Chaos Garden   作:藤原久四郎

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おや、お久しぶりです。
中編も3回続くともはや回数で表した方がいいと、私はそう思いますよ。
まぁまぁ、お座りになって。
後編というくくりのほうが長くなるやもしれません、ここは我慢してください。


幸福の価値 中編3

「はい、みんなかんぱーい!」

 

 一つのテーブルを囲み、一人はノリノリでジョッキを掲げる。残り三人はジョッキどころか、各々武器を握り締めている。

 

「……『掴んで、手を上げろ』、仕切りなおしてかんぱーい!」

 

 ほぼ強制的にグラスをつかまされ、手が上がる。四つの衝撃音が、雑多とした人々の喧騒に飲み込まれる。必要なことだけ言うならば、私たちはいわゆる居酒屋と呼ばれる場所に連れ込まれていた。『俺についてこい』という言葉に従って。なぜこうなった。

 

 

 

 時は少し遡り、例のビルの一室。部屋には穴が開き、四人の人間と死体が二つと誰がどう見たって異常な現場に私たちは居た。そこに突如として現れたのが、

 

「レオン、ただのレオンだ。よろしく頼む」

 

 レオンと名乗った彼は、私と同じくアウトサイドでは見慣れた黒いスーツをバックにして、獅子のように整えられた黄金の髪を煌びやかになびかせこちらへと握手の意味をこめた手を差し出していた。

 そんな彼が屈託のない笑みを浮かべ、催促をするように小刻みに揺らしながら差し出された手を私は右手で振り払う。

 

「……へぇ、そんな気にいらないか?」

「違う。ただ信用ならないだけだ。同志であることは重々承知だ。そこのゴリラも、眼鏡も」

「なんか酷くない?」

「~~~~!!!!」

 

 私は白衣の男、眼鏡をかけた技術者と名乗った男と、芋虫のように床にはいつくばっている、一年前に私を助けたと豪語する巨躯の男を一瞥しながらレオンを睨み付ける。

 

「まぁな、俺だって信用ならないさ。ここはアウトサイド、流れ者と廃棄されたやつらの街だからな」

 

 レオンはわかっているとも、と言わんばかりに大袈裟に手を広げながら続ける。

 

「だからといって信用できないってわけじゃない。共通の目的さえあれば、敵だって見方だ。そう思わないか? 元幸福都市の坊ちゃん」

 

 コイツ……やはり私たちの情報を。もしやコイツが掃除屋に渡された、私の情報がのせられた紙片の持ち主か。

 

「あぁ、信用できないわけじゃないな。だが協力してやるとも言っていないだろう」

 

 お互いさぐりさぐりの牽制をしつつ、様子を伺っていると、

 

「めんどくさ! 君ら凄くめんどくさい! 付き合いたてのカップルみたいなもぞがゆい会話はやめてくれ!」

 

 傍観していたはずの白衣の男がオーバーリアクション気味に体を掻きむしりながら、私たちの間に割っては言ってきていた。

 

「……黙れ眼鏡、今度こそ風穴を開けてやろうか」

 

 白衣の男は私が右手を振り上げると、降参と言わんばかりに両手を上にあげた。

 

「おぉう、怖い怖い」

 

 へーへーと白衣の男は頷きながら一歩後ろに下がり、やれやれと言わんばかりに首を傾げる。その様子を見て、私もどこか熱くなっていたことに気が付き、一つ溜息を吐いて、

 

「……まぁ、俺も協力してやろうとか思っちゃいないさ。別に一人でだって出来ると思うしな」

「ならば、各々バラバラでやればいいではないか」

 

 私がやや噛みつくように言うと、レオンはやれやれと呆れながら、

 

「そうもいかないのさ。この任務は一度しくじれば私たちの存在も、計画の意図もあちらに割れてしまう。そうなればアウトサイドが幸福都市を退けることは難しくなるだろう」

「だが、技術力などは上だろう。警戒しすぎではないのか」

 

 私は言っていながら、自分が一番幸福都市を警戒していることを自覚していた。脳裏に過る、三人の影。どれも維持権という不透明なモノを持たされ、人の生殺与奪を握った者達。そしてその幸福都市のトップに立つ……『N』という謎の人物。そうだ、私たちは幸福都市のことをまるで知らない。何十年と過ごしていたのにも関わらず。

 

「しすぎ、なんてことはない。むしろしすぎて然るべきだ。だからこそ少数精鋭かつアウトサイドが損失として限界に計上した、私たちが向かうのだ」

「そういうからには、少数精鋭かつ軽度の損失でしかない私たちでもこなせるプランがあるんだろうな」

「口が減らないな。まぁ、これくらいが俺としても歯ごたえがあっていいんだがな」

 

 お互い探りあうような、それでいて不穏感を孕んだ会話。だがそこには、お互いに譲れないところがある。己の意思と、アウトサイドの意思。どちらも私たちには譲れないモノがあるのだ。

 

「あぁ、もう。いいから二人とも。なんで一番ずれてるはずの私が仕切ならきゃいけないんだ」

 

 ずれてる自覚があったことにも驚きだが、白衣の男は私とレオンの間に今度は物理的ではなく会話として仲裁に入ってきた。彼もどうやら不毛とも取れる時間に嫌気がさしたのだろうか。

 

「まぁ、その通りだな。おい『起きろ』。『口は開いていい』から。あと変な真似したら今度こそ本気で行くぞ」

「――ッ! フゥゥゥゥ………本当なら殺してやりたい所だが、気が削がれたなァ……」

「おう、それでいい。いつだって殺しにこい」

 

 レオンはどうやら『言葉』とやらで巨躯の男を縛っていたモノを解除したようで、男は不機嫌そうによろよろと立ち上がる。どうみても、やる気ではなく体力が根こそぎそぎ落とされている。口だけはどうあっても減らないようだ。

 

 巨躯の男の解放を皮切りにようやく険悪なムードが一段落し、さぁ誰が口を開くかといった雰囲気が私たちを包む。現に私も先程よりは落ち着きを取り戻せていた。

 

 そんな中、「あっ」と何か思いついたように口火を切ったはレオンは、

 

「そうだなぁ、任務までそう時間もないし……折角だから隊長命令的な感じで、今から親睦会でもするか?」

 

 なにがそうなのか、全くわからない一つの提案が私たちの出会って間もない心をシンクロさせた。

 

「はぁ?」

「拒否する」

「馬鹿かお前はァ……?」

 

 シンクロした心から三つの拒否反応。どうにも気まずい空気が私たちの空間を包む。さっきまでのギスギス感が生易しく感じられるほど、着火寸前、一触即発険悪ムード。

 

「よしお前ら、『俺についてこい』。それで今から親睦会するぞ。もちろん拒否権はないから『口は開かなくてよし』!」

「「「――!!」」」

 

 レオンが高らかにそう宣言すると、私たちは一言も話さず、一寸の狂いもなく、レオンのあとを規則正しく、有無を言わさないままについていかされることになったのだった。

 

 

 これが、ほんの少し前の話。思い出しても頭が痛くなる。

 

 

「はいじゃあ親睦会ってことだから、自己紹介していこうか、まずは俺から!」

 

 私たち三人に話かけながらも、私たちの意思はまるで無視してレオンはウキウキした様子で自己紹介を始めだす。

 

「名前はレオン、っても偽名ってかある意味本名なんだけどな。出身者はアウトサイドセクター5だ。趣味は特にないが、特技は頼み事、かな?」

 

 レオンは私たちが興味無い素振りをしているのにも関わらず、一人でペラペラと自己紹介を行っていった。どうでもいいが特技がどう考えても、私の知っている頼み事と乖離していると思われる。

 

「じゃ、次は……お前! 名前わかんねーからお前!」

 

 レオンはめげる様子もなく、次を指さして指定する。その指先には、巨躯の男の姿があった。だが巨躯の男は、まるで聞く耳持たずと言った様子で厳かに座り続ける。

 

「……おい、お前っていってんだよ。わかる? オーケー? 言葉わかる?」

「殺すぞ」

「あ、そういうこと言っちゃう? じゃあそうだな……『服脱いで』、『踊れ』」

「何ィィィィ!? クソ、止まれェェェェ! ウォォォォ!」

 

 ……なんなんだこれは。私は別にゴリラの裸踊りに興味はないし、それよりも店内の客とスタッフの視線がとても痛い。早くやめてくれないだろうか。

 

「……名前はない。流れ者の親から生まれたとだけ聞いている。出身は一応セクター2、趣味はトレーニング、特技は破壊だ」

 

 ひとしきりレオンが満足したところで、解放された男はやや苛立った様子で早口に自己紹介をしていった。私はこうならないようにしよう、ゴリラでも役に立つな。

 

「なんだ、微妙に重いな。でも特技破壊って……ぷふっ、見た目通りすぎて……」

「やっぱり殺しとくかお前ェ……」

 

 巨躯の男はもう逆らうのも面倒になっているのか、妙な落ち着きを持って自己紹介をしていった。レオンは特技に対して笑っているが、自分も大差ない事をわかっているのだろうか?

 

「よし、じゃあ次は……眼鏡の君! よろしく!」

「は~い。私も名前という名前はないから、適当にどうぞ。出身は技術力随一のセクター4。趣味は研究、特技は分解かな?」

「うわっ、すげぇ普通だな。というかここまで名前あるの俺だけかよ」

 

 白衣の男は少しでも抵抗をすればレオンに何をされるかわからないことを先程のことで察しているようで、当たり障りのない普通の自己紹介をした。この流れだと、次は私か。

 

「はい、次! トリだよ!」

「はぁ……名前は私も、ない。出身は一応幸福都市だ。趣味も特技も、特にない」

 

 私は特筆すべきことが自分にないことを考えながら、至極普通にそれでいて適当に自己紹介を済ませる。

 

「……お、おう。なんか重いな」

「幸福都市かぁ、色々気になるなぁ……」

「ケッ、やっぱり出身は幸福都市かよ。俺の嫌いな平和ボケした匂いがするわけだぜ」

 

 それぞれが口々に反応するが、私からしたらどうでもよかった。それよりも今後のことだ、と思いつつ口を開く。

 

「なんだっていいだろう。それより自己紹介はもういい。レオン、これからどうするんだ」

「まぁ焦るなよ、話はまだこれからだ」

 

 私の追及に対し、レオンは私に右手をかざして制止をかける。

 

「おーいすみませーん店員さーん」

「はーい!」

 

 レオンは私の質問に答えることなく、店の中を忙しそうに動き回る店員を呼び止めた。

 

「えっと、店で一番強いやつもってきて? あ、酒の話ね」

「……えっと?」

 

 店員も、口を噤んでいる私たちも揃って頭にハテナを浮かべている。この馬鹿は何をしているのだ、と。

 

「だ、か、ら。一番強いの、銘柄とかなんだっていいよ~」

「は、はい! かしこまりました!」

 

 「よろしく~」と気の抜けた声を店員に送ったレオンは、再びこちらに向き直って無邪気な笑みを浮かべた。あぁなるほど、コイツは……

 

「さぁ、親睦会はこれからだぜ?」

 

 この先起こるであろう飲み会(しんぼくかい)に、私は頭を痛める羽目になるのだった。

 

 

 

 

「……もう無理ぃ~。センセー? これ次のけんきゅー……うおぇぇぇ」

「すーっ……ふぅーっ……」

 

 それぞれ穏やかな呼吸音を奏でながら、私とレオンを除く二人はすっかり泥酔していた。それも仕方がない、眼鏡は酒に強くない様子であったし、ゴリラはレオンと飲み比べをして十杯目を飲んでいるのだから。

 

「うーん、まだまだだなぁ。俺を倒したけりゃこの三倍はいるぜェ……」

「の割には、随分とよろよろだがぁ?」

 

 大きく息まくレオンだが、彼とて飲み比べで決して少なくない量を飲んでいる。現に頬は美貌がもはや色気づいて見える程に紅潮しているし、呂律だってあやしい。仮にこれを女性に例えると、とてつもない破壊力であるとだけ言っておきたい。

 

「おい! お前もっと飲めよォ……うぷっ」

「悪いな、私は次の日に持ち越さない程度しか嗜まないんだ」

 

 そして私は彼らのどんちゃん騒ぎを横目に、テーブルに運ばれたもはや強すぎる度を越えた酒をちびちびと飲んでいた。それでも少し酔ってしまったが、彼らほどではない。

 

「うぅ……わりぃもう動けねぇんだ」

「ほう、それは好都合だ。ん、酒がうまい」

 

 私は弱々しく声を漏らすレオンを一瞥し、正直少しだけ気が晴れた。あって間もないが、弱った彼を見るのはどこか気分が良い。

 

「いいか、一つ言っておく」

 

 私がグラスをゆったりとあおっていると、レオンは始めて見るような真剣な面持ちと、どこまでも真っ直ぐな視線をこちらに向けながら口を開いた。そして続けて、

 

「吐きそう、それも大量に」

「店の中でそれは困る!」

 

 何とも不幸なことに常識を持ち合わせていた私は、急いでレオンを抱えて仕方なく外へと連れだした。

 

 

 

「オロロロロ……」

「クソ、なぜ私がこんなことを」

 

 私は今にも吐きそうなレオンを半ば放り出すように路地裏に放つと、雑多としたゴミだらけの中にレオンは埋もれながら苦悶の声を漏らした。続いて素晴らしいくらいの水音が、私の耳に不快感として聞こえてきた。

 

「…………」

「ん? おい、死んでないだろうな?」

 

 先程まで潔い程の耳障りな音をならしていたレオンは、ピタリとその音を止めたかと思うとピクリとも動かなくなっていた。まさか喉にでも詰まらしたか?

 ここで死なれても気分が悪い、そう思いながら私はゴミに埋もれたレオンの安否を確認しにいく。

 

「おい、おい! ったく…………?」

 

 揺さぶっても反応が無いレオンを、抱え上げて死んでいないかその顔を確認しようとしたその時、

 

「…………『動くな』」

 

 彼の口から聞いたこともないような、氷点下の呟きが私の耳に届いていた。

 

「ぐっ……レオン、何のつもりだ。酔っぱらってるなら……」

 

 私は石同然に動かなくなった体を必死に動かそうとしつつ、抱えていたレオンに問いかける。だがその声にレオンは答えることなく、自然すぎる程にスッと立ち上がる。

 

「……ようやく油断したな。俺はお前に聞きたいことがある」

 

 そこには、見たこともない彼がいた。

 

「どういうことだ」

 

 私も警戒しながら彼に問うが、その雰囲気は今までのどこか優し気な彼とはかけ離れていた。きっと今の彼は『敵』を認識している、そう思わざるを得ない。

もはや疑いようもない、レオンは私を嵌めたのだ。馬鹿でもわかる、この状況と拘束から。そして彼の、先程までとは別人に思える程のその佇まいに。

 

「初めからお前のことは疑っていた。理由は言うまでもないだろう」

 

 レオンは問い詰めるように、屈んでいる私を見下ろすように冷たく言い放つ。私は反射的に全身に力を入れるが、レオンの拘束が効いている今、どうしようもないのが現実、ぐっと彼を睨み付けることしかできない。

 

「それと君ら三人のこと、調べはつけているんだが……それは君も知っての通りだと思う」

 

 レオンがビルの中で『幸福都市出身』と言った段階でそれはわかっていたが、問題なのはどこまで調べていたかだ。もしそれが、文字通り全てなら……。

 

「君と話し合うために眠ってもらった二人は、アウトサイドでは普通すぎる出自だったよ。君に比べたらね」

 

 私は眼前の出来事に思考を巡らしているのにもかかわらず、この状況が未だに飲み込めずにいた。その間にも、レオンは続けて私に語り続ける。

 

「君については苦労したよ。情報を集めるためにわざわざ幸福都市に危険を冒してまで調べに行ったりね。視察も兼ねてジジイに行かされていたから、なんてことはなかったけど……不思議だったよ」

 

 何か、何か漠然とした不安。まるで私というものが、ことごとく否定されているかのような。

 

「何が、不思議なんだ」

 

 ただ私には、漠然とした悪寒だけが心中に渦巻いていた。そんな私の胸中をレオンはお構いなしと言わんばかりに続ける。

 

「ないんだ、君のデータが」

 

 レオンが口にしたのは、私にとっても意味がわからない……いや、わかろうとしたくない一言だった。

 

「幸福都市に暮らす者達は生まれながらにして戸籍としてデータベースに纏められているんだ。君も管理局にいたのなら知っているだろう? ある程度アクセス制限はあるものの、君程度なら一般の人と同じく閲覧できるはずなんだ」

「だがそれがなかった。管理局で閲覧できるデータベースには少なくとも、だ」

 

 私は何も言えなかった。そして一つの疑問といくつもの不安が、心の中によぎっていくのを感じていた。

 

「つまり君は、正体不明(アンノウン)。幸福都市にも、ましてやアウトサイドでも所属していないどころか生まれから経歴まで何もかもが一切不明。どういうことか、もし出来るなら説明してもらいたい」

「そ、そんなもの……」

 

 

 不安、私は両親の下で生まれた筈。そして育って……両親? どんな顔だ、名前は? じゃあどこに住んでいた? それは幸福都市の……幸福都市のどこだ? じゃあどうやって、私は生きていたんだ? わからないことだけがわからない。ハッキリとわかるのは、私の運命が変わったあの日からのことだけ。それは、何故だ?

 

 疑問、私は一体何者なのだ?

 

 

『君は……そういう人間なんだよ』

 

 脳裏に響く誰かの声。同時に何かに呼応するようにして、激しい頭痛が起こる。

 

「ッ!? ぐっ……」

「おいどうした! しっかりしろ!」

 

 

 

『君は幸福だ。そしてこの都市で過ごして来た』

『心配するな、君は幸福にここで過ごして来た』

『安心しろ。君は疑いようもなく、幸福である』

 

 反復される言葉ことばコトバ。私は幸福で幸福都市で過ごして来て心配も何もなく幸福に過ごして安心して私は私として生きてきて…………幸福? 幸福幸福幸福幸福幸福幸福幸福幸福幸福今の私は幸福?

 本当の私はどこだ?

 

 与えてくれた『N様』。

では今の私は幸福か?

違う、奪われたのだ。

誰に? 『N様』に。

………ふざけるなよ。

 この気持ちは幸福か?

 違う、これは怒りだ。

 この感情を向ける先。

 私は憎い、『N』が。

 

 この感情が、私のものであるなら。一年前から抱き始めた、この憎悪の感情が私だけのものなら。いや、そうしなければならない。誰かに与えられるだけの人生は御免だ、それは私じゃない。数十年にわたる私のなんてことない記憶がもしも幸福というなら、私は自らそのクソッたれな幸福を手放し、断ち切るのだ。

 

 幸福都市でも、誰かの不幸の上に私たちの幸福がなりたっていると、教えられたではないか。それも『N』直轄の幸福維持権を持たされた者たちに、この身をもってして。

 

「……ッ」

 

私は反射的に、ここに来てからの目に見える変化である右手を見ていた。規則正しく機械音を鳴らすソレは、幸福都市ではなくアウトサイドの象徴。私はその右手を握り、考える。

そうだ……そんな人を不幸にする『N』が与える幸福なぞクソ食らえ、私の人生に口を出すな。私の幸福は自分で勝ち取る、『N』の呪縛から逃れて。幸福都市のように日常的に少数を犠牲にする幸福ではなく、少数も掬い取る幸福を。その覚悟が、右手に現れているようで、

 

『君は、私が決める』

 

 脳裏に響いたその声に私は、

 

「……ふざけるなよ」

 

 そんなものは全て壊す。何が幸福だ。与えられるだけの幸福のどこに価値がある。私を縛る枷があるというのなら、全て壊してやる。もう一度右手を強く握りしめ、強い意志を持ってレオンに向かって……いや、世界に向かって吼える

 

「私は、私だ。何者でもない、私がここにいることがその証明。正体不明(アンノウン)? 結構だ、なんなら私のわからないままの名前の代わりにしてやるとも」

 

 もし仮に、今この私を形どるすべてが『N』による仮初なら、それを今から全て喰ってやる。そしてここで、私は変わる。今あるすべてが、私の全て。過去を受け入れ、今を進むための……わからないことだけがわかった、それだけで今はいいのだから。

 

 正体不明(アンノウン)を受け入れ、私は生きていく。私は確信する。今この瞬間、私はまさに、幸福であると。流されるだけではなく、自分で切り開いていこうとすることが、こんなにも幸福と感じる。私は初めてアウトサイドへきてから、血なまぐさいこれまでのなかで初めての、生の実感を得た。初めて、自分の意思で……生きている気がした。

 だから、

 

「私は……何者でもない、私だ」

 

 ただ一言だけ呟く、誰に言うまでもなく。そして訪れる沈黙、続くように静寂。その緊迫した世界で先に口を開いたのは、

 

「……はぁ。やっぱりか」

 

 レオンは頭を掻きむしり、そうつぶやいた。私が一年前にした覚悟を更に強めていたところで、レオンはその様子をずっと見ていたのか、何か言いたげに下を向いて溜息を吐いていた。

 

「いやな、わかってたんだよ。お前が彼の人を憎んでいることも、今もそのことだけを抱えて生きてるってのも」

 

 レオンは先程までの殺気を纏った様子ではなく、会って間もない記憶の中での彼に戻っていた。

 

「ただ、それでも確認しなきゃいけないんだよ。ジジイに言われた手前、断ることもいい加減なこともできないからな。それにもしもがあってからじゃ遅い、ましてや来るべき日の任務である幸福都市に乗り込んでからじゃ、な」

「だから、聞きたかった。お前の口から、その覚悟を。生まれである幸福都市に反旗を翻す、その意思を。」

 

 試されていた。ただその言葉が私の頭には率直に伝わっていた。彼の行動は任務に当たる隊長として、決して避けることができなかったものだったのだろう。なら私がするべきことは、言うべきことは

 

「悪かった、信用に足りえる奴ではなくて。だが、私は一年前のあの日から、アウトサイドに身を落としたその日から……この身は全てアウトサイドのためにある。それだけは、お前に伝えて起きたい」

 

 着飾った言葉はいらない、取り繕わなくていい。どうせ私に彼に語るだけの半生も、記憶も、何もありはしないのだから。だから、だからこそ。行動で、この身をもってして示していくしかないのだ。アウトサイドの、一員として。

 

「……『解除』。悪かったな、突然」

 

 レオンはほんの少し考えた様子を見せ、すぐに私の拘束を解除する言葉を放った。すぐさま全身に絡みついていた違和感が消え、自由の身になる。

 

「俺もさ、隊長だなんて言ってるけど所詮一人の人間さ。それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ安全策を取っちまった。もしもっと俺に力があったなら――」

「何言ってる」

 

 思わず反射的に口から言葉が出ていたが、その通りだ。何を言ってるんだレオンは。彼は私に気が付かせてくれたのだ、自らの行動を伴って。それでいて真剣に向かい合っているのだ、私のも、彼が呼ぶジジイとやらにも。まるで自身、がアウトサイドの歯車である自覚をもっているかのように。

 

「レオンは……いや、隊長は疑いようもないくらい、私たちの上に立つべき人間だ」

 

 これはきっと、気が付かせてくれたレオンに対する感謝も含んでいた。私の存在を、これからの生き方を気が付かせてくれたことへの感謝。

 するとレオンは豆鉄砲を食らった鳩のように呆けた顔をしたかと思うと、今度は少し照れくさそうに下を向いて頭を掻きむしった。そして、

 

「なんか恥ずかしいけどよ、短い間かもしれないがよろしくな?」

「あぁ、隊長」

 

 私とレオンはお互いに声をかけ合い、そして手を握り合った。なんてことないことだが、初めてお互いに認め合った瞬間でもあった。そこで初めて気が付いたが、ここまでがもしレオンの言っていた親睦会の意図であるなら。私をここまで連れてきたのも、邪魔が入らないように残りの二人を眠らせていたのも、ここまで計算ずくの行動なら……

 

「……なんだ? 俺の顔になんかついてるかぁ?」

 

 目の前で屈託のない笑みと、その上にハテナを浮かべるレオン。……考えすぎ、か。

 

「なんでもない、少し吐瀉物がついてるだけだ」

「え、マジ?」

「あと、ちゃんと来るべき日の任務のことは説明しろ。アルコールを入れる前に」

「……それは、ご愛嬌ってヤツ?」

「……はぁ」

 

 むしろ、計算がないからこその結果かもしれない。彼はただ心配していただけかもしれない。だからこそ私が考えるきっかけを得れただけかもしれない。だからこそ……いや、それこそ考えすぎか。全く、底が知れない男だ。

 私は、少しだけ笑ってしまった。

 

 

 

「くぉらー! 二人とも~どこいってん……ひっく」

「……げふ」

 

 私とレオンが戻るやいなや、投げつけられたのは罵声であった。かたやもう一人は黙々とグラスを煽っている。傍に乱雑に投げ捨てられているビンたちが、嫌という程にこの状況の説明となっていた。

 

「あー、なんだ。二人とも仲が良いのは――」

「うるしぇー! はよぉ、飲まんか!」

「……飲め」

「な、なにを――うぷっ!?」

 

 レオンが眼鏡の男に組みつかれたと認識した瞬間、ゴリラがレオンに口に一升瓶をぶちこんでいた。ご丁寧に鼻まで塞ぎながら。

この状態では如何にレオンといえども逃げられないようで、一升瓶の中身が恐ろしい勢いで減っていってる。なんというか、ご愁傷さまとだけ心の中で思っておいた。

 

「も、もう無理……」

 

 およそ数分も経たぬ間に満タン入っていた一升瓶が空になり、空瓶と一緒にレオンは放り出された。レオンの顔は見るまでもなく、グロッキーである。

 すると二人の猟犬(よっぱらい)は満足できていないのか、こちらへと怪しげな視線を送ってきた。

 

「へへぇ、次はお前だ根暗~!」

「……飲め」

 

 まぁ、今くらいはこのくだらない茶番にも付き合ってやろう。そう思って、私は差し出された酒を一気に呷った。

 


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