神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ) 作:きゃら める
* 2 *
正面入り口には、人の気配はなかった。
すっかり日が落ち、それほど多くない街灯に浮かび上がるスフィアロボティクス総本社ビル。
猛臣が運転する車に乗り、駐車場にできそうなくらいの広さがある正面入り口前に乗りつけた僕たちは、車から降りて周囲を見回した。
「誰もいないみたいだね」
「そうみたいだね」
戦闘用のハードアーマーを纏い、ピクシードールの姿で僕の肩に座っている百合乃の声に、僕は同意した。
正面入り口の、ガラスの大きな自動ドアの向こうには照明は点けられてなく、非常灯と思しき小さな光が見えるだけだった。
その脇にある警備員の詰め所らしいところの窓にも、灯りがない。そびえ立つビルを見上げてみても、照明が灯されたフロアはひとつもなくて、人がいるらしい様子はどこにも感じられなかった。
近くには別のビルもあるが、隣接というほど近くもなく、公園のような広さの敷地は、不気味な静けさに支配されていた。
どうやったのかは知らないけど、モルガーナが言っていた通り、いまこのビルは無人であるようだ。
「……なんだか、不気味だね」
「さすがにこれだけ静かだと、なんか怖いな」
夏姫と近藤が眉を顰めながらささやき合うのに、僕も概ね同意だ。
だけどこれから相対する奴のことを思うと、そんな不気味すらも前座のように思える。
「今年のスフィアロボティクスは今日の午前中で年内の業務は終了してるからな。サポート部門はさすがに動いちゃいるが、別のとこに専用の建物があったはずだ。まぁ、立ち止まってても仕方ねぇし、行こうぜ」
「そうですね、猛臣さん。行きましょう、克樹さん」
物怖じした様子のない猛臣がそう言い、表情を強張らせながらも長い栗色の髪を揺らしてスマートギア越しに僕を見つめてきた灯理に促され、僕たちは正面入り口へと近づいていった。
自動ドアは、問題なく開いた。
非常灯しかなく、暗い玄関フロアに踏み込むと、一番奥の五つのエレベータのうち、ひとつが扉を開き、僕たちを誘うように明るい光を放つ。
頷き合った僕たちは無人のフロアを横切り、駅にあるようなゲートをスルーパスして、エレベータに乗り込んだ。
ボタンも押してないのに扉が閉まり、ゴンドラが上昇していく。
緊張が、高まっていく。
心臓が、うるさいほど脈打ってる。
振り返ると、みんなの表情も、余裕なく強張っていた。
乾きを感じ始めた喉に唾を飲み、いつもよりかなり重いデイパックを背負い直したときには、屋上に到着していた。
全員の顔を見回し、頷き合う。
肩に乗る百合乃の見せてくれた笑みに、どうにかぎこちなく笑みを返した僕は、皆と一緒に一階の正面入り口と同じくらいの幅があるガラスの自動ドアを潜り、屋上ヘリポートに出た。
「ぞろぞろと……、取り巻きを連れてきたの? 克樹君。別に構わないけれど」
ヘリポートの真ん中に立っていたモルガーナは、そう言って眉を顰めた。
「てめぇ! 取り巻きってなぁ――」
興奮して前に出ようとする猛臣を手で押さえ、僕はモルガーナのことを睨みつける。
――本当に、やっぱり魔女だな。
数百年、一〇〇〇年近い時間を生きてきた魔女、モルガーナ。
闇のような黒いタイトなスーツを纏い、深淵の色のような髪をたなびかせる彼女の放つ雰囲気は、元々は人間だったと思えないほどの、イドゥンに感じたものに似た圧力を感じる。
紅く塗った唇の片端をつり上げて笑い、美しいという言葉が似合うほど整った顔立ちなのに、邪悪さを隠さないその紅い瞳が、彼女を人間以外の、魔女であることを主張していた。
ここまで来て、物怖じはしていられない。
ちらりと目線だけ振り返ってみんなに頷いて見せた僕は、一歩大きく前に踏み出した。
「封じてるエイナの意思を解放しろっ、モルガーナ! エイナはエリキシルソーサラーだろう! 彼女自身の意思で戦うべきじゃないのか!!」
「必要ないわ。これは私が造った人形だもの。最初から、貴方たちの全員を打ち倒すための、私の手駒よ。意思など不要なの」
叫ぶように放った僕の言葉に、モルガーナは張り上げるでもないのによく聞こえる声で返答する。
モルガーナの足下に立つ、身長二〇センチのエイナは、僕たちの声に反応する様子もない。
「それに貴方と同じでしょう、克樹君。私は私の造った妖精を使って戦う。貴方も貴方の妖精で戦うのでしょう?」
「……百合乃は、僕の妹だ!」
莫迦にしたように顎を反らして笑うモルガーナは、エイナの意思を解放する気はないようだった。
「前置きはそれくらいでいいでしょう。いまさら私と貴方の間で、話し合うことなどないのだから。――アライズ」
静かな声でモルガーナが唱え、エイナがピクシードールからエリキシルドールへと巨大化する。
見た目には長剣と短剣を左右に提げ、ピンクを基調としたハードアーマーとステージ衣装を組み合わせたような、可愛らしい格好のエイナ。
しかしその顔に表情はなく、文字通り人形のような目で、僕のことを見つめてきている。
『おにぃちゃんはエイナさんとしがらみがあるみたいだけど、あたしにはないから、叩き潰すつもりでいくからね』
『構わない。そうでないと、こっちがやられる』
通信で声をかけてきた百合乃に答え、僕は被っていたスマートギアのディスプレイを下ろした。
「アライズ!」
立ち上げたエリキシルバトルアプリに向かって唱えると、肩にあった微かな重みが消えた。
光を纏ってヘリポートの床に着地した百合乃。
弾けた光の中から現れたのは、一二〇センチの身長を持ち、空色のツインテールを左右に垂らして、同じ色のハードアーマーに身を包んだエリキシルドール、アリシア。
モルガーナがヘリポートの端まで下がったのを確認し、僕は叫んだ。
「戦闘開始だ!!」
*
戦いは、静かに始まった。
エイナは長剣を、百合乃は太刀を抜き放ち、それぞれに両手で持って構える。
――半端な妖精如き、さっさと潰してしまいなさい。
腰を落として距離を測るようにじりじりと横に動いている二体のドールを見つめ、ヘリポートの腕を組みんだモルガーナは心の中で悪態を吐いていた。
人工個性にエリクサーを使われ、大量に消滅してしまった。
それでもフォースステージの力を保つ克樹のドール。
決して侮っていい相手でないことは、モルガーナもわかっている。
けれども百合乃の方は、攻めあぐねいている様子が見て取れた。
モルガーナの知る百合乃の戦法は、先攻を好む積極的なもの。元々の人工個性ならばともかく、人間からエリキシルドールになったことで、自分の力を測り切れていないのが明らかだった。
対するエイナには、不測はない。
エイナによって防御寄りに調整されていたバトルアプリの設定は、好戦的なものに切り換えたし、ボディなどのセッティングもフォースステージに最適化している。
前回よりも一段も二段も強くなったエイナが、復活し損なった妖精紛いの人間に負けることなど考えられなかった。
――それに……。
互いに立ち止まり、緊迫した糸が徐々に張り詰めていくドールからわずかに視線を外し、モルガーナは克樹たちが立っているエレベーター室のさらに奥、建物の外側の影を見る。
そこにいるのは、顎から頬にかけて火傷の跡がある男。
いままさに始まろうとしている激しい戦いに、克樹たちは火傷の男の存在に気づいてはいない。
――役に立ってくれれば良いのだけれど。
いまはまだタイミングではない。本当に役に立つかどうかもわからない。
しかし彼には最後のチャンスを与えたのだ、やれるだけのことをやってもらわなければ困る。
――もし、それでどうにかならなかったら?
そんなことを考えてしまったモルガーナは、密かに唇を噛む。
人工個性を持っていることで、多少なりとも注目していた克樹。
しかしここまで勝ち残ることは想定していなかった。
そしていまの彼の力を予想することは、モルガーナにもできなかった。
特異点と言える克樹の力は、おそらくイドゥンの導き。
自分が見たい戦いが展開されるよう、女神によって調律された強さだ。
――けれど、勝つのは私。私はこの戦いを、我が女神に奉ずるわ。
想いとともに拳を固めたモルガーナは、エイナに指示を飛ばす。
「行きなさい、エイナ! その出来損ないを倒しなさい!!」
*
モルガーナの指示の声とともに床を蹴ったエイナは、真っ直ぐに百合乃の元に跳ぶ。
剣速が音速に接近し、衝撃波を伴う長剣による斬撃を、百合乃は反撃せずに一歩下がって範囲から逃れる。
さらに大きく一歩踏み込んで天頂から振り下ろされてくる長剣を、百合乃は身体を捻って紙一重で躱し、下段から太刀を浴びせかけた。
人間の目には大きな挙動は捉えられても、細かな動きまでは確認できないほどの高速な動き。
しかし、フォースステージのエリキシルドールの戦いとしては、まだまだ余裕の速度だった。
「戦え、戦え。存分に戦え」
そうつぶやき、エイナと百合乃の戦いを空中から見下ろしているのは、イドゥン。
生前の百合乃の姿をした女神は、口元に笑みを貼りつかせながら二体の妖精の戦いを眺めている。
前回の戦いと違い、積極的に前に出て攻撃を仕掛けてくるエイナ。
対する百合乃は、防戦に追い込まれている状況となっていた。
けれども戦いはまだ序盤。エイナも百合乃も、全力を出し切ってはいない。
「さぁ、もっとだ。もっと激しく戦え。激しく想いをぶつけ合え。最高の戦いを捧げてみせろ」
歯を剥き出しにし、イドゥンは嗤い声を漏らした。