「あらら~随分と暴れましたね~」
二人と一匹が倒れる荒れた森の中に、一人の人間が呑気な顔で歩いている。
黒い質素なメイド服を着た若い女性だった。背の高さは二十代女性の平均並みだが、ころころと陽気に笑いながらステップを踏むその姿はより幼く十代ぐらいに見える。
水たまり遊びでもするかのように、地面の窪みを避けて兎のように飛び跳ね化け猫の傍へ近寄る。
「う~ん、精霊が抜け出してからまだ時間が早そうです~。転移能力をもつ個体でもなければまだ周囲に潜んでいるかもしれませんが~」
そう言いドロシー付きのメイド、カトレアは指で化け猫をつっつきながら周りを見渡す。
聞こえるのは風がそよぐ葉音だけ。満点の星空の下で立っているのはカトレアだけであった。
「どうやら~もう回収されたようですね~。私は~精霊が見えないのでどのみち探せませんけど~ってあれ~?」
ドロシーが遠くを見ていると、その傍で寝ていた化け猫に変化が表れる。
化け猫の体は時折引きつけでも起こしたかのように揺れ始め、次第に収縮をしていった。
三十秒もすると、化け猫は普通の山猫と同様のサイズまでちじんでしまった。まるで穴の空いた風船である。
この異様な変化にはカトレアも驚く。
「いきなり萎んでしまうなんて~。これも精霊が抜け出た影響でしょうか~。よければ教えてもらえませんか~」
カトレアは小石を拾うと、おもむろに一本の木に向かい投げる。
「ぎにゃ!?」
緑葉の中に入った小石が何かにぶつかる。女性の高めな悲鳴が聞こえ、がさがさと音を鳴らして地面に人間が落ちてきた。
レオタードに近い、体へ密着するタイプの黒い衣服を着ている。肘や膝、胸部には保護のためのプロテクターが縫い付けられている。
金色の細い猫目が鋭く細められ、肩口で揃った金髪の頭部には人間にはない器官、猫耳が生えていた。ぴくりぴくりと動いていることから、髪飾りでなく本物であることが分かる。
「お久しぶりです~」
カトレアが笑顔で挨拶すると、猫耳女は嫌そうな顔で見返した。
「・・・私は会いたくなかったわよ」
「そうですか~。実は私もです~」
猫耳女が俊敏に横へ飛ぶ。その直後、猫耳女が隠れていた木が達磨のようにバラバラと切れて地面に転がり落ちた。
結構な量の土煙が舞い、両者の間を緊張が駆け巡る。二人はお互いを明確な敵として対処していた。
「前に会ったのはいつでしたっけ~」
「知らないし、思い出したくもない。用件があるなら早く言えば?」
「それじゃあ~単刀直入に申し上げます~。あなたが手にもっているソレを渡してください~」
猫耳女の右手には小さな石があった。その石は暗闇の中においても、うっすらと白い光を放っている。
「悪いけど、このライトストーンは土地に残されていた最後の一つ。マスターには確実に奪ってくるよう命令されているわ」
「私も~お嬢さまからソレを手に入れるよう頼まれてまして~。本当はクロウさんの仕事で私は観察だけのつもりでしたけど~。ちょっと荷が重かったみたい~」
「薄情な女ねえ。自分の身内がズタボロになっているのに心配じゃないの?」
猫耳女がちらりと血だらけで倒れる黒鵜を見る。素人目でも瀕死であることが伺えるが、カトレアは相変わらず笑みを崩さずに敵だけを見据えていた。
「心配の必要を感じませ~ん。あれでもクロウさんはお嬢さまが直接見定めた者ですし~。この後すぐに手当てすれば死にはしません~」
「あらそう。だったら、私を追い掛けている暇はないってわけね」
勝ち誇った猫耳女に対し、カトレアはより濃密な殺気を膨らませる。視線だけで相手をバラバラにしそうな殺気だが、この距離で仕掛けても即座に敵が逃げられることをカトレアはよく理解していた。
「命拾いしましたね~」
「それはあなたの方でしょう。にしても、今晩は月の女神の巡り合わせが悪かったわ。実験体の精霊を一体失った挙句、面倒な奴とまで鉢合わせるし・・・」
「精霊を失った~? どういうことですか~?」
カトレアは耳に手を当てて『教えないと猫耳切っちゃいますよ~』としつこく迫る。
相手に引く気がなさそうだと判断し、猫耳女は溜息を吐きながら話す。
「そこの猫に入っていた精霊が消えたのよ。少年が
「それはお気の毒に~」
「ざまあみろって言ってるように聞こえるわね。まあ、おかげで貴重な戦闘データも取れたからプラスマイナスゼロってところ。実験失敗は残念だけど、どうせ代えの精霊なんていくらでも用意できるわ。本命の方はちゃんと入手できたし、今回は私の勝ちよ」
「はいはい~。自慢したいだけならとっとと死にやがってください~」
「口の悪いメイドだこと。あなたみたいな女には、できれば二度と会いたくないわ」
それで、猫耳女は風のようにその場を去って行った。
敵の姿が完全に消えたことを確かめて、カトレアは警戒を解く。
「そこだけは同意します~。まあ、立場的に無理だと思いますけど~」
カトレアは黒鵜、猫、火垂の状態を順に見ていく。
「猫ちゃんと自動人形の女の子は大したことはなさそうですね~。問題はこっちですか~」
黒鵜は出血でだいぶ衰弱している。放っておけば一時間もたないのは明白だった。
「とりあえず傷の縫合と輸血は済ませましょうか~」
そう言ってカトレアは肩にかけていた鞄から輸血パックと縫合用の針と糸を取り出す。なんとも手慣れた手つきで左腕に輸血チューブの針を差し込み、傷の縫合を目にも止まらぬ手際により三十分足らずで終了した。
「これで出血は止まりました~。クロウさんが気を失っていたのはラッキーです~。麻酔を節約できましたから~。後はマグナスさんが来るのを待ちましょう~」
気を失っている者たちを合流地点まで運ぼうとするカトレア。
「でも~結局ライトストーンは回収できなかったんですよね~。これじゃあ二人ともお嬢さまに怒られるかな~。嫌だな~ってあれれ~?」
珍しく暗い顔になっていたカトレアだが、ふと顔を下ろしたことであることに気が付く。
黒鵜が最後の武器に使った石。今もその手に握り絞められていたのだが、指の隙間から微かに光が漏れ出ている。
「これってひょっとして~」
一旦黒鵜を地面に下ろし、手にある石を取りよく見てみる。石からはぼんやりと白い光が放たれており、何らかの魔力を秘めていることが確認できた。
「おお~ライトストーンじゃないですか~。大手柄ですよクロウさん~。流石はお嬢様とドロシー様のお気に入りだけはあります~」
思わず黒鵜の手を取り身体ごとぐるぐる回して喜びを表現する。特殊な糸なのか縫合は解けてないが、重体の人間を無闇に振り回すべきではない。心なしか、黒鵜の血色が悪くなった。
「クロウさん、期間ギリギリでしたね~。丁度夜明けも来たようですし~」
いつの間にか結構な時間が経っていたようで、山の山頂から眩い陽光が出始めていた。
「早く学院に帰りましょう~。ドロシー様も、あなたの帰りを心からお待ちですよ~」
こうして、黒鵜の三日間に渡るライトストーン探しの旅は終わった。