タグにラブコメって入れた以上ラブコメ回も挟まないとね!
――――五十六の朝はトレーニング・ウェアに着替える事から始まる。
と言っても実際は学校指定のジャージの予備を家でのトレーニング時に使っているだけの事だ。今や殺し屋ではなく単なる本屋のアルバイトである五十六には一々トレーニング用の衣服を買うだけでも財布には結構な痛手なのだから仕方ない。
時刻は午前6時前。漫画の執筆で夜更かしした日には大分辛い時刻だが身体は既に早起きに慣れてしまっているので、冷たい水で顔を2~3度洗えば頭を包む眠気の靄は即座に吹き飛ぶ。
「おはよう、じゃあちょっと走ってくるよ」
「ああ、車に気を付けるようにな」
飯田家で最も朝早く起きるのは100歳近くながら未だに矍鑠とした心身の持ち主である五十六の祖父だ。昔ながらの乾布摩擦を庭先で行っていた祖父と朝の挨拶を交わしてから家の外に出る。
五十六の毎朝のトレーニングは、30分ばかり近所をジョギングしてから自宅に戻り登校の時間になるまでの間ひたすら自室で筋トレか庭先でのシャドーボクシング、またはその両方という内容だ。シャドーを自室で行わないのは五十六の部屋がそこまで広くないので下手に大技を繰り出すと壁や家具にぶつけかねないから。
五十六こと塵八が平凡な高校生――瞬間移動が使える高校生が平凡かどうかはともかく――にもかかわらずこのようなトレーニングを行う理由は健康の為でもあるし、いざという時の備えの為でもある。
心の弛みは肉体に現れる、と五十六は考えている。木暮塵八だった頃に殺してきた標的が良い例だ。悪事を平気で揉み消すような汚職議員や罪を罪だと思わない世の中を舐めきった人間を数多く見てきて、その誰もが一目で分かる程醜悪な見かけだったり腐った雰囲気なりを漂わせていたものだ。逆もまた然り、肉体が弛めば心も弛むに違いない。
元々身体を動かすのは嫌いではなかったし、特殊能力を持ち合わせていれば遅かれ早かれ何らかのトラブルに見舞われるだろうと五十六は半ば覚悟していた。故に鍛える。
涼音達外人美少女が次々と現れた事でキナ臭さが目立ち始めたので、自分の予感は間違っていなかった事がほぼ証明されたも同然だった。勘が当たったといっても全く嬉しくは無かったが。
シィ・ウィス・パケム・パラベラム。
――――『汝、平和を望むなら戦争に備えよ』
まったくその通りだ、と五十六も同意見だ。
暴力が必要になった時に備え、五十六は可能な限り己の肉体を研ぎ澄ませていく。
偶に妹や祖父がシャドーを行う五十六の姿を見物しに来る。五十鈴などは最初の頃など、格闘技系のジムとは縁が無い筈の兄が見事に様になった格闘技の技を矢継ぎ早に淀み無く繰り出し続ける様を見せつけられてポカンとした間抜けな顔を浮かべていたのが特に印象深い。
こんな事を聞かれた時がある。
「…あにき、どこでそんな格闘技なんか覚えたの」
「それは――――あれだよほら、ネットとかで資料集めたり映画を見たりしてて、自分でも漫画の主人公と同じ様に身体を動かしてみた方が漫画を描く時にも参考にもなるから、何度もそうしてる内に自然に覚えたんだよ。他にも格闘技やってる三木多可にパンチの打ち方とかを教えてもらったりさ」
7割嘘で3割が真実。五十六の格闘技の師匠は凄腕の殺し屋だが、自ら身体を動かして漫画の参考にしているのは事実だし三木多可とは(加えてバイト先の変わり者先輩店員坂田征四郎とも)時折スパーリングも行っている。やはりスパーリングの相手が居るのと居ないのとでは鍛錬で得る事が出来る経験値は大きく違ってくるものなのだ。
余談だが、その会話の直後激しく身体を動かして汗だくになった服が気持ち悪かったのでつい五十鈴の前なのも忘れてジャージとその下に着ていたTシャツをまとめて脱いで上半身裸になってしまい、細身ながら日頃の鍛錬のお陰で意外と着痩せしている兄の裸を目の当たりにしてしまった途端真っ赤な顔になった妹に散々「変態!破廉恥!」と怒鳴り散らされてしまったのは微妙に思い出したくない記憶だ。
――――その割にはチラチラ自分の方に目を向けて来るし、今もちょくちょくトレーニングを覗きに来たりするんだよなぁ。わざわざ脱ぎ捨てた汗臭い衣類を半ば強引に洗濯しに持って行ってくれたりもするし。
塵八だった頃は1人っ子&孤児だったので兄弟姉妹に仄かな憧れを懐いていたものだが、実際妹を持ってみると色々と距離感が掴めなくて困ってしまい、五十六は頭を悩ませる。
「(ダニエラは素直な良い子だったなぁ……いや、比較しちゃダメだろ。ダニエラはダニエラ、五十鈴は五十鈴なんだから)」
話を戻そう。
最近、五十六のジョギングに同行する者が増えた。それも同時に3人。
言わずもがな、勿論涼音、ターニャ、イーチンの外国娘達である。案の定、揃いも揃ってボディラインを強調するデザインのトレーニングウェアに身を包んで五十六を取り囲む。
「……何で3人がここに居るの」
「ふむ、奇遇だなトバリッシュ(同志)五十六。今日はたまたま君の前を通りがかっただけだよ」
「わ、私もそういう事にしておいて下さい……ううう、私運動苦手なのにぃ」
「ワザとらしいですよ2人共!五十六は私と一緒にトレーニングするんですから!」
「いや俺一緒に涼音とトレーニングしようなんて一言も……そもそも君、俺より先に外で待ってたよね?」
完全に五十六を出待ちしていた3人に五十六は思わず突っ込みを入れてしまった。女の子が苦手な五十六だったが、涼音とターニャについては次第に遠慮が無くなってきている。
イーチンについては彼女だけ不必要なアピールを五十六に送るどころか朝早起きして走る事に対し諦観混じりの心底嫌そうな雰囲気を漂わせていて、あまりの消沈っぷりに同情すら覚えてしまった。
「もう良いです。付いてくるなら勝手にして下さい。それからイーチンさんは別に無理して付いて来なくても大丈夫ですからね?」
「あう、何とか頑張ります」
「いやだから頑張らなくていいんですってば」
ともかくジョギング開始。普通のジョギングよりもやや早めのペースで一定の速度を維持しつつ見慣れた早朝の路地を駆け抜ける。走り始めて5分と経たず川沿いに続く並木道へと出た。川に沿ってひたすら走り続けるのが五十六の何時ものコース。
「おはよう五十六――――くん?」
並木道へ出た所で新たに1人追加。五十六の様な学校指定の地味なジャージではなく、有名ブランドのスタイリッシュなスポーツジャージ姿の四天王寺花蓮だ。
実は彼女も毎朝五十六と共にこの並木道を走っているのだが、今日の彼女は挨拶の言葉を途中で区切った瞬間の口を大きく開けた表情のまま凍り付いていた。
その理由はもちろん、五十六の両隣で並走していた涼音とターニャである。イーチンだけ大分遅れて荒く息を喘がせながらどうにか3人を追走していた。既にその顔は泣きそうだ。
――――彼の隣は私のポジションなのに!
「何で3人が五十六君と一緒に走ってるんですか!?」
「いやあ……何ででしょうね。アハハ」
どう説明したものやら。必死の形相で問い詰めてきた花蓮に五十六は乾いた笑いを漏らして誤魔化すしか良い考えが思い浮かばない。
彼の背後では五十六から見えない位置で涼音とターニャが勝ち誇るような笑みを浮かべていたものだから花蓮のテンションはヒートアップ。
「は、早く行きましょう五十六君!登校時間まで余裕もありませんし!」
「いえ、せめてイーチンさんが追いつくまで待ってあげた方が……」
流石にイーチンを置き去りにしてしまうのは可愛そうに思えたので五十六が止めると、花蓮は少しだけ不満そうに流麗な眉尻を少しだけ下げつつも素直に従ってくれた。あわよくば1人邪魔者が脱落してくれやしないかと密かにほの暗い事を考えていた涼音とターニャは残念に思いはしたが顔には出さない。
「だから本当、そんな無理してついてこなくても構わないんですよー」
「はひ、ぜひ、だい、大丈夫でしゅ!」
既にかなり息を荒くしながらも(その度に五十六のクラスいや全校生徒の中でもトップに立ちそうなほど巨大な巨乳が上下に震えている)、イーチンは何とか五十六達の下まで辿り着こうと足を動かしていたが――――
何も無い平らな道で足をもつれさせたイーチンは自らの足に引っかかって五十六のすぐ目の前で前のめりになる。並木道はアスファルトで舗装されており、転倒すればそれなりのダメージになるだろう。
「あわっ!?」
「危ない!」
倒れこむイーチンを受け止めようと腕を伸ばして倒れる先に身体を割り込ませる五十六。
感じた衝撃は予想以上に軽く、そして柔らかかった。すっぽりとイーチンの身体が五十六に抱き止める形になったのだ。
男の胸に抱かれている事に気づいたイーチンは「はわわわわわ……」と言葉にならない声を漏らし始め、五十六の方はふわりと鼻先をくすぐったイーチンの髪から汗の酸っぱさと南国の花のように甘い匂いが渾然となった異性の香りに脳髄をガツンと殴られた感覚を覚えたが、それよりももっと大きな問題が発生。
――――とっさに伸ばして彼女を受け止め、抱き寄せた際に五十六の右手がしっかりとイーチンの左胸を鷲掴みにしていた。
「ご、ゴメン!」
「あわあわあわ、男の子に触られちゃった…!」
――――本当にどこのラブコメだよ、と五十六はセルフツッコミ。
慌てて離れて頭を下げるが、次の瞬間ゾクリと背筋が凍り冷や汗を生じさせる感覚に全身を撫でられてまた勢い良く顔を上げてしまった。
「(さ、殺気!?)」
慌てて見回すも殺気の発生源らしき人影は見当たらない。隠れたのか視認できない位遠くで見張っていたのか、ともかくそれなりに離れた距離から何者かが殺気を叩き付けてきたのは間違いない。
涼音達の方は先程の気配に気づいていない様子で、どうやら五十六にだけピンポイントに濃厚な殺気を照射したらしい。かなりの隠行の使い手と推測。そんな人物にまで見張られているとは、先が思いやられる。
「い、い、五十六君!貴方なんて事してるの!」
「私知ってますよ。今の五十六みたいな人をラッキースケベっていうんですよね!エッチなのはいけないと思います!」
「同志五十六、流石に今の行いは破廉恥だと言わざるを得ないな」
口々に少女達に責められて泣きたいぐらいの情けなさと罪悪感に襲われる五十六であった。
――――でも涼音とターニャにだけは言われたくないなぁ、とも思った。
余談だがそこから数十m離れた物影では、ロングヘアをシルバーグレイに染めた中国系の美女が憤怒の形相を浮かべて手近なブロック塀を素手で破壊していたとかいなかったとか。
他にも学校で3人娘に迫られたり誘惑されたり部活でピッキングの訓練やらされたら涼音が全ての錠前を解除しちゃったり
「――――とまぁ最近こういう感じの事ばっかりなんですよ。征四郎さんはどう思います?」
アルバイト先の書店である『みのり書房』の先輩店員で陰謀好きな坂田征四郎に、五十六は外人娘達絡みの出来事について試しに相談してみた。
日本の警察官や自衛隊員の大部分よりも鍛え上げられた肉体を持つ征四郎はしばらく黙りこんでタップリと間を空けた後(しかしその手は自動運転で淀み無く業務を捌いている)、重々しく口を開いてこう言い放った。
「陰謀の匂いがするな」
「それについては俺も同意見ですけど……」
「君の方に心辺りは無いのかい?例えば――――」
「言っときますけど見知らぬ人間から手紙やマイクロフィルムを預けられたり、偶然怪しい連中の会話を聞いたり、新薬の実験台になったりも遺伝子操作された蜘蛛に刺されたりもしてませんからね俺は」
五十六に言おうとした内容を先読みされて話を中断させられても征四郎は機嫌を損ねた様子も無く「ふむ」と漏らす。
「だったら五十六君が描いた漫画に出てくる陰謀が、実は実際に秘密裏に国家が行っている陰謀とそっくりだったという可能性はどうだろう?」
五十六がネット上に公開している作品を征四郎も愛読しているのだ。彼曰く『五十六君の描く漫画は実に俺好みの陰謀ばかり出てくるし銃撃戦描写もリアルに再現しててお気に入り。敢えて言うならCIAとかアメさんの出番が少ないのが不満かな』との事。
今の発言には流石に五十六もドキリとせざるを得ない。何たってそっくりどころか実際に起きた陰謀をそっくりそのまま漫画のネタにしただけなのだから。
尤も陰謀が進行していたのは別世界での事なのだけれど。あと征四郎に言われて気づいたが、『ハイブリッド』時代に関わった国と言えばロシアに中国に韓国に北朝鮮の犯罪組織だったりアフリカのPMCと戦ったりメキシコ陸軍の将軍を標的にしたりで、意外とアメリカが直接的に関わる問題に遭遇した事が無かったのを今更ながら五十六は思い出した。
――――いや、あの軍事超大国アメリカが絡んでくる陰謀に巻き込まれるとかそれ程最大の死亡フラグじゃん。米軍を敵に回すとかマジ勘弁。ホントアメさんが出張ってくるような事件に巻き込まれなくて良かった…!
内心の動揺をおくびほど見せまいと心がけつつ首を横に振る。
「それじゃあ『ペリカン文書』じゃないですか。あくまであれは漫画の中の出来事に過ぎませんからね?」
「それはどうかな。五十六君の描く漫画の陰謀は俺の目から見てもかなりレベルの高い陰謀ばかりだと思うよ。第一、俺も五十六君の事実はただ者じゃないと思ってるしね」
それは初耳である。一瞬だけ手を止め、からかい4割興味6割の絶好の観察対象を見つけたと言わんばかりの爛々とした目で五十六を見やった。異様な眼光と心当たりがあるせいで五十六は思わずたじろいでしまう。
「五十六君は確かに善良で真面目な性格だ。だけどそれは仮の姿で、実は五十六君も幼い頃から鍛えられた工作員だったとか言われても俺は信じるよ」
「だから何でそうなるんですか!」
「何となくだけど分かるんだよ。君の奥底に、凶暴さと冷徹さを兼ね備えた危険な何かが潜んでいるのを」
「………」
すぐに否定出来なかった。
「大体五十六君かなり強いだろ?休みの日に偶にトレーニングやスパーリング付き合ってくれるけど、ジムでも俺と同じぐらいのレベルの人って殆ど居ないのに、五十六君はそんな俺と互角にやりあえる。それだけでただ者じゃないって思ったよ」
あ、しまった、と五十六は思い出す。
征四郎の言う通り、彼とも何度か征四郎が通う格闘技系のジムでスパーリングを行った事があった。そこでかなりの格闘家でもある征四郎の強さ――少なくとも平等院会長並みかそれ以上――を目の当たりにしてついつい塵八も本気になってしまい、壮絶な乱打戦を繰り広げてしまったのである。
勿論目潰しや金的などの危険な反則技(でも実戦では極々当たり前のテクニック)は繰り出さなかったが、一旦人生がリセットされて鍛え上げられた『木暮塵八』の肉体は失ったものの数々の訓練や実勢経験で培ったテクニックの数々や心構えは魂に刻み込まれ、『飯田五十六』になってからも五十六の奥底に根付いている。高校に入学する事には塵八だった頃とほぼ同じイメージ通りに身体を動かせるようになっていた。
パワーと打撃技の威力は征四郎が上回っていたがテクニックと対応力の高さは五十六が上だった。交差する拳と拳、激しくぶつかり合う肘と肘、膝と膝。互いに手足を絡め合って繰り広げられる立ち関節技に寝技合戦。
挙句、スパーリングを終える頃には2人が戦っていたリングをジムの練習生達がぞろりと囲んでいた。明らかに学生の少年が変わり者だがトップクラスの実力を持つ征四郎と行っていたスパーリングはそれだけハイレベルな内容だったのだ。
「(やっぱり気づかない内に平和ボケしちゃってたんだろうな俺も)」
気が緩んでついつい自分の本性を隠す事を忘れてしまっていたせいでもあるし、己が修得したテクニックに真っ向から対抗できるぐらいの実力者を前にしてついつい本気を出してはしゃいでしまったせいでもある。
どちらにしろ自分を律する事が出来なかった五十六の自業自得だ。五十六の前世が元殺し屋だったりテレポーテーション能力を持ち合わせている事まではまだ気づいていないだろうが……
征四郎が五十六の異常性の一端に触れていながらも、変に態度を変えずこれまでと変わらぬ関係と距離感を保ち続けてくれているのはきっととても幸運な事だ。
「五十六君、君は良い人間だ。確かに君は何か人には言えない秘密を抱えているみたいだし何らかの陰謀にも関与しているのかもしれないけど、だからといってその程度の事で俺は君を嫌うつもりは無いよ」
「征四郎さん」
「――――何より俺はそういう秘密とか陰謀が大好きな人間だからね。本物の陰謀が見物できそうなこんな特等席、人には譲れないよ」
「……やっぱり。だと思いましたよ!」
――――だけどそれでこそ征四郎さんらしいよなぁ。自然と五十六の口元に苦笑が浮かぶ。
「五十六、今日も背中を流させて――――」
「ああ、俺は今上がった所だから……」
「ええっ!?今入った所じゃないですか!」
今日も今日とて涼音が入浴中に乱入しようと企んでいたのを先読みした五十六は全身の水分を拭い取るのもそこそこに、過激な水着姿のまま驚愕の表情を浮かべている金髪少女と入れ違いに浴室を出た。
しかしすぐにその場から離れず気配を消し、ガックリと肩を落とした涼音が1人シャワーを浴び始める水音が聞こえてくるまで待ってから素早く2階に上がる。
「さて……やるか」
早足に且つ気配を消したまま向かう先は自室……ではなく、現在涼音が使用しているゲストルームだ。
父親はまだ仕事から帰っておらず母親は夕食の支度中、妹は今でテレビに夢中で祖父母も3階に居るのを確認済み。だがいつ邪魔が入るかはわからない。
――――30秒。何らかの彼女の正体に繋がる情報を見つける為に涼音の部屋に侵入して部屋を探るのは30秒間だけだと五十六は己に強く言い聞かせる。
こういう形で勝手に女の子の部屋に忍び込むのは大いに気が引けるが、涼音に知られないよう彼女を探る手段がこれしか思い浮かばなかったのだ。今の自分はハイブリッド所属のヤングガン・小暮塵八ではなく普通の一般家庭の長男・飯田五十六であり、警察のデータベースに侵入してまで目的を達せれる程の情報網も手段も持ち合わせていないのだ。手段を選んではいられない。
ゲストルームの扉には鍵がかけられていたが、実際にはやろうと思えば廊下側からでも開ける事が可能な単純なタイプ(ドアノブの上に在る突起に爪を引っ掛けて半回転させればそれだけで開いてしまう)なのですぐに開ける事が出来た。誰かが勝手に入ってきた時に備えて感知用センサーが設置されている可能性もあったが、わざわざホームステイしている家にそんな物を設置しては存在を知られた時面倒が増えるリスクを考えて設置していないだろうと判断。
今回に備え五十六はある物を入手しておいた。手製のピッキングツールである。
五十六が人目を忍んで作成した物ではなく、先日危機管理部にてピッキングの実習をやらされた際、部長の東条未華子が準備した物を幾つか失敬しておいたのだ。ヤングガン時代にピッキング技術も叩き込まれたので、電子ロックや特殊な代物でもない限り一般に出回っている市販品の錠前ならほぼ解除出来る。
「お邪魔しま~す」
軽く独り言を漏らしながら室内に侵入成功。ゲストルームを見回す。本棚にデスク、ベッドにクローゼット。絵を描く為の画材を収納する道具箱がベッドの近くに置かれている。
本棚には日本を舞台にした海外映画のDVDと、赤松健作品を筆頭に妙にもてまくる主人公が女の子に振り回される学園が舞台のラブコメ漫画やライトノベルばかりがズラリと収まっていた。本棚の隣のデスクにはノートパソコン。クローゼットを開ければこれまで度々五十六を誘惑しようと涼音が着用した過激な衣装の数々が収まっているに違いない。
五十六は本棚にもデスクの上のパソコンにもクローゼットに触れようともしなかった。
「どうせパソコンは暗号化やロックがかけてあるだろうしなぁ」
涼音の正体が推測通りならそれにしては無用心な気がしたが、きっと一般人であるこの家の人間には中身を見る事は出来まいと油断しているのだろう。五十六も高度に暗号化されたパソコンのセキュリティを一瞬でハッキング出来るだけの技能は持ち合わせていない。
本棚も下手に触った結果、本の順番や並び方の些細な変化に涼音が気づかないとも限らないので無視。クローゼットの方もこの家具は元からこの部屋に設置してあったものだ。隠しスペースも存在しない変哲の無い家具に、重要な物を無造作にしまっておくとは思えなかった。
「(――――何よりあの道具箱が1番クサいんだよな)」
五十六の勘がこう言っている――――あれは偽装用の武器ケースなんじゃないか?
『ハイブリッド』は規模としては中堅ながらリーダーの白猫の方針で装備や設備には糸目をつけない主義だった。銃火器を隠して運搬する為の偽装武器ケースにもこだわりがあり、五十六も塵八だった頃には通学用カバンに偽装した武器ケースを度々『仕事』で活用したものだ。道具箱からはそれに似た雰囲気が漂っており、危険物を嗅ぎ取る五十六の勘に引っかかったのである。
絵画用の道具箱に近づく。鍵がかけられていたが、仕組み自体は単純なので持ってきたピッキングツールで簡単に解除できる。
ここまでで10秒足らず。残り時間は20秒。
「やっぱり、か」
箱の中身を見つめながら独りごちる。
案の定道具箱に収められていたのは絵を描く為の筆や絵の具などではなく、小型拳銃と整備キット、予備マガジンに弾薬等だった。人を殺す為の道具。
かつての五十六……『小暮塵八』が慣れ親しんだ存在の数々。だからこそ道具箱の中の品々がモデルガンなどの玩具ではなく本物だと直感的に理解できた。
小型拳銃はジグ・ザウアーP232拳銃。全体的なシルエットが流線を描いている美少女スパイが持つにはまさに絵になりそうな拳銃だ。そのサイズはスカートの下に隠し持つにはぴったりだろう。
使用弾薬は9mm×17mm弾。いわゆる.380ACPまたは9mmショートと呼ばれる弾薬だ。小型拳銃向けだとは思うが、パンチ力優れる45口径を愛好してきた五十六からしてみれば少々威力不足で物足りない――――いや今そんな事暢気に考えてる場合じゃなくて。
主観時間でかれこれ約10年ぶりに実銃を前にして、少々意識が遠くへ飛んでしまっていたようだ。我に返った五十六はすぐに道具箱を閉めて鍵もかける。
――――これで涼音さんは完全に黒だと確定した訳だけど。
「これからどうしよう」
正体を探ってそれなりの情報――銃を隠し持っている事と銃を手に入れるだけのネットワークを持っている事――を手に入れ、涼音がどこかの情報機関か犯罪組織の構成員であると確信を持てた。
だからどうする?下手に突けば五十鈴や祖父母両親に危険が及ぶ。
相手は組織、こちらはまったく後ろ盾の無いただの高校生。塵八だった頃のように『ハイブリッド』の支援や保護も受けられない以上、塵八が取れる選択肢は限りなく少ない。
「しばらくは静観するしかなさそうだな……」
情けなくもあり、じれったくもあり。
だが何よりも大きいのは自分のせいで両親や五十鈴達、これまでずっと共に生きてきた血の繋がった家族を失う事への恐怖と怒りだ。
『木暮塵八』は家族を……両親と師匠でもあり父親のような存在だった椿虚や『ハイブリッド』の仲間達を何人も失ってきた。
『飯田五十六』は2度と家族を奪わせまいと固く心に誓う。
シィ・ウィス・パケム・パラベラム。
――――『汝、平和を望むなら戦争に備えよ』
「――――もう、四の五の言ってられないよな」
仮に涼音達の組織が家族に手を出そうというのならば、その時は五十六も本気だ。
テレポーテーション能力に元ヤングガンとしての技能と知識と経験を生かせば自衛隊や在日米軍の基地から容易く武器を奪う事が出来る。武装や装備はそうして整えればいい。
キャスリン・涼音・レイチェル達は五十六の敵となるのかそれとも味方なのか――――
出来れば後者の方がお互いの為だ、と五十六は密かに祈った。
出来れば残り5話以内に完結したい所…