戦争前夜その①
【ーイギリス 某所ー×××教会ー】
「神父様。紅茶を」
「ん、ありがとうローイ君。君も座りたまえ」
薄暗い一室。
おおよそ神父の私室のような場所に、神父服を着た白髪の老人と、同じような格好をした背の高い青年が居た。
老人は木で造られたいかにも高級そうな椅子に座っており、青年はその横で寡黙に立ち尽くしている。
しばらくすると老人がテーブルの上に両肘をついて口を開く。
「さて、話を進めましょうかみなさん。まずは現刻までに発見された欠片の所有者の詳細を」
「そんな悠長な話をしている場合ではない!!」
神父の席から右に二つほど離れた場所からテーブルを叩く音と怒声が響く。音の主は他の者に意見を言わせる間も与えず自分の考えを口にしようと再度テーブルを叩く。
「既に欠片が世界各地で発見されているのは明白だろう!!?現に、あの“日本”とかいう小国では四体ものサーヴァントの召喚が確認されている!!
そやつ達は我々に戦いに参戦することを報告しているにしても、残り五つの欠片がもし協会や、もしくは聖堂協会なぞに見つかったらぁ!!」
「落ち着いてくださいミスター。また血糖値が上がりますよ」
神父が興奮している男を諌めると他の席から失笑が続いた。
結果的に恥をかいてしまった男は黙り、それを確認した神父は改めてと話を再開しようと口を開く。
「ええ、ミスターが言うように状況は順調に進んでおります。
現在、確認された欠片の所有者は全部で七人。そのうち、サーヴァントを召喚したものは四人。つまりこれは我々の大いなる挑戦への開幕がもう間近に近づいているということ」
その言葉に、ある者は唾を飲み、ある者は青冷め、ある者は期待に胸を踊らせた。
「我らが師が、祖があの“彼の者”の工房から“満たされし聖杯”を奪ってから、早60年。師達は聖杯を十の数に割、あらゆる場所に隠した。
だが、我らが信ずるべき師達の唯一の誤りはそれでした。あの神の移し身を割り、あまつさえ世界各地に隠すなど愚行の他に何と言えましょう。
だからこそ我らが正さねばならん。
あらゆる者の願いを叶え、あらゆるものを悦えと導く快楽の杯を我らが手に」
神父が空になったティーカップを上げると他の者達も一斉にグラスを掲げ、同時にそれを叩き割った。
●
あんな会議の後、いつも部屋の掃除をするのは自分の仕事だと、見習い神父のローイ・オールキーは理解していた。
今日はいつにも増して幹部方のテンションが高かったと考えながら、早く終わって良かったとも思う。
あのまま進んでいてはもしかしたら自分にまで話が降ってこられそうだったからだ。
「ローイ君」
箒で割れたグラスの破片を集めていると後ろから声をかけられた。
振り向くと扉の前に神父が立っている。
「ちょっと、ついて来てくれるかね」
神父がこちらの返答も聞かず廊下を歩きだしたものだから自分も仕方なく後を追うことした。
ここは教会としての機能がまったく使われていない。山の中の辺鄙な教会のせいか、平日でも昼間でも人は来ず、仕事といったらさっきのような掃除か庭の雑草むしりぐらいだ。
就職場所間違えたかもしれない、と考えたのももう数えられないほどだ。
「君はもう聖杯については大方知っているのかな?」
「えっ?いえ、私はただの見習いですので」
「ふむ。教えていなかった、知らなかったのか」
神父は顎を一度触ると両手を後ろに回して話を始めた。
「聖杯とは、まぁ簡単に言ってしまうと願望器だ。あらゆる願いを叶え力をもつといわれる、人間達の欲の塊」
「はっはい。それぐらいはなんとか。聖杯はその器に意味があるのではなく、器に満たされるものに意味があると」
若き聖職者の答えに、老年の聖職者は優しく微笑んで頷きを返した。
「よく知っているね。そう。聖杯とは盃にすぎない。ようはそこに注がれるものがなんであるか、だ。美酒なのか、毒なのか、はたまた泥なのか。
だからこそ聖杯はいくつも存在し、器が変わる度にそこに注がれるものも様々だ。
かつてある国で聖杯を巡っての戦いがあったが、その戦いの勝利者が呼び起こしたのは確かに願いを叶えるものではあったが多くの欠陥があった。美酒ではなく麻薬のようなものだったそうだよ。過程は良くてもその結果が酷い」
神父は曲がり角に入ったところで立ち止まった。
「何故だが解るかい?」
神父の問にローイは答えが思いつかず
「それはね、充分に熟成できていなかったからさ」
愉悦、だろうか。この神父はこの話を若人にすることに快楽を感じているようにローイきは見えていた。
「酒が熟成したら飲もうと取り出すなんて甘い甘い。そんなことでは子供に飲ます甘酒ぐらいにしかならんのだよ。
ルーイくん。酒というのは待てば待つほど旨くなる。
本当に旨い酒が飲みたいのなら、器にまで染み込むほど酒をたっぷり注がなくては」
神父が一瞬振り向く。その瞬間に、確かにローイは恐怖を感じた。
普段お人好しがすぎるほどの慈悲に満ちている神父とは思えない、悪魔のような一面が見えた気がして。
「だからこそ過去の魔術師達はそれを創ろうとしたのだろう。おおよその聖杯伝説より始まりし聖杯の出現は、魔術師達の目標となった。聖杯を呼び起こすというのは奇跡であり、奇跡というのは魔術師達の最も得意とする点だからね。
そして、魔術師達の集まりから離れた場所に存在している異端の者もまた、自分も魔術師の一人だと聖杯を求めた」
そこで横を向いた神父の目は細められていた。
「“彼の者”。私も名前は存じ上げなくてね。しかし彼は優秀な魔術師だった。異端でありながらたくさんの同士をもち、魔術協会からも教会からも疎まれようと、彼は自身の研究に没頭した。そしてついに、聖杯を呼び起こすことに成功はしたんだ」
「変な言い方をしますね。まるで呼び起こしただけみたいな」
「ああ、彼が行ったのは聖杯を『呼び起こし続けた』ことだけ。彼は自身のもつ工房、洞窟の中で何十人もの同士を犠牲にしたんだよ。一度に同士達の中から七人選出し洞窟の中に入れる。
洞窟に入った七人のうち、一人でも命が尽きたものが出たら外から代わりに一人追加する。ダメになったらそのまた次。そうやって聖杯の中身をずっと汲み続けるために多くの同士達を利用してきた」
まるで悪魔の所業だ。と、ローイは内心歯噛みする。
「そんなことが可能なんですか?」
神父は若干、苦笑気味に笑う。
「聖杯を稼働させるには、まず大量の魔力が必要だ。聖杯の中身となるものを聖杯の中に汲むためには、大量の魔力を使って、人知超えた存在、座という場所から“英霊”を呼び起こさなくては始まらない。
聖杯の中身とは呼び起こされた英霊達が座に帰るときに開けられる穴から溢れ出てくるものなんだよ。
だから七人の同士たちの意味は英霊達と現世を繋げるためのパスポート役って訳だ」
正直なところ、ルーイの拙い思考力はパンク寸前であった。
「ハッハッハッ。だからまぁ、そうだね。パスポート役の者達にも一応特権が与えられていてね。どこかの秘術を参考にしたとかで、呼び出した英霊達を一度だけ必ず命令に従わせる、令呪という名の魔術が施されたそうだ。
さて、これからなにをするのかというとだ。英霊達を座に還すためには、彼らを殺さなくてはならない。ではどうやって殺したと思う?」
「………そのための絶対命令権?」
「そう。実際のところ、人知を超えた存在達には大変失礼なことだが、呼び出した英霊は手当り次第に次々と令呪で自害させられたそうだ。感のいい英霊なんかは気づくだろうから、死の痛みに耐えながら自分に自害を命令した者を殺害しようとする英霊もいただろう。そのための交代制だ。“彼の者”は英霊を何度も呼び起こしては一度に自害させて中身を注ぐための孔を開く。
彼らはそれほどまでして、死者を冒涜してまで、聖杯を完璧なまでに熟成させたかったのだ」
「でも、そのための魔力はいったいどこから」
「それが“彼の者”が異端者として迫害された原因でね。彼は魔術協会から封印指定を受けていたんだよ。誤って“他人の身体にだけ常に満タンの魔力を供給できる”なんて魔術を身に着けてしまったばっかりに
まぁ所詮は人の魔力料の満タンだからね。供給できるのも自分の魔術回路と酷似した者のみだし、人の満タンなんて、魔力の渦である聖杯の中身には遠く及ばない量だ。ただ、満タンにした人間を英霊達と同じように同時に殺せば、また次の英霊を呼び起こすための糧となる。
魔術協会から逃亡した彼は、自身が死んでからも軽く何百年かは聖杯を呼び起こし続けたそうだ」
「じゃ、じゃぁ、今はその満たされ続けた聖杯はどこに」
それはね、と振り返った神父の右手には聖職者が護身用として持つには些か大口径な拳銃が握られていた。
「 」
回避する間もなく銃声が鳴り、ローイは膝から地面に崩れ。
「がっ……!!?なっんで………!!」
「ローイ君。実は私は君が初めてここに来た時から、君が密告者だということを知っていたんだよ。ああ、君にそういう命令をしたのが誰なのかも大方検討がつく」
「!!」
ローイが驚くのも無理はない。
目の前の老人は今自分の正体を知っていると言ったのだ。しかも、自分の上司の存在まで。
「じゃぁ君は今こう思ってるはずだ。
『なら何で自分の正体を知っていながら自分を殺さなかったのか』と。簡単だ。
もう隠す必要がないからだよ」
拳銃の弾が再装填され銃口がルーイの額に隙間なく付けられる。
もはや怯えきったルーイには目の前の老人が神父になんて映っていない。震えきった唇ではまっとうに声を発することも出来ない。
「ひっ、ひひひ、つようがな、い?」
「君もさっきあの場に居たんだから知っているだろう?」
ギコリ、という引き金に指を当てた音が鳴り、神父の表情もそれを聞いて悦に浸っている。
其処には元の優しい神父様の面影など、微塵も残っていない。
「開幕は もう間近だ」
それから二度。二回銃声が鳴ると辺りは静かになったが、神父の背後には多くの信者達が集まっていた。全員が黒服で、片膝を地面につき神父に忠誠を誓うような格好をしている。
「さて、どこかで見ているんだろう?アルフレッド・オーバーランス。
君のような男があの“満たされし聖杯”の情報収集のために、密偵一人だけをよこす、というのもありえないだろうからね」
神父は広場にある草木に向かって語りかける。返事はないものの神父には相手の素性がわかっているように話を続ける。
「酷い男だ。ルーイくんは囮だったな。期間に成功しまいがしようが、どちらにしても殺すつもりだったのだろつ。まったく手掌な男だよ」
神父は忌々しそうに草木を見たあと、やれやれと息を吐いて表情を緩める。
「聖杯が欲しければまずは欠片を集めることだな。それが参加資格であり、武器であり、報酬でもある。全ての欠片を集めたとき、末世への門は開かれる」
それを言うと神父は草木に背を向け、また腕を後ろに組んで歩きだした。
信者達も当然のようにその後を追い、一人の信者だけ広場の空中に跳ぶ。
「ああ、言い忘れていたよ。欠片集めろとは言ったが、ここにある欠片は狙わない方がいいぞ。恐ろしい番犬がいる」
神父の笑い声と共に、空中に跳んだ信者によって監視体であった使い魔は破壊された。