店の前が騒がしいので何事かとオヤジが現れた。
喧嘩かと思ったのか面倒臭そうに指をポキポキと鳴らしながら現れたのだが、騒ぎの主が俺達だと分かると、途端に相好を崩す。
「おう、兄ちゃん今日は、違う女連れてるのかい?」
あの子に言いつけてやるぞと笑った。
俺は、やめて下さいと苦笑しながらそう返した。
「あ、あの、岡部さん」
誰かが呼んだような声がして俺は声のした方を振り向く。
「あの、そのおめでとうございます」
秋葉の彼女さんはそう言ってぺこりと頭を下げた。
秋葉に伝えたのは今日の昼頃だったはずだから随分と速い情報の伝わり方だ。
「秋葉に聞いたんですか?」
俺がそう聞くと彼女はコクリと頷いた。
「その、秋葉くんが珍しくお昼に電話をしてきて、何事かと思ったらそのことを……」
「そうか…」
秋葉もなんの意図があってそんなことを伝えたんだろうな。
俺が考える素振りを見せた途端に不意に誰かから肩を叩かれて思考が一瞬停止する。
「まぁさ、積もる話もあるでしょうし、取りあえず中に入りましょうか」
そう言って俺と彼女の肩を掴んで秘書さんは暖簾をくぐる。
「大将、日本酒皆に」
秘書さんの声を聞くとオヤジはあいよと答えて人数分のコップとその中に液体を注いだ。
「だから、私はお酒は…」
どうやら彼女はお酒が苦手らしかった。
「相変わらず、お酒飲めないフリするのねアンタ」
秘書さんは彼女をジーと見つめる。
「初対面の人には自分がお酒弱い女の子って見せたみたいだけどそういかないから」
それまで彼女に向けていた視線を秘書さんは唐突に俺に向ける。
「岡部くん。実はあの子ってお酒飲むと軽く人格変わっちゃうんのよ」
「へぇ」
俺は適当に相槌を打った。
確かに、今の話ぶりを聞いていると秋葉にアーンと口を開けさせた人物と同一人物には見えない。
「だから、そういう余計なことを言わないで下さいよ」
俺達の会話を聞いていたのか、彼女は秘書さんの肩をゆらゆらと揺らした。
そこからは楽しい時があっと言う間に流れた。
最初に俺が告白したことを根掘り葉掘り聞かれ、少し酒が入ってきて少し人格が変わってきた彼女が秋葉との惚気話を話しだした。
その後、俺達二人の話を二人の間で聞いていた秘書さんが私も彼氏作ろうかなぁ……とぼやいていたのが印象的だった。
「それじゃ、俺はこっちだから」
明日も仕事があるので早めに解散することになった。
俺達三人は駅までは一緒だったがそこからは俺が独り違う方向だったのでそこで別れた。
彼女達もさよならと手を振って別れた。
帰り途俺はいつになく上機嫌で歩いていた。
気候もようやく残暑から解放され秋、そして冬に変化する季節が個人的には一番好きだ。
秋葉の彼女、下の名前の方は少し酔いが回っているせいか思い出せないが、確か副島さんとか言った気がする。
酒が入ると積極的になるみたいだったが、普段も可愛らしい容姿をしていたし、あの子に好かれている秋葉は幸せものだなと感じた。
道中、不意にコンビニに目が止まった。
どうも学生の時から酒を飲むとアイスを食べたくなってしまう。
俺は誘惑に負け、一番安いアイスを口の中に放りこむ。
冷たいバニラの味が、口の中に広がる。
一応鈴羽も食べるかもしれないと思い念のためコンビニでアイスを一本余計にカゴに入れておいた。
そう言えば、鈴羽は今日研究室の集まりだとか言ってたな。
まだ帰ってないのかもしれないな。
あそこの研究室の持ち主である教授は普段は研究室にいることがないので、こういう機会の時には話が長くなってしまうらしい。
以前鈴羽がそうぼやいていたのを思い出す。
まぁ、冷凍庫の中にでも入れておけばいいか。
「ただいまー」
案の定まだ鈴羽は帰ってきておらず、俺は誰もいない部屋の電気を点ける。
人気のない部屋というのは気温以上に寒く感じる。
俺はそんな気持ちを紛らわせるためにテレビの電源を入れた。
2010年ではデジタル放送になるからアナログにから替えて下さい。というCMが頻繁に流れていたが、この時代にそんなことはあるわけがなかった。
「鈴羽のやつ遅いな……」
俺は部屋に掛けてある時計に目をやる。
そろそろ十一時を過ぎる頃だ。
それまで余り鈴羽を待つことのなかった俺にはこの時間が随分長く感じられた。
「たらいま帰りましひゃ」
俺がテレビで11時の時報を聞いていた時不意にドアが開けられる。
その音に驚いて振り向くと鈴羽がふらふらになりながら帰ってきていた。
「おい、どうしたんだよ?」
「ふぁ?おかふぇさん。ただいま」
ぐにゃりと体を弛緩させたまま俺にぶら下がる状態になる。
ここまで酔う鈴羽を見たのは初めて見た。
とりあえず俺は鈴羽を壁にもたれさせた状態で座らせると、コップに水を汲んで持ってる。
「ほら、飲め」
鈴羽は首肯すると水を一気に飲み干す。
「ぷはっ。美味しいですね。このお酒」
だめだ。完全に出来あがっていた。
それでも鈴羽は水を飲んで一息ついたらしく、大きなため息を一つ吐いた。
「私はですね……幸せ者ですよ」
どこか遠くを見るような目をしながら鈴羽は語る。
「1975年に、何も知らない時代にやってきて、不幸なことに記憶を失った」
それでも私には岡部さんがいました。
鈴羽はそう言ってほほ笑む。
その笑顔に俺は言葉を失う。
「色々なことがありました……秋葉さんにも出会いましたし、それから大学にも行きました」
今じゃ私も大学の教員ですよ。ふふ。と鈴羽は何が面白いのか笑みを漏らした。
「そして、私は遂に岡部さんと……その結婚することになりました」
鈴羽は自分の左手の薬指に光るサファイアを見ながら、うっとりとした表情をしている。
どうにもまだ信じられませんがね。と俺を見ながら照れくさそうにはにかむ。
「今日は、研究室の飲み会だったんですけど、研究員の一人が目ざとく指輪を発見して、私を祝うパーティになったんですよ。しこたま、飲まされました。体育会系のサークルでもないのに」
鈴羽はビールに焼酎……と自分の飲んだ種類をあげていった。
「そこでですね。ふと昔のことを思い出したんですよ。2010年のことだと思いますけど、私の為に会を開いたことがありますよね」
「あ、あぁ」
俺の記憶ではなかったことになっている変動した世界線であった出来事だ。
あそこで引き留めてしまったせいで、あの惨劇が起こってしまった。
「橋田至、推名まゆり、そして……牧瀬紅莉栖。今更2010年に一緒にいた人達の名前を思い出しても仕方がないですけどね」
あははは。と鈴羽は軽く流していたが、鈴羽が2010年の記憶を取り戻し始めているのは明白だった。
長い口上を話していたせいか、どうやら酔いは醒めてきたらしく、目をパチパチとさせて周りを見回す。
「岡部さん。私何か話していました?」
ポリポリと頭を掻く鈴羽は自分が何を喋っていたかあまり記憶にないようだった。
「秘密だ。とりあえずアイスでも食べるか?」
秘密にされたせいで余計に頭を捻って自分がなんて言っていたか思い出そうとしていたが、やがて諦めたのかアイス貰いますね。と冷凍庫を開けて、先ほど俺が買ってきたアイスを食べ始める。
「あぁ、そうです。そうです。これ見て下さい」
アイスも食べてようやく頭も冷えてきたのか鈴羽は鞄の中から何かを取りだした。
見た所なにかのパンフレットのようだが……
「大学の昼休みに抜け出してですね貰ってきたんです」
そう言って差し出したのは結婚式場のパンフレットだった。
「最近のドラマとかテレビを見ているとですね、私もちゃんと結婚式を挙げてみたいなぁと思いまして」
最近景気がいいらしいですしね岡部さん。
「まぁな」
「海外にも行ってみたいですし、国内も捨てがたいですねぇ……」
鈴羽に連れられてパンフレットを俺も見る。
こうして俺達の夜は更けていく…。