○【聖杯統合開始初日―日本・喝馬町】
「んで、これが令呪ね」
頭上に掲げた自分の右手を見て、ソファに寝転がってだらけている学生、早眞冬児は呟いた。
その横には長い黒髪をした少女が壁に肩を預けながら珈琲を飲んでいる。その服装は初めて現れたときとは違って、Tシャツと黒のロングスカートというラフな格好に着替えられていた。
「大事に使え。我は別にそなたを裏切ったりせんが、もしものことがあるかもしれんからの」
などと、いきなり現れた居候は古風な喋り方をしながら図々しくも珈琲のお代わりを求めてくる始末。
アサシンとの戦いを終わらせた後。変わり果てた姿になった壬生カグラを連れてこのキャスターと名乗る少女と自分の家に帰還した。
常識離れした出来事の連続のせいか、またはただ単に誤魔化してきた身体にガタが来ただけなのか。冬児は家に戻る途中で気を失ってしまったらしい。
目が覚めたらどういうことか自分の家のリビングで目を覚ました訳で、しかも傍らで優雅に珈琲を飲んで目をキラキラさせている着物美人がいると来た。
それで、吐いた。纏めると嘔吐した。
自分を救ってくれた着物の少女、キャスターの顔を見て嘔吐したといったら大分と失礼な話で本当に申し訳ないのだが、フラッシュバックというやつだろうか。多くの軍人が体験するアレを自分が体験するとは思わなかった。
体験したこと、大切な人の無惨な姿、自己に対する弱さへの怒り。
非力だと自身を責める冬児にキャスターは眉を下げて語りかける。
「そなたが悪いのではない。自分を責めるでない。憎むのなら己ではなく、自らの敵ではなく、現在の世界を憎め。いくら憎んでも世界は恨み言なんぞ言わん」
励ましてくれた、のだろうと素直に感じた。
その言葉を聞くと不思議と楽になり、彼女にありがとうと少々照れながら言うと、キャスターは口元を少し緩めて笑って見せた。
その後、アサシンに切りつけられるわ階段から転げ落ちるわでボロボロになった服を着たままだったので着替えることにしたのだが、丁度この前カグヤが家に泊まったときに忘れた服があったのでキャスターに貸すことにした。
特に意味は無いのだが、着物のしかも古風な話し方をする人が目の前にいるのも慣れないので、せめて先に口調だけでも慣れようと服を着替えてもらいたかったのだ。
ちなみに、カグヤが家に泊まったのは決してやましいことをするためではないと弁解しておく。たまたま大雨が降って、たまたま家の近くで降ってきたので、仕方なく半日過ごすだけになった。だからカグヤが『何故か着替えを持っていた』のもたまたまなのだ。カグヤが水系統の魔術が使えるのもまったく関係ない。
着替えを済ませた後、妙に貸した服装に馴染んだキャスターがリビングで正座して待っていた。
冬児が帰ってきたのを確認するとキャスターはちょいちょいと此方に来いと合図をし、一瞬にして身体の隅々まで手当された。骨とか何故か折れていなかったが、キャスター自身すごく気になっていたのか「これぐらい、大丈夫」と言うとものすごい形相で怒られた。
手当された後、キャスターの放った使い魔を通してさっきの現状を聞くことになる。
聖杯統合戦。
魔術のこととか教会とか協会とか、魔術師ではない早眞冬児にはさっぱりわからないが、要はその願いを叶える戦争に巻き込まれてしまったらしい。
目の前にいる“キャスター”と名乗る少女を呼び出してしまったことによって。
「我を呼び出す前になにかの破片に触れたじゃろ。それが先程の監督役が言っておった“聖杯の欠片”じゃ。
言わばそれが我の元々居た空間とこの世界との門となり、お主の右手に疑似の令呪を宿すことによって我をあの屋敷に召喚させた」
「……キャスター。出来ればもうちょっと簡単に言ってくれないかな。俺はそこまで学はないんだ」
「なにわかっておる。お主は馬鹿ではないが物分かりは悪そうだからの。要はお主が欠片に触った瞬間に我はお主との契約を成立させたということじゃ」
優しいのか辛口なのかわからないキャスターだが、柔らかくと説明してくれたのは助かった。
「まぁ我の本来のマスターはお主ではなく、あの女魔術師のようだったそうじゃが。あの女子が事前に儀式を進めていたおかげでお主が触れるだけで我が召喚できたのじゃから」
「……………」
思わず冬児は黙ってしまう。
カグヤは、端的に言うと一命をとりとめた。
冬児が意識を失っている間に何らかの魔術儀式を興ったらしく、今は早眞邸の地下室で『眠ってもらっている』。 しかし、以前その身体は肉塊のようなままで、人の姿を保ってはいないらしい。
「あれは完全に魂の理念を捻曲げられておる。人間が人間としてある原則が破壊され、今は生物としての有り方を保つのがやっとじゃ。とりあえず我の道力で魂を肉体に繋ぎ止めてはいるが、根本的な解決にはなっておらんぞ」
だからこそキャスターは言う。
「あやつを助けたければ聖杯を求めよ。それこそがお主がいますべきことじゃろう」
「…わかってる。でも、どうすればいいんだ。その残り8人のマスターってのを倒せばいいのか?」
「いや、“聖杯戦争”ならまだしも“聖杯統合”なら必ずしもその必要はなかろうよ」
珈琲を飲み干すと、キャスターは空になったカップをテーブルに置く。
「8人ではく、最初は8組じゃマスター。その8組を順番に打ち負かしていき、欠片を集め、教会にある最後の欠片をもらい受け、合計十全ての欠片を集めることで聖杯は完成する。欠片さえ集められればマスターやそのサーヴァントの命を奪わなくてもいいんじゃよ」
「サーヴァント……」
「そうサーヴァント、我ら“英霊”のことじゃな。今回の戦いは聖遺物さえなければ、この日本の地の英雄が呼び出されることになっておる。勿論我もその一片じゃ」
そう言い放つ自信満々の彼女を見る。
英霊。監督役や目の前にいるキャスターの話を聞く限りその存在は自分などとは比較にならない高位のもののことを指す。
国を救った王。竜を狩った勇者。人々の憧れの的となった冒険家。数々の異形を成し遂げた英雄達は、死して“座”という場所に高位の者としてその魂を昇格されるらしい。
キャスターもその一人らしく、実際、自分も彼女が暗殺者や獣の動きを止めたのを目の当たりにしている。
あんなことができる女だ、キャスターと名乗るぐらいだし絶対にどこかの神話の魔女に違いな、
「これ。なによからぬことを考えておるか」
前方から眉間にチョップがくらわさられる。
「いてっ」
「だいたい考えておることは分かるが、我はこの地の英霊じゃ。日本生まれの日本育ち。何度か離れたことはあるが、だいたいはこの国で暮らしておった」
少々不機嫌になったのか、キャスターは膨れ顔になっていた。話を反らすつもりで慌てて口を開く。
「じゃ、じゃあ、キャスターの本当の名前はなんだっていうんだよ?」
「ん」
「いやだからさ、“キャスター”ってのが本当の名前じゃなくて、サーヴァントとしてのクラス名ってやつなんだろ?それなら本名はなんていうんだ?」
「んん」
キャスターの表情は、見たところしかめっ面に近い。怒らせるようなことは何も言っていないつもりなのだが。
…もしかしてあれだろうか。本名が笑っちゃうぐらい変な名前とかそういうオチではないだろうか。
そのような名前の日本の英雄など、早眞冬児の人生の中で目にしたことはなかった筈だが。
「……なんだよ。言いたくないのか?」
こちらもむすりした顔で言うとキャスターは吹き出した。口許に手を添えて、クスクスと笑い合間に「いやいや」と繋げる。
「いや、お主があまりに愛らしいのでな。フフッ、つい笑ってしもうのたのじゃ、許せ」
なにがそんなに可笑しかったのか。でも、愉しそうに笑う彼女の姿を見ると、こちらも少し肩の荷が落ちた気がした。
そうやって口元が緩んだ自分の頬に、目の前から女の細い両手が添えられる。
「………ッ…………!!」
目の前にはキャスターの切なそうな笑顔。
両頬には少しばかり冷たい女性の白魚が。
健全な一男子からしたら心臓破裂寸前であった。
「きゃっきゃすったーっ!?」
「怯えるでない。なんというかだな……別にお主に隠したい訳ではないのだがな。一言名を語ればお主は納得してくれるだろうし、事情を話せばそれも歴史の流れとしてお主が受け入れてくれるのはわかっておる。
しかしな、もしこの戦いに魔術師が紛れているとなると我の真名を知っていると面倒になる可能性があるのだ。
だからもう少ししたら必ず教える故、重ねて許せマスター」
そういって申し訳無さそうに表情を曇らせるキャスター。
そうだ、この戦いは元々魔術師が発端となって始まったもの。当然、早眞冬児のような普通の人間などではなく魔術師の方が多く参加している筈。
昔、まだ魔術師の掟なんか全然知らないぐらい小さな頃にカグラに教えてもらったことがある。
魔術師には直接他人の精神に影響を及ぼしてくる者もいると。
そうなると、魔術に対してなんの対抗策も持っていない自分がそんな魔術をかけられるとどうなる?
あっさりと敵に自分の、いやこのキャスターの情報さえ漏らしてしまうのではないだろうか。
「ごめんキャスター」
「えっ」
驚いた表情のキャスターの手を自分の頬と挟む形でそっと握る。
「俺はなんにもできない奴だからさ。同じようになんにもわかっちゃいないんだ。まだ戦いは始まったばかりなのに、お前に負担をかけさせてごめん」
座ったまま素直に頭を下げた。
「えっいや、待てマスター。主がそう頭を下げるでないっ!」
「いやこういうことは初めにきちんとしておかないと」
それから十秒程の沈黙が続き、キャスターが観念したかのように息を漏らす。
「恐ろしく真面目な男よな。それで自身の身を滅ぼすか、心配で溺愛してしまうほどじゃ」
穏やかな声に顔を上げると、キャスターは目を瞑っております、その表情は微笑みに包まれていた。
それが自分をどう思ってのことなのか俺にはよくわからないけど、キャスターはただ嬉しそうに微笑んでいた。
●
「対抗策?何に対してのだ?」
「無論敵陣営に対してのに決まっておろう。どこまで抜けておるのだ」
さっきまで庭に出ていたキャスターが溜息混じりに口を釣り上げながら、風呂敷のようなものを広間まで担いでくる。
テーブルに置かれたそれは見た目からして結構な質量に見えるが。
「なんだよその大荷物」
「魔術師ではないお主は知らぬと思うが、元来、“キャスター”に選ばれる英霊は他の英霊達に比べれば非力なものなのじゃ。こと白兵戦においては“セイバー”や“ランサー”が群を抜く。まぁ同じ“キャスター”でも、蹴り技使う奴とかおるがの。それで言っても昔から怪しげな術を使う者を叩くのは武芸者か同じ術者のどちらかじゃ」
少し儚そうに呟いたキャスターは風呂敷を机全体に広げ、中にある高価そうな品物を次々と机に置いていく。銅で作られた古い道具をいくつかと、それとは変わって現代風の男性用の衣服が一式入っていた。
「あいにく我には武器も防具も基礎からは作れん。だから我の持ち物とお主の部屋にあった服を使って防具らしき物を作っておいた」
キャスターが差し出した服は冬児が二日前に着て昨日タンスに閉まった物と同一だった。触れても畳んだ時と同じ柔らかな触感を保っており、とても防具と呼べる物とは思えない。
「あいにく、現界するための最低限の魔力は主催者側から供給されていても、我に送られる魔力はそれだけでの。流石にこれからのことを考えると防具もこの数までしか揃えられなかったのじゃ」
「………」
キャスターが作ってくれた防具を見て申し訳ない気持ちが胸に溜まる。
サーヴァントである英霊達をこの世に留めるための魔力源は元々その主であるマスターが支払うものらしいのだが、今回の戦いではそれがない。その追うべき責任はマスターではなく主催者側が負ってくれるというのだから、冬児やあの“アサシン”のマスターのような魔術師でもない連中がサーヴァントを使役できているのだ。
だがそれはあくまでこの世に留める分だけ。その分、魔力供給ができないマスターをもつサーヴァントは戦闘の度に弱体化するし、英霊の象徴ともいえる『宝具』を使うことすらできない。
預金が多いほうが有利となるのは、現代社会のルールと全く同じだ。
「いやありがとうキャスター。十分だよ」
「じゃが流石にお主用の武器は作れんくての。お主の家は無駄に広いクセに骨董品の刀一つもおいてないのかえ?」
「見た目ほど金持ちじゃないんだようちは」
ジト目で睨みつけると彼女はまた心底愉快そうに笑ってみせるだけだった。