城主の部屋、というにしてはなかなか質素だ。群雄割拠のこの時代、一番目立つような場所には部屋を設えないという戦略やもしれぬが、一介の食客に与えられた部屋の方がまだ飾りっ気があるように思える。
「お待たせしました。すみませんな、鳳月殿」
「いや、お気になさらず」
ひょっこりとのぞいたその顔はまだ一城の主にしては若い。掛け軸を背にしてよっこらと腰を下ろす、その一瞬にふと薫った。
「・・・香木ですか」
「ええ、まあ。海の外からくるものが好きでしてね。床につく前に焚くと、よく眠れるのですよ」
ーーー
「・・・それでは、失礼いたします」
一通り皇家からの言伝を終え、軽く会釈をする。
城主殿も礼を述べながら会釈を返したが、人のいい笑顔が一瞬固まったようにも見えた。
どうしたのかと言葉にはせずに様子をうかがっていると、察したのか彼はためらいがちに口を開いた。
「あの・・・薬司を、よろしくお願いいたします」
深々と城主殿の頭を下げる。
そのつむじを眺めながら、この男はなにをいっているのだろうと感情もなく考えた。
薬司をよろしくお願いいたします。
彼はなにを思ってこの言葉を口にしたのか。なにを思ってこうも深々とこうべを垂れているのか。
ふつふつと、わいてくるのは苛立ちでしかない。
彼が彼女の仲はただの城主と傍役ではないという話は、使用人たちの間でもっぱらの噂だった。
だからといって?
結局は。結局彼女は彼の妾でも妻でもなかった。
なのに彼はなぜ、あたかも自分の女を差し出すかのように声を掠れさせ絞り出し畳の目を数えられるほどに額を地へと向けるのか。
その、彼女は元来自分のものだったという面が、ひどく。
ひどく、鬱陶しい。
「・・・城主殿、どうか頭をあげてください」
穏やかに投げかけられた声に、そろりそろりと彼は頭を上げる。
「お優しいのですねえ。一介の傍役のために、お心を砕きなさる」
ああ、なんて穏やかなのだろう。凪いだ海のように、深淵のように、しんと心中は静まりかえって。
「薬司の君は、もちろん大切にいたしますよ。薬に明るく、当代きっての美貌を持ち、さらには誕生すら希な刀宿ですからね。この国の宝ともいえる方とご縁をいただけて、大変ありがたいことです。けれど」
深い、深い、黒に沈んでいる。
「薬司は、私の宝にはなりました。ですが、あなたおひとりの宝であった時間など・・・一瞬たりとも、ないのですよ」
ひとひら、ひとひら、丁寧に、丁寧に。
彼の瞳が少しずつ、愁いを帯びていくのが、ひどく楽しい。
「では、失礼いたしますね」
視線が交わらなくなったところで、すっくりと立ち上がる。
障子を開いて廊下にでたところで、やっと蝉の声が耳に届いた。
真夏を謳歌する彼らは嫌いではないが、普段なら少々障る彼らの鳴き声も今の高揚感を底上げするには適役だった。
ゆっくりと廊下を進んで、少し先の角を曲がる。
するとそこには、水面に映した夏空のような絹糸の髪を揺らす彼女の姿。
「ああ、今日も暑いですね。薬司さん」
「・・・ええ」
じっとりとこちらを睨むような視線は、さては。
「おや、盗み聞きですか。趣味の悪さが露呈しますよ」
「・・・そっくりそのままお返ししますわ」
不機嫌きわまりない彼女の顔は、それでも艶を帯びてやはり美しいのだな、と冷めた感想がよぎる。
「私は、貴方のものになった覚えもありません」
「そろそろあきらめてはどうですか。私のように」
肩をすくめておどけたように返せば、その柳眉はますますつり上がる。
「ええ、そうですね。今世が生き地獄なら、きっと来世はよい方とのご縁をいただけるはずですから」
愉快だった。城主殿の揺れる瞳も、薬司の君の寄せられた眉根も。
私に軽蔑を込めた一瞥を投げつけて去っていく、彼女の髪がふわりと揺れて。
かの香が、鼻をくすぐるそのときまでは。