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太陽が沈む。
時刻は午前6時半。喝馬町では通常、地形の原因もあってこの時間帯に漸く太陽が全身を住人達に顕にするのだが――本日その時間は数分にも満たなかった。
暗転する空。しかし夜ではない。
その他の光もなく、月も浮かんでいない。
きっとその空は何処にも続いていない。無限の可能性など、その空の先には有りはしない。
それが1つの宝具から生み出された現象だなんて誰が思うだろうか。
結界宝具“
実質、この宝具はさして驚異的ではない。
ただ空を暗黒と化し、あらゆる光を遮断する宝具なのだが、この宝具自体には一寸の殺傷能力もない。
展開に莫大な魔力を使うため長期的に維持できるわけでもないので、精神攻撃にも使えず、まともな聖杯戦争で使えば人目について間違いなく監督役に目を付けられる厄介な宝具だ。
用途としていえば、ある一定の相手の能力を制限する。
それは光。
例えば、『光の断層による究極の斬撃』なんてことを可能とする宝具あったとしたのなら、その宝具はこの宝具が展開されている世界の中では十分に力を発揮することもままならなくなるだろう。
それはサンジェルマンの持つ太陽の陽光も例外ではない。
「認め――認め、みと、認め、」
怒りか嘆きか。どちらにしろ間違いなく負の感情で震えているサンジェルマンの身体は、もはや英霊として昇華されたものではない。
威圧的だった朱眼も、背中から生えていた炎の大翼も、全身から溢れ出していた膨大すぎる程の熱量も。
今ではその全てが彼から感じられない。
実際、取り込んだラ・ムーという英霊の気配は未だサンジェルマンは自身の身体の中に感じられる。消えたわけではない。ただ、その活動を完全に停止しただけだ。
あらゆる太陽文明の祖であるラ・ムーの力は、決して教祖である彼1人の膂力のみで発動できるものではない。
太陽を信仰するあらゆる者の願いを一度、あの照りつける星に昇華してから、持ち主に託すものである。
それが今、天照の宝具によって完全に遮断された。
先程までは自信から発せられる熱に当てられても汗1つ流さなかった男が、此処に来て大洪水のような冷や汗を掻き、焼け焦げた地面を虚ろな眼で睨んでいる。
「認め――有り得ない。有り得ない有り得ない有り得ない、有り得ないぃぃっ!!!こんなことは有り得ないぃぃいいっ!!!」
地団駄を踏み、まるで子供のように泣き叫ぶ男を誰が何万年も生きた不死身の怪物だと思うだろうか。
少なくとも相対する少女――卑弥呼、或いは天照と呼ばれるこのサーヴァントはそうは思わなかった。
「何たる理不尽だ!!その力はなんだ!!?この聖杯戦争に神霊は召喚されていない筈だ!!」
狂騒に呑まれて荒れ狂う男に、天照は子供を宥めるように優しく声をかける。
「無論、我も“私”も神霊などではない。だがまぁ、人でもない。少なくとも人としては扱われていなかった。なればこそのこの姿」
途端、天照の全身が燃え上がる。
先程のサンジェルマンの焔のような劫火ではない。
人々を照らす優しさと温もりに溢れた。そんな言葉が似合う、人々が知る『火』とは全く別の炎だ。
それが掻き消えると中から現れたのは全く同じ顔、同じ背丈の少女であったが、明らかな変化も出現していた。
黒く長い髪は腰の辺りで金色の髪飾りで結ばれ、衣装は紫と白の装束から、夜のような青とより純度の増した白に変わっている。
さながら語り継がれる神話の神々の服装そのものであった。
「英霊とは、逸話とは、神々とは、語り継がれるもの。即ち謳われる者よな。それが真実であれば虚無であれ、人々の言葉は後世に託される」
そうして人は“英霊”と、自然現象は“神々”と呼ばれることになる。
この世界の歴史を作っているのは詰まるところ人の言葉だ。
「我はそうして造られた。人々に女王たらんと迫られ、神であると願われた。少し未来が読める程度の、ただの小娘に過ぎんのにの」
溢れるような覇気や莫大な魔力に似合わず、その時の天照の表情は何処までも悲しげだった。どうしようもない現実を目のあたりにしたような、逃れることのない悪夢に諦めたかのような。
そんな沈鬱な表情が、困惑しているサンジェルマンをまた激怒させた。
「そんな力ぁぁぁぁ!!!!」
「脆弱であろうよ。こと、お主のような男でなければ間違いなく我に勝ち目はなかった。だが、太陽の力を子供のように扱ったお主だからこそ我は勝利することができたのだ」
まるで感謝するかのように瞼を閉じながら、天照は自信が抱えていた鏡からその両手を離す。
普通重力に従って落下する筈の鏡は地面で割れることなく浮遊し、天照に向き直ると、その体に天照の顔を映す。 その時、空気に消えるような声で天照が呟く。
「……こんな姿、主様が見たらどう思うかの」
笑うだろうか。驚くだろうか。
どんなに考えても、彼が自分のことを嫌いにならないことを理解している天照は、ついつい顔がニヤけてしまった。
そんな自分を戒めながら懐を間探り、一本の短刀を取り出す。サンジェルマンと戦った当初に使用したこの硝子性の嗜好品の短刀には、天照が持つ勾玉以上の魔力が込められている。
天照がその短刀を躊躇することなく鏡に突き刺すと、まるで互いが溶け合うように鏡が短刀の刀身を自身の内部に飲み込んでいった。
天照の手首まで鏡の中に入れ込まれ、腕が引かれた時、再び外界に出現した獲物はもはや“短刀”と呼べぬ禍々しさを放っていた。
短刀は、刃渡り3メートルはある、実戦では到底使えるとは思えない長刀以上の異刀に変わっていたのだ。
それもただの刀ではない。刀身は1つにあらず、一番長い橙の長刀を中心として計10本にも及ぶ数の刀が重なるようにして連なっている。
十にして一の宝具。十本あって一振りの刀。
「“
様々な伝説を残した十の神器が、1つの刀として具現化する。
新たな神を見定める選定の刀であり、火神を断首した神殺しの刀。
かつて斬り裂いた火神の怨念か、はたまた無惨な想いが刀に宿っているように、その刀身には先程サンジェルマンが見せたものより、より強大な劫火が燃え盛っている。
あらゆる光が遮断されたこの世界で、光を放っているのはこの刀一振りだけに他ならない。
「そんな――神造兵器だなんて……」
驚愕を通り越して驚嘆するサンジェルマンに、天照は現界させた神器を両手に持ち替えながら首を振って応える。
「お主の言わんとしたいことは解る。勿論これは我の宝具ではない。
我と同一視された神の一族から借り受けた宝具だ。この鏡でな」
天照の真横で未だ浮遊する石鏡はもはや“三角縁神獣鏡”と呼ばれたかつての女王の宝具ではない。
名を“
天照大御神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映して興味を持たせ外に引き出した。そして再び高天原と葦原中国は明るくなったという。
天照大御神に己とは何かを改めて実感させた神器。
この『天照と呼ばれた少女』が持つ“
しかしとてこの宝具が映し出すのは単に前に立った者の風貌だけではない。
その原初から行く末まで、あらゆるものを映し出し、その鏡の世界に内包する。
天照はその内包された世界の中で、己が過去から対神宝具である“
その焔の化身とも、焔を断罪する為だけに燃え盛っているとも呼べる神殺しの剣が今振り上げられる。
刀身から燃え広がる赤銅色の炎を双眸に映しながら、サンジェルマンは魂が抜けたかのように立ち尽く――さずに怒りで震え上がった表情を天照に向ける。
「貴様……貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様ァァァァッ!!赦されると思うな!!私はガイアに成り代わりこの世界を救済する星の意志だ!!人々が遍く空を辿る為に創られた原初の人間だ!!それを貴様は!!!!貴様はぁぁ!!」
自身の頬を掻き毟り、荒々しく叫び上げる男の姿にもはや余裕など微塵もありはしない。
何しろ彼にとって、明確なる“死”とは、数万年ぶりの体験だったのだ。
自信が賢者の石を手にするよりもずっと前。ただの非力な微生物でしかなかった彼は、極小たる矮躯にそぐわない思考能力で、ただ他の存在を恐れ続けてきた。
非力な彼にとって、他の生物は、風は、雨は、照り付ける太陽は、全てが彼の命を奪い去ろうとする敵だったのだ。
だからこそ、彼は賢者の石を求めたのかもしれない。
何者にも汚されない、侵されない、絶対なる安心感。
それが今の今までサンジェルマンという一個人を守護し続けていたというのに。今も実際はその機能は働き続けているというのに。
太陽の力を得る前の彼であったのであれば、恐らく耐えることはできなくても賢者の石で復活することは容易だっただろう。
しかし、火の力を持つものはあの刃を一撃必殺の刃と呼んで怯える他ない。
かつて日本神話の火神をいとも容易く斬り裂いた刃。
それは焔を宿すものを必ず切り裂く概念礼装の類だ。
心が震え、身体が崩れそうになる。
もはや肉体を保てなくなるほど精神が崩壊しかけていたところに、天照と呼ばれただけの少女は何処までも哀しい表情で、出会ったばかりの宿敵に別れを告げる。
「悪いが我にはその星の意思とやらよりも、大事な約束があるのでな。
――先に逝け。我もすぐ後を辿る」
哀しそうなほどの苦笑を浮かべる相手に、サンジェルマンは再び激怒する。
自分が死ぬなど有り得ない。死ぬはずが無い。
きっと何か方法があるはずだ。時間稼ぎをしてこの結界を砕けば。地面を穿いて逃げ道を作れば。
明確な死など感じたことがなかった不死身の怪物は、『背後にずっと控えていた影』に気が付かず憤怒の声を上げようとする。
「――ふざけ」
「そう言うな。俺もアンタも、もうここから退場すべきなんだよ」
背後からサンジェルマンの耳に入ったのは、低い男の声だった。
振り返るまもなく、サンジェルマンの胸に激痛が走り、身体に明確な異変が生じる。
背中から感じた痛みは胸にまで至り、眼下には大槍の切っ先と、其処に自身の切り札――賢者の石が剥き出しの形で突き刺さっている。
サンジェルマンはその槍を知っていた。
かつてギリシャの大英雄、アキレウスが師であるケイローンから譲り受けたとされる、不治の傷を付ける魔槍。
そして今生の聖杯戦争において、その槍を使う英霊のことも、サンジェルマンは誰よりも知っていた。
「あのお嬢ちゃんがアンタの火を消してくれて助かったぜ。おかげでこうして、アンタの背後に立つことができた」
「おま、お前――お前」
「そんな悲しそうな顔すんなよ。心配しなくても、地獄の果てまでついてってやるよ。“マスターァ”」
魔槍の使い手の意地悪めいた声にサンジェルマンの表情から遂にそう呼べるものが一切無くなる。
それを合図として、振り払われた劫火の刃は一直線に地面を叩き割り、その間に存在していた無惨な不老不死の生物も中心部から真っ二つに斬り裂いた。
「 」
戻る筈の肉が戻らない。
普段であるならばすぐに繋ぎ、合わさり、癒着する筈の血管や魔術回路が千切れたまま戻らない。
視界が歪む。世界は2つに分割される。
内側から燃え盛るような激痛を感じながらも、そこで漸くサンジェルマンとかつて呼ばれた“小さな生物”は、何万年も共にしてきた身体が真っ二つに両断されたことを理解した。
あとに残ったのは、見るも無惨な半透明なよくわからない生物のみ。
もはやそれを生物と呼ぶべきか否か。地上に無理矢理引きずりあげられた魚のようにピチピチと弱々しく跳ねるその姿は、無残と呼ぶべき他ない。
「原初の
声は誰のものだったのだろうか。
もはや人の言葉も理解できぬ小さき生物には理解することもできない。
こんな姿を目にして、彼のことを『ヒト』と呼んだのはその人物なりの情けだったのかもしれない。
しかし、そんな言葉ももう小さき生物には理解できない。
最後まで己の崇高な願いに縋り付き、生き恥を晒してまで生きようとしたかつての不老不死の大錬金術士は――誰にも看取られることなく、静かに朽ちていった。
○次回の投稿
明日(時間未定)。