魔法。
それが伝説や御伽噺の産物ではなく、現実の技術となったのは何時のことだったのか。
国立魔法大学付属第一高校。
毎年、国立魔法大学へ最も多くの卒業生を送りこんでいる高等魔法教育機関と知られている。それは同時に、優秀な魔法技能師をもっとも多く輩出しているエリート校と言う事でもある。
徹底した才能主義。
残酷なまでの実力主義。
それが、魔法の世界。
魔法教育に、教育機会の均等などと言う建前は存在しない。
この学校に入学を許されたということ自体がエリートということであり、入学の時点から既に優等生と劣等生が存在する。
同じ新入生であっても、平等ではない。
だが、全ての生徒がエリートでありたいと思っているわけではない。
「比企谷君、その制服は何かしら」
「ヒッキー!」
第一高校入学式の日、だが、まだ開会二時間前の早朝。
入学式の会場となる講堂の近くで、真新しい制服に身を包んだ三人の男女が一人の男子に二人の女子が何やら詰め寄っていた。同じ新入生、だがその制服は微妙に、しかし明確に異なる。スカートとスラックスの違い、男女の違いではない。二人の女子生徒の胸には八枚の花弁をデザインした第一高校のエンブレム。男子生徒のブレザーには、それがない。
「なぜ、あなたは二科生なのかしら」
「あ? 入学試験で俺の実力が二科だってだけだろ」
何を当たり前な事を聞いているんだと言わんばかりに、肩をすくめてそう答える男子生徒に二人はより一層詰め寄り、
「ヒッキー! 皆で一緒に頑張ろうっていったじゃん!」
「あなたが二科生なら、受験する全ての生徒が不合格よ」
一人はほほを膨らませ見るからに怒っていますと言ったように、もう一人はクールに吹雪を拭きつけるがごとく静かに怒っていた。
「由比ヶ浜、頑張った結果がこれだ。どうにか合格できたってのを褒めて欲しいくらいだぜ。雪ノ下も言い過ぎだろ。昔から俺に対して過大評価しすぎるぞ」
男子生徒は深くため息をつき、まだ納得のいかない二人をどうするかと悩んでいたが同じように新入生と思われる声が講堂の入口の方から聞こえてきた。
『納得できません!』
声からして女性の声だったが、どこかで聞いたことのある声に似ていた。
「ゆきのん、喋った?」
「いいえ、私じゃないわ」
目の前の少女、雪ノ下雪乃の声にそっくりだったのだ。
普段なら覗きにいくことはないし今はそれどころではないのだが、どうやら好奇心が僅かに勝りこっそりと様子を見に声のする方へ近づく事にした。
『なぜお兄様が補欠なのですか? 入試の成績はトップだったじゃありませんか!
本来ならばわたくしではなく、お兄様が新入生総代を務めるべきですのに!』
そこには同じように真新しい制服を着た一組の男女が何やら言い争っていた。いや、言い争うと言うより女子生徒の方が一方的に詰め寄っていると言った方がいいか。会話の内容から察するにどうやら兄妹の様で、妹の方は今回の入試のトップだったようだ。
親戚だという可能性もなくはないが、兄妹だとするならば。似ていない兄弟だった。
「見た目といい、成績といい、声といいそっくりだな」
声の主を確認した三人はすぐにそこを離れ、比企谷は雪ノ下に声をかける。
「そうかしら」
「うん、あの子もゆきのんと同じで凄く綺麗だったし」
「由比ヶ浜さんこんなところで抱きつかないでもらえるかしら。そこの男にいやらしい目で見られてしまうわ」
そう言っても雪ノ下は横から抱きついてきた由比ヶ浜を引きはがそうとはせずに、困った顔をしていた。少しだけ嬉しそうにも見えたが。
「さて、比企谷君。話はまだ終わってないのよ」
「ちっ、憶えていたのかよ」
「当然よ、あなたのその粗末な頭と一緒にしないでもらえるかしら」
「ほら、ヒッキーちゃんと説明しないとクッキーつくってきちゃうよ」
その言葉に比企谷と雪ノ下の顔がギョッと恐ろしい物を見るように歪み、
「あの日は体調がマジで悪くて実力が出せなかったんだよ」
バツが悪そうに頭を掻きながらしぶしぶと口に出す。
「あ、ごめんヒッキー。あの時そんなに体調が悪かったのに気がつかなくて」
雪ノ下から離れ、本当に申し訳なく頭を下げようとして雪ノ下に止められた。
「由比ヶ浜さん、騙されちゃだめよ」
やはり何かに気がついているなと、若干諦めた表情を見せてため息をつく。
「比企谷君、そろそろ本当のことを言う気になったかしら。まだこんな茶番を続けるなら、どうなるかは分かっているわよね」
「あ~分かった分かった。ここじゃなんだ、帰ってからにしようぜ」
「……そう、放課後はあなたの折檻をしましょうか」
「おい、やめろ」
比企谷は片手で頭を抱え深くため息をつき、雪ノ下は腕を組みそんな比企谷を見て口元で笑い、由比ヶ浜はそんな二人を見て笑っていた。
そんな三人の方へ一人の男子生徒が近づいてくるのが見えた。それは先程入口で見た男子生徒だった。彼は三人に気がつき歩きながら軽く目礼をして通り過ぎていった。
それを二人は見送り、一人は彼の挙動の一つ一つに目を配っていた。その姿が見えなくなるまで見送り、時間までどうするかの話になった。
「てか、雪ノ下。お前集まるのが早過ぎだろ」
「遅刻するより早めにきておいた方がいいのよ」
顔をそむけ、少し痛いところをつかれたような反応をしていた。
「いや、それはそうだがいくらなんでも早すぎじゃねぇか。さっきの二人は総代つってたから打ち合わせだろうが、俺らは別に何もねぇだろうが」
「ゆきのんも早くヒッキーの制服姿が見たかったんだよ」
「は、俺の?」
由比ヶ浜の言葉に首をかしげ雪ノ下の方に顔を向けると、そっぽを向いている頬が少し赤らめていたのが見えた。
「本当は同じ制服が良かったんだけど、でも、また同じ学校に通えるからいいかな」
同じ制服、エンブレムの有無。そんな少し残念そうな由比ヶ浜にむかってぶっきらぼうに、
「由比ヶ浜、制服似合ってるぞ」
そう照れながら口に出した。
「あ…ヒッキーありがとう!」
一気に笑顔の花を咲かせ、飛び上がらんばかりに喜んでいた。
「比企谷君、私はどうかしら」
「ああ、雪ノ下も似合っているぞ」
「そう、それは当たり前だわ」
雪ノ下も口ではそう言ってはいるが、顔を見れば凄く嬉しかったのは一目瞭然だった。時間まで暇を潰そうと言う事で、どこか座れる場所を探すことになりその場を移動しようとすると先程男子生徒が歩いていった方から在校生とおぼしき女子生徒が数人歩いて近づいてきた。おそらく式の運営に駆りだされていたのだろう、その在校生の胸には一様に、八枚花弁のエンブレムが。数人の在校生が三人を通り過ぎた後、
―――ねぇ、あの子もウィードじゃない
―――ほんと、こんなに早くから。補欠なのに張り切っちゃって
―――自分のことスペアだって分かってないのかしら
そんな言葉が三人の耳に入ってくる。
ウィードとは、二科生徒を指す言葉だ。
緑色のブレザーの左胸に八枚花弁を持つ生徒をそのエンブレムの意匠から「ブルーム」と呼び、それを持たない二科生徒を花の咲かない雑草(weed)と揶揄して「ウィード」と呼ぶ。
「先輩方、それはどういうことかしら」
雪ノ下が在校生に向かって、後ろから声をかけた。比企谷と由比ヶ浜はその後ろ姿を見て、雪ノ下がどんな表情をしているのかすぐに分かった。比企谷は頭に手をやり『やれやれ、またか』と苦笑し、由比ヶ浜も『ゆきのんらしいね』と笑っていた。仮にも上級生に喧嘩を売っているのだが、二人は雪ノ下が口でも実力でも負けるとは思っていなかった。
「なに、何か文句でもあるの」
「見たところ新入生のようだけど、喧嘩売ってるの?」
「実力も分からないんじゃ、あなたもウィードから出直したら」
などと、相手が新入生であり、自分達が上級生であり一科生というプライドがあるのだろう。微塵も自分達が上であるという立場を疑っていなかった。
二科生を「ウィード」と呼ぶことは、建前として禁止されている。
「ええ、厚顔無恥で考える頭のない無知な先輩方に本当の立場というものを親切で教えてあげようと声をかけたのだけれど。その様子では、どうやら無駄のようね」
「…何様のつもり」
「新入生ごときが私達に敵うとでも」
どうやら煽り耐性が低いようで簡単に冷静さを失ったようだ。
「あら、なぜ先輩方が上だと言えるのかしら。そんなのだから一科生という事だけで努力を怠り、あれだけ蔑んでいた二科生に追い抜かれているということになりそうね。
プライドだけが高く実力が伴わない事になるわね、先輩方」
いい笑顔をしているのが後ろからでもよく分かる。そのどこまでも上からの態度で沸点の低い一人の生徒が反射的に自分の左腕に右手を伸ばした。CADを操作しようとしていたのだろう。しかし、そこにはCADなどありはしなかった。当然だ、学校内でCADの常時携行が許されているのは、生徒会の役員と特定の委員会メンバーのみなのだから。雪ノ下はそのあたりも計算に入れていた。そもそも、CADの所持を許されている生徒があんなことを言うはずがないと思ってもいただろう。もし、所有していたとしても必ず助けてくれる人間がそばにいるから、安心できていた。
在校生はCADがない事を思い出し、強硬手段に打って出た。まぁ、泥臭い殴り合い、というよりは一方的な暴力を行使しようとしていた。
「なにをやっている!」
と、大声が飛んできた。飛んできた方を向けば二人の女子生徒がゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。雪ノ下達はその二人の人物が誰なのか分かっていなかったが、在校生達は少し慌てた様子を見せていた。
「さて、何をしていたのかね?」
仁王立ちでその場にいる全員を見渡していた。
「え、えっと、新入生が早く来ていたようですから少し学校のことを」
「そ、そうです。時間までもう少しありますから座れる場所でも、と思いまして」
在校生は口々にあらかさまないい訳を並べ立てていく。
「わ、私達は準備がありますので」
と、最後には逃げるように行ってしまった。
この様子を見るとどうやら生徒会などの役職を持っているとすぐに三人は分かった。いや、由比ヶ浜はぽかんとしていたので雪ノ下と比企谷といった方がいいか。それに二人の左手にチラッとCADが見えているのも要因となった。
「さて、君たちにも話を聞かなければならないな」
「摩利、いいじゃないの。特に魔法を使ったんじゃないんだし」
「そうだな。だが、少しくらいは良いだろ」
さっきのような厳しい声と顔を解き、冗談を言い合うような感じになっていた。そんな二人の様子をただただ眺めているだけだった。
「あ、申し遅れました。私は第一高校の生徒会を務めています、七草真由美です。ななくさ、と書いて、さえぐさ、と読みます。よろしくね」
最後にウインクが添えられていても不思議のない口調だった。美少女なルックス、小柄ながらも均整のとれたプロポーションと相まって、高校生になったばかりの男子生徒が勘違いしても仕方ない蠱惑的な雰囲気を醸し出していた。
雪ノ下と由比ヶ浜は同じタイミングで比企谷へ肘鉄を喰らわせた。長い付き合いだ、鼻の下を伸ばしていることなど手に取るように分かったに違いない。『理不尽だ』という言葉はスルーされていた。
「それで、こちらが」
「風紀委員長の渡辺摩利だ。よろしく」
生徒会長と風紀委員長はそんな三人の様子に『仲がいいな』と苦笑して笑っていた。
「私は雪ノ下雪乃です。これからよろしくお願いたします」
雪ノ下がはじめに二人に向かって頭を下げ、名乗り返した。
「由比ヶ浜結衣って言います。よろしくお願いします!」
今度は元気よく由比ヶ浜が頭を下げ、最後に、
「俺、いや、自分は比企谷八幡です」
と、三人が三人とも自己紹介を終えた。
「雪ノ下さんと由比ヶ浜さん、それに比企谷くんね。無事、入学おめでとうございます」
笑顔で三人を祝福していたのはよく分かった。雪ノ下と由比ヶ浜だけではなく比企谷にもというところから、雪ノ下はこの生徒会長は信用できると判断していた。が、今度は足を踏みつけていた。
「雪ノ下さんと由比ヶ浜さんは入試の結果で見ました。御二人ともその調子で努力に励んでください」
雪ノ下は軽く会釈をし、由比ヶ浜は元気よく返事を返した。
「比企谷くんも二科生だからと卑下せずに頑張ってください」
「うっす」
まぁ、言わずもがな、比企谷八幡に2Hit比企谷八幡は倒れた。
「まったく、君たちは仲がいいみたいだな」
そんな様子を風紀委員長は笑いながら眺め、さっきのことはすでにどうでもよくなっていた。
「摩利、そろそろ行きましょうか」
「そうだな。じゃあな」
スカートの裾をひるがえし講堂の入口に向かって戻っていった。
「ゆきのん。いい先輩だったね」
「そうね、信用できそうだわ」
雪ノ下に好印象を抱かせる存在は珍しい。
「それよりも、比企谷君」
「ヒッキー!」
嫌な予感がひしひしとして来た比企谷は逃げるために踵を返そうとしたが、時すでに遅く両手をそれぞれ掴まれていた。
「さて、いい訳を聞かせてもらおうかしら、デレ谷君」
「そうだね、まだ時間があるからそれまで聞かせてもらうよヒッキー」
「助けてくれーーーーーー!」
と、絶叫が響いたとか、響かなかったとか。