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英霊の力を借り受けた青年と、不死身の肉体を持つ聖職者の戦いは、ことこの聖杯戦争の中で最も規模としては弱小と呼べるものだったのかもしれない。
しかしとて、この二人の戦いは他に類を見ない凄烈さを極めていた。
互いが互いに負けられない。
同族嫌悪の真逆。違うからこそ絶対に相容れない。
他人を愛せるからこそ武器を持つ青年と、どうしても愛することができなかった青年。
もはやこの二人に曖昧な言葉は不要である。
互いが互いを乏し合い、決して認めない。
振り払うのは剣と拳のみで十分だ。
キレイが投擲した八本の黒鍵を、剣士の英霊化を果たした冬児はいとも簡単に大剣を半円に振り払って防ぐ。
一瞬本能的に気を休めた冬児の視界に、再び同数の黒鍵が同様の速度で投擲される。
今のでキレイは自分が所持している黒鍵を全てを使い果たしたことになるのだが、対する冬児はそんなことを知る筈もなく、次も同じく黒鍵による攻撃が来るものだと思っていた。
再び飛来した黒鍵を弾き返した、その一瞬。
冬児が振り払った大剣で視界が一瞬塞がったところを突いて、30メートルは離れた地点から一気にキレイが距離を詰める。
どのような脚力がそのような力技を可能とするのか。この間、1秒として経っていなかっただろう。
戦士として鍛え上げられた肉体と、監督役として得た令呪による身体能力の大幅強化が可能とする頂上的運動能力。
それだけでも、キレイ・ハーデンベルトが己の内に湧き上がる問への答えを導き出す為にどれ程の鍛錬を詰んだのか、想像することは容易い。
一気に距離を詰めたキレイは大剣が振り払われたのを見定め、その間を縫うように右手を伸ばし、その鍛え上げられた掌で冬児の頭を掴む。
冬児が纏った剣士の英霊の鎧には頭の甲冑はなく、剥き出しの顔面に漢のゴツゴツとした掌が触れられ、途端に頭蓋が軋む。
冬児には、キレイの握力が一瞬工事現場のショベルカーか何かとしか思えなかった。万力と呼ぶよりも尚強い。
「あ――がァァァァっ!!!!」
叫びながらも、冬児は大剣を振り払う。
顔面を掴んでいたキレイの右腕は切断され、冬児は一瞬の安堵を覚えるが、それが長く続くことはない。
腕を斬られようがキレイ・ハーデンベルトという殺人兵器は止まらない。
痛覚を遮断する術も知らずに此処まで動けるのは、この男が本当に化物である証だろう。
切断された腕が自身の中の賢者の石で治癒するのも待たずに、キレイは大きく踏み込むと同時に残った左の拳で冬児の顔面に拳打を叩き付ける。
監督役としてその身に刻みつけた令呪と、十数年の歳月をかけて磨き上げた肉体から放つ究極の拳だ。例え英霊化していようと、本物の英霊であろうと、その一撃は必ずダメージとして相手に伝わる。
「んがぁっ!!?」
ひしゃり、と鼻から飴玉を歯で砕いたかのような音が鳴り、冬児の鼻から尋常では無いほどの血流が飛び出す。
痛みに涙腺を刺激され視界が歪んだその一瞬で更に情景は移り変わる。
髪を捕まれ、冬児の身体はそのままこの闘技場の外壁に叩き付けられた。
砕けた外壁の大理石によって分煙が舞い散り、壁にめり込んだ冬児の身体も無残にもすぐに地面に投げ出される。
本来の肉体であれば良くて数カ所の同時骨折による後遺症有りの気絶、悪ければ即死ものの一撃を受けて、冬児は嗚咽に這いつくばる。
そんな冬児の姿を見て、キレイ・ハーデンベルトはこの場において始めて宿敵に声を掛ける。
「そんなものか。そんなものが貴様か」
声は意外にもその無表情とは打って変わって、落胆の色を濃く表している。
「貴様は私が持ってないものを持っているのだろう?私がどうしようもなく欲したものを、貴様は当然のように手にし、また願うことができているのだろう」
ゆっくりと歩み、キレイは語り掛けながら冬児との距離を詰めていく。
「私には無かった。有りはしなかった。何かを綺麗だと思う心も、感情も、魂魄も、そんなものは私の中にはありはしなかった」
無表情で無機質で機械的でありながら、その様子は何処までも悲しげであった。
自身を憂いているのか。また、自身と関わったもののことを憂いているのか。
「教えてくれ早眞冬児。私という人間は、何故生まれてきたのだ」
答えを持つ者への問。
万能と呼ばれる願望器でさえ応えることのできなかった、幼子の悲痛な叫び。
もはやそれは願いではない。願いとは、どんなに足掻いても、その者が一生かけても叶えることができなくても、僅かな希望のある夢を指す言葉である。
しかし、キレイ・ハーデンベルトにもはやその意志はない。
彼はただ応えを得るという名目を糧としただけの、ただの機械人形に成り下がってしまった。
ただ目的の為に行動するのではなく、行動をするために目的を掲げている。
本末転倒もいいところだ。
ならばその問に対する回答者はどうだろうか。
血で汚れた顔面を乱暴に拭き取り、立ち上がったその双眸から未だ生気が途絶えていない。
彼は普通の学生だった。日本という穏和な国で、恋人と細やかな幸せを育んでいた、ひ弱な青年であった。
しかし、その生活は一夜にして途絶えることとなる。
何が悪かったのか。
早眞冬児の両親が魔術師の家督を次ぐことを恐れて家を出たことか。
早眞冬児が魔術師の義父に引き取られたことか。
早眞冬児が人並みの幸せを得ようとしたことか。
何処まで考えても怒りで震えて仕方がない。
何故なら、何処まで考えたって、彼の愛する女性があのような辱めを受ける理由など何処にも存在していないのだから。
「お前の人生に何があったのか、俺は知らない」
掠れ声は徐々に元の勇猛たる声質と覇気を取り戻していく。
「お前が何で生まれてきたかだなんて、そんな理由を俺が知っている訳がないだろう……お前は俺に期待し過ぎだ。俺は普通の学生で、何の取り柄もない人間なんだ……」
この時冬児の顔には、意外にも笑みを浮かべられていた。
楽しそうなものであるとか、嘲笑をするようなものではない。
強がりと相手の不憫を嘆くものを織り交ぜた、複雑で優しげな笑顔だ。
「だから、お前が羨ましいよ。キレイ」
「――何?」
キレイの眉間が怪訝そうに歪む。
それでも冬児の言葉は変わらずに紡がれた。
「生まれてからずっと、“生きる意味”を持っていたお前が、俺は羨ましい」
「―――」
キレイの目が見開かられる。
キレイが何よりも欲していたものを持っていた男が。
決して相容れぬと決別していた男が。
自分のことを羨ましいと笑った。心の奥底から、裏表なく、善悪も超えた素直な心で。
それが――キレイという一個人の心情を、この上なく暴発させた。
「黙れ!!!!」
激昂したキレイの足元が途端に爆発する。
否、それは両足に刻みつけられた令呪を消費したことでサーヴァントレベルまで脚力を高めたキレイの全力の疾走による余波だ。
説明の付かない憤怒、激情。
それに操られるように身体を動かされ、キレイ・ハーデンベルトは疾走する。加速する。唯一人の素っ首を叩き折る為だけに、何処までも加速する。
対する早眞冬児もまた色々な思いを胸に馳せながら――その表情は虚空を極めた。
その無表情には意味がある。
項垂れたようだった身体を起こし、目眩がするのに耐え、足が震えるのを意識だけで耐える。
向かってくるのは恐らく生涯において最も危険な敵であり、自分が最も罪の意識を背負わなくてはならない相手だ。
彼は早眞冬児に答えを求めた。
不死身の怪物となり、“人間であることを捨てて”まで、彼は人間として人並みの幸福を求めたのだ。
その想いを。悲痛なる問の答えを、早眞冬児が持ち合わせていたのであれば、彼はきっとこうならなかった。
だから、他でもならない自分が倒さなくてはならない。責任を取らなくてはならないのだ。
「――聖杯:起動」
数にして八度目の覚醒詠唱。
英霊と融合する訳ではないので一度や二度では呑み込まれることはないが、八度目ともなると流石に頭が眩む。
此処は何処で、自分は何をしているのか。
今まで呼び出した五体の英霊の記憶も凄まじかったが、今度の英霊の記憶も、早眞冬児という一個人を廃人に書き換えるほどの濃さがあった。
頭が割れる。視界が割れる。世界が割れる。
どうやっても消えそうな自我の中、どうしても消えないものがあった。
吹き荒れる記憶の暴風雨の中。
その先で笑いながら此方に手を差し伸べてくる二人の少女の姿。
片方の少女の笑みは優しげでありながら何処かぎこちなく、
もう片方の少女の笑みは太陽のように眩しかった。
――嗚呼。
彼女達がいるのであれば怖くはない。臆することなど、何1つとして有りはしない。
早眞冬児の肉体に装着されていた白銀の装甲が溶け出し、次の瞬間にはその身に纏われるのは黒の外套。
外套の中に在るのは、鋼で作られた軽装の鎧で、外套から出現した腕のみが顕になっている。
外套から飛び出た筋肉質の腕には、世にも奇妙な“鎌剣”が握られている。
その正体を向かってくるキレイは知らないし、使い手である英霊化した冬児自身も知りはしない。
否、実際は知識としてそれを知っているのかもしれないが今の彼は知ることはない。
冬児が纏った“狂戦士”の英霊の特性とは、理性を融解させることを条件に強靭な肉体を手に入れることを赦されるのだから。
「━━━――――━━━━━━━━━―――ッ!!!!」
咆哮する冬児の姿は、正しく黒色の獣。
その身を狂乱に落とし、不動なる力で荒れ狂う我が身は獣なり。
されどキレイも臆することはなく、鍛え上げた全身を凶器と化して冬児に全力の拳を叩き込む。
双方もはや回避することなどできない。するつもりなど毛頭ない。
不死身という点があることからキレイの方が有利であるかもしれないし、はたまた英霊化した冬児の方が有利な特性を持っているかもしれない。
――どちらにせよ、この二人の攻防はこの一撃で決着がついた。
○次回の投稿
本日中か明日。