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『――――――以上、"
対象から観測される各種数値及び"岩"本体にも異常は見られなかった。
既済干渉実験1041件の経過観察に、新たに18件を加える事が決定。
第66次実験は2006.05.09を予定とする。
報告終了。
第65次干渉実験報告書 記録者 岡崎夢美 2006.05.02』
作業的な手付きでキーボードを叩いていた手を止め深く息を吐く。
マウスを握り幾度かクリック。作成した文書の印刷を開始させる。報告書は結構な量があり、印刷完了まで暫く掛かりそうだ。
モニター端の時計を見ると11:32と表示されていた。酷く疲れた気がするが、というか精神面的には
思うに72時間働けますか? とか、あれが冗句として受け入れられているあたり、日本人ってのはとことん
65次実験は正に3日ぶっ通しだったわけもあり、今この個人研究室を出て廊下でもぶらついていれば、ゾンビよろしく徘徊してる研究員達に出会えることだろう。彼らが交わしてる内容と言えば研究の事と自身の睡眠時間。寝てないよアピールとかホントどうでもいいのよ。
まぁ、それらも含め私にはどうでも良い事で、そんなの同じくらいどうでも良い仕事がどうにでも良く終わったのだ。本日の業務、これにて終了♪
「クソったれめ」
心の声のつもりが素で口に出てしまった。
いや、悪態の一つでも吐かずにやってられるものか。
印刷機から吐き出されつつある仄かな温みを持つ紙を幾つか拾い上げる。
無数の数字の羅列にグラフ、専門用語が散りばめられた書類を印刷不備がないか確認しつつ束にしてぱらぱらと眺める。
研究は嫌いじゃない。寧ろ大好物。真っ赤に熟れた苺と同じくらい好きといっても過言じゃない。というよりも、私は研究者であり、研究は私の本分であり生業だ。
ただし、勿論の事それが"私の研究"であるならば、だけれど。
眺めていた書類の束の一枚に目が留まる。
そこにはおおよそ"巨人"と"竜"と形容すべき存在が写されていた。
天を仰ぎ崩れゆく白き"巨人"と、日本国自衛隊戦闘機スカーフェイスに撃墜され、東京タワーに墜落して磔となった赤黒き"竜"。現実感の乏しい、ともすれば出来の悪い合成のような、けれど紛れもない現実の出来事が、そこに確かに記録されていた。
ふと、デスクの電子時計に目を遣る。そこには 2006/05/02 11:42 と表示されていた。お昼はまだ遠い。なら、3年前というのはどうなのかしら。まだ3年か、もう3年か。
――――2003年6月12日、日本国東京都新宿。その日、空から"巨人"と"竜"が降ってきた。
後に【
未曽有の災厄【6.12】の最終被害報告は死者数56、重軽症者320と公表されたのを記憶している。この被害規模の大小評価は未だに意見分かれるところであった。
犠牲者数は確かに相当数に上っているが、被災地域が人口極集中の新宿かつ、落ちてきたのは直立想定時の推定全高300m超の"巨人"だ。
例を並べるなら、宇宙で世紀な搭乗人型ロボット兵器アニメでの並の機体の全高相場が20~40m程。キング・オブ・モンスターなゴヅラ達でも並で100m、さらに進化したゴヅラ・アースで身長300mとようやく並び立つものだ。
そんな"巨人"と"竜"が降ってきたポイントの詳細は情報規制と、そも発生想定ポイントが雲中であったこともあり、私でさえ正確には把握していない。ただ、簡易な憶測をするのであれば、当時の新宿上空は太陽も見えない厚い雲に覆われた薄暗い天候、おそらくは乱層雲に覆われていたものと考えられる。この中層雲に類される雲の発生高度はおよそ2000m~7000m、最低でも2000mの高度だ。それ程の高度からあんな馬鹿デカいものが無遠慮に落下してきたこと考慮するなら、異常とも、いや、異常としか言えない被害の小ささだった。衝撃で破砕した窓ガラスの雨が人々に襲いかかる事も無ければ、地下に張り巡らされたライフライン、電力やガスといったそれらを破断させ大規模な火災を巻き起こしたという事も無かった。被害の内、"巨人"に直撃ないし直撃した建造物の倒壊に巻き込まれた不運な事由は少数であり、その被害の過半はパニックにおける将棋倒しのような群衆事故に因るものであったことが今なお議論呼ぶ要因だ。
ともあれ【6.12】だけによる被害は多くの非常識を孕みつつも、人的、経済的被害規模はある種、常識と捉えて問題ない範囲に留められた。【6.12】を超える被害を齎した事件事故、災害などは過去を振り返れば幾らでもある。
"巨人"は落下後、特撮怪獣よろしく暴れ回るといったこともなく、突如として自壊し、結晶質な身体はボロボロと崩れ去り、大きな破片も急速に風化し、夥しい白き灰を残して跡形も無く消え去った。"竜"に関しては東京タワーに墜落後、暫くして全身が"巨人"と同じような白い結晶に成るも、こちらは自壊、風化することはなかったため日本国政府に回収された、らしい。この辺りの当時の知り得る状況は
なんにせよ、"巨人"も"竜"も片が付き、世は事も無し。とは、当然ならない。
未知の現象、物質、法則。世界の常識そのもの揺るがす所かひっくり返すような事件だ。各国の活動が活発になってしかるべきだろう。とはいえ、これは言ってしまえば常識の、表の脅威。では裏の、非常識の脅威とは何か。
随分騒がしかった印刷機が萎む様な唸り声を最後に大人しくなる。どうやら全ての用紙を印刷し終えたようね。
先の書類と組み合わせて紙束を一つに纏める。後は茶封筒に入れ、紐を括ればお終いであるけど、どうにもそうする気になれず、書類の束を速読の要領で何度もぱらぱらと幾度と行ったり来たりさせる。そうする中で頻出する単語というのには、どうしても目が付くものだ。
「白塩化症候群、白塩化症候群、そして白塩化症候群……」
災厄の邂逅は世界に奇病を齎した。
【6.12】から半年ほど経過した年の瀬の頃、新宿区にて奇病感染者が確認された。特徴として、ヒト-ヒト間での感染性を持ち、発症後は全身が徐々に白く塩化していき、最終的には全身が塩化し死に至る原因不明の奇病。死後、塩の柱となったモノはいずれ塵と崩れ去り骨も残らない。この当時の初期感染者群の死亡率は100%を誇り、その死亡率と嫌でも【6.12】を思い起こさせる死に様が世間を騒がせた。ただ、幸か不幸か、初期感染者が新宿区に限られていたことと、高すぎる致死率であるが故、感染者が新宿から移動、感染拡大させる前に死亡することで大規模な感染拡大の可能性は低い、あったとしても封じ込めは十分に可能なものとして楽観視されていた。
そこから更に半年後、奇病は終息どころか新宿を中心に拡大を続け、死亡に至らず凶暴化する変異感染者まで確認され、奇しくも【6.12】と同じその日にこの奇病は『白塩化症候群』と命名されることとなった。そこからは奇病の脅威も正常に認知され始めたこともあり、変異感染者への武力行使に対する人権集団の反発や終末思想カルトなど歴史的にありふれた
今見ている書類の束は、世界で最も重要とされる研究の一つ。当然の事、興味は尽きない。研究者として、私個人として。だが、私はこれらへの研究への関与が認められていないのだ。私の研究は、今この手にありながら、私の手の中に無いのだ。
掴んでいた紙束を両手で真上に景気良く放る。
放るついでに、キャスター付き回転椅子の背凭れに寄り掛かって、うんっと両腕を伸ばし背伸びをする。
「ンーッ! ん~、……はぁ」
ぶちまけた紙の束は舞い上がり、ひらひらと落ちては床に紙の海を広げた。
綺麗だなー、なんて思う反面、これらの紙も貴重なデータであることに変わりはない。
機密性の保持がウンタラカンタラで、研究所にいる研究員であっても、個人での研究データのデジタルデータの保持は認められていない。当然、設置されている端末は外部ネットワークから遮断されたスタンドアロンな環境だ。唯一、デジタルデータの保持を認められているのは、この研究所の責任者であり、内閣府対策室等の各関係機関への報告義務のある主任研究員だけ。
主任さんの名は何と言ったかしら、佐藤だったか…、加藤だったか…。報告は面倒そうだが、研究の一切合切を一任され、好きに研究できるとは、なんと羨ま忌まわしい。
おかげさまで基本的に所内でのデータの遣り取りはアナログ、紙、プリント、レジュメ、ペーパーな手渡しスタイルで行われている。なんとも原始チックなことだ。もし紛失すれば幾らかの処分を受けるだろうが、そこは厳罰が定められているわけではないので案外、大したことないかもしれない。いわゆる、然るべき処罰、の文言を極めて楽観的に捉えられるのであればの話だけど。
であるなら、床に散らばった、いや、散らかした機密を紛失する前に纏め上げるべきだろうと理性は訴えかけるが、自身のおしりはちっとも椅子から上がらない。
ここの研究員、主任も含めた者達は私の事を避けるどころか嫌っている節がある。
いや、より正確に観察と分析を行うならば、"恐怖"―――かしらね。
その恐怖が何であるかは知ったことではない。というか、私への悪意的なサムシングなのは確定なワケで、誰だって自身に向けられる
まぁ、大方の予想は付くのだけれどね。
入力作業を終えた後、放置され続けたPC端末はスリープモードに移行し、信号を失ったディスプレイには自身の姿が反射で映し出される。なんてことない自身の見慣れた姿。
赤い髪に赤い目をした女の像がそこにはあった。
腕を伸ばし、その虚像の瞳を指先で何の気無しに突こうとすると、ブラウスの袖がマウスに触れたことでスリープが解除されてディスプレイは輝きを取り戻し、暗がりの中の虚像は消失した。
―――赤い瞳。それは白塩化症候群感染者に共通して見られる症状である。
無論、私は感染者ではない。
"災厄"以前から、
腕を伸ばし、その虚像の瞳を指先で何の気無しに突こうとする。不意にブラウスの袖がマウスに触れたことでPCのスリープモードは解除されてディスプレイは輝きを取り戻し、暗がりの中にいた赤い虚像は消失した。
× × ×
研究所における"
一応、国の招集をかけられた研究員という体裁は守られている。【6.12】から回収された試料の1つ、"岩"の研究に、私が曲りなりに関係者でいられるのは、瞳の色を抜きに、研究者として一定以上の評価が残してきたからと自負している。だけれど、現状は直接的な実験には関与の許可が下りぬまま。今後、研究に穏便且つ正式に関与出来る可能性が捨てきれない以上、下手な策を巡らせるのも難しい。これがお役所仕事の先送り、先送りしての結果論なのか、予め考慮しての一手なのか知らないけれど、上手い手と言う他無い。
そんな中で回されてくるのは、他の研究員から上がってきたデータを報告書という形に纏めてお
本来、研究者というある種自分本位な人種が足並みが揃えるというのは難しい。国により招集、編成された研究チームという枠組みがあってもだ。研究者にとって、他の研究者というのは自分の功績を掠め取るか、いつ抜け駆けをするか分からない同業者であることは身に染みている。そんな中で秩序が保たれているのは、ひとえに私の存在のお陰なのでしょう。
彼らは見事というか、私を"敵"とまでは言わないにしても、"異物"と奉り立てることで、チームの足並みは揃っているらしい。
現に、研究には関与させないくせに、データだけはしっかりと定期に雁首揃えて上げてきやがります。
「……何をしているのかしらね、私は」
研究員達の態度はさほど問題ではない。思う所が無い訳ではないけれど、"災厄"以前から学会でこの手の扱われ方には慣れている。
それよりも、自ら研究に携われないことが、私の信じる世界に関われないことが、唯々に口惜しかった。こんなのでは、研究参加の招集が掛かった際、自分の事のように喜んでくれた助手にも示しが付かない。
いい加減床にブチ撒けた書類を拾わなきゃなんて、デスクにうず高く積まれた資料や文献に占拠された狭い天井を薄ぼんやりに眺めながら思うも、益々気が塞いでくる。
これは私の研究ではない。元より私の手に無いのだ――――――。
机に突っ伏す。あぁ、このまま一眠りしてしまおうか、なんて思ったところに、研究室のドアが開く音が来客を告げる。
「教授ぅー、お昼ですよ……っと、何してんだぜ?」
示しの付かない姿を思い切り見せ付けてしまった。
金髪金眼ツインテールの
「ちゆり。どこほっつき歩いてたのよ」
「どこって、お昼の買い出しに……って、話聞いてたか?」
ちゆりは、もーとか、まったくとかボヤきながら手にしていたお昼が入ってらしいビニール袋を手近なところに置くと、散らばった書類を手際良く拾い纏める。申し訳ないなと思いつつ、今はもう少し突っ伏していたい。
そんな感じでしばらく腕枕に
「またですか」
「またなのです」
と、ちゆりは一言そう言うと、丸めていた書類を束に戻して渡してくる。私は応答しつつ差し出された報告書を受け取り、それを素直に茶封筒に収めた。
白塩化症候群の一時沈静化により東京一円の安定化が図れたことで、国が研究者に招集をかけ、それに応えて務めていた大学からこの国立超自然第二研究所に異動してきたのが2005年12月。そこから凡そ半年、ここ最近はこのやり取りがテンプレと化していた。
「ま、気持ちは分からねぇことねぇですがね。ワタシならとっくにブチ切れてこんなとこオサラバしてます」
「ん、ありがと。けど、まだダメよ。私はまだ"岩"も"
「流石というかやっぱりいうか、まぁ教授ですもんね。精々巻き込まねぇで下さい」
「まっさか冗談。今更じゃない、ちゃんと巻き込んであげるわ」
私の大仰な言いぶりに、ちゆりはあからさまに大きな溜息を吐く。
尤も、彼女も本気で疎んでるわけではない。現に気に病む様子はなく「お昼ーおひるー」などと言って袋を漁り始めている。
時計の針はてっぺんを少し過ぎた頃合いだ。そうか、今はお昼時か―――。
「よし! ちょっと付き合いなさい、ちゆり」
「え、は? え、今からお昼ですよ?」
「えぇ。今からお昼だからよ」
報告書の入った茶封筒を手に取って、ひらひらとちゆりに見せてあげる。
互いに暫くの沈黙。沈黙からちょうど三拍。少女はこれでもかと顔を
「……教授。主任さん相手に問題起こすと事ですよ?」
「あら、ちょっと食事休憩中のナントカ
「
「あら、それは物理学者としては腕の見せ所ね」
「う、腕ではなく頭! 頭を使う方向で。まったく、とんだ物理違いなんだぜ」
渋々といった具合にちゆりは袋から出しかけていたお昼のサンドイッチを戻し、袋ごと研究室に備え付けの冷蔵庫に突っ込んだ。何だかんだで止めるでもなく、理解した上で付き合ってくれるのだからこの子もイイ性格をしている。
そう、たまたま、ちょろっと、食事休憩に会いに行くだけ。
決して嫌がらせに休憩中の人に仕事を持っていく訳ではないんだからね。
実際、時間に余裕を与えると研究を言い訳に"お話"する前に逃げるのだから、このタイミングが一番合理的でもある。
そうと決まれば早い。椅子からさっと立ち、眼鏡をかけ直し、パーテーションに掛けていた着古した赤マントを羽織る。
「さて、お話に行きましょうか」
全身に赤色を纏い、研究室のドアノブに手を伸ばした。
ちゆりの口調に自身でも違和感が拭えない今日この頃。
ではでは、閲覧頂きありがとうございました。つづく
追記2021/9/12
あまりに話の進みが読み手側にDOD、NieRの知識があることを前提にしたような流れだったので、全体的に世界観設定の話を追記。