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気が付くと自分は荒野に立ち尽くしていた。
永遠と広がる灰色の大地。
数秒毎に波打つ空。
生物も、植物も、何1つとして存在していない。
そうしてすぐに気が付いた。
此処はまだ何も存在していない世界なんだって。
行く宛もないから、ただ歩いた。
そうしなければいけない気がしたし、他に何がしたかったわけでもない。
不思議と独りなのに怖くはなかった。
この大地は、無限に広がる小さな世界は、決して己を阻む敵では無い気がするから。
どれくらい歩いただろう。
疲れはしないが、いい加減歩くのも飽きてきた。
気晴らしに空を見上げても、やはり空には変化はない。
波を打つ空。片隅には何がそんなに可笑しいのか、ケタケタ嗤う太陽。
太陽は嗤うものだったかどうか、そんなことはどうでもいい。
どんな
時間の感覚が曖昧になる。
太陽が一向に下がらないのだから仕方ない。
この世界には月がないのかと西の空を見上げたら、どうやら月の方も此方に厭らしい視線を送ってニタニタ嗤っている。
この世界の意思ある存在はまさか自分とあの天体2つだけなのではないか。
微妙に複雑な気分になりながらも、ただ歩いた。
裸足では少しだけ歩くのが不便だったが、靴に代用できるものも何処にもない。
歩いた。歩いた。歩いた。
少しして、漸く腰を下ろす。
こんな世界で珍しいことに湧き水を見つけたのだ。
喉は渇いていないが、いつ渇くも判らない。
両膝を地面につき、合わせた掌の中に水を溜めて飲み干す。
舌の上で転がる液体に、自分は首を傾げた。
水とはこんな味だっただろうか?
甘いのか苦いのか辛いのか酸っぱいのか。あべこべな味だ。
――お気に召さなかったか?
誰かに声を掛けられる。
振り向くと其処には汚れたローブを身に纏った男が座っている。
何故男は此処にいるのだろう?
此処に居るのは、自分だけの筈なのに。
男はさも此処は自分の世界だと言いだけに皺だらけの顔に薄く笑みを浮かべながら、片手に持っていた串肉を喰らう。
――拙い記憶で何とか外の世界を思い出して作ってみたのだがな……いや何、何しろ最期に外の世界を感じたのは数百年も前だ。例え多少味が違っていても許して欲しい。
男は肉を喰らい、咳き込みながらも必死に語り掛けてくる。
『貴方は誰だ?』
掠れた自分の声が男に問う。
男は瓢箪に入った液体を呑みながら、その問に答えを返す。
――私は私だ。それだけははっきりしている。
――では逆に問うが、君は誰だ?
自分は誰だ。
難なく答えられる筈の問が、答えられなかった。
自分は誰だ?
思い当たる節が無い訳ではない。
逆に思い当たる節があり過ぎたのだ。
多くの英霊と同調し過ぎて、自分を自己を見失った。
――思い出せないのは辛くないかい?
辛い?
そんなはずは無い。
だって自分は誰かを救って此処に来たのだから。
辛いなんてある訳がない。
きっとこの空虚は有り余る満足感の裏返しだ。
それに、こうして人にも会えた。
自分は孤独ではなかったのだと判っただけでも、それは嬉しい出来事だ。
しかし男はわざわざかぶりを振ってそれを否定する。
――それは違うよ。私は君が創り出した他者の群像。
――全てを創り出す万能の釜の力を手にした君が創り上げた偽物の生命に過ぎない。
――私は本当は此処には居ない存在なんだ。
それにしてはまるで自我があるようによく喋る。
不思議と驚きは無く、それでもいいとさえ思えた。
独りではない。その事実があるのならいいと。
それでも男はかぶりを降って否定する。
そんなにも自分の存在を認めたくないのかと問い掛けると、男は引き攣るような慣れてない笑みを浮かべた。
――ああ認めたくないね。
――数百年も前に友人に裏切られてこんな場所に閉じ込められたっていうのに、今になって子供のお守りをさせられるなんて。
――そんなのは真っ平御免だ。
子供というのはきっと自分のことを指しているのだろう。
そんなことを言われても此方としては解決してやれない。
何しろ自分もこんな世界に閉じ込められ、外に出られない状況なのだ。
これからは此処で2人、仲良く暮らしていくのはどうかと提案してみる。
――はっ。嫌だね。私は静かに暮らしたいんだ。
――病原菌を連れてくる新しい支配者と生活なんて、できるものか。
そうは言われてもやはりどうにもできない。
世界からは無理でも、自分がこの場から立ち去れば丸く収まるのではないかと、濡れた口元を拭こうと手の甲が顔に近づいた時、ある異変に気が付く。
手の甲。其処に奇妙な刺青が刻まれている。
赤く、紅く、朱い。彼岸花を連想させる形の刺青。
3つに分けられたその刺青は、一体何だったか。
思い出すと頭が熱くなる。刺青が同調して熱くなる。
――ほー。
――あの聖杯戦争で一度も令呪を使わずに優勝しただなんて。
――君とサーヴァントはよっぽどの絆で繋がっていたんだね。
サーヴァント。
サーヴァント。
サーヴァント。
何だ。何だった。それは一体何だった。
きっと大事なことだ。忘れてはいけない大事なことだ。
何よりも大事なことだった筈だ。
胸が熱くなる。止まっていた心臓が動き出す。
――さて、君のような男を優勝へと導いた英霊とはどんな人物だったのかな。
男の声はまるで誘導尋問のようでもあった。
どんな人物だったのか。そんなことは此方が聞きたいぐらいだ。
思い出せる筈も無いのに、心は無性にその影を追い求めた。
太陽のような笑顔だった。
立ち居振る舞いの1つ1つが可憐な少女だった。
どんな時でも常に味方でいてくれた。
ああそうだ。何で自分は忘れていたんだ。
こんなに簡単なこと。こんなにも大事なことを。
――それは君の大事な人かい?
問には頷きで応える。
男は空になった瓢箪を地面に置いて言葉を紡ぐ。
――そうかい……じゃぁ早く名前を呼んであげたほうがいい。きっとその人もそれをずっと待ってる筈だ。
今更呼んだって何も変わらないだろう。
そんな言葉を返すと、やはり男はかぶりを振ってそれを否定したのだった。
――そんなことはないさ。想いは、声は、それが真意なものである限り必ず届くものさ。
見た目の怪しさの割には善人のような言葉を吐く。
胡散臭くはあったものの、その言葉自体は清らかなものだ。
少しぐらい信じても損は無いだろう思いながら、ふと空を見上げる。
愉快気に嗤う太陽と月に挟まれて空いた、黒く大きな穴。
先程までは存在しなかったその穴は一体何処に繋がったいるのだろう。
その穴に手を翳す。
三画の赤い刺青は既に輝きを放ち初めている。
――さてもう一度だ。
――大事な人を、呼んであげたらどうだい?
ああ。そうしよう。
瞼の裏にこべりついたあの想い出を忘れることはできない。
この三画の〈令呪〉で結ばれた絆はそう安易と切れるものではない。
彼岸花が最大限に輝きを放つのと同時に、自分――『早眞冬児』は何処に続くとも知れない空へと言葉を紡ぐ。
「来い――キャスター」
その時、伽藍の堂が崩れ落ちる。
落下していく空の破片と共に、見覚えのある姿が近付いてくる。
その姿をゆっくりと目に焼き付けていたいのに、早く触れたいとも思う。
目と目が合った時、互いに笑みが零れた。
彼女が笑い、彼が笑う。
それは全ての始まりに過ぎない。
彼らの戦いは既に終わっている。
ならばもう鳥籠に留まることはない。
自由という名の両翼を手にした彼らは共に飛び立たねばならない。
これより先は綴ることは何もない。語ることは何もない。
きっとそれは彼ら自身が紡いでいく。繋いでいく。
ならば後は見守るのみ。
彼と彼女は飛び去っていく。
ならば此処より見送ろう。
全ての始まりと終わりを越えたその先を。
○今後については活動報告にて