草薙 静花は転生者であり、魔王である。
 未来を知り、いずれ目覚める最強の難敵を知る彼女は、自分という遺物によって発生する敗北の可能性を少しでも削ろうと決めているが、できる事は主人公の成長の芽を摘まないよう傍観するのみ。
 どれだけ歯がゆくとも、彼女は今日も兄の苦労を傍観する。

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魔弾の女王

 場所は東京、古くから存在するシンボル――東京タワーの頂上に、〝彼女〟はいた。

 かかとまで届くほどの長髪をうなじで括り、青に近い紺色の袴に白衣を纏ったその少女は、身の丈ほどもある長弓を片手に、遠く、日本海のある方角を見ていた。

 

 「原作開始、ですね」

 

 そう。ちょうど、少女の見ている方角では、一人の少年が相棒たる少女を伴って『三位一体の女神』と相対している時間だった。

 小説にて主人公として描かれていた少年はしかし、運命を覆す事はできずに女神の口付けを受けて死の眠りへと誘われる。

 その様子を〝視て〟いた少女は、女神と視線が交錯したのを察して小さく唇を綻ばせる。

 

 「心より歓迎しましょう、〝始まり〟を告げる夜の女神の来訪を。あなたの訪れを、私は一日千秋の思いで待ち続けたのですから」

 

 だから、これはほんのお礼です。そう呟いて、少女は弓に矢を番える。矢筒など持っていなかったし、手に持っていた訳でもない。この矢はたった今、呪術を使って召喚した物だ。

 本来ならば、最低でも何らかの呪詛や魔術を込めているが、これはただの、長さを除けばその辺の弓道場でも使われているような、普通の矢である。

 そんなただの矢が東京から真逆の海岸へ届くはずも無いが、あいにくと射るのはただの人ではない。

 

 「今日まで身を隠し続けた【八】番目。その業を見せて差し上げます」

 

 手に持っているのはアストラル界、生と不死境界、人では踏み入る事も難しく、またそこにいる事すら毒となる場所で手に入れた至高の霊木から作られた弓。そしてそれを引くのは周到に準備を重ねてあらゆる機関から存在を隠してきた魔王(カンピオーネ)である。

 聖銀(ミスリル)で作られた弦が引かれ、弧を描く。

 そうして唱えられるのは誓言。

 

 『我が身は弓、我が身は矢、我が一矢を避ける事(あた)わず、防ぐ事能わず、我が意の元に正鵠を射ぬかん』

 

 いつ放たれたのか、並の者では知覚等できない程の速度で放たれた矢は、凄まじい音を立てた弓から解き放たれると同時に音速を超え、衝撃波で射手の髪を靡かせた次の瞬間には女神『アテナ』へと到達していた。

 当然の事だが、それに対して、アテナも無防備であった訳ではない。即座に死を司る権能の象徴である鎌で矢を両断しようとして、しかし〝ただの矢〟は鎌を砕いてアテナの頬を掠め、背後の海面に接触した瞬間に粉微塵となって爆散した。

 これといった逸話も無く、また咄嗟であったとはいえ、戦神の側面も持つアテナの武具を粉砕した権能の強度に僅かに目を見張るアテナだが、それを行った相手に戦意は無く、今の一矢以外に攻撃してくる意志が無い事を感じ取り、まるで相手にされていない事に憮然とする。

 

 「若輩の魔王に先陣を切らせて身罷らせておいて、遠くより一撃を加えるのみで下がるとは、なんとも度し難い輩もいたものだ。まあ、今は良い。妾の半身を取り戻してから、ゆっくりと追い詰めればいい」

 

 「今はまだ、私の出る時ではありませんからね。〝兄さん〟には、この機会に万里谷祐理を引き込んでいただかなくてはなりませんからね。ヴォバンの襲来までは可能な限り傍観するしかありません」

 

 女神の呟きを読みとって、静花(しずか)は首を振る。己がカンピオーネとなった事で『妹が同じ茶道部の部員である』という繋がりが無い以上、同じ高校というだけの彼女が護堂の見極め役として選ばれる事が、彼女の有用性からあるいは無くなる可能性もあっただけに、この襲撃での共闘による繋がりの強化は逃したくなかった。

 ヴォバンの襲来では確実に出る犠牲を無くす為にも介入するつもりであるからこそ、死者こそ出ない今回の戦いは傍観を選ぶのだ。

 ヴォバン戦では最悪自分で誘導して雄山羊の権能を目覚めさせれば良いとも考えているが、護堂の成長に関して重要な位置にいる祐理を味方とするためにも、この戦いへの介入はもはや難しく、先ほどの余計な一矢は、危険である事を知っていて、兄が一度死ぬ事を知っていて、それでも見捨てた己への苛立ちに対する八つ当たりだ。

 ここから後は、権能を全開にして進んでいるアテナを放置するしか無く、自らにできるのは停電による死傷者が出ないようにするだけだ。

 

 「本当にままならないものですね。この身に宿る権能を駆使すれば、不完全な女神の討滅など容易いというのに、先を知っているからこそ手が出せない。せめて、私の力が〝アレ〟を確実に屠れると判れば、このような犠牲を容認などしないというのに。この身の無力が恨めしい」

 

 アストラル界に一度潜って後からなされるであろう国からの追跡への暫定的な対処とし、自室へ直接戻った静花は、まっ直ぐに祐理の元へと向かうアテナを遥か高みより俯瞰して、急な停電で転ぶ程度の怪我しか発生していない事に安堵しつつも無力を嘆く。

 そこからも結局は原作と多少の差異はあれども、護堂が権能で祐理の元へと駆けつけ、剣の言霊で祐理を救い、白馬の権能でアテナに勝利するのを、距離としては近くとも、駆けつけられない、力になれないという意味では世界のどこよりも遠い自室より見届けた。

 それから、立ち去るアテナより少しの言葉を受け取って、帰ってくる護堂の食事を用意するために居間へ向かった。

 

 

   ◇

 

 

 大地に倒れるアテナ。白馬の強烈な炎を受けてなおも健在であるだけでも脅威であるが、それでも、護堂は両の足でしっかりと立てる程度には余力を残している。

 その理由はとても単純で、アテナが戦いの最中も常にどこかへ意識を向けて注意していたからだ。護堂との戦いに集中していなかったからこそ、護堂も負った傷は原作よりも少なかった。

 それから交わされた僅かな会話の後、護堂の決定によりアテナは日本の地を去り、護堂達三人が残った。

 

 「なあ、さっきのアテナの話、どう思う?」

 

 アテナの背中が見えなくなった後、護堂は共に話を聞いた二人へと問いかけた。

 それに対し、二人は首を横に振って答える。

 

 「日本にいる〝もう一人の魔王〟なんて、少なくとも私は知らないわ。護堂が一度倒れた時にアテナが突然大きな鎌を出したと思ったら、その鎌と海面が爆発したのは見たから否定はできないけどね。でも、賢人議会が魔王の誕生を見逃していたなんて、あまり考えたくは無いわね」

 「私は、あの女神が仰っていた事は真実であると思います。ですが、日本の魔王であるならば、草薙さんよりも先に私の方へ話が来ているはずです。それを考えると、日本の魔王、と断定する事は難しいと思います」

 「まあ、本当に魔王がいるなら、全く知られてないなんて不自然だよな」

 

 魔王なんていう規格外の存在が知られていない、なんていう事は普通に考えればありえない。自分ですら春休みになってもう完全に認知されているのだから、日本に以前から魔王がいるのならば、万里谷が知っているはずだろう。

 護堂はそう結論を出して、それ以上は考えない事にした。

 

 「まあ、アメリカのジョン・プルートー・スミスのように素顔を隠した魔王もいるけどね。どうせ出てくる気は無いんだろうし、考えるだけ無駄でしょう」

 「そう、ですね。今ここにいらっしゃらない方について話すよりも、今はもっと大切な事がありますから」

 「大切な事?」

 

 顔を傾げてオウム返しに反芻した護堂は、ビルと高速の融解についてしっかりと釘を刺され、翌日に説教を受けに七雄神社を訪問する事を約束させられてから帰宅の途に着いた。

 当然のように送迎を要求しそうなエリカも、すべき事があるからと絡んでこなかったためにまっすぐ帰る事ができたが、アテナとの戦いが終わったのは夜中であり、家に辿り着いた時には相応に遅い時間になってしまっていた。

 近所もほとんどの家は明かりが消えていて、うちも毎日の習慣通りに電気は消えていた。

 

 「遅いお帰りですね、兄さん」

 

 時間的に全員寝ているだろうと、音を立てないように静かに玄関から入った護堂は、掛けられた声にビクリと肩を震わせる。声の聞こえた方へ視線を向ければ、今はもうやっていない古書店から生活スペースへ移動する出入り口の横に、日本人形のように美しい少女が座っている。

 明かりもつけずに待ち構えていたらしい妹――静花の姿に、暗がりで市松人形を見てしまったかのような恐怖を感じた護堂だったが、何か言うよりも早く静花は立ち上がって護堂の姿を上から下まで見やると、小さくため息を吐き出した。

 

 「このような遅くまで何をしていたのか、そう問う事はしません。そのボロボロの服を着替えたら居間に来てください。満足いく量ではないでしょうが、ご飯の用意をしておきます」

 「あ、ああ、分かった。すぐに着替えてくるよ」

 「着替える前に薬箱から軟膏を持っていくのを忘れないでください。別に遅くなっても食事の量を減らしたりしませんから、傷口にしっかり塗らないと駄目ですからね」

 

 静花から追加された命令に了承の意を返した護堂は、自室へ向かう途中で静花の管理する薬箱から軟膏と包帯を取り出して持っていき、着替えの途中に簡単な治療を済ませると、居間へと戻った。

 そこではこんな時間であるのに、しっかりと湯気に出ている食事が準備されていて、十分ではないと言った量も、少なくとも翌日朝まで空腹を覚えない程度にはしっかりとあり、鍋やフライパンなどのお玉を洗っている妹の姿から、レンジでチンしたのではなく、わざわざ火に掛けて暖めてくれた事を察して深く感謝を抱いた。

 その後もシャワーを浴びて眠るまで静花は起きていて、それでいて翌日の朝食も起きた時には準備されていたのだから、護堂にとっては頭の上がらない話だった。

 

 

 まつろわぬアテナの襲来はこれにて終了。次のヴォバン侯爵との戦いで魔弾の女王はその矢を放つが、彼女自身が舞台へと上るのは、まだまだ先の話だ。

 今はまだ、運命の舞台は騎士を従える若き魔王を主役に据えて、回っている。


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