「菜優花さんは?」
レディリーは喫茶店の長椅子の方に腰掛けながら、演算に問う。
シャットアウラはその隣に座り、彼を見ている。
「無事ニ病院に着いたそうです。あの炎天下の中、能力を使ってしまいましたからね。疲れてしまったのデショウ」
木原は彼女らとは対面の短椅子に座りながらその質問に答える。
菜優花の能力は演算処理が複雑であり、並の能力者のおよそ二倍の計算を行っているのだ。
それに加えあの炎天下、そして日差し。
体調不良を起こしても仕方がないといえる環境だ。
「……ごめんなさいね。場所もしっかり考えておくべきだったわ」
「イエ、アナタ達があそこに対して強い思い入れを持っているのは把握していマスカラ」
木原演算はあの事件のことを今でもよく覚えている。
テレビであれだけ散々騒がれていたのだから、当時の人達には嫌でも頭に残ってしまう。
その当事者(関係)の人たちがこうして直々に商談の話を持ってきたのだ。
わざわざ建設現場にあの場所を指定したということは過去の払拭と原点に立ち戻るという意味があったのだろう。
「『八十ハの奇跡』ですか……。とんでもない事件でしたね。まさか、全員死なずに戻ってくるとは思いませんでしたよ。私の脳内計算では、百パーセント死ぬという結果だったのですが……。名に恥じない奇跡だったのではないでショウカ」
「本当にそう思うか?」
黒髪の少女は腕を組み、彼を睨む。
「シャットアウラ」
「……申し訳ない」
レディリーに一喝され、頭を下げるシャットアウラ。
木原には何が彼女の気に障ったのかはよくわからなかった。
「気を悪くさせてしまったなら謝るわ。…………実はこの子もあの事件の被害者だったのよ」
「…………」
初耳だ。まあ生きていたとはいえ、話したくはないだろう。
生死の境をさまよった出来事なんて、話題に上げたくない人だっている。
これを笑い話にできる人間だって世の中にはいるだろうが彼女がたまたまそういう人間でなかっただけのことだ。全員がそうではない。
「私はあの事故で二つ失ったものがある。一つは音楽を認識する機能。もう一つは……やはりやめておく。すまない」
「構イマセン。話したくないことなんて誰にでもあります。……音楽を認識する機能というのは具体的にどういうものなンデスカ?」
「音を一定のリズムで刻んだものが私にはノイズがはしっているようにしか聞こえないんだ。人と話すのは何も問題がないんだが……」
「人間ノ脳ハ不思議ですからね。どこがどういう機能を持っていて、どう使われているのか分からない部分もまだまだあるのですから。アナタの脳も検査しても異常が見つからない可能性が高いデショウ」
音楽がダメで、人と話すときの言語は大丈夫、というのは理に適っているようで適っていない。
音楽と言うのは
この中のものを全部持っている必要はないので定義としては曖昧なのだが、この中の要素のどれかが絡みあうことで彼女の脳は認識できなくなってしまう。
逆に人の口から出る言葉も音楽といってもいいのではないだろうか。
ある程度の律動はあり、言葉のイントネーションは旋律に含んでもいいだろう。
和声は一人の人間では出せないのでここでは除外するが、この二つの要素を持っている時点で、一種の音楽なのではないだろうか。
しかし、彼女の脳は言語を普通に認識することができる。
これが脳の機能の矛盾であり、面白いところだ。
「脳ノ機能障害は原因がまだはっきりと分からないものが多いんですよね。過去にも『物の区別はつくが、人の顔の区別がつかない』なんていう例がありますからね。脳の構造が分かりきっていない以上、しっかりとした治療法もまだ確立されてはいないでショウシ」
「科学の発展した学園都市でも脳の中身を全て解析できたわけではないのね」
「エエ、マダマだ分からないことだらけなのですよ人間の脳の中身っていうのは。人間のクローンを作ってもオリジナルの個体と全く同じ能力にはならないようデスシネ」
「……そんな実験をしているのかこの街は」
「タダノ独リ言なので忘れていだけると助カリマス」
うっかりなのか、わざとなのかは分からないが彼の口から上位レベルの機密があっさりと漏れる。
「まあいい、私のコレはもう戻らないと思っていいんだな」
「ハイ、
「いや……あまり……好きではない」
シャットアウラは再び腕を組み、目を伏せる。
また何か、触れてはいけないことに触れてしまったのだろうか。
そんな心配をよそにレディリーがまた話し出す。
「話を戻してもいいのかしら」
「オオウ、スミません余計な話をベラベラト」
「いいえ。……菜優花さんのことなのだけど、あの炎天下の中能力を使って倒れてしまうのはなぜなのかしら」
「ソレハ彼女の能力の仕様が関係しているのです。彼女は一般の能力者の二倍の演算処理を行っています。加えてあの気温、脳に負担がかかり熱を持ちやすくなってしまったのデショウ」
脳をコンピューターで例えるとわかりやすい。
パソコンは起動していると熱を持つ。
コンピューターの使用率を上げれば上げるほど熱を持ちやすくなる。
実は彼女は脳のレベルが能力と釣り合っていない。
こちらもパソコンを例に取るが、最新のOSに合わせたプログラムを一、二代前の規格で行っているようなものだ。
彼女の脳はその分負荷がかかり、周りの環境にも敏感になってしまう。
そして、今回の熱中症だ。
ただでさえ熱を持ちやすいのに、今回のあの真夏日の気温では倒れても不思議ではない。
「周りの環境にも気を使えばいいのよね? 暑すぎず、寒すぎずの場所があれば問題なさそうね」
「デキレバ少し冷えるくらいの部屋の方が良いかと思います。その方が負担がかかりにクイカト」
「了解した。他には何か気を使わねばならないことは?」
「イエ、モウ特には。……それではよろしくお願イシマス」
「分かったわ。作業場所についてはとりあえず何とかしてみるわね。決まり次第こちらから連絡を入れるわ」
はい、と木原が返事をすると三人は立ち上がり、帰り支度をする。
会計を済ませ、店の外に出る。
「それじゃあ今後ともよろしく」
「ハイ、コチラコソ」
簡単な挨拶をし、レディリーとシャットアウラ、木原演算は別の方向へ歩き出す。
しかし、その歩みは演算の声によって一時的に止まる。
「アソウダ、シャットアウラさんチョット……」
「…………なんだ?」
「イエ、言イ忘れていたことがあったので少しだけ耳を貸していただケマスカ?」
「あ、ああ……」
彼女の耳に口を近づけ、ごにょごにょと何かを話す。
そして、話終わると同時にシャットアウラの目が丸くなる。
「どうして知っている」
「……勘デス。科学でも証明できないので、本当かどうかは分かりマセンガ」
「これはどのくらい信用できるんだ」
「サア。マア、当たったとしたら『奇跡』でしょうね。それくらいのレベルデスヨ」
演算はもう一度帰路につくために踵を返す。
「何を吹き込まれたの?」
「大したことではありません。ただの……戯言ですよ」
「…………そう」
彼女達、二人も歩き出す。
シャットアウラは彼に耳打ちされた言葉を反芻する。
どう信じていいのか分からない。
だって……。
『オリオン号事件には世間には隠されていることがある。あと、事件の首謀者が存在します。そいつはその事件の関係者である可能性が高いと私は思っテイマス』
にわかには信じがたいことだ。
あの事件は仕組まれたとでも言いたいのだろうか。
(だが、私はそんなもの……『勘』などという奇跡は……)
信じない。
『奇跡』なんてものが存在しているのならば誰も苦労しない。
それ以前に彼女の父親は世間に黙殺されている。
こんなのの何が『奇跡』だというのか。
彼女には到底受け入れられる言葉ではなかった。
そして、一月後……シャットアウラたちは完成したエンデュミオンにて再び奇跡を見ることになる。
これもまた別の物語で見てもらいたい。