境界線上のクルーゼック   作:度会

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1975

「……いい人でしたね」

 

帰り道鈴羽そんなことを言っていた。

 

確かに、いい人だった。

 

俺は手のひらの中の折りたたまれた紙を見る。

 

この番号にかけることはあるのだろうか。

 

何か困ったことがあるならかけて来いとのことだったが、正直かけたくはなかった。

 

別にフェイリスの父親の人柄の問題ではない。

 

でも、フェイリスの父親に電話をかけることは、そういうことだから。

 

安易にかけない。俺はそう決めた。

 

人柄と言えば、俺と年はそんな離れていないのに俺なんかよりずっとしっかりしている人だった。

 

「そんなことないですよ」

 

俺の心の声が聞こえたのか、鈴羽は一人で喋りだした。

 

「だって、秋葉さんや、他のどんな立派な人だって、私の為に過去に跳んでくれる人なん

ていませんから」

 

そう言うと照れ隠しなのか、俺の数歩前を歩いて、くるりとこちらを向いてニカッと笑っ

た。

 

台詞と笑顔に俺は顔がカァッと熱くなるのを感じた。

 

「あら、岡部さんもしかして照れてますか?」

 

案外可愛いところもあるんですね。と鈴羽は言った。

 

俺はそんな鈴羽の言葉に苦笑いで返した。

 

携帯もパソコンも普及していない時代。

 

こうして直に触れあうことしか出来ない時代。

 

そんな時代も悪くないと感じた。

 

「あ、見て下さいよ。岡部さん」

 

そう言って鈴羽が指を指した先には神社があった。

 

縁日でもやっているのかやけに明るく出店も多く見られる。

 

「ねぇ、行ってみましょうよ」

 

俺の腕を掴んで、鈴羽は強く引っ張る。

 

連られて俺もそちらの光の方へ向かった。

 

ピークの時間を少し過ぎたせいか、そこまで混んでいるという印象は受けなかった。

 

そういえば、縁日なんて来たのはいつぶりだろうか……

 

大学に入ってからは勿論のこと、高校時代も行った記憶がない。

 

恐らく、まだ小学生の頃にまゆりと行った程度だろう。

 

「見てくださいよ。岡部さん」

 

そう言って鈴羽はある出店の前に立ち止まる。

 

小物や、アクセサリーを扱っている店のようだった。

 

「へいらっしゃい兄ちゃん。もしかして、そっちの可愛い娘は彼女かい?」

 

「ふふふ。やっぱそう見えるみたいですよ岡部さん」

 

鈴羽は、ギュッと俺の腕を抱えて店主にアピールをした。

 

ふと、抱えられた拍子に柔らかい感触がしてなんとも言えない気持ちになった。

 

妬けるなぁと店主は笑いながら俺達を見ている。

 

「あ、これ可愛いですね」

 

鈴羽は、一つの指輪を指さす。

 

サファイアを模した安い指輪だった。

 

「お、お嬢ちゃん。なかなかいい目をしてるね」

 

「はい。私九月生まれなんで」

 

そう言うと鈴羽は、顔を綻ばせる。

 

「なんで、サファイアを選んだんだ?」

 

「えーとですね。私、実は九月生まれなんですよ」

 

ですから誕生石はサファイアなんです。と鈴羽は、俺に説明した。

 

「そうなんだよ。兄ちゃん。石言葉は、『慈愛』さ」

 

いい彼女じゃねぇか。兄ちゃんよと店主は俺を冷やかす。

 

「そこまで言うなら、店主よ。あなたに乗ろうではないか。これを一つ貰おうか」

 

店主は、毎度ありーと意気のいい声を上げた。

 

「え、いいんですか。岡部さん。あのお金は……」

 

「大丈夫だ。値段も安いし、俺のポケットマネーで十分買える。それにあの金はお前の思

い出の結晶だからな。お前の為に使うのなら悔いはない」

 

そう言って鈴羽の頭の上に手を置いた。

 

すると鈴羽は、大人しくされるがままにしていた。

 

指輪を買うと俺達はその出店の集団を抜け出す。

 

人ごみで少し疲れたので、神社の縁側に腰かけた。

 

丁度死角になっているので、誰にも咎められることはないだろう。

 

「なぁ、す、鈴」

 

「はい。なんですか岡部さん」

 

「ゆ、指を出せ…違った。て、手を出せ」

 

俺が言い間違えることも気にも留めずに、はい。と鈴羽は、手を差し出した。

 

端正な手だった。細くて長いしなやかな指には思わず息を飲んでしまう。

 

「ほら、どの指にはめてくれるんですか?」

 

鈴羽は、俺で遊ぶかのように目の前で手をひらひらさせた。

 

「くっ、鈴よ。これでははめられないではないか」

 

「別にいいですよ」

 

そう言うと俺の手からひったくって自分で勝手に指にはめた。

 

「こんなところで岡部さんに指輪をはめて貰ったら勿体ないですからね」

 

次の機会を期待してます。そう言って鈴羽は、照れ笑いを見せた。

 

その笑い顔はとても気持ちの良いものだった。

 

 

俺達はまだ新しい住居に慣れていないせいか、結局家に着いたのは大分夜中になっていた。

 

「やっと着きましたね。岡部さん」

 

「そうだな。凄い遠周りをした気がする」

 

二人共疲れたのか家に着くなり、居間に倒れ込んだ。

 

電気も点けていないので月明かりだけが部屋を照らす。

 

月明りに鈴羽が勝手にはめたサファイアの指輪の光が反射していた。

 

「岡部さん」

 

「なんだ?」

 

「手を繋いでもいいですか?」

 

あぁ。と俺が頷くと、鈴羽は、おずおずと自分の指と俺の指を絡めた。

 

「今は月明りしか見てませんね」

 

「そうだな」

 

俺が相槌を打つと、ふと俺の視界から月明りが消える。

 

目の前に鈴羽の顔があった。

 

口唇に柔らかい感触が押しつけられる。

 

一瞬にも永遠にも感じられた。

 

まるで相対性理論かと思いだして、自嘲的に笑う。

 

「な、なにがおかしいんですか」

 

表情はうかがえないが、口調には焦りが見られた。

 

「別に大したことじゃない」

 

そう言うと俺は自ら鈴羽の唇を奪った。

 

誰も見ていない。

 

月明りの晩の出来事である。

 


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