神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 第一章 4

 

       * 4 *

 

 

 まるで墳墓の中にある玄室のような黒光りする壁に囲まれ、淡い照明が降り注ぐだけの部屋の中で、その女性は顔を顰めていた。

 部屋の中央にはベッドにできそうなほどに大きな、やはり黒光りする表面を持つ台が置かれ、決して広いとは言えないスペースを占有していた。

 台に左手を軽く着きながら立ち、右手にスレート端末を持つその女性は、部屋の薄闇に溶け込むような黒いスーツを着、黒い髪を背に流し、しかし紅い唇と光を放っているような白目に囲まれた闇よりも深い瞳だけが、鮮やかに浮かび上がっていた。

 モルガーナは、物音ひとつしないそこで、スレート端末に表示された情報を一心に読み取る。

 カルテのような書式で書かれたその情報にあったのは、中里灯理の名前。

 細かに書かれた内容を時折スクロールしながら読み取り、ひとつ大きなため息を吐き出し、スレート端末を台の上に放り出した。

「もうひとつ予備があればと思ったのに、あれだけ希有な能力となると、なかなか見つからないものね。時間もさほどないし、このまま進めるしかなさそうね」

 目尻にシワをつくりながら唇に軽く折り曲げた指を添え、誰に言うでもなく呟いたモルガーナ。

 気を取り直したように顔を上げた彼女は、右手を台の上にかざした。

 それまでただ黒光りする平面でしかなかった台の上に浮かび上がったのは、広さいっぱいの日本地図。

 どこからか投影されたわけでもないのに、わずかに台の表面が透過して見えるその地図は、山々の起伏や市街地らしき場所の様子も細かいながらも再現され、それどころか上空の雲すらも描かれていた。

 そして、二十ほどの紅い光点が、ひと際光を放ちつつ点在している。

 光点の大きさにはばらつきがあり、他に比べて巨大とも言える光点がふたつあった。

 東京付近にある光点は、全部で五つ。

 他のものよりも小さい、最小の光点が四つと、巨大な光点のひとつが、近い距離に集まっている。

「あら? あの子も頑張っているのね」

 ふとわずかに上げたモルガーナの視線の先には、北関東に位置するもうひとつの巨大な光点があった。

 その光点には小さな光点がすぐ側にあって、いままさにロウソクの炎のように光を揺らめかせていた。

 見ている間に小さな光点は、巨大な光点に取り込まれるように消滅した。

「宣言通り、好きにやっているようね」

 それまであった、まさに魔女と言うべき人間とは隔絶した雰囲気を纏っていたモルガーナは、そう呟くときに微かに、ほんの微かに人間味のある笑みを口元に浮かべていた。

「さぁ、克樹君。次は貴方の番よ」

 広いとは言え、台の上に映し出された日本全体を映した地図では、光点ひとつひとつの動きはわからない。

 しかしモルガーナには、東京付近にある巨大な光点が、他の四つの光点を飲み込もうと接近しつつあるのが見て取れた。

「最強の敵を相手に、貴方たちはどう戦うのでしょうね?」

 先ほどの人間味のある雰囲気を消し去り、魔女と呼ばれるにふさわしい空気を取り戻したモルガーナは、唇の片方をつり上げて笑む。

 そのとき、巨大な岩を叩いたような音が小さく響いた。

「入りなさい」

 右手を振って地図を消したモルガーナがそう声をかけると、壁そのものが動くかのような音とともに、それまで扉すらなかった部屋に入り口が開いた。

 入ってきたのは、ひとりの男。

 高いはずの背を丸め、肩も小さく竦めて両手を擦り合わせるように組んでいる男は、下から見上げるようにしてモルガーナの正面に立つ。

 青年と言うには老け、初老と言うにはまだ若い男の首筋から頬にかけては、火傷のものらしい跡が、薄暗い部屋の中でも浮かび上がっていた。

「そろそろ時間です」

「そう。わかったわ」

 虫けらを見るような目で男を見つめ、モルガーナは放り出していたスレート端末を小脇に抱えて部屋の外へと向かう。

「そう思えば、あの小娘はどうするので?」

「小娘? あぁ、中里灯理のこと」

 外に先導するように立つ男の言葉に、モルガーナは嫌悪が籠もった視線を向ける。

「使うには能力が足りないようだから、放棄するわ」

「ならば、ぼくの好きにしてしまってもよろしいので?」

 それまで濁っていた男の瞳に光が宿り、口元がだらしなく緩んだ。

 人間離れした魔女と言うべき空気を、背筋が凍るような冷気に変え、しかしモルガーナは男に言う。

「えぇ、好きにしても構わないわ」

「へへへっ。だったらこれはぼくへの報酬ということで、またお願いしますよ」

「私はいいけれど、ヘタすると死ぬわよ、貴方」

「へっ?!」

「前に話したでしょう、音山克樹のことは。中里灯理は彼と接触したわ。ヘタに貴方が接触しようとしたら、逆に襲われることになるわよ」

「それはイヤだっ。絶対にぼくは死にたくないっ。絶対に、絶対に死にたくない……」

 下卑た様子をかなぐり捨て、男は両腕で自分の身体を抱き締め小刻みに震え始めた。

「そう。それならば、近づかないのが賢明でしょうね」

「ううっ、うううぅぅぅ……」

 恐怖と悔しさの表情を交互に見せる男に顎をしゃくり、外に出るように促すモルガーナ。

 玄室の中を振り返った彼女は、いまはもう地図を写していない台の上に視線を走らせた。

「期待しているわよ」

 紅い唇を大きく歪ませた直後、扉は重々しい音を立てて閉じた。

 

 

          *

 

 屋敷のダンスホールに持ち込んだソファに座る平泉夫人は、側に置いたカートの上のティカップをソーサーごと取り、静かに紅茶をひと口飲む。

 照明は煌々とホールを照らし出していたが、少し前ならばこの時間そろそろ暗くなってきていた窓の外からは、まだ赤くなり切らない陽射しが差し込んできていた。

 黒の落ち着いたワンピースを身につけた夫人が眺めるホール内には、克樹が来るときのようにピクシーバトル用のリングは設置されていない。

 夫人が座るソファと側のカートの他にはとくに何もなく、ダンスで動き回っても大丈夫なくらいのがらんとした空間が広がっているだけだ。

「失礼いたします。お連れしました」

 そんな芳野の声の後、窓とは反対側の中央にある大扉が開かれた。

 深緑の地味なエプロンドレスを纏う芳野にエスコートされて入ってきたのは、ひとりの少年だった。

「お久しぶりね、猛臣君。二年ぶりくらいだったかしら?」

「ご無沙汰しています。敦子さん」

 カップをカートに置いて立ち上がった夫人の前に立ち、猛臣は格式張った礼をする。

 顔を上げて猛臣と交わした視線で、夫人は彼の用事が予想していたものに間違いないと確信した。

「突然どうしたのかしら? 今日は平日よ。学校は大丈夫なの?」

「もう三年で、うちの高校は自由登校のような感じになっているので大丈夫です。今日は自分の車でドライブがてら、近くに寄ったもので、もしいらっしゃったらと思いまして」

 もう十八歳である猛臣が免許を持っていることも、免許を取る前から公道上ではないだろうが、運転の練習をしていたと思われることは不思議に思わなかったが、近くに寄ったからという言葉については嘘であることに気づいていた。

 猛臣は関西方面ではよく知られた旧家にして資産家家系の生まれ。血筋なのか家系の者の多くが政治や経済、研究分野などの才能に恵まれ、彼自身も中学の頃から才能を発揮し始めた。

 会ったことがあるのは二度。まだ彼が幼い頃に家同士のつき合いで一度と、つい二年前に、SR社が主催したパーティの席でだった。

 主にスフィアドールなどの先端技術に関する方面との関わりが深い平泉夫人に対して、猛臣の家である槙島家は不動産や輸入関係の事業との関連が深いため、利害の対立も協力をすることもほぼなかったが、猛臣の話はよく耳にしていた。

 彼はいま、SR社で技術者として参加し、人工筋やフレームの開発に携わっている。彼のアイディアや研究は多くが採用され、スフィアドール業界で彼の名前を知らぬ者はいないほどの有名人だった。

 そんな彼が今日屋敷に訪れたのは、決してスフィアドールのことや、世間話をしに来たわけではないと、夫人にはわかっていた。

「それで、今日はどんな用事なのかしら?」

 克樹よりももう少し背が高いと言っても、高身長というわけではない猛臣を見下ろし、夫人は若干語気を強めて言った。

「たいした用事じゃないですよ。……貴女の、エリキシルスフィアをもらい受けに来た」

 丁寧だった口調を崩し、挑発的な視線を返してくる猛臣は、それまでの澄ました顔をやめた。

「やっぱりね」

「貴女はあのスフィアを受け取ってる。それに最愛の旦那を亡くしてる。参加してないわけがない。貴女は旦那の復活を願ってエリキシルバトルに参加してるはずだ」

「そう言う貴方の願いは、やっぱり穂――」

「うるせぇっ!!」

 夫人の言葉を遮り、猛臣は歯を剥き出しにして怒りを露わにする。

 つかみかからんばかりの剣幕に、芳野が割って入ろうとするのを手で制し、一歩近づいて彼を見下ろす。

「けれど残念ね、猛臣君。私はエリキシルバトルには参加していないのよ」

「嘘吐け! 安原と平泉の家を捨ててまで一緒になった旦那を生き返らせたくないわけがないだろ!!」

 顔を真っ赤にしてまで怒りを発してくる猛臣に、夫人は思わず口元に笑みを浮かべていた。

 ――本当に若いわね。あの子と同じように。

「本当よ。エイナに誘われはしたけれど、参加しなかったのよ、私は」

「まさか、そんなことが……」

「大人には大人の事情というものがあるのよ、猛臣君」

 言って夫人はカートの中段からアタッシェケースを取り出し、開いた。

 中に入っていたのは彼女のピクシードール、闘妃。

「これがあのとき贈られたスフィアを使ってるドールよ。確認する方法があるのかどうかはわからないけれど、これにはエリキシルバトルに参加するための能力は備わっていないわ」

 上着のポケットから携帯端末を取り出した猛臣の顔は表示を見て驚きに染まった。

 顔を上げた彼は、そのままの表情を夫人に向けてくる。

「……もし、参加してないとしても、念のため回収したい。買い取らせてもらえないか?」

 さきほどまでの勢いを失った猛臣の提案に、夫人は小首を傾げながら考え込む。

「金額的にはさほど高いもののようには思えないのだけれど、これはスフィアカップに参加した、ある意味で記念の品なのよ。それに、私は買い取ってもらわなくても、それほどお金には不自由していないから……」

 猛臣に言っているというより、考えていることを言葉に出しているように言い、夫人はどうするかを考える。

「だったらこういうのはどうかしら?」

「いったい何だ?」

 思いついたことに手を叩き、にっこりと笑う平泉夫人は不審そうな顔をする猛臣に提案する。

「参加していないから詳しいことは知らないのだけど、エリキシルバトルはスフィアを戦って集めるものなのでしょう? だったら、戦って決着をつけるというのは?」

「……別に、構わないぜ」

 わずかな時間、驚いた顔をしていた猛臣は、口元に笑みを浮かべ、最初に部屋に入ってきたときの余裕を取り戻した。

「だけどどうするんだ? 俺様が勝ったらあんたのスフィアをもらうが、参加者じゃないんだったらエリキシルスフィアを俺様から奪っても仕方ないだろ?」

「確かにその通りね」

 対戦相手と認めたからか、すっかり敬意の欠片もなくなった猛臣に、夫人は口元から零れそうになる笑みを抑えながら言う。

「私が勝ったときは、他人には必ず敬意を持って応対することを徹底する。それからもうひとつ」

「あぁ」

「私の願いを、ひとつだけ何でも聞く、というのはどうかしら?」

 一瞬渋い顔になった猛臣だったが、どんな考えに至ったのか、軽く鼻を鳴らした後、提案を受け入れた。

「それで構わないぜ」

 負ける気は少しもないらしい猛臣は、両手を腰に当てて顎を反らして笑みを深める。

「ではリングの設置を――」

「いいえ。待って頂戴、芳野。これはもしできたらという提案なのだけど、せっかくエリキシルスフィアに関わる戦いなのだから、エリキシルバトルで決着をつけるというのはいかが?」

「エリキシルバトルで? だがそっちのスフィアはアライズできないだろう?」

「そうね。でもたぶん、可能だと思うのよ。バトルのことを少しは知っているけれど、部外者の私がエリキシルバトルをやっても大丈夫かどうかが、気になるのだけれどね」

「それは……、大丈夫だけど。前にも取り巻きを連れてた奴はいたし……」

 何度もバトルを経験しているらしい猛臣は、表情を曇らせつつも考え込む。

「いや、たぶん大丈夫だ。それくらいのことで参加資格を失ったりはしないだろ。俺様も興味がある。どうすればいい?」

「ではドールを床に立たせてもらえる?」

「……わかった」

 不審そうに目を細めつつも、猛臣は肩から提げた大きな鞄を開き、黒いヘルメット型のスマートギアとともに、アタッシェケースを取り出した。

 スマートギアを頭に被り、携帯端末ではなく、鞄の中にケーブルを接続した彼は、アタッシェケースからドールを出して顔が薄く映るほどに磨き上げられた木の床に立たせた。

 同じようにワインレッドのスマートギアを被り、芳野の手で床に立たせた闘妃とリンクした夫人は、猛臣のドールの前まで歩かせる。

「両手を出して頂戴。そう、そんな感じで。リンクが確認できたら、お願い」

 予想するまでもなく、第五世代フレームを使った猛臣のドールには、手の平に外部武装操作用の接続端子が設置されている。闘妃にも設置されているそれを、お互いに伸ばした両手を握り合わせて接続した。

 それは少し前に、克樹が来たときに話していたことから想像した方法。

 同時にふたりの敵を相手にするのではなく、デュオソーサリーのことを気にしていた彼の様子から、そのときの敵はひとりで、ドールは二体なのだと想像していた。

 だからこの方法で、大丈夫のはずだった。

「……アライズ!」

 何かを籠めるように一拍間を置いた後、猛臣はそう唱えた。

 彼のドールと一緒に、光に包まれた闘妃。

 目が開けていられないほどの眩しさにスマートギアのダンパー機能が発動して暗くなった視界。弾けた光から現れたのは、身長百二十センチほどとなった闘妃だった。

 ――なるほど、やはりね。

 カメラアイからの映像をサブの視界にし、平泉夫人はピクシードールからエリキシルドールへと変身した闘妃を眺める。

 それから、手を離して距離を取った猛臣のドールを見つめた。

「貴方のデザインするドールは、本当に美しいわね」

「褒めても何も出ないぜ」

 まんざらでもないらしく、ヘルメット型スマートギアから覗く唇を少しつり上げて笑う猛臣。

 まだ構えを取らず、闘妃と対峙する彼のドールは、黄金色に輝いているように見えた。

 白いソフトアーマーの上に光沢のある黄土色のハードアーマーを纏うそのドールは、手足の太さやハードアーマーが覆う面積からスピードタイプのように見えた。

 装飾に見える肩や腰から伸びるアーマーは、決してただの装飾ではないだろう。大小の剣を腰に佩くそのドールの金色の髪は、少し高い位置で結い、ポニーテールにまとめられて背中へと流れている。

 スフィアロボティクスでは主に内部パーツに使われる素材の開発を行っている猛臣だが、自作のドールのデザインも自分でやっている。

 彼のデザインするドールは、どれも美しく、人を寄せつけない神々しさを放っている。いまはそれが、アライズによってさらに強化されているように夫人には思えていた。

「私のドールは闘妃。貴女のドールの名前は何と言うの?」

「イシュタル」

 誇るでもなく何かを主張するでもなく、素っ気なくメソポタミアの豊穣の女神の名を告げる猛臣。

「そう。いい名前ね」

 ――似ているわね。

 声には出さず、百二十センチと、子供程度のサイズのエリキシルドールを眺めながら、夫人はそう感じていた。

「これがエリキシルバトルに参加したときに得られる力なのね」

 ソフトアーマーとハードアーマーを混在させた特殊な黒い外装を纏う闘妃をホールの中央に移動させながら、平泉夫人は猛臣に話しかける。

「他にもあるが、これがエリキシルドール。これから始まるのがエリキシルバトルだ」

 夫人の側から離れ、ホールの反対側の壁沿いに立った猛臣は、部屋の中央近くにイシュタルを移動させた。

「さっさと終わらせよう。俺様は忙しいんだ」

「そうね。始めましょう」

 スマートギア越しに芳野に視線を飛ばし、彼女にゴングの準備をさせる。

 ――これが貴方がやっている戦いなのね、克樹君。

 すぐに勝って終わらせるつもりらしい猛臣は、イシュタルの長剣のみを抜かせて、腕を下ろしたままで構える。

 闘妃のカメラアイをメインにし、左右の長い刀を抜いた平泉夫人。

 見えるものはスケールの違いだけで、普通のピクシーバトルと同じように思える。

 けれど少し動かしただけでも、闘妃の運動性能などがピクシードールだったときとは違ってきていることに、夫人は気がついていた。

 そして小柄ながらも、ドールとの一体感は、エリキシルドールの方が高いように思えた。

 ――猛臣君相手なら、真面目に、全力でやっても大丈夫そうね。

 自然と口元に笑みが浮かんでくるのを感じながら、平泉夫人はゴングが鳴った瞬間、両手に持った刀を光に変えた。

 

 

          *

 

 

「うはっ……」

 止めていた息を吐き出して、僕はフローリングの床にへたり込んだ。

 別に身体を使って運動してたわけじゃないのに、集中力が途切れた僕は肩で息をして、立ち上がる気力も湧いてこない。

 リーリエに手伝ってもらってソファやテーブルをどかして広くしたLDKで、アライズしたアリシアもまた、尻餅を着く形で脚を投げ出して座り込む。

『おにぃちゃん、やっぱりこれ、長い時間はきついよぉ』

「そうだな」

 リーリエもまたアリシアをコントロールしてただけなのに、疲れたような声を天井にあるスピーカーから発していた。

 僕はいま、リーリエとともに新しい戦法を試してみていた。

 今日、灯理と一緒に行ったPCWで、注文していたパーツの残りを受け取ってきた僕は、慣らしも充分じゃなかったけど、ショージさんに頼んでいたアプリも先週来ていたので、早速試してみたくなった。

「三十秒も保たないか」

 スマートギア内のストップウォッチの表示は、新戦法の発動から停止までの時間が、三十秒をわずかに欠ける数字で止まっている。

 HPT社の試作用フルスペックフレームを使い、サブフレームはこれまで以上に強度と滑らかな動きを重視して選び、人工筋も必殺技使用時のポテンシャルを一番に考えながら、新しく発売された性能の高いものを取りつけていた。

 アリシアにはいまのところ何も問題はない。

 強いてあるとすれば人工筋の慣らしが充分でないことと、新戦法使用時の劣化進行速度が速いことくらい。

 問題があるのは僕と、そしてリーリエの集中力。

 それから僕たちの呼吸の合い具合だった。

『はい。おにぃちゃん』

「ありがと、リーリエ」

 僕が息を整えてる間に、リーリエはキッチンに準備してあったコーヒーを保温マグカップに注いで持ってきてくれた。

 牛乳もたっぷり入ってるコーヒーを、床に座り込んだままひと口飲む。

『もっともっと練習しないとダメだねぇ』

「そうだな」

 僕の隣に体育座りをするアリシアでにっこりと笑いかけてくるリーリエに、僕も笑みを返した。

 まだ名前もつけてない新戦法は、とにかく僕にもリーリエにも集中力がいる。そして何より、慣れが必要だ。

 できればリラックスしててでも使えるくらいに。

 それはそれで何か別の問題が発生しそうな気がしないでもなかったけど、もっと練習が必要なことは確かだった。

 ――これが使えるようになれば、この先で戦う敵にも勝っていけるかなぁ。

 いまのところ僕はもちろん、リーリエだって平泉夫人には一度も勝ててない。スフィアカップ準優勝の夫人レベルの人くらいには勝てないと、エリキシルバトルを勝ち抜いてきた相手に勝てる気はしない。

 夫人にも言われてる通り、僕にはバトルソーサラーとしてたいした才能はない。

 まだまだ成長途中のリーリエに対して、今後は僕が足手まといになりかねないと思っていた。

 そうならないために、そして僕というソーサラーと、リーリエというソーサラーのふたりがいるという利点を活かすこと。

 それが新しい戦法の骨子だった。

『夏姫、大丈夫だったかなぁ』

「どうしたんだよ、いきなり」

 突然呟くように言うリーリエの言葉に、コーヒーを飲み干して立ち上がった僕は訊ねる。

 一緒に立ち上がったアリシアが、僕の顔を見上げる。

 約百二十センチと、死んだ頃の百合乃に近い身長の、アライズ状態のアリシア。

 けっこう髪が短かった百合乃と違って、スフィア冷却用に水色のツインテールが頭の左右から伸びているアリシアに、リーリエは心配そうな曇った表情をさせた。

 百合乃の記憶はなく、でもあいつに雰囲気も性格も似ているリーリエが、アライズしてるアリシアを操ってると、時々百合乃が目の前に現れたんじゃないかという錯覚を覚える。

 ――そんなはずはないんだけどな。

 これまでとそれほど外見が変わらないアリシアは、白いソフトアーマーに水色のハードアーマーを纏った、明らかにスフィアドールだ。

 それなのに僕は本当に時々、アリシアが百合乃のように見えることがあった。

『今日別れるとき、夏姫が凄く怒ってたなぁ、って思って』

「……そうかも知れないな」

 校門のところで灯理に引っ張られて夏姫と別れたとき、彼女はけっこう怒ってる様子だった。

 何かと僕に近づいてくる灯理がいると、いつもそんな感じではあったが。

『灯理のことも別に嫌いってわけじゃないけど、ずるいんだもん。おにぃちゃんとあたししかいないときはそんなでもないのに、夏姫がいるときだけおにぃちゃんにベタベタしてくるし。夏姫に意地悪してるみたいで、あれはイヤ』

「あー。そんな感じはあるな」

 思い返してみると、灯理にはリーリエが言ってるようなところがあった。

 彼女とのバトルに決着がついて以降、そんなに積極的ではなくなった灯理。それでも隙を見せると不意打ちを食らうから注意は必要だけど、彼女の方も僕が押し倒したくなるような隙をつくることはなくなった。

 それなのに夏姫がいるときに限って、灯理は僕に身体をくっつけてくる。

 これまで意識してなかったけど、リーリエの言う通りだった。

 ――そんなことより、いまはエリキシルバトルだよね。

 新戦法を使えるようにしないと、これから先のバトルで勝ち残れないような予感がしている。

 夏姫も灯理も可愛いと思うし、たまに欲望のままに襲いかかってみたくなるようなことだってあるけど、そんなのはエリキシルバトルが終わってからでもいいと、僕は最大限の理性を発揮していた。

 エリキシルバトルも中盤戦に入って二ヶ月ほど。

 もしかしたら年内には終わるかも知れないバトルの方が、僕の願いを、復讐という願いを叶える方が、いまの僕には重要なことだ。

 ――でも、それが終わった後は?

 ふと、そんな考えが浮かんで、僕は何も考えられなくなる。

 不思議そうに小首を傾げながら僕の顔を覗き込んでくるリーリエに何かを言おうと思うのに、言葉が浮かんでこない。

 バトルが終わった後、自分がどうするかなんて考えられなかった。

 一応夏姫とはキスの予約をしてるわけだけど、バトルが終わった後、勝って願いを叶えるにしても、負けて叶わないにしても、自分がどうなってるか想像できない。夏姫や灯理とどんな関係になってるのか、思い描くこともできない。

 ――いまは考えるのはやめよう。

 どうなるかわからないバトルの行く末なんて、想像するだけ不毛だ。

 もう一杯コーヒーを飲んでから練習を再開しようと思って、カップを持って僕はキッチンへと向かう。

『ねぇ、おにぃちゃん。夏姫に電話でもしておく?』

「何て言うつもりだよ」

 後ろに着いてきたアリシアに向かって、僕は呆れて返事をしていた。

 この時間であれば夏姫はもうバイトを上がって家に帰ってくる頃合いだけど、灯理とやり合うのはここのところの恒例だ。わざわざ電話をかける必要があることのようには思えなかった。

「明日はここに集まる予定なんだから、大丈夫だろ」

『ん……。そうだね』

 納得し切ってはいないようにアリシアの顔をうつむかせているリーリエ。

 キッチンに入ってコーヒーメーカーのジャグからカップに注ぎながら、僕は今日最後に見た夏姫の顔を思い出していた。

 怒ったような表情で、でも寂しそうに少し揺れている彼女の瞳。

 ――いまはあいつ、何をしてるんだろうな。

 あの古びたアパートにいるだろう夏姫のことを、僕は何となしに想っていた。

 

 

          *

 

 

「んーっ」

 制服を脱いでハンガーにかけた夏姫は、ブラウスのボタンを外しながらうなり声を上げた。

 アルバイト先の喫茶店のまかないで夕食を食べてきたので、あとはシャワーを浴びて、期末試験に向けた勉強をできたらして、眠るだけだった。

 開いた胸元から覗くのは、可愛らしくて気に入っているのに誰に見せる予定があるわけじゃないブラジャー。最近少しキツくなってきたピンクのそれを見下ろし、もう外に出る予定もないか、と思う。

 喫茶店を出たときにはまだ少し明るかった空は、もうすっかり暗くなり、カーテンを引いた窓の向こうは暗い。

「まぁいいか」

 そろそろ蒸し暑さを感じるようになってきた部屋で、エアコンをまだ使いたくないと思う夏姫は、寝るときにも使っている大きなサイズのTシャツをローチェストから取り出し、ブラウスの代わりに頭から被った。

「先に復習やっちゃうかぁ」

 五月の実力テストの追試以降、ちょくちょく勉強を教えてもらっている克樹からは、予習はともかく復習はするように言いつけられている。

 その成果が徐々に出ているのか、以前に比べて授業の内容も小テストなどもわかるようになってきていた。

 鞄からヒルデを取り出して充電台に置き、授業用のタブレット端末も取り出して電源を入れた夏姫だったが、ため息をひとつ漏らして頬杖をついた。

「克樹の奴、何考えてんだろ」

 校門のところで灯理に胸を押しつけられていた今日の克樹。

 顔こそ引きつっていたが、嫌がったり振り払ったりする様子はなかった。

 灯理は夏姫の目から見ても勝負にならないほど可愛く、あんな風にされたら嫌がる男子はいないだろうとは思う。

 ――でも克樹、アタシとはキスの約束もしてるでしょ。

 下唇を人差し指で撫でる夏姫は、優柔不断な克樹に鼻から息とともに不満を吐き出していた。

「でもあれは、アタシも悪かったかもなぁ」

 約束はしたけれど、果たされいない彼とのキス。

 あれ以降はそんな感じのシチュエーションにならなかったのもあったが、そのときに言った「責任を取ってもらう」という言葉を、彼が思っていた以上に重く受け止めている様子もあった。

 ふたりきりになると、それまでと違ってぎこちなさを感じることがある。

 ――そこまで真面目に言ったことじゃなかったんだけどなぁ。

 気持ちや理性よりも、欲望や勢いが暴走している雰囲気があった克樹を冷静にさせるための言葉だったが、妙なところで真面目な彼は、あの言葉を真正面から受け止めているのか知れなかった。

「一回ちゃんと話した方がいいかな?」

 そう呟く夏姫だったが、どういう意味で、どう説明するかを想像して、恥ずかしくなって両手で顔を覆っていた。

「あー、そっか。あのことも話さないと」

 彼女が視線を飛ばした先にあったのは、握りつぶされた紙片。

 槙島猛臣と名乗った彼が無理矢理渡してきた名刺だった。結局捨てられずに持ってきてしまっている。

 アルバイト中は連絡できず、疲れて家に帰り着くまでは連絡することも忘れてしまっていたが、新しく現れたエリキシルソーサラーのことは、克樹はもちろん灯理も近藤たちにも早く連絡しておいた方がいい。

「そうだよね。早く知らせておかないと」

 発する雰囲気だけなら相当の強敵らしい猛臣。

 近藤のときや灯理のときがそうであったように、彼との戦いも激しいものになるかも知れなかった。

「よしっ」

 気合いを入れた夏姫は、机の上の携帯端末を手に取った。

「え?」

 それと同時に、着信音が鳴り響いた。

 表示されているのは見知らぬ番号。携帯端末ではなく、市外局番からすると、都内ではない近県からの着信。

 深夜というほどではないが、何かの営業といった電話がかかってくるには遅い時間、夏姫は通話をしてくる相手を予想することができなかった。

「……はい」

 何となく嫌な予感がした夏姫は、恐る恐る応答ボタンをタッチし、携帯端末を耳に寄せた。

『よかった。浜咲夏姫さんのお電話でしょうか?』

「はい。そうですけど……」

『こちらは――』

 隣県の病院を名乗る女性からの電話。

 話の内容を聞き、夏姫の表情は驚きに変わり、そして凍りついていく。

「嘘、ですよね?」

『いいえ、本当です。今日はもうこんな時間ですから、できたら明日、こちらに来てください。もしできたら――』

 まだ話を続けている女性の言葉に、半分無意識にタブレット端末でメモを取る夏姫の瞳からは、光が失われていっていた。

 

 

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