境界線上のクルーゼック   作:度会

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1975-Ⅲ

俺が秋葉に俺達のことを話してから数日経ったある日、俺がまた夜道を歩いていると、

 

「よう未来人」

 

そう言って秋葉に呼びとめられた。

 

「また会ったな未来人くん」

 

「その割には随分と作為的な偶然だな」

 

まぁな。と秋葉は笑った。

 

俺はあの日以来、秋葉に言われた通り敬語を止めていた。

 

なんでも、敬語はを使う人は皆、自分の肩書きに喋りかけているようで気分があまり良くないのだと言っていた。

 

「さて、別に岡部に声をかけたのは勿論偶然でもなんでもないのだけれどな」

 

俺の家に来い。そう言うと自分の家の方向に歩きだした。

 

俺も鈴羽は寝たし、別段用事もなかったので、大人しく付いていくことにした。

 

「一つ気にはなっていたんだがな」

 

道中で秋葉は振りかえらず、まるで一人言のように呟く。

 

「岡部達は戸籍とかどうしてるんだ?」

 

まさか、生年月日が未来の年号の保険証なんて持って行っても誰も信じちゃくれないだろ

うしな。と秋葉はこちらの意を気にせず喋る。

 

「戸籍がなければ、その人はいないも同じ。日本はそういう国だしな」

 

「……ッ」

 

正直に言うと失念していた。

 

俺は唇を噛む。そうだったのだ。俺はここで暮らす上で重大な事を忘れていたのだっ

た。

 

戸籍。それは秋葉の言った通り何をするにも必要なことだった。

 

身分を証明できるものは全て2010年のものだ。俺の手持ちの一番年号が古く印字されているのでも、俺の生まれた1990年代のもので、今から約15年後のことであった。

 

この国の人間が全て秋葉のようにもの分かりがいい人間であるはずがない。

 

これから、暮らしていくには金が必要だ。会社でもなんでもそれを証明するものが必要だった。

 

俺の心は、かつてないほどの絶望感苛まれる。

 

「さて、着いたぞ」

 

「あぁ……」

 

俺は導かれるままに秋葉の家に入り、またあの応接室に通された。

 

「さて、大方さっきの俺の一人言を聞いていたか顔色がよくないみたいだが?」

 

秋葉は椅子に座ると、俺も座るように促す。

 

俺は命じられるままにただ座った。

 

「一人言を律義に聞いているもんだなお前は」

 

秋葉はクスッと笑うと視線を机に移した。

 

「何が…おかしいんだ秋葉?」

 

今の俺の心境は例えるならば、鈴羽とまゆりの死を永遠に保留し続けていた時と通ずるも

のがあった。

 

不穏な感じを俺から感じ取ったのか秋葉は笑みを消した。

 

「だから、さっきのは一人言と言ったろう。つまりはこういうことだ」

 

そう言うと、どこから出してきたのか封筒を二枚出してきた。

 

俺は黙ってその封筒を開けた。

 

開けたはいいが中には数枚書類が入っているだけだった。

 

その中から無作為に一枚取り出して目を通す。

 

なにやら難しい言葉が羅列されていて、理解が難しかった。

 

「まぁ、簡単に言えばこういうことだ。戸籍がないなら作っちまえってことだ」

 

秋葉そういってニヤリと笑った。

 

「まぁ、そんな大それたことではないんだが、今そこにある書類は養子縁組に関する資料

だ。苦労したぜ、一応名前は重要かと思って、岡部姓と橋田姓の人の息子と娘にしておいた」

 

「なっ……」

 

俺は絶句した。そんなことが簡単にできるのだろうか。

 

「向こうの家族には許可とってあるし、お前らは戸籍を借りるだけだ。気にするな」

 

「面倒なことにはならないのか?」

 

「気にするな。会社内でやってることさ、誰にも文句は言われまい」

 

「そうか」

 

俺はそれでようやく安堵して肩の力を抜いた。

 

「ただし条件がある」

 

「……なんだ?」

 

「岡部でも橋田さんでもいいが、俺に協力してもらう」

 

「具体的に、なにをすればいい?」

 

「なに簡単なことだ。岡部達にしかできないことだよ。時代の節目を教えて貰いたい」

 

「時代の節目?」

 

一体どういうことなのだろうか。俺にはさっぱり理解できなかった。

 

「今は1975年岡部達が来たのは2010年。その間に何かしら大きな事件が起きているはずだ。それを事前に教えて貰えればいい。人は目の前に落とし穴があると分かっていたら落ちる者などいないということだ」

 

悪くない話だろう?そう言った秋葉はの顔は経営者の顔だった。

 

「別にその程度で未来が変わるはずもないだろうし、もし変わるって言うなら、岡部の話を聞いた時点で変わってるだろうしな」

 

俺はゆっくりと頷いた。

 

それを見て秋葉は相好を崩した。

 

「じゃあこれからもよろしく頼んだぞ鳳凰院凶真(笑)」

 

「だから、(笑)をつけるな」

 

そう言いながら俺は差しのべられた手を握った。

 

 

書類を持って、俺が家に帰ると鈴羽が起きていた。

 

「あ、岡部さんお帰りなさい」

 

「どうしたんだ鈴?こんな時間に」

 

俺は携帯で時間を確認すると、まだ深夜帯と言っていい時間だった。

 

「岡部さんの姿が見えなかったので少し探してました」

 

結局見つからなかったですけどね。と笑った。

 

そうやって笑っている鈴羽の目尻に涙が少し溜まっているのを見て俺は鈴羽を抱きしめ

る。

 

必死に探したのか少しだけ汗の匂いがしたがその匂いも愛おしかった。

 

「え、あ、ちょっ。なにしてるんですか岡部さん」

 

「いや、なんでもない。心配かけてごめんな鈴」

 

はい。と鈴羽は頷くと俺の頭をゆっくりと撫でた。

 

頭を撫でられるのは存外気持ちがいいものだが、気恥ずかしいものである。

 

「それは俺の役目だろう?」

 

と俺は照れ隠しに悪態を吐いた。

 

「たまにはいいじゃないですか」

 

たまにはね。と言って鈴羽は笑った。

 

「そ、そういえば鈴羽って今なにかしたいことでもあるのか?」

 

「え?なんですかいきなり」

 

「い、いや少し気になったんだ」

 

「そうですね……タイムマシンのことを勉強したいです」

 

「……そうか」

 

やっぱり両親には会ってみたいもんな……

 

「鈴、大学に行ってみるか?」

 

「大学……ってなんです?」

 

鈴羽のいた時代にはなかったのか大学というものがよく分からないらしかった。

 

「そうだな…勉強する場所だよ」

 

「そうなんですか……岡部さんも一緒に行くなら行きたいですね……」

 

「……」

 

どうかされました?と鈴羽は首を傾げる。

 

俺はこの時代を生きる代償として秋葉と条件を飲んだのだ。そんな簡単に物事が進むのだろうか。

 

「実は……」

 

俺は鈴羽に先ほどの出来事を全て話した。

 

鈴羽は時々驚いたような顔をしていたが、最後まで何も言わずに聞いてくれた。

 

「私、秋葉さんに頼んでみます」

 

そう言うとアパートの外にある公衆電話の方へ歩いていってしまった。

 

俺も付いていこうとすると、岡部さんはここで待っていて下さい。と念を押されてしまっ

たので大人しく部屋で待っていた。

 

時計の秒針が刻む音がやけに大きく感じた。これが独りだということが分かった。

 

自分が今座っている畳がグニャリと揺れる気がした。

 

鈴羽をこんな目に合わせなくてよかったと心から思った。

 

何十分経ったのだろうか。

 

実際には数分程度経った位だろうか、鈴羽は笑顔で帰ってきた。

 

「ど、どうだった……」

 

「秋葉さんって話の分かる方ですね。二つ返事で快諾してくださいましたよ」

 

自分に思い通りに事が進んだので鈴羽は、笑顔だった。

 

「そ、そうか良かったな」

 

はい。と喜ぶ鈴羽を尻目に俺は一抹の疑念を抱いていた。

 

確かに、友人としてならば、喜んで快諾するだろうが、秋葉の見せた経営者の顔を俺は忘

れなかった。

 

何か向こうにもメリットがあるに決まっているのだが、真意が図れなかった。

 

翌日秋葉に電話してそのことを尋ねてみた。

 

俺が喋り終わると、秋葉はクスリと笑った。

 

「流石、学者……いや、学者もどきだな。素晴らしい考察だと思う。簡単だ岡部達が学んだ技術を供与してもらうと思ってな。だから、悪いが、岡部達に行ってもらう学校は東京電機大学という所に勝手に決めさせて貰った。そこで学んだ技術と岡部の知ってる未来を合わせれば、想像はつくだろう?」

 

「あぁ……」

 

「ま。今言ったことは全部ウソで、未来で娘が世話になった礼をするための方便かもな」

 

電話口の向こうで陽気に笑う秋葉の真意は読めなかった。


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