主人となる者が 従者を選ぶこともない
運命が 勝手にお互いを引き合わせるのみだ
黒鵜が謎の少女の申し出を受けてからおよそ七年。成長した彼は外国の屋敷で使用人として働き続けている。
あれからまず最初に驚いたのは、少女に連れられて外国へ渡ったことだった。彼女はなんと名のある魔術師の家系の長というとんでもない肩書きの持ち主であった。見た目幼い女の子にしか見えないのだが、実年齢はずっっっと上らしい。
だけど、本来の年齢は誰も知らない。かつて一度だけ訪ねたこともあったのだが、なぜか意識を失い次に目覚めたのは二日後のことだった。何があったのか記憶はないが、思い出そうとすると全身から汗を吹き出して痙攣が止まらなくなるので考えるのをやめた。ただ一つ、あの人を「お嬢さま」以外の敬称、間違ってもおばさんとかお婆さんのような呼び方をするのだけは禁句だと本能が全力で訴えていた。
「うん。今日もいい天気だ」
黒鵜は綺麗な黒い執事服を着て、朝の日課である廊下の掃除をしている。使用人のほとんどはこの屋敷の外れにある別宅に住んでおり、主人の身内とそのお世話をする専属の執事やメイドだけが屋敷内にそれぞれの個室をもっている。ちなみに、黒鵜は屋敷内の一番端にある小部屋を使わせてもらっている。
箒で絨毯のゴミを掃き取り、窓や壁の汚れを細かく手早く拭いていく。何年も住み込みで働いてきた黒鵜からすればこの程度は朝飯前。本来なら掃除だけでも最低十人は必要な屋敷だが、黒鵜なら一人でも同じ時間かさらに早く終わらせることもできる。
「頑張っているなクロウ」
掃除中の彼に声をかけたのは風貌のある老執事だった。色の抜けた白髪と皺の寄った顔付きが年齢を感じさせるが、普段から鍛えていることでその身体から衰えはまるで感じられない。
「おはようございます執事長」
「これこれ、堅苦しいぞ。主のいない時は名前で呼んでよいと言ったであろう」
「すいません。つい癖で呼んでしまうことが多くて。では改めて、おはようございますアルベルトさん」
「うむ、おはようクロウ」
名前を呼ばれた老執事、アルベルト・ラズウェルは頷く。
彼はこの屋敷で最も長く仕えている執事だ。主人や他の使用人からの信頼も厚く、黒鵜もここへ来たばかりの頃から色々お世話になっているので主人の次に頭が上がらない人物でもある。
「いつもそうだが、お前はもう少し手を抜くことも覚えた方がいい。働き詰めでは身体がもたんぞ」
「屋敷一の執事であるアルベルトさんが言っても、説得力ありませんよ。お嬢様には父さんの研究を助けて頂いたうえに僕を引き取っていただいた大恩がありますから。せめてこれくらいは頑張らないと」
「健気なものだ。それでは、こいつを預かることにしよう」
なぜかアルベルトは、黒鵜の手から掃除道具を奪い取ってしまう。
「なんのつもりですか?」
「実はマスターからお前を呼んでくるように命令されていた。残りの仕事は私が代わりにこなしておこう」
「そんな悪いですよ」
「いいから行って来い。マスターを待たせると後が怖いぞ」
「・・・そうですね。では行ってきます」
慌てて走り出す黒鵜。彼女の機嫌を損ねると碌なことにならないのは屋敷にいる全員の共通認識だ。
すぐに主のいる部屋に辿り着く。
「黒鵜です」
「入りなさい」
確認を取って扉を開ける。中は一際豪勢だが、それでいて無駄に着飾った感じがしない。部屋の持ち主の感性の良さが出ている証拠だろう。
部屋の奥では主である少女が優雅に紅茶を飲んでいた。おそらくは、黒鵜を呼びに行く前にアルベルトが淹れたものだ。甘い香りが扉の前まで漂ってくる。
「おはようございます、セフィラ様」
「おはようクロウ。ちなみに、私を呼ぶときはーー」
「失礼しましたお嬢さま!!」
「よろしい」
ギロリと睨むこの屋敷に主ことセフィラ・バルゼル・アプラクサス。あの日、失意のどん底にいた黒鵜をゆうか・・・雇い入れて生きる目的を与えてくれた人物だ。現在は彼女が黒鵜の主人であり、保護者であり、借金取りでもあるというありがたいのか迷惑なのか微妙な立場の人間である。
大層な財力と権力を併せ持つ貴族だそうなのだが、彼女が家長としての仕事をしているところを黒鵜は一度も見たことがない。大抵は用事で屋敷を空けることが多いので、あまり接触もなく立場上の問題で無闇に話しかけられないからだ。決して、彼女がなまくら者という意味ではない。
「今日呼んだのは、お前に別の仕事を頼みたいからです」
「別の仕事、新しい使用人か執事見習いの教育でしょうか」
この頃になると黒鵜も屋敷ではベテランの執事となっていた。実力の認められた執事には、普段の雑務のほかに新人を指導するなど複数の業務が課せられることも珍しくない。てっきりそうだと黒鵜は考えていた。
「いいえ。あなたにお願いするのは護衛と世話役です」
「誰をでしょうか?」
「あなたも知っている者ですよ。さっき連絡したのでもうすぐ着くはずーー」
二人の会話の途中、いきなり甲高い音を立てて部屋の扉が開け放たれた。
驚いて振り向くと、部屋の前にこれまたちっちゃな女の子が立っている。黒い髪に黒いドレスとセフィラとよく似た容姿だが、こちらの少女はさらに幼く見える。着ている衣装も若干派手にフリルやリボンをあしらわれた、所謂ゴシックドレスというやつだ。
「げ・・・」
思わず漏れた声を聞いて、少女は怒ったようにキッと大きな目を細めて黒鵜を睨むがすぐに視線を外して歩き出してくる。
ズンズンと効果音が聞こえそうな歩き方で少女はセフィラに詰め寄る。
「お久しぶりですお婆さーー」
言い終える前に、セフィラの足元から黒い穴が空き身の丈を超える巨大な骸骨の腕が出現して少女の身体を鷲掴みにする。
そのまま逆さにして宙吊り、何度も上下に振り回した。
「ちょっーー!! お待ちになってーー!!」
「待ちません」
「そこをなんとかーー!!」
「ドロシー、一体何度忠告すれば分かるのです。私のことはお姉さまと呼びなさい」
ブンブン振り回されて涙目になるドロシー。セフィラは使用人にお嬢さまと呼ばせることが多いが、身内や女性にはなぜかお姉さまと呼ばせ方を変えている。
こういうのを姉妹プレイと言うのだろうか。ただ老婆が自分を若く見せたいだけの強がりとも言えるが。
「なにか?」
「いいえ」
思考を読んだかのように、急にセフィラが黒鵜へ問い質す。もちろん即座に否定。馬鹿正直に思ったことを話せば、あそこでカボチャパンツを見られまいと必死にドレスを抑えているアホの子の二の舞だ。
しばらくして気が済んだのか、セフィラはドロシーを床に下ろして骸骨の腕を穴の中に戻す。
あれは彼女の扱う魔術によって召喚された死霊の腕だ。魔術の才のない黒鵜には詳しい仕組みは皆目見当もつかないが、あれほどの怪物を瞬時に召喚するセフィラの実力が桁違いであることはよく分かった。
「す、すみませんおねえさま・・・」
「分かれば宜しいのです。しかし、手間のかかる孫娘をもつと苦労しますわ。もう少しこちらのクロウを見習いなさいな。多少抜けたところはありますが、あなたよりはずっと礼儀と度胸が身についてます」
セフィラの褒め言葉に頬を染めて照れる黒鵜。だがドロシーがいることに気付くと、すぐ苦虫を噛み潰したような顔に変わった。
嫌な顔をしたと同時に足元のドロシーはすくっと起き上がり、右手に握った髑髏の意匠を凝らしたステッキを黒鵜の顔に押し付けてくる。
「クロ!! あんたのせいで怒られたじゃない!!」
「知りませんよ。今のはどう見ても君の不注意が原因でしょう」
「このドグサレ!! 使用人の分際で主人に言い返してんじゃないわよ!!」
「申し訳ないですけど、僕の雇い主はセフィラお嬢さまであってあなたじゃありません。それに、執事という職業は主に対し忠実ですが愚直ではないので。誤りがあれば、例え反抗してでも意見を通さねばなりません。分かりましたかドロシー?」
「ぐににににににっ・・・!!」
真っ向から返されるぐうの音も出ない反論。ドロシーはまだ言いたいこともあっただろうが、祖母をこれ以上待たせておくのも不味いので渋々ステッキを下げる。
「相変わらず仲が良いようですね」
「「誰がこんな奴(人)と」」
お互いを指差す黒鵜とドロシー。体格差があるので大人と子供の喧嘩にしか見えないが、これでも同い年の十六歳同士だ。
「お姉さま、まさかとは思いますがこのドグサレ男が私の世話役ではないですよね」
「なっ!? お嬢さま、僕の護衛対象がドロシーなのですか!?」
「そうです。まあドロシーは女の子なので、普段の世話係として私直属の使用人から女性をさらに一人付けます。クロウにお願いするのは、主に学院内でのドロシーの警護です」
彼女が言っているのは王立機巧学院のことだ。英国にある世界中の優れた魔術師を集めて教育している魔術の総本山。ドロシーは来週からそこへ入学することになっている。
孫娘が心配なので護衛を付けるということだろうか。それなら一介の使用人よりも専門の警護人でも雇った方が良いと思う。それに、ドロシーは魔術師として一流と言っても遜色ない実力を兼ね備えている。護衛など不要ではないか。
「機巧学院には各国の要人や選りすぐりの魔術師が在籍しています。何があるか予測できない環境での学院生活ならば、できるだけ傍にいても怪しまれない人物が適任なのです。年齢が同じあなたなら変に目立つこともなくドロシーをサポートできるはずでしょう」
「お嬢さま。例え年齢が並んでいてもドロシーと僕では主従関係には見られません。良くて年の離れた兄妹です」
「冗談じゃないわ!! あんたの姉と思われるなんて心外よ!!」
「こっちの台詞ですよ。誰があなたを姉と間違える。妹どころか娘でも通じると思います」
「ざけんじゃないわよおたんこなす!!」
またしても堂々巡りの口喧嘩に陥る前に、セフィラにより二人はお揃いで骸骨による折檻(くすぐり地獄)を受けて笑い死んだ。
なんとか復活した時にはすでに学院への連絡や手続きが完了していた。黒鵜とドロシーは屋敷の人間たちに華やかに見送られつつ、視線で火花を飛ばし合いながら学院へと旅立った。