道具に 感情はいらない
道具は 持ち主に使われるだけの存在
ただ使い捨てられる 見せ掛けだけの模造品
そんな道具でも 涙を流すことはあるのです
人間、死ぬ気になればなんでもできるとはよく言ったものだ。
黒鵜はキッチンで皿洗いをしながらそんなことを考える。
「うーん。やっと肩の調子が戻ってきたかな」
最近ギプスが外れた左肩の具合を確かめるようにぐるぐる回す。病室を出てからは体に無理がかからない程度の雑務を片手でこなしていたが、今日からまた本来の
「あら、よかったじゃない」
椅子に座って読書中のドロシーはそんなことを言う。
「他人事みたいに言わないでください。そもそも誰のせいで怪我したと思ってますか」
「あら? 私は囚われたクロを助けに行ってげたのよ。感謝されても非難される謂れはないじゃない」
「それだって、結局騙されていただけですけど」
「う、うるさいっ!! とにかく、お前はお婆様に私を守るように言い付けられてるの。身を挺してお役目を果たせたなら本望じゃない」
「そうですけど、重傷の使用人に対する労りが欠けていたとは思いませんか?」
「死ななかったでしょ。男が怪我の一つでビビってんじゃないわよ」
弁明それだけ。そもそも反省ゼロだから弁明にすらなってない。
ドロシーはまた本に視線を戻してしまう。ちなみに、彼女が今読んでいる本のタイトルは『愛しいあの人と親密になれる百のテクニック(姉妹編)』である。どうして世界屈指の機巧学院の図書館にそんな本が置かれているのか疑問だが、ドロシーは気にすることなく食い入るように見詰めている。
オルガと会ってから、ドロシーは暇さえあれば何かとオルガと一緒にいようとしている。講義が終わればすぐに教室を出てオルガのいる教室へ行き、オルガが食事をする時は必ず自分も同伴している。
部屋に戻れば隠し取りしたオルガの写真を見て陶酔し、寝る前には手編みのオルガ人形(カトレア作)に今日あったことをお話しして楽しむ。まるでストーカーのようだ。
さすがに不味いと思い、黒鵜がドロシーに注意したこともあった。
その時のドロシーは。
「私のお姉さまへの愛を邪魔するなら、この家から叩き出すわよ」
と笑えない冗談を笑いながら本気で言ってのけた。さすがにこの年で路頭をさ迷う勇気もないので、代わりにオルガへ話に行った。
もしもオルガがドロシーのことを迷惑に感じているならば、心苦しいが本人の口から伝えてもらうのが早い。
そう考えてオルガの元へ出向くと。
「いや、ドロシーのことで迷惑に思うことなどないな。彼女はいつも賑やかで可愛げなところもある。私も一緒にいて楽しいよ」
などと優しく答えてくれた。
さすがは学生総代。やはり年下生徒の扱いには長けているということなのか。それとも、あの高飛車なドロシーを服従させるほどのカリスマをもつ者だからこその余裕か。
多少思うところはあっても、ご両人が納得しているならもう口出しはすまいと黒鵜は決めた。
「それはそうと、皿洗いぐらい手伝ってくれませんか」
「そんなの使用人の仕事よ。私みたいに美しい貴族の女性は、優雅に過ごすのが大事な仕事なの。喋ってる暇があるなら手を動かしたら?」
あんまりな物言いに、立場も忘れてイラッとくる黒鵜。
こうなったら、ゲイザーと戦った時に冗談で言った『罰として皿洗い』を本当に実行してしまおうか。そんな風に悩んでいると、外で洗濯物を干し終わったカトレアが戻って来た。
カトレアは入ってくるなり、いつものやり取りをしている黒鵜たちを見て朗らかな笑みを浮かべる。
「お二人は仲良しさんですね~」
「「誰がこんな奴と」」
なぜか二人の言葉が重なる。仲が良いかは分からないが、少なくとも息は合っているらしい。
「喧嘩するほど仲が良いって言いますから~。それとクロウさん、後でお使いに行ってもらえますか~」
「お使いですか?」
「はい~。セフィラお嬢さまのご命令で~とある人物に会って話をしてきてほしいそうです~」
「もちろんいいですよ。それで、その会って欲しい人物とは?」
軽い気持ちで了承した黒鵜。しかし、次にカトレアの口から出た名前は黒鵜が思いもよらない人物だった。
「え~と~、確か
ガシャン。
黒鵜の手から滑り落ちたコップが音を立てて割れる。
「あら~、危ないですね~」
カトレアが急いで床に散らばった破片を片づけようとするが、黒鵜はそれどころではない。
「き、聞き違いでしょうか。今、元帥と言いました?」
「はい~。こちらの封筒をもっていき、その方との商談を成立させよとお嬢さまは仰ってました~」
「無理だと分かっていますが、拒否権はありますか?」
「そうですね~。私は街へ用事がありますし~代わりにドロシー様が行ってくださるなら~」
ちらりとドロシーを見る。彼女は本に顔を埋めて『私は何も聞いてない』と言わんばかりにソッポを向いていた。
「駄目なようですね~」
「マジですか・・・」
思い出されるのは体を取り囲んだ乙女たちの刃。そして、見る者を凍り付かせるかの如き圧倒的な力による威圧感。
あんな規格外の怪物と真正面に立っての商談。下手をして機嫌を損ねれば、今度は腰が抜けるどころではすまないかもしれない。
いっそ、会った振りだけして『話し合ったけど駄目でした』とでも誤魔化そうか。
「それと、もしも商談に失敗したら黒鵜さんの父上殿から肩代わりした借金を押し付けて解雇すると言われてましたよ~。捨てられないよう頑張ってくださいね~」
「・・・全身全霊でやり遂げましょう」
退路は断たれたようだ。
その後、黒鵜はセフィラの指示した内容をカトレアから詳しく聞いていた。話を聞くと段々げんなりしていった黒鵜。彼の行く先は前途多難であった。