境界線上のクルーゼック   作:度会

34 / 40
花見

駄目だ。駄目だ。駄目だ。

 

俺は持ったペンを脇に置くと机の上に置いてあった紙をグチャグチャにして投げ捨てた。

 

こうして何枚紙を投げ捨てただろうか。

 

きっと二ケタでは足りないだろう。

 

SERNは俺が勝利宣言をしたあの日から音沙汰は無かった。

 

ニュースを見てみてもSERNが何らかの実験に成功したという話は聞かなかった。

 

完全勝利というには程遠かったが、一応俺達はSERNに勝利したのだ。

 

しかし、現実とは空想の世界と違い、一つの壁を乗り越えたらめでたくハッピーエンドが待っているわけではなかった。

 

神の論理に逆らった代償として俺の体に起きたフラクタル現象。

 

最初は一瞬だったが、最近は徐々にその時間が延び始めている気がする。

 

それもそのはずだ。

 

俺はおもむろにテレビを点けた。

 

偶然やっていたニュースでは2000年問題について深刻に議論されていた。

 

2000年問題。

 

俺がいた世界線では偶然起きなかったがこの世界で起きないとは限らなかった。

 

ニュースは他の内容をやる様子ではなかったので俺はチャンネルを変えた。

 

そのチャンネルでは、ノストラダムスの予言は当たるのか。そんな内容の番組が放送されていた。

 

もう分かっただろうか。

 

現在は1999年だ。

 

俺はこれまで世界線を変える方法を模索していたが、特に革新的な案が思い浮かばずとうとう2000年間近まで来てしまったのだ。

 

鈴羽は教授としてそれなりの地位を確立し、秋葉の会社の経営も順調だ。

 

中鉢もとい牧瀬も大学時代に話した通り物理学の研究者となり、突飛な意見を学会で発表していたのは記憶に新しい。

 

一方の俺はと言うと未だに秋葉の会社の一室で相談役と言う地位に甘んじている。

 

渡井さんも秘書として健在だ。

 

俺達の子供たちも特に大きな怪我もなく皆仲よく育っていた。

 

ルカ子と会うことは少ないのだが、紅莉栖やフェイリスとは会うことが多かった。

 

と言うのも何故だか知らないのだが、俺と紅莉栖の母親がやけに仲良くなってしまったからだ。

 

紅莉栖の母親が開口一番に、俺に仕事をしているのか?と聞いてきたことは生涯忘れないだろう。

 

「なんだか最近、主夫みたいですねぇ」

 

いつの日だったか鈴羽もそう感じたようで、仕事に出かける前に俺にそんなことを言ってきた。

 

反論出来ないところが哀しい所である。

 

事実最近、子育てというものに目覚めてきた節がある。

 

早く世界線を変動させる方法を考えなければ、ここにいる全員が不幸になる結末が待っているに違いない。

 

そんなことは分かっている。

 

けれど、心のどこかでそんなことは無理だと思っていたのかもしれない。

 

その現実に向き合いたくなくて子育てに没頭していたのかもしれない。

 

もうロスタイムに入ってしまった。

 

これ以上の猶予は望めない。

 

けれどもそんな簡単にいい案が浮かぶはずがなかった。

 

元々電話レンジだって俺一人で完成させたわけではないのだ。

 

三人でようやく完成させた偶然の産物なのだ。

 

一人だけでは半人前にも満たないのは当たり前だった。

 

「あまり根詰め過ぎないで下さいね」

 

鈴羽がポンと俺の肩を叩く。

 

俺はその言葉で現実に帰ってきた。

 

今日は久々に鈴羽や秋葉と一緒に家族ぐるみで遊ぶ予定なのだ。

 

花見をするなんていつぶりだろうか。

 

こっちに来てからもしていないし、当然前の世界線でも記憶になかった。

 

秋葉に聞いた話だと、最近いつも考え事をしている俺に気分転換させる為に催したらしい。

 

確かにいきなり花見に行きましょうと言われた時は少々驚いた。

 

折角鈴羽が気を回してくれたのに俺はどうやらいらないことを考えていたようだ。

 

秋葉達と近くの公園で落ちあった後、俺達は桜が良く見える場所を確保して一息吐く。

 

「どうした。岡部倫太郎。随分と大人しいじゃないか」

 

鳳凰院凶真は卒業したのか?

 

秋葉そんなことを尋ねてきた。

 

「いや、流石にもう子供がいるし目の前ではやれないな。そう言う秋葉こそ大人しいな」

 

「流石にそろそろ馬鹿をやる年じゃないからな」

 

「それはお互い様だ」

 

俺は秋葉のコップに酒を注いだ。

 

悪い。

 

秋葉は一礼すると継がれた日本酒を一気に煽った。

 

「俺達二人は花より団子だよな」

 

見ると、留美穂と鈴太郎達は桜などには目もくれず遊びまわっていた。

 

まともに花を見て和んでいるのは鈴羽と秋葉の奥さん位だろう。

 

「全くだ。こんな時しか楽しく酒を飲める機会がないからな。会社は大きくなったがそれに反比例して楽しいと思える時間は減っていた」

 

「社長の辛いところだな」

 

「まぁ、家に帰ってくるといつも留美穂に『パパお仕事お疲れ様。パパお仕事頑張っててカッコイイ』って言われると疲れなんかは吹っ飛ぶがな」

 

「親バカだな。俺の所はそんなこと言ってくれないぞ」

 

「そりゃ、お前男の子はそんなこと言わないだろ」

 

「いや、それがな鈴羽が帰ってくると『ママ。お仕事お疲れ様』って言ってるんだ」

 

「そいつは……」

 

「俺も本当は仕事してるんだがなぁ……」

 

俺の呟きに秋葉何も言わず俺のコップに日本酒を注いだ。

 

「今日はそんなこと忘れろ」

 

「そうだな」

 

全く慰めにもなってないのだが、久々に酒の勢いでも借りるとでもしよう。

 

 

「――我が名はっ、鳳凰院凶真。混沌を愛す狂気のマッドサイエンティストだ」

 

俺の高笑いが公園に響いた。

 

そこまで酔っ払ってはいないとは言え最近の色々なことでストレスが溜まっていた俺はつい叫んでしまっていた。

 

「まさか、本当にやるとはな」

 

「まぁ、今日位構わないだろ?」

 

「全くだ」

 

一度叫んで満足した俺は敷物の上に座り直した。

 

その時ふと俺の背中に何かがのしかかってきたかのような感覚を覚えた。

 

なんだろうか。

 

俺は不思議に思って背中にのしかかるソレを掴んだ。

 

「むぎゅ」

 

変な声が聞こえた。

 

「おかべのおじさん。いたい」

 

「ん?その声は紅莉栖か?」

 

せいかい。

 

そんな声が聞こえた。

 

2010年の時こそ恥ずかしくてクリスティーナなどという呼び方で呼んでいたが、この時代ではちゃんと名前で呼ぶように心がけていた。

 

「なんだこりゃ?」

 

秋葉は何が起きているのか理解出来ていないらしい。

 

正直俺も何故こんな所で紅莉栖がいるのか理解出来なかった。

 

抱きついてきたので思いだしたのだが、どうも俺は紅莉栖に懐かれているらしい。

 

そんなことを紅莉栖の母親が言っていた気がする。

 

そんなことを俺に聞かせてどうなるのか知らないが。

 

そのせいで只でさえ良くない中鉢との仲が悪くなったのは言うまでもなかった。

 

「おい、紅莉栖。人様に迷惑をかけ……。貴様は鳳凰院凶真ではないか!」

 

お約束と言っていいほどのタイミングで中鉢が俺達の前に現れた。

 

正直タイミングが良すぎて特に驚く気にもなれなかった。

 

秋葉はもう事態を把握することを諦め、一人で酒を飲んでいた。

 

「貴様我が娘を誑かすとはどういうことだ。さてはこの中鉢に勝てないと考えて娘を人質にしようとしたな子癪な……」

 

「パパ。わたしむずかしいお話わからない」

 

「そうだな、紅莉栖。分かりやすく言うとパパの所に戻ってきなさい」

 

中鉢が自分のことをパパと呼んだことに思わず噴き出しそうになったが、考えてみれば俺も似たようなことをしているので笑える立場ではない。

 

「やだ」

 

紅莉栖の言葉は拒絶だった。

 

「わたしは、おかべのおじさんとお話するの。パパはママとお話してて」

 

「うわ、結構キツイこと言うなこの子」

 

状況の把握を諦めていた秋葉だったが今のやり取りは見ていたらしく率直な感想を述べていた。

 

俺も秋葉の感想に概ね同意だった。

 

我が子にそんなことを言われては心のダメージは測りしれない。

 

事実中鉢は一瞬この世の終わりのような顔を見せていた。

 

「この……」

 

中鉢が何か言葉を紡ごうとした時、不意に襟元を誰かに引っ張られていた。

 

どうやら中鉢の襟元を引っ張ったのは紅莉栖の母親のようで、今のやり取りを見ていたのか、やれやれと言った表情をしていた。

 

「ほら、そんなに焦らないでよ。みっともない。岡部さん。ちょっと紅莉栖任せるわ」

 

「あ、はい。どうぞ」

 

俺が返事をすると紅莉栖の母親は笑ってその場をあとにした。

 

「なぁ、一つ聞いてもいいかい?」

 

「なに。おかべのおじさん」

 

「どうして、俺と一緒にいたいんだい?」

 

「わかんない」

 

「分からないか」

 

別に明確な答えを求めているわけではなかった。

 

もしかしたら、俺のことを覚えてる可能性が僅かでもあるかもしれない。

 

そんな希望的観測から出た言葉だった。

 

考えてみれば前の世界線では、紅莉栖がこの年齢の時に俺と会ってはいないのだから記憶も何もないのだが。

 

「だけどね。なんだかおかべのおじさんのにおいってなつかしいの」

 

「そうなんだ」

 

紅莉栖は頷いた。

 

「なんだかとってもなつかしい気もちになるの」

 

「そうか。そうか」

 

俺は紅莉栖の頭を撫でていた。

 

くすぐったそうに紅莉栖は被りを振った。

 

「なるほどな。その子が話に出てきたあの子なわけか」

 

秋葉は自分でブツブツと呟きながらそんなことを言っていた。

 

それから俺は紅莉栖と話したり、鈴太郎達に混じって運動をしたりと束の間の休息を楽しんだ。

 

「――で結局うちで飲むんですね。倫太郎さん達昼間も飲んでいたのに」

 

「悪いな。今日は少し話したい気分なんだ」

 

「岡部がそんなことを言っていたので少しだけ貰えるかい?話を聞いたら帰るから」

 

別にいても構いませんよ。

 

鈴羽はそう言うと缶ビールを二人の前に置いた。

 

「久々に私も飲みます。あ、けど、鈴太郎が寝てるんで静かにお願いします」

 

俺達は二人は了承するとちびちびと酒を飲み始めた。

 

「それで、一体岡部は何を話したいんだ」

 

「あぁ、実は最近行き詰っててな――」

 

俺は悔恨の念を二人に話した。

 

話終わったあと二人の顔は呆れているようだった。

 

「なんだ。そんなことですか。私も手伝いますから頑張りましょうよ」

 

「俺も出来ることならしてやるからな」

 

そんなありきたりな慰めの言葉だったが、その言葉は俺の胸にじんわりと染み込んでいった。

 

「まぁ、とは言っても時間も残されていませんし、助っ人でも呼びましょうか」

 

「助っ人?」

 

「はい。明日私の研究室に来て下さい。秋葉さん。明日倫太郎さん借りますけどいいですか?」

 

「いいぞ。岡部の奴、根は真面目なのか有給を全然消化しないせいで少し困っていたところだから丁度いいよ」

 

「なら決まりですね。そうと決まれば早めに寝ましょう。秋葉さんタクシーでも呼びますか?」

 

「いや、俺は平気だから歩いて帰ることにするよ」

 

秋葉そう言うとドアを開けて闇の中に消えていった。

 

もう社長なのだからタクシーに乗って帰っても罰は当たらないはずなのに。

 

俺はその背中を見ながらそんなことを思っていた。

 

「岡部さんはいい友人を持って幸せですね」

 

「そうだな。秋葉がいなかった今の俺達は無かったな」

 

そうですね。

 

鈴羽は遠くを見るような目でドアを見ていた。

 

「おやすみなさい」

 

飲み会の片付けも終わり交互に風呂に入ってから俺達は布団の中に入った。

 

「倫太郎さん」

 

鈴羽は布団の中に入って暫くすると目を合わせることなくあたかも独り言のようにポツポツと喋り始めた。

 

「私は、正直今のままの生活も悪くないと思ってました。家族三人で仲よく暮らして秋葉さんのようないい友達に恵まれて。

このまま2000年を迎えてもいいかな。そんな風に考えていました。記憶も戻って私は一番好きな人と一緒になることが出来た。

けどやっぱり駄目ですね。欲が出ました。鈴太郎の将来も見たいですし、なにより私はまだ倫太郎さんと一緒にいたいです。

だから絶対に成功させましょうね。私達の未来を創るのは私達なんですから」

 

「すずっ……」

 

俺が答えようとした時には鈴羽は既に規則正しい寝息を立てて眠っていた。

 

もしかしたら本当に独り言だったのかもしれない。

 

俺は鈴羽の言っていた助っ人のことを考える。

 

もしかしたら。

 

思い当たる節がないわけじゃない。

 

彼ならば或いはという期待がないわけじゃなかった。

 

 

私達の未来は私達が創る。

 

 

鈴羽がそんな風に考えていてくれたことが素直に嬉しかった。

 

俺は一人じゃない。

 

そう言われている気がした。

 

鈴羽が願うのなら俺は神が作り出したこのどうしようもない世界の綻びを見つけだしてやろうじゃないか。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。