境界線上のクルーゼック   作:度会

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1975-Ⅱ

あれから何事もないまま数日が過ぎた。

 

生活面には全く不満は無く、むしろ好調だった。

 

俺は一人暮らしたことこそないが、一応、洗濯も料理も掃除も人並みには出来る。

 

まるで、主夫みたいですね。と鈴羽に笑われた。

 

なにもない日々。

 

平穏な日々。

 

鈴羽と過ごす毎日は悪くなかった。

 

「では、おやすみなさい岡部さん」

 

「あぁ、おやすみ」

 

そう言って鈴羽の頭を撫でると気持ちよさそうにしてすぐに規則正しい寝息が聞こえた。

 

「ふぅ」

 

俺は鈴羽が寝たことを確かめてから、バレないようにそっと部屋を出た。

 

「さてと……」

 

これからどうすればいいのだろうか。

 

別に俺は1975年に片道切符の旅行に来たわけではないのだ。

 

観光気分でこの時代にいてはいけないことは分かっていた。

 

「IBN5100……」

 

全ての元凶となったレトロ、いやこの時代では新品のPCの名前を無意識に口走った。

 

俺はここ数日鈴羽が寝静まった後にフラりと外に出ていた。

 

別に目的はこれといってない。

 

ただ歩いている方が考え事はまとまりやすい気がした。

 

しかしまだ道を完全には覚えていないのでいつも同じルートを辿った。

 

「同じ道を毎日同じような時間に通るとはどうも御苦労なことだな」

 

「え?」

 

丁度十一時を過ぎた所だっただろうか、そう言って誰かに声かけられた。

 

声のした方を向くと、秋葉幸高がいた。

 

この間会った時とは違い本もなにも持っていない。

 

格好もラフな感じで、彼も散歩をしている途中だったのかもしれない。

 

「秋葉……さん」

 

秋葉さんとはまた随分他人行儀だなと一笑に伏すと秋葉は俺に近寄ってきた。

 

「今日は、橋田鈴さんとは一緒じゃないのかい?」

 

あ、もしかして喧嘩でもしたのか。とニヤニヤしながら肩をポンと叩いた。

 

「いや、そんなことはない……」

 

俺の返答のトーンから何かあると彼は悟ったのか、どうしたと真面目な顔をして俺を見

た。

 

「い、いや別に……」

 

「水臭いな」

 

恩返しとでも思ってくれよと彼は言った。

 

俺は彼になら話してもいいかもしれないと思った。

 

そうだ。結局彼の所にアレは行くのだから過程が多少変わった所でなにも起きることはな

いのだ。

 

この世界線ではなにが起こるのか分からないが、前の世界線ではそう収束した。

 

今回もそれは変わらないだろうと漠然と考えた。

 

「実は……」

 

「待った」

 

俺が話始めようとすると、彼は手で俺を制した。

 

「まぁ、時間も時間だ。俺の家に来い。話はそこで聞いてやる」

 

「い、いやそこまで……」

 

俺が拒否する言葉も聞かずに彼は歩きだした。

 

しょうがないので俺もそれについていくことにした。

 

当然この時代に2010年の様な高層マンションは建っていなかったが、それでも秋葉の家は

大きかった。

 

「ここまで来て何を遠慮している」

 

「……」

 

俺が圧倒されていると、玄関口で秋葉が呆れた顔をしていた。

 

家の中に入ると客間に通される。

 

客間というだけあって豪華だった。

 

腰をかけてくれと言われた椅子は、今まで座ったことのないような柔らかさで落ち着かなかった。

 

「さて、聞こうじゃないか」

 

テーブルを通して俺の前に座った秋葉はそう言った。

 

「……単刀直入に言う。IBN5100はこの家にあるのか?」

 

「ない」

 

即答だった。

 

「そもそも俺は今まさか岡部からそんな単語が出てくるとは夢にも思わなかった」

 

お前は一体なにが専門なんだ?と俺を不思議そうな顔で見る。

 

「IBNってあれだろ、PCだろ。なんでも独自の言語システムによって動くとか言う」

 

俺は首肯する。

 

「しかし、なんでまたそんなことを俺に聞いてきたんだ」

 

「実はな……」

 

俺はそこで言葉を止めた。

 

内心しまったと思った。普通に秋葉の立場なら、理由を聞いてきて当然である。

 

しかし俺にはその理由が答えられない。

 

未来から来たという台詞を誰が信じるのだろうか。信じてくれるはずがない。

 

「どうかしたのか?」

 

「い、いやなんでもない」

 

そうか……と秋葉は俺を見た。

 

「まさか、未来から来たとかって言うなよ。実は俺は未来から来てIBN5100がないと世

界は滅亡してしまう。だから俺はそんな100年先の未来から来た未来人だとか言ったら笑え

るな」

 

そう言いながら秋葉は笑っていた。まるでそんな夢物語なんてありえないとでも言うよう

に。

 

ビクッ!!

 

自分でも分かる位動揺していた。

 

それこそ目の前の秋葉に心配されるくらいに。

 

「おい、顔色が悪いぞ」

 

水でも飲むか?と水差しから水を注ぐと俺の前コップを置いた。

 

俺は水を一口飲んで、覚悟を決めた。

 

「秋葉…さん、聞いてくれるか?」

 

「あぁ」

 

 

「俺は未来から来た」

 

後悔は無かった。

 

もしこれで帰れと言われたら、迷わずまわれ右をする気持ちだった。

 

「ほう……」

 

俺の言葉に対して秋葉は眉を少し動かした程度だった。

 

「なぁ、岡部。もう少し話してみてくれないか」

 

「あぁ……」

 

俺はこの時代に来るまでの話をした。

 

何故この時代に来た理由を。

 

全部話終わると肩の荷が大分降りた気がした。

 

やましいというわけではなかったが、やはり隠しごとをし続けるのは大分辛いものがあるだろう。

 

「ふむ……面白いな。初めて会った時にあんなことを聞いてきたのは偶然ではなかった

のか」

 

秋葉の口から出たのは意外な一言だった。

 

「信じてみるよ。岡部、お前の話」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

まず敬語を使うな気持ち悪いと言われた。

 

「正直な話、お前が未来から来たというのは信じられないし、今時詐欺師ですら使わないような手口だ」

 

ただな。

 

秋葉は、俺を見て、目を細めた。

 

「お前が、橋田鈴さんを大好きなことは分かった」

 

「な……」

 

俺の顔が途端に熱くなったのを感じた。

 

「そう照れるな。橋田鈴さんとの話の所だけやけに感情が入ってたからな」

 

目の輝きの強さが違ったな。と秋葉は笑った。

 

「自分の愛する女の為に全てを投げ出した岡部は凄いと思う」

 

俺には出来ないな。色々なしがらみのせいで身動きが取れないからな。と苦笑した。

 

「いや、きっと秋葉にもそんな女性が現れるさ」

 

自称未来から来たって人間に言われるとそれはまた説得力が増すなと互いに笑った。

 

「とまぁ……ひとまずは信じていいが、それとこれとは別だ」

 

「……どういうことだ?」

 

「なに、簡単な話さ。未来から来たのは分かったが、それと俺がIBN5100を手に入れる

ということは関係ないだろ?」

 

「それは、その通りだ……」

 

「まぁ、手に入れないこともない。俺もあのPCには興味を持っていたのだからな」

 

ただ、手に入れるきっかけが欲しいなと俺を見ながら言った。

 

「何が言いたい?」

 

意外に学者って察しが悪いのなと秋葉は口を歪めた。

 

 

 

「この時代で幸せになれって言ってるんだよ」

 

 

 

随分とクサイ台詞を吐くなと秋葉は言いすてた。

 

俺は絶句してなにも言えなかった。

 

「まぁ、二人が幸せそうだったら、例えば、結婚祝いとかで、俺の持ってるPCを贈って

しまうかもしれないからな。それが、偶然IBN5100を贈ってしまうこともあるかもしれ

ない」

 

……俺は、

 

……俺はただ……頭を、下げた。

 

この時代でもこの人は俺達を助けてくれた。

 

目に熱いものがこみ上げてきたのを必死に隠した。

 

「それよりだな……その…岡部の2010年の話に出てきた私の娘の話なのだが……」

 

「はい」

 

「娘って言うのも変な話だな……その、その女の子は、楽しそうに生きているのか?」

 

俺は秋葉の眼を見てしっかりとうなずいた。

 

口が緩んだ秋葉の顔が容易に想像できた。

 


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