしだっているんだよぉー」

 ニヤニヤを通り越して噴き出しそうにしてる百合乃の存在を、僕はそこでやっと思い出した。

 振り向いて百合乃の視線とぶつかって、僕はその瞬間、逃げ出したい衝動に駆られた。

 ――夏姫を置いていくわけにはいかないけどさっ!

 夏姫も僕と同じで、恥ずかしさで首まで赤くしていた。

「おめでとう、おにぃちゃん、夏姫さん! いやぁでも、おにぃちゃんに彼女ができるなんてねぇ……。けっこうびっくりだよー。あたしの知ってるおにぃちゃんは、女の人から向けられた視線の意味に気づくことなんてなかったのにねぇ」

「そ、そうなの?」

「うん。おにぃちゃんを好きになるくらいだから、夏姫さんも知ってるでしょ? おにぃちゃんがどれくらい鈍感で、人の気持ちを考えてないのかを。例えば幼稚園の頃にね――」

「そういう話は僕がいる前ではやめてくれ!」

 腕を組んで、うんうん頷きながら語り始めた百合乃と、興味津々で聞き手に回っている夏姫。

 ふたりの会話を遮って、僕は大きなため息を吐いた。

「ふふふっ。せっかくおにぃちゃんと夏姫さんが付き合うことになった記念の日だけど、今日はおにぃちゃんに独り占めさせて上げない! 夏姫さんに夕食つくってもらって、夜はあたしが一緒に寝るのーっ!」

 僕と夏姫の間に割って入ってきた百合乃がそんなことを言う。

「えぇっと……」

 一二〇センチの、エリキシルドールの百合乃に抱きつかれて困った顔をしてる夏姫に、僕は頷いて見せた。

「一度言い出したら聞きゃしないからな。今日はそうするしかない」

「ん……、わかった」

 空色の髪を撫でてる夏姫の返事に、僕は微笑みで応えた。

 

 

 

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