「倫太郎さんいいですか?」
鈴羽の言葉に俺は頷く。
時刻は昼を過ぎ暖かい日差しが部屋を照らす。
俺とMRブラウンが部屋を掃除した翌日鈴羽も新未来ガジェット研究所(仮)に来ていた。
鈴太郎はどうやらフェイリスとルカ子が遊ぶらしいので預けてきたらしい。
鈴羽は誰かに預けるのはあまり気が進んでいないようだったが、これから俺達がやろうとしていることに巻き込みたくないらしく今日は預けてきていた。
ちなみに今この場にいるのは俺と鈴羽だけでMrブラウンはいなかった。
一応ここに来る前にインターフォンを鳴らしておいたのだが反応がなかった。
一目惚れした彼女に告白すると言っていたから成功しても失敗しても夜遅くまで起きていたのだろう。
念のためMrブラウンの固定電話の方にメッセージを残しておいたので万が一来るとしても問題はない。
秋葉の許可を得た俺は午前中にこの部屋でインターネットを使えるように色々弄っていたのだ。
この部屋にある電話線だけでは恐らくフランスのSERNにアクセスするまで相当時間がかかってしまうので秋葉の会社を経由させてもらうことにした。
「秋葉さんに迷惑はかけられませんからね。ちゃんと特定出来ないように頑張りますよ」
俺が秋葉の会社の回線を経由すると鈴羽に言った時に鈴羽そう言って笑みを浮かべた。
記憶を取り戻した鈴羽はまさに2010年の俺の右腕であったパソコンの申し子スーパーハッカー橋田至の娘だった。
先程からIBN5100を直接操作出来るように設定をしているらしいが、俺には全く分からない芸当だった。
俺もダル程ではないがパソコンにはそれなりに詳しいはずなのだが全く何をしているのか分からない。
「しっかし、この時代のパソコンは遅いね。これが終わったら改造して滅茶苦茶速くしていいかな。岡部倫た……倫太郎さん」
「やはり、お前は鈴羽だな」
「たまに昔の言葉遣いに戻っちゃうんですよ。もう若くないのに」
あはは。そう言って笑う鈴羽はどこか昔の面影があった。
「あぁ、安心して下さいよ。どっちの私もその……ですから」
「ん?なんだって?」
「だから、私もあたしも岡部さんのことは好きなんですから気にしてないで下さいって言ったんです」
二度も言わせるあたり意外にサディストですね岡部さん。
鈴羽は自分で言っていて気恥ずかしくなったのかIBNの前に向き直ってカタカタと無機質な音を奏でながらキーボードを叩く。
どうやら俺が出来ることはなさそうだ。
せめて何か飲み物でも買ってこよう。そう考えて俺はそっと部屋を出る。
「……ん?」
俺が二人分のペットボトルを自販機で買っていると大音量で携帯が鳴った。
この時代の携帯の着信音はとにかく大きい。
俺は周りに迷惑がかかってないか確認して通話ボタンを押す。
『もしもし岡部だが』
『あ、岡部さんっすか。俺です。天王寺です』
どうやら電話主はMRブラウンだったらしい。
今起きて留守電でも確認したのだろうか。
『なんだ留守電でも確認したのか?』
『へ?そんなもん入れてたんですか。確認してないっすよ』
『そうか。まぁ、いい。それでどうしたんだ?』
『そうそう。聞いて下さいよ。昨日その…一目惚れした子に告白したんですよ』
『その口ぶりからすると成功したらしいな』
『なんすか。リアクション薄いですね。まぁ、そうなんですよ』
『分かった分かった。後で聞いてやるから今出れるか?』
俺とMrブラウンは数語交わすと電話を切った。
数分で準備してくるそうだ。
流石に鈴羽の準備が全て終わってもフランス語が読めない以上そこから進まないのは自明の理だ。
*
「それで、買ってきたのはドクペなんですね」
「いいじゃないか。選ばれし者の知的飲料なのだ」
「そうですか……私はコーラとかの方が好きなんですけどね」
俺が買った二人分のドクターペッパーを見て呆れた様な表情を浮かべた。
2010年でもそうだったのだが基本的に皆この知的飲料の素晴らしさを理解してくれない。
最近はもう俺の味覚がおかしいんじゃないかと真剣に悩んでいるところだ。
鈴羽の方はとりあえずIBNを操作出来るように設定は終わったらしく後はMrブラウンが来るのを待つだけになっていた。
「しかし、店長も凄いね。一目惚れした子にすぐに告白するなんてさ。倫太郎さんはどのくらいかかりましたっけ?」
「言うな……」
十年間待たせたことは今でもたまに負い目に感じることがある。
本当に十年間一途でいてくれたことに感謝したい。
「本当にありがとな鈴……」
「倫太郎さん……」
「あー、いいっすか」
その声に俺と鈴羽はドアの方を振り向く。
そこには気不味そうに頭を掻いてどこか遠くを見ていたMrブラウンがいた。
流石にドアを開けたらいきなりラブコメのような展開が繰り広げられているとは思っていなかったようだ。
「は、早かったな」
「い、いえ、まぁ俺がいなくちゃ進まないだろうし……暫く外に出てましょうか?」
「そんな気遣いはいい」
俺はその場の微妙な雰囲気を正すためにコホンと咳を一つした。
Mrブラウンが来たということでようやく話が先に進みそうだ。
「さて、これっすね」
パソコンに表示されている画面を覗きこんだ。
2010年時点では英語表記にされていたのだが、この時代ではまだフランス語表記のままだった。
Mrブラウンは鈴羽に時々パソコンの操作方法を聞きながらポチポチとキーボードを押している。
「えーとここをこうして、こうやって……」
鈴羽の説明を受けて操作をするMrブラウンの姿はどうもパソコン教室に通っている人そのものなのだ。
それにSERNとの闘いの全てを賭けていると考えるとどうも少し不安になる。
闘いなどと大それたことを言っているがどうすればいいのか見当もついていないのだが。
「ふむふむ。なるほど。そういうことか」
画面を見ながらMrブラウンは一人で頷く。
「何か出来たのか」
俺の質問にMrブラウンはそっとパソコンの前の席を開けた。
「どうやらここにタイムマシンに関するあらゆるデータがしまわれているらしいっす」
「勿論倫太郎さんの論文のデータや個人情報も含まれています」
俺は頷く。
その様子を見て鈴羽は言葉を続けた。
「そもそもこの画面自体普通のパソコンじゃ見ることが出来ず、昔のパソコン言語を使用しているIBN5100を介してしか見れないのは知ってますよね。
私は現在SERNのコンピュータにハッキングをしています。幸いにしてまだSERNは私達がそのIBN5100を持っていることを知らないでしょう。だからですね――」
鈴羽はそこで画面の中を指差す。
覗きこんでみると何やら文章が羅列した後に『OK?』という文字が浮かんでいた。
「ここでEnterを押すと私達に関する記録が全て無くなります」
「ふむ。しかし、住所など割れているのではないのか?」
俺の疑問に得意気な笑みで鈴羽は笑った。
その笑みはまるで新しい未来ガジェットの機能を得意気に説明するダルのようだった。
「平気です。そこらへんは抜かりなく。住所を変更しておきました。私達が海外の住所が分からないように向こうも日本の複雑な地名なんて分かりませんから」
自信満々にそう言う鈴羽の言葉を聞いて俺はチラリとMrブラウンの方を向いた。
俺の視線に気づいたのかMrブラウンは少し考えるように顎に手をやった。
「まぁ、流石に分からないでしょうね。全く音沙汰がなければ住所を間違えたという可能性を考えてもう一度参照した結果間違えていたことに気づいて……そうなればいいですけどね。難しいことは専門外なんでよく分からないんすけど、
とりあえず岡部さん達が向こうにとって必要不可欠な存在でなくなればいいんですから問題ないんじゃないんですか?」
「それもそうか……」
俺は一抹の不安を感じながらも頷いた。
「さぁ、岡部さんそのEnterを押す権利は岡部さんにありますよ。思えばSERNに勝つためにこの時代にやってきたと言っても過言ではないですからね」
「そんなかっこいい理由ではないがな」
そんな理由で時空を跳ぶなんて覚悟を決められるものか。
正義の味方なんてものは酷く恣意的で自分本位なのだ。
全ては鈴羽のために決まっている。
「一発格好いいの頼みます」
Mrブラウンもそう言って横に逸れる。
俺はその画面を見つめた。
俺には理解出来ない単語の数々。
高々齢19の俺達が関わっていいものではなかったのは分かっている。
『久々に童心に帰ってもいいのではないのか?』
俺の頭の中でそんな声が木霊する。
その声の主は間違いなく俺だ。
鳳凰院凶真だ。
流石は鳳凰の名を冠す者だ。死ぬことはなく俺の中で生きていた。
「――勝利の時は来た!」
――全ての仲間に感謝を。
果てなき遠き未来で助けてくれたダル、まゆり、そしてこの紅莉栖よ。
お前達がいなければ俺はただの学生に過ぎなかった。
強大すぎる現実に簡単に膝を折っていただろう。
ただ流されるまま最悪の災厄を享受したことだろう。
この世界では幸いなことに紅莉栖は平和に暮らしている。あとの二人の未来にも幸あらんことを。
そして、時空を超えて、あらゆるものを超越して因果の輪から外れた存在になってまで俺を思ってくれた鈴羽。
立場は違えど、この時代でも助けてくれたMrブラウンにはいくら感謝の言葉を尽くしても言い足りないだろう。
不意に目頭が熱くなる。
「この俺、鳳凰院凶真はここにSERNとの闘いの執着を宣言する」
これで終わる。
「全ては……運命石の選択なり――!」
カチッ。
無機質な音が部屋に響く。
画面の中の世界はその音に呼応するかのごとく音もなく冷静に組まれたプログラム通りに行動を進める。
「――ッ!」
俺はまるで頭が割れるかのような錯覚に陥り思わず頭を押さえた。
この感覚は久しく味わっていなかったが紛れもなくRSの痛みだった。
しかし、余りにも一瞬の出来事だったので世界線がどう変動したかを理解することは叶わなかった。
確実に俺達は世界線をずらしているのは事実だった。
それも世界が望まぬ方向に。
鈴羽とMrブラウンが喜ぶのを尻目に俺は椅子から腰を上げて窓の外に顔を出した。
気が付けば太陽も少し西側に下がり始め部屋に入る光の量も増えていた。
俺は徐に太陽に手を伸ばした。
手のひらの隙間から太陽の光が漏れた。
俺はその様子に言いようのない違和感を感じた。
普通手のひらを太陽に翳した状態で光が手のひらを透過してくるものだろうか。
俺はハッとして手のひらを自らの目の前に持ってくる。
予想が当たらないように祈りながら。
「まるで、ゲルバナだな」
俺は自嘲的に呟く。
その手はまるで電話レンジでゲル状にされてしまったバナナのようになっていた。
そろそろ世界に逆らったツケが体を蝕む頃かもしれない。
2000年までそう時間が残されているわけではない。
そろそろ自分の未来について決着をつけねばならないようだ。
毎度読んでいただきありがとうございます。