「……」
呂500ことローは海中を潜航しながら、本土方面に向けて接近中だった。
自身を押し潰そうとする水圧のギシギシとした重みを肌に感じる。暗い海の中は太陽の光もほとんど届かない、静寂と暗闇の世界だ。慣れ親しんだ世界だが、それでも不安と心細さは決して消えることはない。
いや、不安や恐怖心から来る警戒心というのは注意深さに繋がるもので、逆に無くなってもらっては困るのだ。潜水艦娘はその不安や恐怖心から来る極度のストレスを自身でコントロールすることを求められる。
どんな状況でも恐怖に打ち勝ち、必殺の牙を突き立てるために息を潜める……それを為す不屈の魂、それが潜水艦娘の『狼の魂』だ。
でも……そんな『狼の魂』を持った潜水艦娘隊も、もはやない。精強な狼の群れはいつの間にか、ローただ一人だ。
(でっち、イムヤ、イク、はっちゃん、シオイ、マル・ユー……)
幾度もの出撃を背中を預けて戦った戦友たちがいないことに、どうしても寂しさが湧き上がる。
その時、ローの脳裏にあの男の子の言葉が思い出される。隔絶した力で、トラック泊地に押し寄せた敵を撃滅したという、戦艦の艦息。
(助けに来てくれる、って……まるで
何の迷いも疑いもなく、どこにでも助けに行くなど、まるでお伽噺の騎士様だ。この水の中は潜水艦娘たちだけの世界……戦艦である彼には駆けつけることなど出来やしないだろうが、それでもそんな言葉を投げかけて貰えて嬉しかった。それを思い出しローは少しだけ微笑むと、任務へと集中する。
「……」
感覚を研ぎ澄ませ、周囲を注意深く探ってみるが敵の姿は無さそうだ。ローは出来る限り音を立てずゆっくりと潜望鏡深度まで浮上すると、海面上を目視で探る。問題は……なさそうだ。
「よーし!」
ローは意を決して完全に浮上した。そして持ってきた通信機のアンテナを立てると、本土に向けて圧縮暗号電文を発信した。
「これで後は待つばかり……ですって」
しかし、この任務は『待つ』というのが一番難しい。ただでさえ通信の電波は察知されやすい上、当然その場に留まれば敵に発見される可能性も高まるからだ。
ローは祈るような気持ちのまま、帰りのためにバッテリーの充電と気蓄機への空気補給を行いながら本土からの返信を待ち続けた。
ピピピッ!
「!?
来ましたー!」
ローの祈りが通じたのか、敵に見つかることなく2時間後に本土からの圧縮暗号電文が届く。この2時間という時間は長いのか短いのか、判断に困るところだ。
とにかく任務はこれで半分は達成である。あとはこの情報をトラックへと持ちかえるだけだ。
だが、ここに来て今まで味方だった幸運の女神はそっぽを向いたらしい。通信機のアンテナを仕舞っていたローの妖精さんが空を指し騒ぎ出す。
「敵機!?」
それは間違いなく敵艦載機だ。爆弾等を装備していないところをみると偵察機であるらしい。
「見つかっちゃいました……」
間違いなく、そう遠くないうちに自分を始末しようと潜水艦狩りの部隊がやってくる。足の遅い潜水艦娘のローにとって、逃げ切れるかどうかは微妙なところだが、やるしかない。
「潜航と浮上を繰り返して……撒ければいいけど……。
よし!」
ローは気弱な考えを捨て、気合を入れる。
作戦が成功したこと、敵に発見されたこと、合流地点に向かうことを簡潔にまとめた電文を羅號に送ると、ゆっくりと潜航に入っていく。
「夜まで逃げ切れれば、ローちゃんの勝ちなの!」
艦娘も深海棲艦側も対潜攻撃の方法は爆雷攻撃となる。そのため目視は重要なものであり、それが困難になる夜間は潜水艦たちの世界と言っても過言ではない。
そのため夜になるまで粘れれば何とかなる。だが、その肝心の夜までにはまだ遠い。
そして案の定、羅號との合流地点まであと一息といったところで遂にローは敵対潜特化艦隊に補足されてしまった。
ドゥン! ドゥン!! ドゥン!!!
「やだやだ! もぉー」
投下された爆雷の衝撃がローの肌を容赦なく叩く。
身につけたスクール水着は所々破け、艤装も度重なる衝撃に歪み何か所もの小さな浸水が発生していた。
普通ならばこれだけの対潜特化艦隊に襲われれば瞬く間に轟沈だ。それでもローが今だ健在なのはドイツの技術による優れた静粛性のおかげである。
ローの静粛性は他の伊号潜水艦たちと比べ段違いに優秀で、そのお陰で敵もローの位置を正確にはソナーで捕捉できず、致命傷を貰わずにすんでいる。しかし、それも時間の問題だ。
「まだ大丈夫だけど……」
ローが呟いたその瞬間、今までよりひと際強い衝撃がローの肌を叩く。
「ひゃあ?!」
明らかな至近での爆発にローの艤装が歪み、ボコボコと気泡が漏れる。
「気蓄機に亀裂!?」
今の一撃によって潜水艦にとって最も重要な部位の一つ、気蓄機に亀裂が入ってしまった。このまま気蓄機の圧縮空気が完全に無くなれば、バラストタンクの海水を排水できずに浮上不能になってしまう。だが、今浮上すれば敵の格好の的になることは目に見えていた。
しかしその判断は一瞬のことだ。
「メインタンクブロー、急速浮上!
浮上と同時に、らーくんへ圧縮暗号電文の送信を」
すぐ近くの合流地点に来ているであろう羅號に受け取った電文を託すために妖精さんたちに指示を出し、ローは敵の的になることを承知しながらすぐさま浮上を決意する。彼女の誇り高い『狼の魂』は任務の遂行を優先させた。
しぶきを上げながら海面への急速浮上に成功するロー、そこに待ち構えていたように敵からの砲撃が降り注ぐ。
「あぅ!?」
至近距離に上がる水柱、その衝撃に叩かれながらもローは任務を全うすべく羅號への通信を確保する。
「ろーちゃん!」
「あ、らーくん……」
思いのほか近くにいたらしい羅號にはすぐに通信が繋がった。
「対水上レーダーでそっちは捉えたよ!
待ってて、今すぐ助けにいくから!!」
どうやらこちらを察知して向かって来てくれているらしい。
「それよりも暗号電文を受け取ってほしいの。
ろーちゃん、もうダメかもだから……」
「ろーちゃん!?」
羅號が心の底から自分のことを心配してくれているのが通信機越しでもローにも分かった。本当に
もっともっとお話ししたかった……そんな後悔にも似た感情が湧き上がる。
「えへへ……
心配してもらって、それだけでろーちゃんは満足だよ。
だから……その分他の子たちを守ってあげてくださいって、思うの。
お願いですって、素敵な
圧縮暗号電文の送信が終わる。その時、敵の駆逐艦からの砲撃がローの艤装に突き刺さった。
「はぅ!?」
装甲が無いことで砲弾はそのまま貫通し内部で爆発するには至らなかったが、それでもその一撃はローのバラストタンクを貫いていた。
大量の海水が入り込み、その重みで浮力を確保できなくなったローはそのまま海の中に引きずり込まれるように沈んで行く。
「ああ……」
(これで先に逝ったみんなとまた会える……)
そんな風に頭の片隅で考えながらも、それでも人間として眼前に迫る死の恐怖に身体が震えた。
(やだ……やだよ……冷たい……冷たいし、暗いっ……)
遠ざかる海面に手を伸ばし、涙を流しながらローが意識を手放そうとする。
その時……。
ガシッ!
「えっ……?」
決して掴む者のないはずのローの手を、誰かが取った。離れかかっていた意識が一気に引き戻される。
そして目を開いたローの目に映ったのは……。
「らーくん!!?」
それは泣きそうな、それでも必死の顔でローの手を掴む羅號だった。その羅號はローが目を開くと涙すら浮かべて心底嬉しそうに笑うが、ローは混乱して目を見開いてしまう。
(らーくん、轟沈しちゃったの!?)
羅號は戦艦だ。戦艦が水の中にやってくるのは轟沈したときだけである。だからローは羅號が轟沈してしまったのだと思い、心底混乱した。
しかし、ローはそこで気付いた。羅號の瞳はしっかりと開かれ、とても敗北の中沈んでいるものではない。それを裏付けるかのように、羅號の背後の艤装も壊れた様子はなかった。
いや、それ以上に羅號の艤装の様子がおかしい。別れる前に見た時と少し形状が違っている。そしてその艤装からは、何故かローたち潜水艦娘と同じものを感じた。
羅號はそのまま力強くローの身体を引き寄せると、その身体を抱きしめる。そしてキッと上……海面を睨むように見上げた。
途端、浮力を失ったはずのローの身体は海面に向かって浮上を開始する。いや、それはローが浮上しているのではない。羅號がローを引き摺り上げるように浮上しているのだ。
(らーくんは……潜水艦!?)
意識がはっきりしない中、それでも自分が海面へと戻ってきたことは空気で分かる。
「ろーちゃん! ろーちゃん!
しっかりして!」
「あ……ぅぅ……」
羅號の声に、混濁していたローの意識がはっきりと戻る。見れば、ローを襲っていた敵たちはすべて煙を吹きながら沈んで行くところだ。
ローの意識が戻ったことで、羅號は本当に安心したように言う。
「よかった。 よかったよぉ……」
目の前にはローのことを涙ながらに心配する、羅號の姿。
ローは自分を助けてくれた素敵な
「
「ろーちゃんが無事なら、それでいいよ」
言いながらまだ涙の止まらない羅號の涙を、いわゆるお姫様だっこの体勢で抱き抱えられたローは、指で拭う。
その時、日の光にふと視線を向けると夕日が沈んで行くところだった。
美しいその光景……潜水艦娘のみんなとそれを見たのはオリョールだったかバシーだったかカレーだったか……。
それを思い出し、そして生きてまたそれを同じ潜水艦(?)の仲間と見ることができて、ローは自然と涙を流し始める。
「どうしたのろーちゃん!? 身体痛いの!?」
ローが泣き出したことに慌てだした羅號、その言葉にフルフルと頭を振ると、ローはそのまま抱きつくように羅號の胸に顔をうずめた。
「違うの、痛いんじゃないの。
でも……もう少しこのままいさせて欲しいって……お願いです、らーくん」
「……うん、いいよ」
羅號はそのまま優しく頷くと、ローは静かに泣き始める。
ローはやっと、逝ってしまった仲間たちを想い、思い切り泣くことができたのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~
「大丈夫だったか……」
「ええ」
長門の心底安心したようなため息に、鳥海も深く頷く。
ここはトラックの臨時司令所となっている部屋である。
トラック泊地へ帰還した羅號とロー。最初は負傷したらしく羅號に抱きかかえられているローの姿に肝を冷やしたのだが、大事ないと分かってホッと胸を撫で下ろす。
「それで、2人の様子は?」
「ローちゃんの負傷も『入渠』でもう完治しています。羅號くんに関してはほぼ無傷ですね。
今日は疲れたでしょうし、もう休ませました。
今は……2人で揃って夢の中でしょう」
「それは『文字通り』、かな?」
「かもしれませんよ」
長門の言葉に戻って来てからの2人の様子を思い出し、鳥海は肩を竦める。
戻って来てからの2人……というよりもローの様子は変わった。あれは完全に恋する乙女だと少なくとも出迎えた長門・鳥海・明石・夕張の大人4人は感じているし、恐らくそれで相違あるまい。
「どうやら華麗に助けられたみたいですからね。
ピンチに駆けつける王子様……女の子なら誰でも憧れるシチュエーションじゃありませんか?」
「それも本来なら、絶対に駆けつけられない場所だからな……」
そう言って長門は報告に目を通す。それによれば、なんと羅號は水中に『潜航』して、ローを助けたというのだ。
あの超火力と超装甲を持ち、さらに潜水艦さながらに潜航をこなすなど、一体どんな冗談なのか?
「あの子は一体どこまでセオリーを無視すれば気が済むんだ?
頼もしい限りではあるんだが……ますますあの子の存在を他に漏らすわけにはいかなくなったぞ」
「もうセオリーなんて考えちゃいけないんじゃないですか?」
完全に呆れかえった様子で2人は肩を竦める。ただそれだけで流すあたり、いい加減2人も羅號に慣れ始めたのだろう。
「それで、2人が命がけで持ち帰った物は?」
「今、明石と夕張が復号作業中ですよ。
現状を好転させてくれるようなものならいいんですが……」
その時、慌てたような様子でノックも無しに部屋のドアが開かれた。
「長門さん、鳥海さん!」
それは明石と夕張だ。その顔は明らかに青い。
「……どうした、2人とも?」
「……これ、本土からの電文の復号結果です。
見てください」
どこか悲壮な表情でその紙を夕張は長門に手渡す。
そして、その書類に目を通した長門は一度顔を上げて2人を見た。
「これは……間違いないのか?」
「残念ながら……間違いありません」
「そうか……」
明石の答えに飲み込むように頷き、もう一度確認するように書類に目を通し、そして……。
「ふざ……けるな……!!」
バンッ、とその書類を机に叩きつけた。
「一体どんな指示が……」
何事かと鳥海がその書類を見ると、そこには以下のことが書かれていた。
南方ノ基地・泊地、悉ク全滅。我ガ国ハ南方戦線ノ放棄ヲ決定ス。
我ガ国ニ余剰戦力ナシ、トラックニ対シ救援ハ不可能デアル。
ココニ至リ、敵深海棲艦ヲ一艦デモ多ク道連レニ、潔クソノ地ニテ我ガ軍ノ名ニ恥ジヌ、名誉アル戦死ヲセヨ。
……それはまごうことなく、『玉砕命令』だった。
「……確かに現状ならあり得る、とは思っていましたが……」
確かに覚悟はしていた。しかし、実際にそれを突きつけられればその衝撃は別である。
「……救援を出せないというのは分かる。 それはいい。
だが……何故敵の腹を喰い破って戻ってこいと言えない!?
何故『死ね』など命ずる!?
前線で戦うものの気持ちを……考えないのか!」
『敵の真っ只中に飛び込んで帰ってこい』と『死ね』とでは、結果は同じようなものだろうがその実まったく意味が違う。
前線で戦う者にとって大切なのは『信頼』である。仲間を信じ、理念や思想を信じ、そして国や軍を信じるから戦える。
どんなに絶望的でも『生きて帰ってこい』と言われればやる気もでるが、ただ『死ね』という命令ではその信頼を根底からぶち壊し、士気など上がろうはずもない。ようは『言い様』の問題だ。
しかし、どんなに理不尽だろうと命令は命令である。
「どう、します……長門さん?」
鳥海の言葉に、明石も夕張も長門へと視線を向ける。長門は天井を仰ぎ見ながら、ポツリと言った。
「そんなもの決まっている。
私だけならまだしも、他の誰も……これ以上死なせるものか。
あの子たちに『死ね』など、口が裂けても言えん」
「でも……命令ですよ?」
「ああ、私も軍属だ。 命令には従おう」
そう言って向き直った長門は、書類をトントンと指で弾いた。
「命令は『敵深海棲艦ヲ一艦デモ多ク道連レニ』とある。
つまり深海棲艦との戦闘行為を行った結果、それでも沈まなければ命令違反にはならん。
別に『自沈セヨ』、とは書かれていないからな。
私は……トラック泊地臨時司令であるこの長門は、この命令をそう解釈した。
この判断の責は、この長門がとる」
長門は、明らかな命令の曲解を宣言する。
それはこのことがどこかにバレた場合、その責任を自分だけに向けるためのものでもあった。
しかし、その姿に鳥海と明石と夕張は揃って肩を竦める。
「何を1人で格好つけてるんですか、あなたは。
ここまで来たら一蓮托生でしょう?」
「そうですよ、長門さん。
復号は誰がやったのかすぐに調べれば分かりますから、私も夕張も言い逃れできませんって」
「それに……命令違反うんぬんなんて、問題になるのは生きて本土の土を踏めたときだけでしょ?
それならその時考えましょうよ」
「お前たち……」
長門はどこまでも着いてきてくれる戦友たちに、思わず目頭が熱くなる。
「では早速話しあいましょう。
今後の私たちの方針を……」
「そうだな……」
孤立無援のトラック泊地。
しかし長門たちは道を模索し始める。 生き残るための道を……。
~~~~~~~~~~~~~~~
「……ああ、そうだ。
南方戦線の味方はすでに全滅、名誉ある戦死をした。
それでいい。 ではな」
ここは日本本土、その海軍の総本山とでも言うべき横須賀鎮守府の一室だ。
そこでは1人の男が、電話で何事かを強い口調で指示する。
その男の身に纏う軍服、そしてそこに付けられた『大将』の階級章が彼の身分を物語っていた。
この男の名は君塚、この横須賀鎮守府を預かる最高司令官である。
横須賀鎮守府の頂点に立つ彼だが、しかし彼にはあまり良い噂を聞かない。確かに幾多の海戦での功績も聞こえるが、それ以上に多くの他者を蹴落とし今の地位にのし上がったともっぱらの噂だ。
もっとも、上に立つものにはそういった黒い噂というものは必ず付き纏うものである。しかし彼の場合、日頃からの冷徹な態度のためか、どうしてもそういった噂は多かった。
「ふぅ……」
彼は電話を置くと、息を一つつく。
「南方からの深海棲艦の大攻勢……やっと始まったか……。
思えば二十数年の膠着状態、長かったな……」
そして彼は唇を釣り上げて笑う。その笑みは普通ではない、邪悪な何かを感じさせた。
その時、彼の机の中で何かの音がした。
「……」
彼は無言で首にかけた小さな鍵で机の引き出しを開ける。そこには綺麗な水晶のような丸い物体があった。
彼はその水晶のような物を握りしめると目を瞑る。
「久しぶりだな。
……ああ、もうあれから20年以上だ。 ずいぶんと眠ったものだな」
彼はそこに誰かがいるかのように語りかける。
「分かっている。
今回の件で主要な戦力は、すべて南方からの防衛線構築に廻している。ぬかりはない。
……そちらこそ、あの時の約定は忘れていないだろうな?
お前にとってはほんの数か月前の話かもしれんが、私はこの20年以上もの時を待ったのだ。もっともお前からもらった『コード』のおかげでこの地位には簡単につけたがな、私はそれで良しとはしていない。
……ああ、それでいい。 また連絡をくれ。
ではな」
ゆっくりと彼は目を開けると、再び球体を机の中に戻し、鍵をかけた。そして目を瞑る。
そこに去来するのは如何なる思いなのか、それをうかがい知ることはできない。
「そういえば……南方から通信してきた生き残りというのは、奴のところの小娘だったな。
……ふん、親子揃って悪運しぶといものだ」
ただそれだけ呟くとすでにそのことなど忘れたように、彼は書類へと向かっていく……。
~~~~~~~~~~~~~~~
「……」
ピッシリとした海軍の軍服を着込んだ男が、ある場所へと向かい歩いていた。
歳は50を超えている。顔に刻まれた皺が、そして纏う覇気が彼の人生が幾多の苦難にまみれ、そしてそれを乗り越えてきた歴戦の海の男であることを物語る。そして、それを正しく称賛するかのように輝く『大将』の階級章。
彼は呉鎮守府を預かる最高司令官、筑波大将であった。
歴戦の提督である彼は、どこか足取り重くその場所へと向かっていた。
やがて見えてきたのは、大きな純日本家屋の屋敷だ。表札の名は……『筑波』。ここは帝都にある、筑波大将の家である。
「……今戻った」
「あなた?」
彼の妻は、突然の夫の帰宅に驚きながらも玄関まで出迎えにきた。だが筑波大将は外套を脱ぐことなく、妻を手で制した。
「今日は、横須賀鎮守府での会議に来た帰りに寄っただけだ。
すぐに呉に戻らなければならないが……どうしても話さねばならんことができた……」
その夫の様子に、彼女はとてつもなく悪い知らせがあるのだと身構える。
そして筑波大将は妻に言った。
「南方戦線において、深海棲艦のこれまでにない規模の大攻勢が始まった。
南方戦線の各泊地や基地からの通信はことごとく途絶、おそらく……全滅したものと思われる。
そしてあの娘が着任していた泊地……トラック泊地からも連絡はない。
これはもはや……生存は絶望的だろう」
飾ることなく淡々と夫の口から語られる、愛娘の戦死の報。
その衝撃に、ふらりと崩れかかる妻の身体を筑波提督は慌てて支えた。
「大丈夫か?」
「は、はい……私は大丈夫です。
あの子が私のように艦娘になると言った時から、覚悟はしていました……」
妻の言葉に、筑波大将は首を振る。
「お前は艦娘だったころから『大丈夫です』とはよく言っていたが……お前がそう言っているときは大体の場合大丈夫じゃない、やせ我慢をしている時だ。
今もただやせ我慢をしているだけだろう?」
「……あなたの方こそどうなんですか?」
「……ワシだって大丈夫なものか。
手塩にかけて育てた、可愛い自慢の愛娘だぞ。辛くないわけあるものか。
代われるものなら、今すぐにでも代わりに黄泉の国にでも行ってやるわい」
筑波大将はその感情を吐き出すように言い放つ。
彼は提督だ。今までに何人もの艦娘の死に立ち会い、そしてその数だけ同じように娘の死を嘆く親の姿を見てきた。
それが今度は自分の娘の番になった……そうだとは理解しているが彼も人の子、親として愛娘の死をそう簡単に割り切れることなどできようはずもない。
「あなた、あの子の方は……?」
「あいつの担当は北方だ、今回の攻勢で攻撃は受けていない」
同じように海軍に所属し、提督として采配をとっている息子の安否を確認し、無事を知って彼女はホッと胸を撫で下ろす。
「あいつもあんなに可愛がっていた妹の戦死の報に、酷く落ち込んどった……」
筑波大将は通信での息子の様子を思い出していた。
「こんな時だ、今は葬式すらしてやれんが……落ちついたら必ず、家族揃ってあの子を弔うことにしよう。
だから今しばらく、家のことは頼んだぞ」
「……はい。
いってらっしゃいませ、あなた」
そう言って筑波大将から離れると、彼女は気丈に筑波大将を見送った。
そしてその背中が見えなくなるまで見送ると、彼女は顔を覆って崩れ落ちる。
「う、ううっ……あぁ……!」
娘を失った、母の嗚咽が広い屋敷に響いた……。
羅號の機能、『水中潜航能力』がアンロックされました。
こんな感じで、ゆっくり完全な原作の万能戦艦に近付く予定です。
次回はまた2週間後くらいに。