病室内に鳴り響く心電図の音。その弱々しい鼓動を男はぼんやりと聞いていた。
『父さんと母さんが・・・・・・!?』
最初は信じたくなかった。いや、認めたくなかった。父と母が死んだなど何かの幻聴だとそう思いたくなるほどに。
父母の葬儀はつつがなく行われた、その頃になると、男はようやく現実を受け入れるようになった。男の下で涙を流すのは男の弟妹達だった。
それが、男の最初の決意。
葬儀の後、男は働くことを決めた。しかし、それに猛反対の意を唱えたのは男の叔父だった。
『ガキが、子供が責任だのなんだの言うんじゃねぇ。そういうのは大人の仕事だ。悔しかったらせめて高校を卒業してから言いな』
叔父も八人の子供を育てるほど経済力に恵まれているわけじゃなかった。それでも父や母の遺産を食いつぶしながら生きていた。勝手に遺産に手を付けることもあったけど、それでも八人全員が大学に行くまでの資金までは絶対に手を出さなかった。
男も少なからずバイトなどをして家計を助けた。
高校卒業後、男はとある食品加工業者への就職が決まり、それからは身を粉にして働いた。
『兄貴、俺野球してみたい』
そういった三男のために、上司にかけあって野球道具の工面などしてもらった。そんな弟は今ではプロ野球選手だ。人生、何があるかわかったもんじゃない。
次男は大学進学を決めて、今では法律関係の仕事に就いた時はこれほどうれしいことはなかった。
末の妹が大学を卒業して就職を決めた頃、男は三十になっていた。
『お前、最近はなんかボーっとしてること多いな』
『えっ、はい』
その頃になると、会社。特に上司からそんなことを言われるようになった。
『うーん、お前んとこもさ、末の子が就職したからと言って、気ぃ抜くなよ。それともなんだ、気分でも悪いのか』
『うーん、そういわれると、なんかだるいですね。ちょっと仮眠していいですか』
『おう、お前はまじめすぎるぐらいだからな。ちょっとぐらい休んだっていいさ。俺が保証する』
ふらつく意識に妙な気持ち悪さを感じながら、オフィスのドアを開くと、そのまま埋没するように意識は暗闇に落ちていった。
目を覚ますとそこは病室で、腕には点滴を打たれており、体を動かすこともままならなかった。
『過労ですね、末の妹さんが就職を決めたそうで、そこで緊張の糸が切れたんでしょう』
医者はそうあっけらかんにいうと、同時に注意をしてきた。男が倒れたと報告を聞いた弟妹達や、会社の同僚や上司もお見舞いに来た。
『最近は健康診断も受けてないそうですし、この際ですから一気に検査しましょう』
男は最初渋ったが、弟妹達の熱い反対のせいで受けざるを得なくなった。その言葉がさらに男を地獄に叩き落とすとだれも知らなかった。
『悪性リンパ腫、ですか?』
悪性リンパ腫、循環器系の病であり、外科手術で治すことは不可能であり、放射線治療や化学治療によって病を緩和していく。
『そして重大なことですか、この病に完治はありません。緩解はありますが、いつだって再発するケースはあります』
そしてそれには莫大な費用が掛かることことも示唆された。男は難色を示すが、他ならぬ弟妹達は許さなかった。
『兄貴、俺はプロだ。治療費ぐらい簡単に工面できる。
―――兄貴にはいっぱいもらったからな、このくらい気にすんな』
金の工面もそこそこに男の闘病生活が始まる。闘病生活はつらく、苦しいものであった。しかし、そんな困難の中で頑張れたのは、ひとえに家族の支えがあったからこそだ。
暇があればよく病室に来る叔父、病気の発覚とともに急に籍を入れて結婚を決意したすぐ下の妹、ほかの兄弟たちや会社の同僚や上司もよく見舞いにきたり、愚痴をこぼしたりとあったが、男にとっては心地よい空間であった。
そして何よりも勇気を与えてもらったのが三番目の弟の存在だった。
入団して三年目、メキメキと頭角を現し、一軍出場。加え持ち味の俊足好打を生かし、盗塁王、首位打者、ベストナインにGG賞、新人賞を獲得、日本一にはなれずとも、リーグ戦では優勝。オールスター出場を成し遂げた。
何度も何度も、釘付けに成る程テレビを見て、その度に奮起した。
そして、三年の歳月を超え、見事緩解。みんなに迷惑をかけたことを詫びながら退院式を執り行った。名球会入りも目前となった弟が有名だったため、一部の新聞社に絡まれたがご愛嬌といったところだろう。
会社にも復帰し、昔のような日常。しかし、少しだけゆったりとした時間を過ごしていた。
甥姪にも囲まれ、これ以上ないほどの幸せだった。そして、幸せが来れば、同時に大きな不幸もやってくる。
悪性リンパ腫、再発す。
このころになると、放射線治療は病気以前に、病人の体を蝕んでしまう。とれる方法は、薬品治療に頼るほかなかった。
男はそれでも必死に生きた。頑張って、頑張って。病気を倒そうと何度も戦った。なけなしの毛髪もなくなり、体の肉もだいぶ落ちても、それでも男はあきらめなかった。
『いいか、俺なんかより早く死ぬんじゃねぇぞ』
『問題ねぇよ兄貴。何せ俺はレジェンドだ』
闘病生活、八年目。男の体は、もうボロボロだった。
弱弱しい心電図の音が病室内に鳴り響いていた。
『ごめんな、金。無駄にしちまって。お前はちゃんと勝ってたのに、俺は負けちまった』
弟は声を押し殺すように泣いていた。
『すいません。俺、叔父さんより先に逝きます』
『バカ息子が・・・・・・』
叔父は、歯を食いしばり、不機嫌そうな顔をしていた。叔父は涙を見せなかったが、心の中ではおそらく誰よりも自分を責めていたはずだ。
『ねぇ、お兄ちゃん。つらい?』
そういったのは、末の妹だった。
妹はそういうとゆっくり、ゆっくりと腕をさする。
『大丈夫、大丈夫。痛いの痛いの、飛んで行け』
ふと思い出すのは、とても懐かしい記憶だった。父や母が亡くなってすぐのこと、この末の妹はそんな辛さから逃れたいのか、よく家を出て行って中々帰ることがなかった。暗くなっても帰らなくなるのを心配して、男が探しに行ったとき公園でうずくまる妹の姿があった。
どうやら転んですりむいてしまったらしい。
『痛いの痛いの、飛んで行け』
そういいながらあやして、おんぶして家に帰った。
(ああ、そうだった)
つらいこと、苦しかったこと。いっぱいあった。
それでも、男の前にはこれほど悲しんでくれる人たちがいる。それが、少しうれしい。
『おれ、は・・・・・・、
呼吸が浅くなる。息苦しいはずなのにそんなことはなくむしろ靄がかかって心地よいくらいだった。
これが死か、男はぼんやりとそんなことを思う。
貧しかった生活、ただひたすらに尽くして、走り切った人生。迷惑をかけて、迷惑をかけられて。それでも・・・・・・。
不意に思い出すのは、かつての退院式。皆が笑顔で、笑っていた。
あの笑顔はきっと本物だ。男はそう信じて疑わない。
きっと大丈夫。みんななら乗り越えられる。
特に次男なら大丈夫だ。誰よりも芯の強いあの子なら、今度はみんなを引っ張っていける。
かつて自分がそうだったことを思いながら、彼は二度と息を吹き返すことはなかった。
『・・・・・・ピ――――』
享年四六歳の夏の出来事だった。
「○○、○○」
誰かが、自分を呼ぶ声がする
「ここだ○○」
一人の長髪の男がそこに立っていた。
不思議なことに体が軽く、まるで健康そのもののようだった。
「初めまして○○。私は君らの世界でいう、神と呼ばれる存在だ」
不意にそんなことを言われる。中々に面白いことだ、するとここは死の世界なのだろうか。
「いいや、ここは生と死のその狭間の世界だ。兎も角、○○。良い人生を生きたな」
ああ、それはもう、思い残すことのない人生だった。
神は穏やかな笑みを浮かべると、話を切り出す。
「○○、ここは生と死の狭間。つまりは輪廻転生の間だ。君には新たな人生を生きてもらう」
決定事項なのだろう。有無を言わせぬ態度がその所作だ。
「心の整理は出来たかね。それか、何か言いたいことでもあるなら聞こう」
言いたいことは、一つある。
もしも、もし、叶うならば。―――あの時と同じ、幸福な人生を歩みたいということだけだ。
「ああ、そうだな。―――願わくば、君の人生の幸おおからんことを」
神様転生モノでは前世が不幸だったとか、神様のミスで死んだとかそれとは逆にしぶとく生き抜いた系の話。
きっと主役より脇役のほうが映える、兄貴ポジでオリ主も原作キャラも踏み台も救って死ぬポジ。