境界線上のクルーゼック   作:度会

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世界線のハードル

「随分と長い散歩でしたね」

 

お帰りなさい。鈴羽は俺がドアを開けるとそう言って笑った。

 

俺は時計を見る。

 

もう十時を過ぎていた。

 

「ただいま。別に起きてなくてもよかったのだが」

 

「別に倫太郎さんの為に起きていたわけじゃないですよ。私も家事とか色々やることがあるんです」

 

鈴羽は鼻を鳴らした。

 

手に持っているものを見るとどうやら風呂に入る所だったようだ。

 

「わざわざ邪魔してすまないな。どうぞゆっくり入ってくれ」

 

「倫太郎さんが覗かないのなら安心してゆっくりできますね」

 

鈴羽はそのまま洗面所に消えた。

 

程なくしてシャワーの音が聞こえた。

 

「誰が覗くものか」

 

鈴羽の言葉に半ばむきになりつつ寝室の方へ足を伸ばす。

 

そこには寝ている我が子がいた。

 

スゥスゥと規則正しい寝息を立てている。息を吸う度に上下する胸が生きていることを実感させた。

 

俺は起こさないように注意しつつ鈴太郎の頭を撫でる。

 

まさか自分が所帯を持つなんて夢にも思っていなかったが、こうして持ってみると存外悪くなかった。

 

恐らく俺達がいなくなればその間の子である鈴太郎もいなくなるだろう。

 

この世に生を受けてから十年足らずでこの世から去らねばならぬのだ。

 

それも天国に行くわけでもどこともつかない場所へ。

 

それだけはなんとしてでも防がなければいけなかった。

 

俺は紅莉栖が死ぬと言われた時の中鉢の表情を思い出す。

 

俺も自分の子供が死ぬと言われればあんな表情をするのだろうか。

 

きっとするだろう。

 

ともかくこれで役者は揃った。

 

明日鈴羽に中鉢は言ってくれるだろう。

 

世界を変える。と。

 

「倫太郎さん。お風呂上がったんで適当に入って下さいね」

 

「お?あぁ」

 

いつの間にか鈴羽が隣にいた。

 

シャンプーの匂いだろうか。

 

俺の横を通った時柑橘系の匂いがほんのりと香る。

 

「何かいいことでもあったんですか?」

 

「そう見えるか?」

 

えぇ。鈴羽は頷く。

 

「優しい表情をしてますよ」

 

「そうか。いいことがあったからな」

 

「なんですか?」

 

「秘密だ」

 

なんですか、もう。鈴羽は頬を膨らませる。

 

その様子が変に子供染みていて俺は笑った。

 

 

 

「なぁ、鈴羽。鳳凰院凶真って知ってるか?」

 

「いきなりなんです?」

 

風呂から出た俺は布団に入った鈴羽に向かってそんなこと尋ねた。

 

「いいじゃないか。で、知ってるか?」

 

「質問の意味がよく分かりませんけど……知ってますよ。狂気のマッドサイエンティストですよね」

 

そうだ。俺は答える。

 

「鳳凰院凶真は狂気のマッドサイエンティストであり世界を混沌に陥れる為に現れた存在だ。出来ぬことなどひとつもない」

 

「そうらしいですね」

 

また、いつもの厨二病が始まったとでも思ったのか鈴羽は溜息を吐きながらも賛同した。

 

「しかしだな。いくらその鳳凰院でも2010年にいた友たちを助けて尚且つ自分を愛した人を助けるなんてことをは出来なった」

 

「倫太郎さん……」

 

「彼は決意したのだ。どうせ世界線が、世界が変動したとしても自分しか傷つかなくて済むのならせめて愛する人だけでも助けようと」

 

全くどこが狂気のマッドサイエンティストなんだか。

 

俺は自嘲的に笑った。どうして今こんな話を俺はしているのだろうか。

 

自分でも分からなかった。

 

いや、分かっていたのかもしれない。

 

心のどこかで。

 

数々の世界線を経た俺には。

 

世界はご都合主義なんて許さないということを。

 

「いかんな。少し下らないことを話すぎたかもしれない」

 

俺は被りを振って鈴羽を見た。

 

心配そうな瞳がこちらを覗いていた。

 

「本当に大丈夫なんですか?」

 

「あぁ。少しカッコつけてみようと思ったんだが、久しく鳳凰院凶真をやっていないせいか調子が出なかった」

 

俺が笑うと鈴羽も釣られて笑った。

 

「もう何言ってるんですか。鈴太郎に悪い影響を与えないでくださいよ?」

 

「そう言う言い方を聞くとまるで教育熱心な母親だな」

 

そうですか?

 

鈴羽はとぼけたが満更でもないようだ。

 

「そろそろ私は寝ますね。おやすみなさい」

 

「あぁ、お休み」

 

それから数分後には静かな寝息が聞こえてきた。

 

俺はおやすみと言ってからずっと天井を見つめていた。

 

別に天井のシミを数えているわけではない。

 

眠れないのだ。

 

不眠症なんてものにはかかったことがないがこういうものなのだろうか。

 

変に目が冴えている。

 

頭と体の動きが一致していないようだ。

 

俺は二人を起こさないようにそっと布団から抜け出す。

 

ふと、窓を覗くと月が綺麗に輝いていた。

 

俺はその光に魅せられたかのように外に出る。

 

ドアをそっと閉め俺は秋葉のように夜道を散歩しようと考えた。

 

もう深夜のせいか辺りには人の気配がなかった。

 

気づくと俺は公園に足が向いていた。

 

俺達が最初にこの時代に着いた公園。

 

そして俺が鈴羽にプロポーズをした公園。

 

全ての始まりの公園と言っても過言ではなかった。

 

俺は誰もいないベンチに腰掛けて月を見る。

 

秋葉原も変わってきたがこのあたりまだそこまで開発が進んでないのか俺が見上げた視界の中に高層ビルは映らなかった。

 

月が大きく見える。

 

月の晩と言えば、鈴羽が己が誰であるか俺に尋ねた時もまたこんな夜だった気がする。

 

あっという間の人生だった。

 

そのせいなのだろうか。

 

やけにセンチメンタルな気分になるのは。

 

紅莉栖の代わりに中鉢が入り、ダルの代わりに鈴羽が入ったのだから、中鉢次第ではすぐに解決策は見つかるのかもしれない。

 

尤も、中鉢は2010年のように模倣することしか出来ないのならば話は別なのだが。

 

すぐに解決策が見つかる。

 

それは素晴らしいことだ。

 

俺のことはともかくとして鈴羽が鈴太郎が、秋葉が、そして紅莉栖が助かるのだ。

 

客観的に見ても主観的に見ても十全だ。

 

「辛いのは俺だけでいいよな」

 

月に向かってそんなことを言ったが当然答えは帰ってくることはなかった。

 

答えは求めていなかったが誰かには聞いて貰いたかったのかもしれない。

 

2000年に世界線を変動させればいい。

 

確かにそれだけで未来は変わるかもしれない。

 

α世界線でもβ世界線でもなくまた別の世界線へ。

 

その時皆の記憶はどうなるだろうか。

 

俺を除いた人は皆それが当たり前なのだからなんの影響も受けないだろう。

 

以前を知っている俺だけが苦しむだけなのだ。

 

いや、鈴羽の前例を考えると記憶を取り戻すことが容易なのかもしれない。

 

もしかしたら全員の記憶は変動しないかもしれない。

 

だから俺のこんな考えは杞憂だ。

 

そう割り切れるほど俺は強くなかった。

 

そしてそれは鳳凰院凶真を持ってしても超えることは出来なかった。

 

「全く夜の散歩ってのはどうしてこんな拾い物が多いんだろうな」

 

そう言って誰かが俺の隣に座った。

 

その声には聞き覚えがあった。

 

「秋葉か」

 

「おう。今ようやく仕事が一段落してな。気晴らしに散歩してたら、月に向かって話しかけてる変な奴を見かけてな」

 

「それが俺だったのか」

 

「そうだな。全く俺が言えた義理じゃないがこんな所でなにしてるんだ?」

 

俺は秋葉の質問に曖昧な笑みで答えた。

 

言えるわけがない。

 

勿論言ったら秋葉は答えてくれるだろうが明確な答えが出るわけではないのだ。

 

「……お前がこっちに来てから大分経つな」

 

「そうだな」

 

「その間色々あったな。お前が知っていたことで一番大きかったのはバブルだな。あの景気がいつ消えるか分かっただけでウチの会社は大分助かった」

 

「たまたまだけどな」

 

俺が生まれた時のことなので詳しくは知らないが大学生にでもなれば2010年を生きていて学生はいないだろう。

 

「なんか大きなことをやるらしいな」

 

「そう……だな」

 

「俺はお前が何をやろうとしているかは知らない。皆目見当もつかないが後悔だけはするなよ。どんな結果になっても自分が正しいと信じろ」

 

そう言うと秋葉は立ち上がった。

 

「全く年は取るもんじゃないな。無駄に説教臭くなる。さて、俺はそろそろ帰るとするわ」

 

照れたような笑みを俺に見せて秋葉は自宅の方へ歩いていった。

 

そうだ。

 

心は決まっていたじゃないか。

 

どうなっても後悔はしないつもりだった。

 

誰かから背中を押して貰いたかっただけなのだ。

 

俺は秋葉の後ろ姿を見送ってから家に戻って床に入った。

 

 

「昨日の話ですが……私は青年と過去に戻ります」

 

朝一番に鈴羽の研究室に来た中鉢は開口一番にそう言った。

 

「そう。ありがとう牧瀬くん」

 

鈴羽は自分では素っ気なく言ったつもりだろうが目の淵が赤かった。

 

俺は中鉢を見るとある違和感を覚えた。

 

その正体はすぐに分かった。

 

「なんで紅莉栖がここにいるんだ?」

 

「あ、おかべのおじさん、おはよー」

 

紅莉栖は自分の名前を呼ばれると中鉢の後ろから出てきて俺に挨拶をした。

 

小学生らしいスカートにTシャツを着ている。

 

「あ、すずはおばさんもおはよー」

「……分かってるんです。分かってるんですけど、なんか釈然としません」

 

鈴羽は引きつった笑みで紅莉栖に微笑み返していた。

 

確かに未だになんだか紅莉栖が鈴羽をおばさん呼ばわりするのには慣れない。

 

「何でもこいつが研究室って言うものを見てみたいと言ってな。貴様には知らせてないが、橋田教授には許可を貰ってある」

 

俺はその言葉を聞いて鈴羽の方を向く。

 

「えぇ。確かに。許可しましたよ。女の子のお願いは無下にするものじゃないですからね」

 

笑いながらそう答えた。

 

「すずはおばさんやさしいね。ありがと」

 

「……出来ればおばさんはまだ慣れないから鈴羽さんって呼んでくれない?」

 

紅莉栖は鈴羽の言葉がよく分からなかったようで首を傾げる。

 

「ま。いいわ」

 

鈴羽は諦めたように溜息を吐いて中鉢を見た。

 

「その隈はどうしたのかしら?」

 

「えぇ、実は一つ案を考えたのです」

 

そう言って中鉢は鞄の中から紙の束を取り出した。

 

そしてそれを机の上に並べた。

 

一番最初の上には何語か分からない単語が書いてあった。

 

「これなんて読むんだ?」

 

俺の質問に中鉢は鼻を鳴らした。

 

「ふん、貴様はこんなのも読めないのか。これはだな――」

 

「クルーゼック」

 

「ん?」

 

中鉢の声ではない声が聞こえた。

 

「たしかクルーゼックって読むんだよね?」

 

「お、おう。そうだぞ。流石紅莉栖だな」

 

俺は言われてその文字に目を落とす。

 

どう考えても読めるローマ字を読んだだけにすぎなかった。

 

「いいじゃないですか。クルーゼック」

 

鈴羽もそれが分かったのか少し笑いをこらえながら言った。

 

おほん。

 

中鉢は気恥ずかしくなったのか一度わざとらしく咳込んだ。

 

「それでは改めて、これはクルーゼックと呼びます。橋田教授、これが私の考えた作戦名です」

 

「名前から入る辺りがあなたたち本当に似てるわね……」

 

鈴羽はやや呆れていたが、俺と目が合うと似た者同士ですね。

 

そう言った。

 


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