境界線上のクルーゼック   作:度会

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牧瀬と言ったらあの人しかいませんね。


牧瀬という学生

コンコン

 

俺と鈴羽が研究室から出ようとすると不意にドアがノックされる音がした。

 

「はい。どうぞー」

 

鈴羽が言うと、ノックの主は失礼します。と丁寧な口調で部屋に入ってきた。

 

多分学生だろう。

 

品のいいワイシャツにズボンという社会人さながらの服装だったが、雰囲気はどこか学生らしいものがあった。

 

「どちら様ですか?」

 

「あ、はい。僕は、牧瀬、牧瀬章一って言います」

 

「牧瀬……?」

 

その青年は、牧瀬と名乗った。

 

確か紅莉栖の苗字も牧瀬だった気がする。

 

助手とか、クリスティーナとか呼んでいたからどうも記憶が曖昧なのだが、恐らくそうだったに違いない。

 

「それで、牧瀬さん。教授に何かよ用事かしら?まだゼミ関係の話は出ていなかったと思うのだけれど」

 

こうして見ると鈴羽が大学で教員をやっている実感が湧く。

 

少し鈴羽が遠くに行ってしまったようで寂しい気がした。

 

「あ、いえ。少し橋田先生に聞きたいことがありまして……」

 

「私に?失礼だけど、私の授業に出席していた生徒かしら?」

 

牧瀬は首肯した。

 

「残念だけど、成績の方はちゃんと適正につけるわよ」

 

研究室までくる熱心さは少し考慮に入れといてあげるけどね。と鈴羽は笑った。

 

「いえ、成績のことではないんです」

 

大体、多分優は来る位の出来だったと自負してますから。

 

牧瀬は自信満々に答える。

 

「そう。じゃ、なにかしら?」

 

はい。そう答えると、牧瀬は鞄の中から束になった紙を取り出した。

 

「あ」

 

俺は、その紙の束の上書かれたタイトルに見覚えがあった。

 

「それは、私の論文ね」

 

勉強熱心ね。と鈴羽は目を丸くした。

 

「先生のタイムマシンの理論についての論文読ませていただきました。学生の僕にとっては何を言っている

のか分からない部分もあったんですが、世界線などの話は読んでいて感銘を受けました」

 

そう言って力説する牧瀬の眼は好奇心の塊と言っていいほど目が輝いていた。

 

鈴羽は、そう。珍しいわね。その年で教授にもなってない人の論文に目を通すなんて。と随分と冷静に受け答えをしていた。

 

「いえ。単にたまたま目についたから手に取ってみたら面白くて……それより先生」

 

 

タイムマシンって実際に存在するんですか?

 

 

牧瀬はそう聞いた。

 

ただの勤勉な学生の疑問だろう。

 

その質問に、鈴羽はクスリと笑って、チラリとこちらを見ると、

 

もし、それがなかったら私はここにいないわ

 

そう言って研究室を出た。

 

牧瀬と俺も釣られて部屋を出る。

 

「なるほど……」

 

牧瀬は恐らく、成功する見込みのない研究が専門で助教になんてなれるわけがないと合点したのだろう。

 

じゃあ、私達はここで失礼するよ。

 

牧瀬くんさようなら。

 

そう言うと、牧瀬はありがとうございました。と軽く一礼して俺達と反対方向に歩いていった。

 

「中々面白い学生だったな」

 

俺が学生の頃とは大違いだ。

 

「そうですね。岡部さんはあれくらいの頃、未来ガジェット研究所を作ってましたからね」

 

「そうだったな」

 

昔を懐かしむように鈴羽は目を細めた。

 

「ところで鈴羽。さっきの学生に最後に言った言葉の真意はどっちだ?」

 

「岡部さんが思ってる方できっと正解ですよ」

 

鈴羽は俺の指に自分の指を絡めながら言った。

 

まぁ、確かに、タイムマシンが存在しなければ、俺達はここにいないんだからな。

 

この時代に作ることができるかは別として。

 

そう考えると鈴羽はただ理論を語っているだけかもしれない。

 

「ま。そんな小難しいこと考えなくていいじゃないですか」

 

それより今日の晩御飯、何にしましょうか?

 

鈴羽は俺を引っ張る。

 

「どうせ俺が作るんだからそこまで手のかからないものにしてくれると嬉しい」

 

「私が作ってもいいんですけど……」

 

「いや、遠慮しとく」

 

そうですか。残念そうに鈴羽は肩を落とした。

 

別に鈴羽の料理は下手というわけではないのだが、材料が2036年の感覚なのか、虫やら、草やらで得体の

しれない物が多いのだ。

 

味もおいしいのだが、いきなり「今日は、イナゴとカブトムシの幼虫ですよ」と言われて気持ちよく食べれ

るほど俺の精神は強くなかった。

 

それに、一度、なんの料理だったか分からなかったが、体質的に受け付けなかったのか二日間ほど腹痛で寝込んだことがあってから料理は絶対に俺が作ることにしている。

 

それ以外の家事は大体折半している。

 

「じゃ、じゃあ肉じゃが作って下さいよ」

 

岡部さんの作る肉じゃがってジャガイモがホクホクしてて美味しいんですよね。

 

なんか、食べた記憶はないんですが、お母さんの味って感じがします。

 

「そうか?まぁ、別にかまわないんだが……」

 

俺も自慢出来るほど料理がうまいわけじゃないから、そこまで褒められると逆にハードルが上がって辛い。

 

俺が作る料理のほとんどは2010年の時にラボで試しに作ったものか、母親の作ってる姿を後ろから見ていた程度のものだ。

 

なんにせよ、鈴羽が喜んでくれるのならば、特になにも言うことは無かった。

 

俺達は八百屋によって材料を買って帰路に着く。

 

「それにしても……」

 

俺が作った肉じゃがを美味しそうに頬張りながら、鈴羽は話を切り出す。

 

「あの学生さん。なんか変えたい過去でもあるのですかね」

 

それくらいの意志がなきゃ大学の授業を受けているだけの教師の論文なんて読んでるわけありませんしね。

 

「もしかしたら、鈴に惚れたのかのしれないな」

 

「……ッ」

 

予想外のことを言われて驚いたのか、思いっきりむせていた。

 

「な、なにを言い出すんですか…」

 

びっくりしましたよ。と鈴羽は言う。

 

「強ち間違ってないと思うんだがなぁ……」

 

「なんでですか?」

 

俺が惚れているからとは言えなかった。

 

晩御飯を食べ終えた後俺達は居間で二人して何をするわけでもなく、ただお茶を飲んでいた。

 

「鈴は……鈴。ちょっと散歩するか」

 

はい。鈴羽は頷いて、外に出る準備を始めた。

 

「こんな夜に二人して歩くのは久々ですね」

 

「そうだっけか」

 

「そうですよ」

 

そう言うと鈴羽は俺の腕に抱きついてきた。

 

「お、おい」

 

腕に当たる、柔らかい感触に俺はドギマギする。

 

「いいじゃないですか。誰も見ていないんですから」

 

そう言うとさらに俺の腕に抱きつく力を強めた。

 

「まぁ、そうだな」

 

幸い夜だし、知り合いに会わなければ一向に構わないか。

 

「ねぇ……岡部さん」

 

「ん?なんだ」

 

「2010年のことをなんか話して下さいよ」

 

別に私のことじゃなくてもいいですから。と鈴羽は言った。

 

「そうだな……」

 

それから、俺は道中色々なことを話した。

 

ここらへんは、2010年には電気の街と同時に漫画やアニメの聖地になっていることや、メールどころかテ

レビも見れる携帯電話があるなど他愛のないことを話していた。

 

その一つ一つに鈴羽は驚いたり、興味を持ったり様々な反応していた。

 

「2010年……遠いですね」

 

その時私達は、50歳は超えてますね。と遠い目をしてどこかを見ていた。

 

さて、帰りますか。

 

鈴羽は満足したように笑う。

 

帰り道、来た道をそのまま帰るのはつまらないと鈴羽が言ったので、違う道を通って帰ることにした。

 

「あ、見て下さいよ岡部さん」

 

鈴羽が指差した先には公園があった。公園にしては珍しくジャングルジムまであった。

 

鈴羽は俺の腕から離れてジャングルジムに昇る。

 

するすると、年不相応な位流れるような動きで頂上まで昇ってしまった。

 

「ねぇ岡部さん」

 

鈴羽は頂上から俺を見下ろす。

 

月の影になって表情はよく見えなかった。

 

「なんだ?」

 

 

 

鈴羽さんって誰ですか?

 

 

 

そう言った。

 

「……だ、だから、前に、鈴によく似た知り合いがいたんだよ」

 

嘘ですよね。と鈴羽は言った。

 

「別に、2010年にいた時に好きだった人の名前だったとしても構いませんよ」

 

岡部さんはその娘より私を選んでくれたんですから。

 

「……もう一度聞きます」

 

鈴羽さんって誰ですか?

 

十五夜の月が俺達を静かに照らしていた。


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