八人はカフェに入り、今日一日のこと――入部したクラブのこととか、退屈な留守番のこととか、勧誘に名を借りたナンパのこととか、色々な体験談に花を咲かせたが、やはり、最も関心を引いたのは、司波達也の捕物劇だった。
「――その桐原って二年生、殺傷性ランクBの魔法を使ってたんだろ? よく怪我しなかったよなぁ」
「致死性がある、と言っても、高周波ブレードは有効範囲の狭い魔法だからな。
刃に触れられない、という点を除けば、良く切れる刀と変わらない。それほど対処が難しい魔法じゃないさ」
さっきかっら手放しで感心しているレオに、やや辟易した表情で司波達也が応じる。
「でもそれって、真剣を振り回す人を素手で止めようとするのと同じってことでしょう?
危なくなかったんですか?」
「うんうん! 怪我したら危ないよ!」
「大丈夫よ、美月、結衣。お兄様なら、心配いらないわ」
「随分余裕ね、深雪?」
今更のように顔を曇らせた柴田と本気で怪我を心配している由比ヶ浜を宥める司波深雪の表情は、千葉が指摘したように不自然なほど余裕があった。
「確かに、十人以上の乱戦をさばいた達也くんの技は見事としか言えないものだったけど、桐原先輩の腕も決して鈍刀じゃなかったよ。むしろ、あそこにいた人たちの中では頭一つ抜け出してた。
深雪、本当に心配じゃなかったの?」
千葉に問われた、司波深雪の答えは、
「ええ。お兄様に勝てる者などいるはずがないもの」
一分一厘の躊躇もない断言だった。
「――えーっと……」
これにはさすがの千葉も、絶句するしかなかった。
比企谷八幡はそんな誇らしげに話す司波深雪の話を一言一句聞き逃さないように、カップに入ったMAXコーヒーをすすっていた。適当に入ってみたカフェだが、まさかMAXコーヒープレミアムが置いてあるとは、と心底感動していた。失われていた発売当時の味を極限まで追い求め、ようやく再現が成功した唯一のMAXコーヒー。
それがMAXコーヒープレミアム。
それは、名前の通りプレミアム。販売、ではなくメーカーが懇意にしている店舗にしかおろしておらず、しかもその店舗情報が最高機密に指定されて完全なスタンドアローンで管理されている。比企谷はあらゆる手を使いその店舗を探したが、ようやく見つけた一軒は遠く離れた場所で営業しており、護衛をほっぽり出して行くことはかなわなかった。
だが、今日、偶然にもその貴重な一店舗を見つけ司波達也達から少し離れたカウンターで至福の時間を堪能していた。
雪ノ下はもちろん一緒に座らせようとしたが、比企谷のMAXコーヒープレミアムに対する情熱を引き気味で、いや、引いて聞き、講義の序章で別行動を許した。
「どうだい?」
「ええ、最高ですね。まさか、プレミアムに出逢えるとは……一つ聞きますが、MAXコーヒーオリジナルも置いてないですかね?」
MAXコーヒーオリジナル・それはプレミアムよりも伝説の一品。プレミアムが発売当時を再現した味だと言えば、オリジナルは開発当時の味を再現された始まりの味。
オリジナルは、プレミアをおろしている店舗の中からほんの一握りの店舗にしか配布されていない、それこそ幻で伝説のMAXコーヒー。
「………………」
「………………」
「……あるよ」
あった。
比企谷は満面の笑みを浮かべた。
オーナーはすでに用意していたのか、比企谷の前にカップを置いた。恐る恐るそのカップをのぞきこみ、慎重な手つきでカップを持ちあげ口に持っていった。普通のMAXコーヒーよりももっと白色に近いそれは、口の中に入った瞬間に甘さが爆発したように口の中に広がった。一口、その一口の後の二口目を忘れるくらい、口の中が満たされていた。
「驚いたかい」
「………ええ、これほどまでとは」
ようやく現実に返ってきた比企谷は、思い出したように二口目を口に含む。
「オリジナルは美味いだろう。いや、美味すぎるんだよ。故に、今のMAXコーヒーに落ち着いたと言っていい」
「美味すぎる、故の劣化か……」
比企谷はそう言って、ちょっとずつプレミアムとオリジナルを口に含んで味に酔いしれた。
「……達也さんの技量を疑う訳じゃないんですけど、高周波ブレードは単なる刀剣と違って、超音波を放っているんでしょう?」
「そういや、俺も聞いたことがあるな。超音波酔いを防止する為に耳栓を使う術者もいるそうじゃねぇか」
「単に、お兄様の体術が優れていると言うだけではないの」
柴田と西条の懸念に答える司波深雪の表情は、失笑を堪えているようでもあった。
「魔法式の無効化は、お兄様の十八番なの」
司波深雪の言葉に千葉がすかさず食いつき、雪ノ下は目線を向け持っていたカップを置き聞きの体勢に入った。
「魔法の無効化?」
雪ノ下と司波達也以外の四人が首を傾げた。
「エリカ、お兄様が飛び出した直後、床が揺れたような錯覚を覚えたのでしょう?」
「そういえば」
千葉はその時のことを思い出し、首を縦に振った。
「それ、お兄様の仕業よ。
お兄様、キャスト・ジャミングをお使いになったのでしょう?」
ニッコリと、作り笑いを向けてくる司波深雪に、司波達也はため息の白旗を掲げた。
「深雪には敵わないな」
「それはもう。
お兄様のことならば、深雪は何でもお見通しですよ」
苦笑と微笑、笑顔を見合わせる二人の間に、素っ頓狂な声で西条が割り込む。
「それって、兄妹の会話じゃないぜ? 恋人同士のレベルも超えちまってるって」
「そうかな?」「そうかしら?」
ぴったりハーモニーを奏でた司波達也と司波深雪に、たっぷり一秒は硬直したあと、西条は力尽きたかの如くテーブルに突っ伏した。
「……このラブラブ兄妹にツッコミ入れようってのが大それているのよ。アンタじゃ最初から太刀打ちできないって」
「その言われ様は著しく不本意なんだが」
「いいじゃありませんか。わたしとお兄様が強い兄妹愛で結ばれているのは事実ですし」
司波深雪がサラリと兄を宥めた。
直後、今度は千葉が突っ伏した。
「ダメだこりゃ…」
「……深雪、悪ノリも程々にな?
冗談だって分かってないのも約二名いるようだから」
司波達也が苦笑しながら司波深雪をたしなめると、柴田と由比ヶ浜に視線が集まった。
「……あ! 冗談だったの?」
「……えっ? えっ? 冗談?」
顔を赤く染めていた二人が、キョロキョロと自分を置かれている状況を確認しようと周りを見回していた。
「……そういや、キャスト・ジャミングとか言ってなかったか?」
西条がこのどうにもし難い空気を変えるために、強引に話題を戻した。
「キャスト・ジャミングって、魔法の妨害電波のことだっけ?」
「電波じゃないけどな」
「慣用句よ」
「キャスト・ジャミングは魔法式がエイドスに働きかけるのを妨害する魔法――分類的には“無系統魔法”の一種だ」
無系統魔法とは事象変更するのではなく、サイオンそのものを操作する魔法。キャスト・ジャミングは無意味なサイオン波を大量に散布することで魔法式がエイドスに働きかけるプロセスを阻害する技術。
「ただし、キャスト・ジャミングを使うには四系統八種類、全ての魔法を妨害できる特別なサイオンノイズが必要となる」
「それって特殊な石がいるんじゃなかったっけ? ええっと、アンティ……」
「アンティナイトよ、エリカちゃん。
達也さん、アンティナイトを持ってるんですか?」
「いや、持ってないよ。そもそもアンティナイトは軍事物資だからね。一民間人が手に入れられる物じゃない」
「えっ? でも……」
その司波達也の言葉にテーブルに座る全員が訳が分からないと言う顔をしている。
「…オフレコで頼みたいんだが」
困惑した表情で間を取り、テーブルに身を乗り出して声を潜めた司波達也に、つられて身体を乗り出して真剣な面持ちで頷いた。
「正確には、キャスト・ジャミングじゃないんだ。俺が使ったのは、キャスト・ジャミングの理論を応用した『特定魔法のジャミング』なんだよ」
司波達也の囁きを聞いて、柴田がキョトンとした顔で何度か瞼を瞬かせた。そんな中、由比ヶ浜の表情を見るかぎりあまりピンと来ていなかったようだ。
「えっと……そんな魔法ありましたっけ?」
「いいえ、柴田さん。そんな魔法は存在しないわ」
「それって、新しい魔法を理論的に編み出したってことじゃない?」
千葉の口調は、感心や驚愕や賞賛より呆れたようなニュアンスが強く含まれていた。
「編み出したって言うより、偶然発見したと言う方が正確かな」
千葉の正直な反応に、司波達也は笑いながら答えた。
「二つのCADを同時に使おうとすると、サイオン波が干渉してほとんどの場合で魔法が発動しない事は知っているよな?」
「ああ、俺も経験した事があるぜ」
司波達也の言葉に頷く西条と、
「うわっ、身の程知らず」
西条のセリフに呆れ声を漏らす千葉。
「何だと!」
「二つのホウキを同時に使うって、魔法を並列起動させようとしたってことなのよ?
そんな高等テクができると思うなんて、身の程知らずとしか言いようが無い」
「うるせーな。できると思ったんだよ!」
「まぁまぁ、二人とも、今は達也さんのお話を聞きましょう? ねっ?」
「うん、そうだよ。ぜんぜん分からないけど、すごく面白そうだから!」
「………」
「………」
それは、今までの言い争いが無かったことになるような気の合いようで、二人は由比ヶ浜に目を向けた。どうして一科生なんだろう、という視線を込めて。
「一方のCADで妨害する魔法の起動式を展開し、もう一方のCADでそれとは逆方向の起動式を展開、その二つの起動式を魔法式へ変換せず起動式のまま複写増幅し、そのサイオン信号波を無系統魔法として放てば、各々のCADで展開した起動式が本来構築すべき二種類の魔法式と同種類の魔法式による魔法発動を、ある程度妨害できるんだ。
つまり、今回は『振動魔法のジャミング』を使用したと言うわけだ」
西条が小声で「マジかよ……」と呟いた。他のテーブルにいた面々も、そんな西条と同じような表情を浮かべていた。そんな中、雪ノ下はその説明を頭のかなで反芻しており、難しい顔を浮かべていた。いわずもがな、と思うが由比ヶ浜はそれが難しく高度な事だということは分かったのだが、どれほど高度な事か分からずピンと来ていなかった。
「おおよその理屈は理解できたぜ。
だがよ、なんでそれがオフレコなんだ?
特許取ったら儲かりそうな技術だと思うんだがなぁ」
そんな、西条の言葉に割り込む声があった。
「司波君、その特定魔法のジャミングは私も使えるかしら?」
雪ノ下が、真っ直ぐに司波達也を見据えて問う。
「……CADを二つ同時に使う事に関しては訓練すれば可能だ。魔法に関しても発動中の魔法の系統が分かれば使用可能といえる。
だが、俺は詳しい事を教える事はできない」
「それは、なぜかしら?」
司波達也は全員の顔を見渡して口を開く。
「……一つには、この技術はまだ未完成なものだということ。
相手は発動中の魔法が使えないだけで、しかもまったく使えないわけじゃなくて、使い難くなるだけなのに、こっちは全く魔法を使えなくなるんだからな。
これだけでも相当な致命傷なんだが、それ以上に、アンティナイトを使わずに魔法を妨害できるという仕組みそのものが問題だ」
「…………」
「……それの何処に問題があるんだよ?」
雪ノ下は硬く口を結び、西条は不満げに問う。難しい顔で考え込んでいた千葉が、そんな西条を割と本気の声で叱りつけた。
「バカね、大有じゃない。
お手軽な魔法無効化のい技術が広まったりしたら、社会基盤が揺るぎかねないんだから」
「アンティナイトは産出量が少ないから、現実的な脅威にならずに済んでいる面がある。
対抗手段を見つけられるまで、公表する気にはなれないな」
ようやく得心がいったのか、西条は何度も深く頷いている。
「すごいですね……そんなことまで考えているなんて」
「お兄様は少し考え過ぎだと思います。そもそも、相手が展開中の起動式を読み取るなんて、誰にでもできることではありませんし。
ですが、それでこそお兄様ということでしょうか」
「……それは暗に、俺が優柔不断のヘタレだと言っているのか?」
妹の指摘に、司波達也は心底、情けなさそうな表情を作った。
「さあ?
エリカはどう思うかしら?」
素っ気ない態度を演じて、司波深雪が千葉に球を投げる。
「さあね?
あたしとしては、美月と結衣の意見を聞いてみたかったり」
千葉はわざとらしい口調で、二つに分裂させた球を渡した。
「え! ちょっとエリカ! 急に話しを振らないでよ!」
「ええっ?
私は、その、ええっと……」
「誰も否定してくれないんだな……」
そんな司波達也の恨めしそうな視線を各々が各々でかわし、助けはどこからも現れなかった。
あと、比企谷はここの常連になることをひっそりと決めていた。