「なぜ貴様がいるのだ」
開口一番に奴はそう言った。
奴の言葉に驚いたのか研究員の数名がこちらを向いていた。
「むしろこちらが聞きたいな」
俺の方も正直予想はしていたが、まさか本当にこいつが来るとどうしても悪態をついてしまう。
昨日の晩に言われた通りに鈴羽の研究室に来ていた。
正直俺は鈴羽の研究室によく出入りしていたので他の研究員とは大分顔見知りになっていた。
研究員達はむしろ俺たちと対峙している人物の方に興味があるようだった。
「質問に答えろ鳳凰院凶真」
「俺は鈴羽に呼ばれてきたんだ」
俺がそう言うと中鉢は驚いたように目を丸くした。
中鉢は相変わらず襟付きのシャツを着ている。着るものが無くてスーツを着てきた俺とは大違いだった。
「何?貴様が呼ばれただと?何かの間違いではないのか?」
「それはこちらのセリフだな中鉢。もしやとは思うがお前も鈴羽……鈴に呼ばれたのか?」
そうですよ。
不意に後ろから鈴羽の声が聞こえた。
研究員たちが鈴羽に一様に頭を下げる。
「こういうところで会うのは久々ね。牧瀬くん」
「失礼ですが、橋田教授。私の名前は中鉢なのです。間違えないようにしてください」
中鉢は鈴羽に対して背筋を伸ばしてそう言った。
真面目に自分で付けた名前を言っている姿を見ると何とも滑稽だ。
俺は中鉢を見てそう感じた。
しかし、鈴羽は中鉢の忠告を聞き入れることなく、牧瀬くん。そう中鉢を呼んだ。
「牧瀬くん。昔の話を覚えてるかしら?」
「昔の話ですか?」
中鉢の言葉に鈴羽は頷いた。
「そう。私が以前に言った話。タイムマシンについての話よ」
あぁ。中鉢は合点がいったような顔をして頷いた。
「あぁ、はい覚えてます。どうですか?この中鉢、立派になりましたでしょうか」
「えぇ。本当に。そこでなんだけど、今でもあの口約束を信じているかしら?」
鈴羽の言葉の意味を図り損ねているのか中鉢は首を傾げていた。
その様子を見て鈴羽は少し呆れて溜息をついた。
「えーと、つまりね。牧瀬くんはまだ、タイムマシンなんて眉唾ものを信じるのかしら?」
はい。
中鉢は鈴羽の問いに即答した。
その目には微塵も揺るぎなどなかった。
鈴羽は中鉢がそう言うというこを予想していたかのようにニコリと笑った。
「流石牧瀬くんね。私が見込んだ甲斐があったわ。あなたさえよければ私の次の研究に携わって欲しいのだけれど?」
その言葉に中鉢は大きく頷き、よろしくお願いします。そう言った。
「それではまず牧瀬くんに質問があるわ」
タイムマシンで人が過去に戻ることは可能だと思う?
鈴羽は他の研究員たちには聞こえないような声でそう言った。
中鉢は少し悩んだ後に首を振った。
「いいえ。残念ながら今の技術レベルでは出来ないだろうと考えます。勿論机上の空論ならば可能でしょうが」
「そう。『今の技術では』と言う辺りが実に牧瀬くんらしいわ。えぇ。私もそう思うわ。流石に今のここの技術レベルでは出来ないと思うわ」
鈴羽がそう言ったのを聞いて中鉢は驚いたように目を丸くしていた。
「橋田教授。失礼ですが、どういう意図で質問されたのでしょうか?」
「意図はないわ。ただ、牧瀬くんが現実を正しく見る力を持っているか確かめたかったの。今この状況で私がいるから出来るなんて感情論を持ち出されても困るからね」
「そういうことでしたか。流石にこの天才中鉢の頭脳を持ってしても出来ないものはあるのです」
そう言って中鉢は高笑いをしようとしたが、ここが鈴羽の研究室だということを思い出したのか、少し声を小さくして笑った。
「牧瀬くん。仮定の話だけれど、もし、過去に戻った人間がその戻った過去で暮らしていたとして何かしら不具合を生じると思う?」
俺は鈴羽の問かけを聞いて内心ヒヤヒヤしていた。
一歩間違えれば、俺たちが未来から来たとわかるような質問の仕方と内容だった。
あるいは、鈴羽は中鉢が俺たちの真実を知って欲しいとでも考えているのだろうか。
中鉢はそんな俺の考えを余所に考えているようだった。
「何か書くものを貸していただけますか?」
「えぇ、どうぞ」
少ししてから中鉢はそう言うと紙と鉛筆を使って何かを書き始めた。
頭の中だけでは追いつかないほどの計算をしているのだろうか。
正直俺はこっちの時代にくるまで自分がどういういう理論でもって過去に跳んだことは知っていたが、その理論を導く方法を知らなかった。
「ふむ……出来ました」
中鉢はそう言うと顔を紙からあげて鈴羽の方を向いた。
「橋田教授。その問いの答えは死しか待っていません」
俺は思わずその言葉に息を呑んだ。
鈴羽もその結果を知っていたかのようにただ、続けて。そう呟いた。
「はい。恐らくですが、かつて橋田教授の論文で発表されていたような理論で過去に跳んだ場合、高確率でフラクタル現象が発生します。そっちにいる鳳凰院凶真とか言う胡散臭い人間の論文を引用するのならば『ゲルバナ』状態とでも言いますか」
「それで?」
「はい。私には理解が及びませんが、もし橋田教授が仰る通り世界線というものが存在するのであれば、恐らくその世界線が最も変動しやすくなる2000年を境に『ゲルバナ』状態になるでしょう。最もこれは机上の空論ですので実際は――」
「事実よ」
俺と中鉢は鈴羽の言葉に固まった。
中鉢は一瞬何を言われたのか理解出来なかったかのように目を見開いていた。
鈴羽が言ったことを少しずつ咀嚼するようにしてようやく理解出来たようだった。
「事実ですか?つまり誰か未来からこの時代、或いはその前に来ていたのですか?」
「えぇ」
「なるほど、橋田教授の理論がたまに飛躍的になるのはそういう理由だったのですか。橋田教授、よろしければこの中鉢もその人に会わせてくれないでしょうか?」
「会うも何も今、あなたの目の前にいる、私と隣にいる岡部倫太郎は2010年から跳んできたのよ」
そう言うと鈴羽は俺の肩を引っ張って寄せる。
対して中鉢はまるで信じられないものを見たかのように唇をワナワナと震わせていた。
驚きのあまり声も出ないらしい。
落ち着くのに時間を要するらしく暫く中鉢は何も語ることなく椅子に座っていた。
「まぁ、そのなんだ……紅莉栖は2010年でも元気だったぞ」
余りにかける言葉が見つからずついそんなことを口走ってしまった。
「貴様に紅莉栖などと呼ばれる筋合いはないわ」
そう俺に向かって怒鳴ると中鉢はまた黙ってしまった。
「どうやら、ショックが強かったようね」
鈴羽もここまで衝撃を受けるとは思っていなかったようで、中鉢を心配そうに見ていた。
「牧瀬くん。聞いているかしら。私は別に私たちが未来から来たなんて話で終わらせようなんて気はないわよ?」
その言葉に少し反応を見せた中鉢は鈴羽の方を向いた。
「私はさっき言ったわよね。感情論では何も出来ないって。今回は残念だけど私も倫太郎さんも当事者なの。情が入らないわけがないわ。だから牧瀬くんを呼んだのよ」
「どういう意味ですか?」
中鉢はまだ鈴羽の言葉の真意を掴んでいなかった。
「あなたなら私たちと同じようにタイムマシンの知識を持っている。そして、タイムマシンが実現出来ると信じてるじゃない」
「……」
中鉢は黙っていた。
その沈黙の意味を俺は伺い知ることは出来なかった。
中鉢の様子の変化に気づいた数名の研究員がこちらを興味深そうに見ていたが、俺と目が合うと目を逸らし自分たちの研究に勤しんでいた。
鈴羽は沈黙する中鉢の様子を見て呆れたように溜息をついた。
「どうやら期待外れだったようね。牧瀬紅莉栖は若干17歳にして、タイムマシンのようなものを作っていたのに」
「17歳でだと……」
中鉢の様子に少し変化があった。
その様子に気づいてか気づかずか鈴羽はそのまま言葉を続けた。
「えぇ、若干17歳の牧瀬紅莉栖は私の父である、橋田至とここにいる倫太郎さんと共にタイムリープという精神を過去に跳ばす装置を作りました。正直な話私も父よりは優秀だと思ってます。
やはり、子の方が優秀なんですかね。倫太郎さん、牧瀬さんが乗り気ではないので牧瀬紅莉栖にでも頼みますか?」
「え……」
鈴羽がこちらを向いた時小さくウィンクをしているのに気が付いた。
俺はこの一芝居に乗ることにした。
「いや、そうだな。まだここで打ちひしがれている中鉢なんて奴よりは使えるだろうしな」
「待て……」
沈黙を貫いていた中鉢が低い声を出した。
「橋田教授。いくらなんでも言葉が過ぎます。言っていいことと悪いことがあります」
かろうじてまだ敬語を使うだけの余裕はあったようだが、体は怒りに震えていた。
「……事実だしな」
「黙れぇ、鳳凰院凶真!!」
俺が中鉢に聞こえないだろうとボソッと言った言葉が決定打になったらしい。
中鉢は俺を憤怒の形相で睨んでいた。
その声で数名の研究員がビクリと肩を震わせた。
「なんだ貴様は、先ほどから娘の紅莉栖の方がこの中鉢よりも優秀だ優秀だと言いおって、そんなわけがあるか」
紅莉栖の方が優秀だと言ったのは鈴羽なのだが、中鉢の頭の中では俺が言ったことになっているようだった。
「子が親よりも優秀だと?そんなことあるわけないだろうが!!よかろうそれを証明してやろう」
そう言うと少し溜飲が下がったのか鈴羽の方を向いて頭を下げた。
「橋田教授。その申し入れ謹んで受けさせて貰います」
「そう。ありがとう牧瀬くん」
鈴羽はそう言って中鉢の手を取った。
「あなたのその答えが幾人のも未来を保障したわ」
*
「しかし、いきなりあんなことを言うなんて思ってなかったぞ」
「私だってやる時はやるんですよ」
あれから数時間後、中鉢は去り、研究員も帰った研究室で俺たちはコーヒーを飲んでいた。
「私はもっと単純に受けてくれると思ったんですけどねぇ……」
鈴羽は思い出すように天井を向いた。
「幸いなことに、牧瀬くんは倫太郎さんに似てますからね。いや、似てないんですかね」
自分で言っていて面白くなったのか鈴羽はクスクスと笑った。
俺が中鉢と似ているというのは二人共作り物の名前を名乗るくらいのものではないのだろうか。
「鈴羽はさ、本当にダルよりも技術があるのか?」
「ないですよ」
「え」
即答だった。
一瞬も悩む素振りを見せずに事もなげに答えた。
「勿論、今の私なら勝てますけど、あの年の父さんは異常ですからね。それに戦ってましたから私」
昔を懐かしむように鈴羽は2036年のことを思い出すかのように目を細めた。
「倫太郎さんはどう思いますか?」
「ん?何が?」
「2010年に橋田至、牧瀬紅莉栖、岡部倫太郎で完成させた時間を超える機械を作りました。それ以上のことを1999年に、橋田鈴、牧瀬章一、岡部倫太郎の三人が出来ると思います?」
俺は鈴羽の話を聞いて自分の体に鳥肌が立つのが分かった。
ここまで仕組まれているものなのか。
この時代で中鉢と俺たちが出会ったことも、中鉢がタイムマシンに興味を持ったことも全ては偶然という神の気まぐれによって予め決まっていたのだろうか。
偶然にしては出来過ぎている。
そう感じた。
――全ては意味があったことなんだ。
ふと、どこからか誰かの声が聞こえた気がする。俺の後ろを振り向いてみても誰もいなかった。
「さて、倫太郎さん。私たちは世界を超えなければなりませんね」
「そうだな」
しかし、もしかしたら。
そんな思いが俺の中にはあった。
2010年の頃のように中鉢を蔑視していた俺はどこにもいなかった。
なぜなら、中鉢が鈴羽から何かを教えて貰っている時の目は紅莉栖のソレと似ていたから。
二人では見えなかった光明も三人なら見えるかもしれない。
少なくとも二人よりはその可能性が高い。
「まぁ、全ては――」
「運命石の扉の選択ですね」
鈴羽が俺のセリフを先に言った。
その顔は相手を出し抜いて喜んでいる子供のようだった。