○
少年と女――ラインとフランは走る。
走り出してからどれ程の時間が過ぎたのか。計測するつもりもない二人にはそれは解らない。
しかし彼らは時間を目標にただ闇雲に走っている訳ではないのだ。
灯りもついていない暗闇を進行する二人はどれだけ息が切れても、脚が悲鳴が上げても、両脚を止めることだけはしなかった。
目的の願望器――聖杯を見つけるまでは彼らは止まれない。
彼らには願いがある。魔術回路を持たない人間でありながら、聖杯戦争という異形の戦いに参加するだけの理由がある。
今は立つことさえできなくなったラインの父親を救う。
どんなに大金を積んでも治すことのできないその病を治療する為には、人の理を超えた力、即ち願望器の力が必要となる。
理由は、それだけではない。
初めは自分達だけの戦いだった。一般人の犠牲は最低限に、それが奇跡の秘匿を第一とする魔術側が取り仕切る聖杯戦争のルールの1つだと聞かされていた。
なのに現状はどうだ。
ラインは自分達が今居る遺跡の窓のような役割を持つ穴から町の光景を見て、思わず絶句する。
地上に溢れかえる悪鬼達と映画でしか見ることが無かった常識外れの怪物達。躊躇いなく人々を殺す機械人形。
これが現実か。これが悪夢でないのだとしたら、この世はなるほど地獄と呼ぶに相応しい。
しかし、それでもラインは以前のように絶望しない。諦めはしない。
その泥臭い極意を教えてくれた友人が今もまだ戦っているのだから。
そうこうしている内にまた新たな曲がり角が現れる。
正しく迷宮と呼ぶに相応しいこの回路は一体何処に繋がっているのだろうか。ラインはともかく、そろそろうんざりしてきたフランの眼前にふと、黄金の輝きが横切る。
「!!?」
一瞬の出来事に、一般人であるなば肉眼では捉えることはほぼ不可能であっただろうが、人間離れした驚異的な身体能力を持つフランの双眸は明確にその輝きの正体を捉えていた。
日本昔話に出てくるような、黄金の輝きと鱗粉を放つ木舟。その宝具の正体はある人物を月へと還す天上の箱。
急ブレーキをかけたフランはラインを片腕で制しながら、過ぎ去っていこうとする木舟を大声で呼び止めた。
「ぐ、ちょ!待て!!ライダーっ!!」
実際、木舟の持ち主は受肉しておりもはやクラスの縛りを受けるサーヴァントと呼べる存在ではないのだが、その呼び名で相手は理解してくれたようだ。木舟はフランの声に気が付くと緩慢とその速度を落としていく。
やがて完全に止まると木舟の窓から眼鏡を掛けた少女の顔が出てきて、二人の無事が確認できて若干涙目で声を掛けてくる。
「お二人共ご無事でしたか!?」
その姿は確認するまでもなくラインとフランと目的を同じくする魔眼の少女――矢部咲結香であった。
「お前達まだ聖杯みつけてねぇのかよ!!」
フランも仲間の無事を確認できたからか、若干ほっとした様子で意地悪な笑みで軽く木舟が蹴り上げる。
すると不可解な振動で中からでも気がついたのだろう。小さな窓から自身の元マスターを押しのけるようにして、十歳ぐらいの少女が苛立ちに満ちた表情で外にいるフランを睨み付ける。
「私の舟蹴るんじゃないわよ!!このチンピラ!!」
甲高い声で怒る少女に、それを見て休み時間の学生のように笑う女。傍から見れば誰も光景を見てその場が戦場の真っ只中だなんて思いもしないだろう。
しかし談笑が長く続くこともなく、少しすると真剣な面持ちに変わったフランが木舟の主――かぐや姫に彼女達が此処に居る理由を問いかける。
いくらこの遺跡が冗談にもならないほど大きいとはいえ、かぐや姫の宝具の機動力であるならば既に目ぼしい場所を発見できていてもおかしくない筈だ。
「まさかサボってたなんか言わねぇよな?」
変わらず男勝りな口調で語り掛けてくるフランに、対するかぐや姫はジト目で首を横に振る。
「そんな訳ないでしょ。もしかして気付いてないかもだから教えてあげるけど、これ結界よ?」
「結界?」
魔術世界で言うところの結界とは、魔力を編んだ網を張り、その内部、あるいは境界部に手を加えるという地形魔術のことを指す。
地形にかけるものであるため、普通は移動できない。つまりこの遺跡、それもこの無限回路にだけ仕掛けられている結界ということだろうか。
「無限に続く廊下に結界が仕掛けられてるんじゃなく、廊下に無限に続くと思わせる結界が張られてるのよ。認識誤差系か……いえ、こんな遺跡を創り出すやつですもの。本当に“無限に続く廊下”を創り出している可能性もある」
難しい顔で自身の考えを口にするかぐや姫。実際、その言はほぼ正解しており、彼女達が此処から先の目的地に辿り着くことはない。
この遺跡の内部は外界との繋がりを断絶している。
空間そのものを切り取っている訳ではないので時間の影響は受けるが、内にあるのものを進ませない、という術式が常に発動しており、その結果内部にいる人々は惑うことになる。
案内人でもいるのであればその事象から免れるのだろうが、生憎フラン達にはそんな人物も存在しない。
悩んでいる時間もないというのに、そんな彼女達の頭を更に悩ませる事態がこの後唐突に起きる。
「…………!おわっ!?」
唐突に、何のまいぶれもなく、地面が大きく揺れたのだ。
「うわぁっ!?」
「ラインっ!!」
「え?えっ!?」
直接遺跡の上に立っているフランとラインは揺れに体の自由を奪われ、浮遊する木舟に乗っている結香とかぐや姫はその被害から逃れることができた。
地震は徐々にその震度を弱まらせていってはいるが、それでも完全に揺れが収まっている様子は無かった。
フランはラインを抱き止めながらも、壁を背にして遺跡の窓から外の光景を見つめる。
変わらず続く地獄のような光景を目にしながら、フランは窓から見える遺跡の外装を確認して結論に至った。
「地震……じゃない。この遺跡が崩れ始めてる……」
ゆっくりと、ゆっくりと。だが確実に終わりは近づき始めていた。
○
焔が大地を抉る。
数十本にも及ぶ高熱の鞭が撓り捻れ、遺跡の屋上の大広場の地面に次々と傷跡を残していく。
サンジェルマンが操る触手のような紅蓮の鞭は、一度でも当たれば触れたものを容易く切断する。
紫と白の装束の着物の少女――キャスターもそれを理解して、下手に攻められずにただ回避することに専念していた。
魔力を溜め込んだ勾玉を複数飲み込んでの戦闘。勾玉の効果で普段の彼女とは比べ物にならない速度や軽やかさで動けるとはいっても、数の暴力相手では流石に限界が刻々と近付いてくる。
十数度の攻撃を避けきったところで、キャスターは更に背後に跳躍するも、溶け切った岩が高熱の半液体となってキャスターの左腕に触れ、一箇所に重度の火傷を刻み付ける。
苦痛に顔を歪めながらもキャスターは惚気ることなく地面に着地し、傷を追ったばかりの左腕を右手で触れた。
すると傷口もまた高熱を放っているのか、今度は触れた掌さえも軽い火傷を負ってしまう。
傷を負い息を切らしたキャスターとは対象的に、“ラ・ムー”の力を出し切って戦に赴くサンジェルマンは、油断している訳ではないが完全に己の有利に酔っていた。
「無茶をしない方がいい。極東の英霊如きが相手にしていい力ではない。この力はあらゆる太陽文明の祖だ」
そう言いながらサンジェルマンの背中からは巨大な炎の翼が生え、神々しさえ感じさせるその姿は見るものにとてつもない畏怖を感じさせる。
実際、ラ・ムーという英霊の力は蒸気を逸していた。
あらゆる太陽文明の祖とされるその焔は太陽と同レベルの煌きと熱量を誇る。使用者さえ焼き尽くす諸刃の剣の焔をサンジェルマンが使いこなせているのも、彼が一重に不死身に怪物という点が全てを物語っている。
サンジェルマンであるからこそ惜しむことなく太陽の力を扱えているのだ。
その力の開放具合は本家のラ・ムーよりも絶大で凶悪だ。
「君を見逃すことはできないが、アレが出ている内は私は負けないよ」
不意にサンジェルマンが背後を指差す。
聳え立つ巨大な建物などよりもっと背後、海の境界線から顔を出す橙色の光球。
この星の地上にに生まれる限りどんな生物も一度は目にするあの星のことを。
「太陽がある限り私は負けない」
「それはどうであろう――なっ!!」
サンジェルマンが続けて言葉を紡ぐよりも速く、キャスターは両手を広げて斜め横に身体を旋回させて何か小さなものを4つほど投擲する。
青、藍、紫、青紫。寒色系の色で纏められた勾玉達はサンジェルマンの目の前まで『敢えて』通される。
その後キャスターの目論見通り4つの勾玉は同時に内部から光を放ち、閃光弾としての役割を持って対象の目を眩ませる。
その間目を隠すようにして疾走したキャスターは、更に傷がついたばかりの左手の中に新たな勾玉を握り締めて拳を造る。
今キャスターの手の中に握られているのは朱色の勾玉で、色が変わったからといってキャスターが製造する勾玉の用途は“魔力を溜め込む”こと以外無い。
相手が相当な腕前の魔術師だと解っている以上、如何に魔術師のサーヴァントであれど、正規の魔術師ではないキャスターでは魔術戦に持ち込むのは不利。
だからこそ、キャスターは一瞬の隙をついて格闘術で相手を倒すという魔術師と名乗ることなど到底できない方法で敵を排除しようとしたのだが、それよりも速く彼女の拳は放たれる前に柔らかな感触に包まれる。
綿の柔らかな感覚と人の手の温もり。それが男性の掌であることを理解したキャスターは、すぐに自身の身体に冷や汗を感じた。
眼前にはサンジェルマンが居る。となると、キャスターの左の手の拳を封じているのもサンジェルマンということになる。
閃光弾の影響など全く受けていないかのように、サンジェルマンの紅い眼は紳士的に笑みを造る。優しさなど微塵もない、どうでもいいものにも対等に向ける紳士の笑み。
同時にサンジェルマンの手からキャスターが感じていた、人な手の温もりが、一気にその熱量を増す。
「あ―――あ"ぁぁぁぁぁあ"あ"あぁああ"あぁぁっ!!!?」
身体を大きく海老反らせて悲鳴上げるキャスター。
その理由は彼女の右手を見れば一目瞭然だ。
黒色の煙が次々と炊き上がり、白魚のようだった手が抉れ、剥き出しになった筋肉から次々と血が濁流のように溢れ落ちている。
その全てがサンジェルマンの手から放たれる高熱の所業なのだろう。
地面に落ちた血液でさえ、床に触れるとその床さえも削っているのだから。
「あぁぁぁぁぁあああぁぉああぁぁぁぁぁぁっ!!!?」
目の前で苦痛に泣き叫ぶ少女から、英霊の色など一切見受けられない。
サンジェルマンはそんな少女を不憫に思うも、その手を離すことはしなかった。
「苦しいだろう。だが、その苦しみは必要だ。君達の苦しみが次の世代の希望となる」
このままでは骨さえ剥き出しになって左手が使い物にならなくなるのは必定かとサンジェルマンは思っていた矢先、此処で予想外の出来事が起きる。
痛みに震えることしかできなかった少女の表情が、一瞬だけ笑みを見せたように見えたのだ。
見間違いかと瞬きをした時には、少女の表情が更に変わっている。
泣き叫ぶ為に大きく開いていた口。その中をよく見ると、舌先の小さな勾玉が乗せられている。
――しまった。
慢心が過ぎたかと眼を瞑ろうとした矢先、舌先から放たれた広大な光はサンジェルマンの視界を奪い、その手から少女の手の感覚が消える。
同時に自分の真横を何かが通り過ぎるのを感じたサンジェルマンは、仕方無しに全方位に向けて灼熱の炎柱を出現させた。
触れれば何者をも溶かす焔の柱が幾つも出現したが、残念ながら手応えがない。
漸く目が慣れて背後に振り返った時には、絢爛と輝く祭壇の上にもはや左腕とも呼べぬ肉塊を引きずった少女が立っている。
否、輝いているのは祭壇ではなく、其処に祀られた聖杯であり、少女はそれに触れている。顔中に汗を掻いて今にも消えいりそうな苦笑を浮かべながら。
「と、取らせてもらったぞ……お主の宝物をな……」
全く余裕のない声で語る少女にサンジェルマンは何の恐怖も感じない。
しかし、彼女が今触れている物体に関しては脅威を感じずにはいられない。
聖杯。しかしそれは、この聖杯統合戦の賞品として管理されていたものではなく、またサンジェルマンが悲願を叶えられるものでもない。
何者かの手によって摩り替えられた。聖杯をまた違う聖杯に移し替える所業など、例え狂信者や魔術師であろうと大抵の神経のものができることではないが、そういった点から1人の容疑者を炙り出すことはできた。
恐らくまだこの遺跡にいるであろうあの『山羊の頭蓋骨のサーヴァント』。
サンジェルマンは頭の済でそのサーヴァントを後でどう問い詰めてやろうと考えながらも、微弱な力しか有してないとしても一応は脅威となる聖杯を睨み付けていた。勿論、その横で苦悶に顔を歪める少女も同様に。
「残念ながら、それは私の願いを叶えてくれるものではないよ。君のような少女の陳腐な願いなら叶えてくれるかもしれないけどね」
嘲笑するサンジェルマンは、表情とは裏腹に油断はない。
その右手には既に高熱の球体が創り出されていたのだから。
「ふ、ふふ……ならば貰って帰ろ―――ッ!!」
苦痛を隠そうと無理に笑いを浮かべたキャスターの胸を、サンジェルマンの掌から放たれた高熱の放射線が貫通する。
放射線が伸びたのは一瞬で、その規模も小さく、されど例え英霊であろうと殺傷する驚異的な威力が含められていた。
吹き出す血液、蹌踉めく少女に向けてサンジェルマンはいつものように至って紳士的に、何処までも悪平等に接する。
「申し訳ないが、君にも糧になってもらう。我が永劫の悲願のな」
もはや声を出すこともできないキャスターの身体は、そのまま後ろに仰け反るようにして、聖杯の中へと堕ちていった。
○次回の投稿
3月6日午後1時頃。