『先に確認しておきたいことがある』
翌日電話で開口一番に中鉢はそう言った。
俺は鈴羽と目を合わせてまた鈴羽の研究室に集合することに決めた。
鈴太郎は偶然うちに遊びに来ていたMRブラウンに任せて俺たちは研究室に向かった。
研究室に着くとその扉の前には既に中鉢が来ており、俺を見つけると睨みつけるように目つきを鋭くする。
恐らく昨日紅莉栖のことを言ったことが尾を引いているのだろう。
中鉢は研究室に来るというので着てきたのか白衣を上に羽織っておりその姿はどこか昔の俺を連想させた。
「おはよう。牧瀬くん」
鈴羽に対しては一礼して、休みの日に呼び出したことを謝罪していた。
「まぁ、いいわ。話は中で聞きましょう」
鈴羽は鍵を開けると研究室の扉を開けた。
「鳳凰院はともかく橋田教授が言ったことをに疑念を持つのもおこがましいことかもしれないのだが……」
そういう中鉢の台詞はどこか歯切れが悪かった。
少し間を置いてからゆっくりと口を開いた。
「橋田教授の未来から来たという話が俄かには信じがたいのです。理論的には可能だとしてもそれはあくまで机上の話です。そこまで理論を構築出来るのにも関わらず自分の体を使って実際に試すなど信じられないのです。自分で試すならばもっと確実性が高くなければ……」
「その言い方だと、確実性が確認されるまでは誰か他の人間を犠牲にすればよかったとでも言いたそうね?」
「そういうわけでは……」
鈴羽の言葉に中鉢は押し黙った。
黙るということはそういうことだったのだろう。
確実に成功するためには他の犠牲も厭わない。
それではまるで俺達が対峙した2010年のSERNそのものではないか。
成功する見込みが薄いにも関わらずカー・ブラックホールの特異点に人を押しこんだあの連中と。
「牧瀬くん。あなたの意見は科学者としてはもっともね。変な話私や倫太郎さんに余裕があれば同じ結論に至っていたかもしれないわ。
しかし、私達は余裕も何もなかったのよ。それに未来から来た証拠なんてあるわけないわ。信じてくれなくても構わない。ところで関係ない質問なのだけれどいいかしら牧瀬くん?」
「は、はぁ構いませんが」
「あなたに大切な人はいるわよね」
中鉢は頷いた。恐らく自分の妻と紅莉栖のことだろうか。
この時代の中鉢と紅莉栖の関係は良好だったはずだ。
「もし、これから数日後。そうね三日後とでもしましょうか。あなたの大切な人が死ぬとします」
「……はい」
鈴羽の言葉の真意は掴めていないようだったが中鉢はその質問の内容に思わず顔の表情を引き締めた。
一方俺の方も鈴羽がなぜそんなことをいきなり話始めたのかということは理解出来なかった。
中鉢の顔が引き締まるのを見て鈴羽は中鉢を安心させるように笑みを浮かべた。
「そんな、ただの仮定の話ですから、そこまで厳しい顔にならなくてもいいですから。ね。倫太郎さん?」
「え?あぁまぁそうかもな」
まさかいきなり話をこちらに向けられるとは思っていなかったので曖昧な返事しかすることが出来なかった。
「まぁいいです。話を戻しますか。三日後に死ぬと言いましたがこれはどうやっても避けられないわ。海外に逃げても三日後に何らかの理由で死にますし、
病院、あるいは警察に匿って貰ったとしても死んでしまいます」
「おい……」
まさか。
そんな思いが俺の頭を過ぎった。
「そんなの救いがない。きっと牧瀬くんならそう思ったはずね。私でもそう思うわ。けど、あなたはある方法を用いて過去に戻ることが出来ます。あなたの記憶は消えないわ。そうね三日間程度なら何とか平気ね」
「過去に戻ることが出来る……」
中鉢もその言葉で何かに気づいたようだった。
「最初は、牧瀬くんも大切な人を助けるためにその三日間を何度も繰り返すでしょうね。それとも諦めるかしら?」
「繰り返しますね……。まだ助かる道は残っているのではないのかと探すために」
中鉢の答えに俺は息を飲んだ。
鈴羽はその答えを予想していたのか笑顔で頷く。
「でしょうね。もしかしたらそんな道があるかもしれない。きっとそんな淡い期待をこめて何度も同じ三日間を繰り返すでしょう。何度も何度も。
しかし、数回、いや数十回同じ一日を繰り返し、あらゆる方法を試したとしても結果は同じだったとしたら?」
「それでも……それでも私は」
中鉢は言った。
その三日間を繰り返すと。
例え自分の大切な人達がその三日間の記憶が毎回消えて前回の三日間を覚えていなかったとしても。
一点の曇りのない声音で中鉢はそう言い切ったのだ。
流石に鈴羽はこの回答には驚いたらしく、少し目を丸くしながら拍手をしていた。
「強いのね牧瀬くん。それともその強さは机上の空論ゆえかしら?まぁいいわ。何度繰り返しても死んでしまう。ここでは縁起がよくないから失敗したとでも表現するわね。
失敗し続けた牧瀬くんはある推論に至った。この選択に至ってしまった時点で失敗だったのではないかと。
分かりやすく言うと、迷路の最初の方で絶対正解に辿りつけない方を選んでしまったことに気づかずにここまで来てしまったのではないかと」
「……」
中鉢は状況を想像し正解を模索しているのか何も答えず何かを考えるかのように黙って腕を組んでいた。
「しかし、その間違いをいつ犯してしまったかは中鉢くんには皆目見当もつかないわ。それにもし気付いたとしても、過去に戻れる日数なんてたかが知れてる。そんな時あなたの前に一人の青年が現れました。
その青年は過去に戻ってくれる仲間を探していたの。そんな青年にとって過去に戻ったとしても記憶が消えないあなたはまさにうってつけだった」
「なんだかSFのような話ですね。少し頭痛がしてきましたよ」
「大丈夫よ。もうそろそろ終わるから」
鈴羽はそう言うと机に置いてあった冷えたコーヒーを啜った。
とても飲めるものではなかったのか、顔を一度しかめて机にコーヒーを置き直した。
「その青年の力を借りれば今よりもっと過去に戻ることが出来るわ。けれど、その青年の目指す過去は牧瀬くんが行きたい過去よりもずっと昔なの。
もし青年と共に過去に行ってしまったらその人達と永遠に会えないかもしれない。会えたとしても向こうは自分のことを覚えていないかもしれない……。
あ、ややこしくないように言っておくけど、その大切な人はあなたが昔に行ったとしてもその生きていた時代で元気に生きているとするわ。世界中のどこかでね。
さて、牧瀬くんはどうするかしら?青年と共に過去に戻って選択肢を選び直すか、それとも今までのように三日間を繰り返すのか。これで私の質問は終わり」
鈴羽はそう言うと俺に向かって何かをアイコンタクトを送っていた。
残念ながら、俺がそのコンタクトの意味を理解することは出来なかったが。
「一晩考えてきてもいいですか?」
数分固まったように悩んでいた中鉢の出した回答は意外なものだった。
「えぇどうぞ」
鈴羽はそう言って笑った。
中鉢は一礼すると研究室から出ていった。
*
「なんだってあんな質問をしたんだ?」
俺は家に帰る道中鈴羽にそんな質問をした。
聞いている内に理解したが、所々改変しているとはいえあれは実際に起きたことだ。
俺がまゆりを守るや鈴羽を守る為に何度も同じ日を繰り返したことも。
鈴羽と言う過去に戻ることが出来る能力を持った人物と共に過去に行ったことも。
「あ、いえ、大した意味はないんですよ。ただ、聞いてみたかったんです中鉢くんがどんな答えを出すのかを」
その言葉は中鉢がある答えを出すことを期待しているようだった。
すなわち俺と同じ選択を。
過去に跳ぶ選択を。
「仮にも牧瀬紅莉栖の父親ですからね。どちらを選ぶかは想像がつきますよ。自分で言っておいてなんですが、もし私が予想した答えと違っていた場合は中鉢くんには降りてもらおうかと思います」
「なんだって?」
俺は鈴羽の方を振り向いた。
鈴羽の視線は星を見ているかのように中空に固定されていた。
「だってしょうがないじゃないですか。私達にこれ以上関わってしまったら、失敗した時は恐らく彼も無事では済まないでしょう。縦しんば牧瀬紅莉栖やその母親と共にいることが出来ても何も起きないとは限りません。もしかしたら太陽に近づきすぎたイカロスのように……」
「鈴羽……?」
2010年と違って街灯も余りないせいか暗くてよく見えないが鈴羽は泣いているようにも見えた。
時折鼻をすする音が聞こえるのも気のせいではないだろう。
昨日とは正反対の態度に俺は思わず辟易した。昨晩は確か中鉢が入ってくれることを心から喜んでいたはずだ。
この変化は一体何を意味するのだろうか。
「なんでそんなことを言うんだって目をしてますね。自分でもそう思ってますよ。でも私思ってしまったんです。もし失敗して牧瀬さんが記憶を失ってしまったらと」
鈴羽は流した涙を拭うことなくこちらを見据えた。
月明かりに涙が反射してキラキラと輝く。
一瞬、その顔を綺麗だと感じたが被りを振って俺その考えを消す。
「記憶を無くした牧瀬さん当人は良いですが、牧瀬紅莉栖はどうなるんですか?親が自分のことを娘と認識してくれないだなんて……父親の顔も居場所を知らないことよりも辛いはずです」
その瞬間鈴羽は間違いなく2010年に父親を探していた自分と紅莉栖を重ねていた。
いや、それ以上かもしれない。
「もし、牧瀬くんが青年の誘いを断り三日間を過ごすと言うなら私は止めません。実際には牧瀬紅莉栖も牧瀬くんの奥さんも三日後に死んでしまうわけではないですからね。
無駄なリスクを取る必要もないでしょう」
「それでも紅莉栖は……」
俺の言葉を鈴羽は俺の唇に指を当てることで遮った。
「分かってます。それに岡部さんが未来は未定だと言いたいことも。そうです。未来は未定です。牧瀬さんたちは」
鈴羽の言葉の真意が分からなかった。
俺たちの未来だって未定のはずなのだ。
「残念ですけど、私達の未来はどのような選択肢を選んでも2000年に何が起こるかは確定しているんですよ」
鈴羽の顔にはもう涙は無かった。
「ま。そんなことを言っても全ては牧瀬さん次第ですからね。明日を気長に待ちましょうよ」
わざわざ俺の数歩前まで歩いてから振り返った鈴羽の笑みは不安に溢れていた。
「鈴…」
「天王寺さんにいつまでも鈴太郎の面倒を見せてちゃ悪いですから早く帰りましょうよ。ちょうど向こうも小腹が空いてそうですから何か買っていきましょうか」
「そうだな。饅頭でも買っていくか」
「倫太郎さんってば年寄り臭いですね」
「そこまで若くないからな」
俺は鈴羽が笑顔でいてくれるならば何でもいい。
そんな気がしていた。
*
『私だ。鳳凰院凶真か?』
夕食も食べ終わって涼んでいた所に俺の携帯にそんな電話がかかってきた。
声から察するに中鉢だろうが、こんな時間になんなのだろうか。
「どうしたこの俺に電話してくるなど」
『黙れ。今から我が家に来い。場所は分かるだろう?』
「一体何がしたいと言うのだ」
『良いから黙って来い。橋田教授には内緒でな』
そう言うと中鉢からの電話は切れた。
何だったのだ。
俺は自分の携帯を見つめた。
確かに中鉢もとい牧瀬の家は依然何かの因果で行ったことはあるので問題はないがなぜ今呼び出されたのだろうか。
加えてなぜ鈴羽に黙ってなければならないのだろうか。
そこから求められる答えは一つである。
「誰からの電話なんですか?」
「あ、いや、大学の同期の奴からだ。済まないがそいつと会ってくる」
「夕食も食べたんですから、あんまり食べすぎると贅肉が落ちないですよ」
「ですよ」
鈴太郎も鈴羽に続いてそんなことを言った。
「善処はする。二人とも行ってくる」
俺はそう言って家を出た。
何かあれば遠慮なくお願いします