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キレイ・ハーデンベルトが目を覚ましたのは、いつも使っているベットの上ではないが、柔らかで寝心地の良い枕の上であった。
「起きましたか?マスター」
見上げると其処にはよく知った顔がある。
その背後に未だ完全に顔を出していない太陽があるということは、此処は恐らく野外なのだろう。
できるのは憶測だけで、実際に確認しようにもどうにも身体が動かない。
まるで首から下だけ完全に肉の塊になったかのように、脳からの命令を受信しない。冷え切った寒さだけが、キレイに残された唯一の感覚であった。
「申し訳ございません……妾、負けてしまいました……」
いつもは妖艶とも思えるその尊顔が、泥や傷で汚れ、今やその片鱗も見せない。美しさだけを語るというのであれば、きっと感情の気迫が薄いキレイ以外であれば、その在り方にも美しさを感じ、詩の1つでも送ったことだろう。
「私もだ……気にするな」
「あら、では妾達は正真正銘以心伝心の主従なのですね?」
嬉々としてそんな事実を語る蛇女に、キレイは不思議と嫌気がささなかった。
瀕死の自分に変わらず語りかけてくるこの愉快気な口調は、今では少し心地良いとさえ思える。
見ればこの女の魔力もとうに切れかけている。
マスターである自分が死に体であるのだから当然といえば当然なのだが。それでも彼女は腐ってもサーヴァント。それも元は人の身である英雄とは違い、彼女は化物の類だ。
生命力もそこいらの英霊とは格が違うのだろう。
「ライダー……」
「はい。何ですか?マスター」
もはや後は死ぬのみとなった身体が妙な考えでも起こしたのか。その時キレイは、『自分が生まれてきた意味を知りたい』という執念染みた願い以外に初めて、自分の望みを口にした。
「この世界を、目に焼き付けたい……肩を貸してくれ」
驚きはライダーのもので、彼女は一瞬躊躇ったような表情になりながらも、キレイの上半身を片腕で支えて起こさせる。
この場はどうやら崩れ落ちていく遺跡の割りと高い所に位置しているテラスのような場所らしく、起き上がったばかりの顔に冷たい風が触れて頬を撫でる。
「………」
再び双眸に映った世界は、やはり美しくなどなかった。
巨大な幻想種が暴れ狂い、理性を失ったサーヴァント達が住民を次々虐殺し、ホムンクルス達が地を這ったその惨状は、この世界に痛烈な傷痕を残している。
この町を徘徊していた全ての悪鬼が消失した今、残るのは無残な戦場の後だけだ。
大災害にでもあったかのような、もはや復興不可能な地獄を見て、美しいと思えと言う方が無理な相談なのかもしれない。
それでも、見たいと思ったのは何故だろう?
この残酷な世界を、死ぬ前に目に焼き付けたいと思ったのは、何故だったのだろう。
その答えを知るのが何故か無性に怖くて、恐怖という感情に慣れていなくて、彼は俯いたまま肩を貸す従者に今まで興味もなかった問を投げた。
「ライダー……お前は何故聖杯を求めた……?」
彼女は無念があって死んだ伝承などない。
彼女は数多の怪物を産んだ魔の聖母として有名であるが、彼女自身の逸話はそれ程多くないのだ。
生前騎士でも無かった彼女が、ただの忠義で主に手を貸すとは、到底キレイは思えなかった。
ライダーは数秒言おうか言わまいか悩み、やがて照れくさそうにはにかみながら自分の願いを口にした。
「妾の子供達に祝福を。ただそれだけでございます」
化物の子は化物。
エキドナと呼ばれた半人半蛇の化物は、人、英雄、化物、色々な雄と交わり子を成した。
その全てが怪物であり、その殆どが英雄と呼ばれた人種達に打倒されたのだ。
神々の謀略で、英雄達の武勇の為だけに。
子達は強力な力を持って、生きていただけだった。
生きるために、努力し、ひたすらに生きていただけだった。
そんな愛すべき我が子達を英雄達は得意顔で次々と殺していったのだ。
勿論人の世にとって、彼らは害悪以外の何物でもない。それを根っから否定する程、エキドナは現実を見ていないわけではなかった。
しかし思わずにはいられないのだ。
何故、
もっと別の生き方。人間達と手を取り合うような運命を辿れたのなら、きっと幸福な今があったのではなかろうか。
かつて寝屋を共にした英雄が、優しくそんな言葉を口に吐いていた。
エキドナもそれに賛同したものの、その後彼もまたエキドナの仔を殺すことになる。
仔が殺される度に絶望したエキドナは、いつしか願うようになったのだ。その魂が英霊紛いの化物として座に昇華されるまでに。
“全ての我が仔に祝福を”。
きっと叶わない途方もない夢を、彼女は夢見たのだ。
「母の愛とは、海よりも深いのですよ?」
そう優しく微笑むエキドナの表情からは、いつもの妖艶とした、娼婦のような下卑たものは感じられない。
あるのは優しさだけだ。仔を想う、底無しの情愛だけ。
キレイがその笑顔を見るのは初めてではなかった。
それは彼の母親。アレーシアが彼にいつも見せていた、真っ当な人の笑顔だ。
今見ても理解できない。人間が何故他者を愛し、人の生き方を美しいと称すのか。何処までいっても価値を見いだせない彼には、やはり解る筈がなかった。
万物を愛する心が自分にあったなら。真っ当な1人の人間として生きられたのなら。
過去の悲劇を変えたいと願ったエキドナと同じく、キレイもまた己の欠陥が無ければと願わずにはいられなかった。
母の亡骸を見た時感じたあの感覚は、今でも鮮明に残っている。
手が震えた。目眩がした。唾液が溢れた。
どうせ人に殺されるのだったら、自分の手でその最後を負えさせてやりたかった。
息子に殺される母の顔というのを、キレイは心の奥底から見たくて仕方がなかった。
ただ、それを認めたくなかったのも事実だ。
それがあるからキレイはほんの少しでも、自分のことを無意識のうちに人間だと思えていたのかもしれない。
だが、誰もその答えを出してくれるものはいなかった。
自分は人なのか化物なのか。祖父はそんな無意味なことを考えるのはやめろと良い、サンジェルマンはどちらでもあるといい、母は答えられずにいた。
もしかすればあの時母は本当は口にしたかったのではないかのか。
己の息子は化物だと。
ならばこの女はどういうのだろうと、首を動かした時、胸の傷の痛みが一気に増して、死が限りなく近いところまで来ていることを自覚する。
それでも消えそうになる意識に鞭を打って、キレイは彼の人生において生きる意味だったとも呼べる最後の問を口にする。
「エキドナ……私は、人間か……?」
儚げな、子供が助けを求めているかのような声だった。
実際は無機質な機械のような声だったというのに、肩を貸していたエキドナには、その哀れな幼子を見るのが耐えられなかった。
視線を外し、既に全身を見せた太陽に眩しさを感じながらどう答えようか迷う。
きっと、この男は何を言っても納得しない。理解できない。
ならば自分が掛けるべき言葉は何なのかと迷い、視線をもう一度主に向けた時――其処にはもう、主と呼べる存在はいなかった。
「 」
乾いた唇で傷だらけの亡骸。
一体この青年の何処が不死身の化物だったのだろう。
この安らかな顔を見て、誰が心を知らない怪物だと思うのだろう。
エキドナは1人、其処に残された従者として愛しそうにその胸に亡骸を抱くと、まるで子供をあやすように背中を優しく叩いてやりながら、柔らかな髪に頬擦りをして答えを出した。
「嗚呼――本当に、
地面は崩れ、遺跡は完全に崩落する。
この地獄を創り出した元凶の一部もまた、誰とも知れずに始まりの場で果てたのだった。
○次回の投稿
明日の13時頃。