SERN……
俺はその単語を聞いて2010年の出来事を急速に思い出した。
Dメールや電話レンジ、それにまゆりの死のことも。
強烈な感情が渦となって俺の中に押し寄せてくる。
感情が爆発しそうだった。
全ての元凶。
鈴羽が帰れないと分かっているのに片道切符の時空旅行を選ばざるを得なかった元凶。
感情の昂りに反比例するかのごとく俺の頭を急速に冷えていく。
「岡部さん。どうかされました?」
顔色が良くないですよ?と鈴羽は心配そうに俺の顔を覗きこんだ。
どうやら、俺はひどい顔をしているようだ。
顔を袖で拭うと嫌な感じの汗が袖についた。
「い、いや、なんでもない。それよりなんて書いてあるんだ?」
俺が大丈夫だ。と言った言葉を鵜呑みにしたのか分からないが鈴羽は画面に向き直った。
鈴羽は英語は話せないが一通りは読めるらしい。
「どうやら向こうもわざわざ英語で書き直してくれてるみたいで助かりました」
俺ではなんて書いてあるかさっぱりだが、鈴羽は時々頷いて見ていた。
「で、なんて書いてあるんだ?」
「えーとですね。単純に言うと、SERNで働かないかと誘われていますね」
なんでも私の論文の内容が興味を惹いたらしいですよ。と鈴羽は言う。
「SERNって確か表向きはタイムマシンは荒唐無稽だとか言ってますけど絶対作ろうと思っ
てますよね」
鈴羽はそこで、はぁ、とため息を吐いた。
「それで……どうするんだ?」
そうですねぇ……
鈴羽はパソコンの画面をスクロールしながら少し考える素振りを見せた。
「別に行っても構わないんですけどね」
給料だって向こうの方が良いはずですからと鈴羽は随分現金的なことを言った。
「それは……本気で言ってるのか」
俺の口調に違和感を感じたのか少し鈴羽は眉をしかめる。
「嘘じゃあないです。研究をしたいという気持ちがないわけではありません。それに同じく日本人として、鳳凰院凶真に参加を依頼したいってありますよ」
「なに?」
俺は言われて画面に食らいついた。
そこには、ずらずら英単語が羅列されている中に、ローマ字で「hououin kyouma」と書かれていた。
確かに俺が大学生の時に発表した論文は全て鳳凰院凶真の名前で発表していた。
ふざけているように聞こえるかもしれないが、意外とちゃんと理由があったりする。
論文を発表する際に秋葉に名前を隠してくれと言われていたのだ。
そこで俺の真名を使ったわけだ。
鳳凰院凶真が俺の真名というといつも鈴羽に、元の名前の方がかっこいいですよと言われていた。
「なんでも、岡部さんの理論は今の時代じゃ不可能かもしれないが将来性が感じられるって書いてありますよ」
俺の隣で見ていた鈴羽はそう付け加える。
「……」
正直個人的にはSERNに評価されても嬉しくないが、一科学者としてSERNに褒められるというのは悪くなかった。
「……さっきはああ言いましたが、私は行きませんよ」
その言葉に俺は鈴羽の顔を見た。
鈴羽は口を僅かに歪ませながらこう言った。
タイムマシンに興味ある連中が素晴らしいとは思えませんから。
ふふ。と鈴羽は笑う。
「そうか……」
俺は鈴羽の言葉に安堵の息を吐いた。
身近にあった椅子に腰をかける。
このわずか数分でかなり疲れた気がする。
俺にとって10年以上前の2010年の記憶。
もうSERNなど存在すら忘れかけていた。
元はと言えばSERNがいなければ俺はこの時代にくることはなかったのだ。
その奇妙な因果に一抹の不安を感じた。
「ちなみにですね。私の論文は少しひねくれてまして、肝心な所を少しぼやかして書いてます。だから鵜呑みにしてSERNが実験してもきっと失敗しますよ」
あぁ、でも嘘は書いてないですよ。と鈴羽は付け加えた。
「なに不安そうな顔してるんですか、岡部さんらしくない」
こんなものはこうしちゃいますから。そう言うと鈴羽はメールをゴミ箱にドラックして投げ入れた。
「こんなものは忘れちゃいましょ」
だから岡部さんも気にしないでくださいと鈴羽に念を押された。
「鈴がそう言うなら……」
そうだ。別にSERNがこの世界線で絶対悪というわけではないのだ。
「どうも2010年のSERNのせいで穿った見方をしているのかもな」
それじゃ。と言って俺は鈴羽の研究室を後にした。
大学から抜ける途中に見知った顔と目があった。
「確か牧瀬……くんだったか」
「はぁ、そうですが、何か?」
牧瀬はこの間のようないかにも大学生らしい格好をしていた。
「いや、なんでもない」
鈴羽と接している時とまるで正反対の応対だった。
露骨に敵意をむき出しにしている印象を受ける。
単に人見知りなのかそれとも知っているから敵意をむき出しにしているのだろうか。
「まさか…あんたは、橋田さんを狙っている機関の工作員なのか?」
牧瀬は俺を訝しむような眼で見つめた。
「は?」
俺はあっけにとられて間抜けな声を出した。
機関?工作員?どこかで聞いた気がする……
「何を言っているんだ?」
「とぼけても無駄だ。そうか、だからあんたはいつも橋田先生の近くにいるのか」
ちょっと待て。勝手に一人で納得している。
「橋田先生は渡さない。アインシュタインの弟子である宇宙を示す究極の形8を冠する中鉢の名に懸けて」
そう俺に宣言した。
「はぁ……」
俺はまだ呆けている。
「どうした?核心を指摘されて慌てているのか?今すぐ橋田先生の元から立ち去るのであるならば命だけは助けてやろう」
そう言って牧瀬はニヤリと口を歪めた。
あぁ、そうか。
なるほど。
コイツは、俺と同じなのか。
「ん?中鉢?」
そうだ。俺は中鉢だ。牧瀬はそう言ってニヤリと笑った。
「中鉢という名前はだな、我が偉大なる師匠であるアインシュタインが俺にタイムマシンの研究に危険が付きまとうからと言ってつけてくれた俺の真名だ」
牧瀬章一とは世を忍ぶ仮の名前にしかすぎない。と言っていた。
中鉢と言えば2010年に俺がインチキだと批判した相手ではなかったか。
それが牧瀬という名前……
「偶然にしては出来すぎてるな」
俺は笑いを噛み殺すように下を向いた。
そうか、そういうことか。
全く、あいつもこんな奴が親とは災難だな。
「何がおかしい」
俺が笑っているのを不機嫌そうに牧瀬は見つめる。
「よかろう。貴様が真名を名乗るならこちらも名乗らねばならないだろう」
どうやら鈴羽は俺たちみたいな変わり者に好かれるらしいな。
俺は2010年に戻ったような気持ちになる。
「俺の名は、フェニックスの鳳凰に院、それに凶悪なる真実とかいて凶真。鳳凰院凶真だ」
そう名乗って高笑いした。
白衣ではなくスーツなところが若干、年を感じさせた。
周りにいた学生が何事か一瞬こちらを振り向いたが、関わらないほうがいいと悟ったのだろう。
見なかったふりをして足早に歩いていった。
「どうやら、貴様と俺は時空を超えても対峙する運命にあったようだな」
そう言って指を指した。
今度は牧瀬が呆気にとられていた。
「そうか……貴様が鳳凰院凶真か」
ギリッと歯ぎしりする音が聞こえた。
「荒唐無稽な理論を発表する不届き者が其の名であることは知っていたがまさか貴様のような人間とはな」
フンっと牧瀬は鼻を鳴らした。
「良かろう。貴様をこの中鉢の好敵手として認めてやる」
そう言うと、牧瀬は立ち去った。
俺はその後ろ姿を見ながら、ふぅと溜息をついた。
「全く昔の俺がああいう風だったとは想像したくないな」
俗に言う黒歴史というやつか。
もしその時のムービーでもあったら俺は悶絶してしまうだろう。
話しているうちに分かった気がする。
あいつは鈴羽に恋をしている。
いくら恋愛に疎いと言われる俺でも理解できる。
恐らく叶わないとどこかで分かってながら。
だから、頻繁に質問をしにくるし、俺に対して敵意をむき出しだったのだ。
もしかしたら2010年の中鉢が発表したタイムトラベル理論はジョンタイターではなく、橋田鈴の論文を模したものではなかったのか。
約束通り物理学を学び、学会で発表し、ある程度の地位まで到達した牧瀬はタイムマシン理論に傾倒したのではないのだろうか。
自分の思いを寄せた師に教えを請うために。
「まぁ、俺には関係ないことだな」
所詮俺の妄想にすぎない。
それにその予感が当たっていようがいまいが、もうその世界線はなかったことになっているのだから。
「さて……秋葉の会社にでも戻るか」
そう言って俺は大学を出て会社の方へと足を進めた。