黒鵜が目を覚ましたとき、最初に感じたのは寒さだった。
濡れた体は冷え切り、岩肌の固さが殊更痛く感じられる。
「ここは、洞窟か・・・?」
黒鵜がいたのは薄暗い洞窟の中だった。半身はまだ川の中へ浸かっているが、底が浅くなったことで足が付いているのでこれ以上流されることはない。
「そうだ。僕は川に流されて、そのままここへ流れ着いたのか・・・痛っ!?」
状況を把握して立ち上がろうとすると、左足にきつい痛みが奔り呻く。
「くそっ・・・よりによって足を痛めるなんて・・・」
手で触れて確認すると、足首に酷い痣が出来ていた。おそらく流されている間に岩にでもぶつかったのだろう。この感じだと骨にヒビくらいは入ってそうだ。
他にも怪我がないか確かめたが、酷い怪我は左足首の脱臼だけだった。手痛いことだが、溺れ死なずに済んだと思えば不幸中の幸いと言えるのだろうか。
左足を庇いながら、地面を這いずりなんとか岸に上がる黒鵜。背にかけていたリュックを降ろすと、そのまま腹這いに体を広げて倒れ込む。
「やばい・・・寒い・・・水に長く浸かり過ぎた・・・体を温めないと・・・」
懸命にリュックを開けて、中に入っているものをその場でぶちまける。リュックは防水性のものを選んできたので、中身は濡れていなかった。
散らばったものはナイフ、マグカップ、マッチ、調理用の固形燃料と香辛料、携帯式のランプに予備のオイル、そして護身用防具として手足に装着できる手甲と足甲だった。
「はあ・・・こうなるんだったら食糧も持ってくればよかったな」
缶詰の持ち合わせもなかったのは我ながら痛恨のミスだ。腹を減らしながら、マグカップに固形燃料を入れてマッチで火を付ける。
燃料に火が移り、暗い洞窟の中に小さいが火が灯った。
「あんまり大きな火じゃないが、これでちょっとは暖を取れるかな」
手をかざすと熱が伝わり、凍えていた指先に感覚が戻ってきた。
しばらく暖を取り、体がある程度動くようになった黒鵜は濡れた服を脱いで絞っていく。
「うへえ、随分と水を吸ってたんだな。滝みたいに流れ落ちる」
衣服からはビックリする量の水が垂れ落ち、絞った服をもう一度着直す。決して着心地は良くないが、裸でいるよりはマシだった。
その後、近くに流れ付いていた枯れ枝を拾い負傷した左足へ添え木をする。巻き布には破ったシャツを使用した。
また、どんな猛獣がいるか分からないので念のため両腕に手甲をはめておく。足は片方を痛めているので、鋼鉄製の足甲は動きを妨げて歩きにくいから付けなかった。
「さてと、一体どこへ行けば出られるのかな?」
十分な休息が取れた頃、不要な荷物を片づけて立ち上がった。ランプを点灯させて周囲を照らしてみる。
「ここは、古い坑道みたいだ」
黒鵜がいた場所は、おそらく何十年も前に封鎖されたであろう鉱山の中だった。さっきまでは脇の抜け道で、進んだ先には人工的に彫られた通路が現れる。足元には砂を積めた布袋が転がり、壁には木の板などが見えた。
「こういう時は、空気の流れる方向へ進めば出られるはずだ」
指先を舐めて風の動きを肌で感じる。
そしてランプで足元を照らし、痛む足を引きずりながら慎重に歩き出す。時折分かれ道で迷うこともあるが、なんとか出口を目指し懸命に身体を動かした。
「もう碌に体力もないなあ。でもせめて外へ出てから寝ないと、こんな冷えつく坑道で衰弱死は御免だ」
息を切らして疲労困憊のままにひたすら外へ向かう。視界がふらつくのは足を引きつっているからだけではない。黒鵜は壁に手を着き、その場で座り小休止を挟むことにした。
「そういえば、気を失っている間に何か夢を見てたっけ・・・」
体を休めていると、先程見た夢のことを思い出す。
随分幼い時の思い出だ。日本を離れる一年前ほど、最後に初めて見に行ったお祭りのことである。
「あの時の兄妹、どんな子たちだったかな。今じゃあもう顔も名前も覚えてないや」
勝手に約束を破っておきながら酷い話だ、と黒鵜は一人呟く。夢とは見ている間は鮮明でも、起きた途端にその内容を忘れてしまうものだ。
特にあの時期、黒鵜は父親の死からいきなり外国へ移動とそれまでにない経験がひっきりなしだった。古い記憶とはより印象深い記憶に上書きされやすい。セフィラに雇われる以前、日本で暮らしていた時の記憶は薄れるばかりだ。
「まあ、魔術の名門みたいだからこの英国でばったり出会うこともあるかもな。それじゃあ、さっさとここを抜け出て火垂を見つけますか」
夢の内容は置いておき、この狭苦しいトンネルを抜ける為に黒鵜はまた歩き出した。