過去に例のない討論会が明日、開催されると発表された直後から、同盟(「学内の差別撤廃を目指す有志同盟」のことをそう呼ぶようになっていた)の活動が一気に活発化した。
多数派工作、と言うには洗練されていないが、始業前、休み時間、放課後、賛同者を募る同盟メンバーの姿が校内の到る処に見られるようになった。
彼らは皆、青と赤で縁取られた白いリストバンドを着けていた。もう隠す気もないのか、それともこのシンボルの意味を知らないのか……比企谷は後者だと確信している。もっとも、知らなければ罪は無い、という考え方に、比企谷は反吐が出る。
だからと言って、同盟の行動を妨害しようという気にはならない、面倒だから。まぁ、二人に危害を加える場合はその限りではないが。
しかし、目のおかげで話しかけられる事は無いが、廊下を歩くだけで騒がしくうんざりしながらMAXコーヒーを求めて食堂に向かっていると、目の前から眼鏡をかけ右手に例のリストバンドを巻いた三年生、司甲が歩いてきた。
互いに横目で確認しあい、特に何のリアクションもなく通り過ぎた。
通り過ぎた後、少し歩くと司波達也と柴田が話しているところに遭遇した。気配を消して横を通り過ぎる時に会話が聞こえてきたが、どうやら司甲は柴田を勧誘していたようだ。通り過ぎる際、柴田は比企谷に気がついていなかったが司波達也は気がついたようで、比企谷は顎で司甲の背中を示し、そのまま何も言わずその場を後にした。そして、MAXコーヒーを購入して飲んだ。
早めの夕食後、比企谷は使い慣れた自転車を走らせ研究所に向かっていた。
SWT(スノー・ホワイト・テクノロジーズ)研究所につくと、定期的に変更される解錠操作で研究所内に入った。集合時間前についたがすでに三人がそろっており、どうやら比企谷が最後だったようだ。
「八幡、おつかれ」
中に入っていち早く戸塚が比企谷に駆け寄ってきた。
「ありがとな、戸塚」
「八幡、全員分の専用CADの調整は終わっているぞ」
材木座は向かっていたコンソールから椅子を回転させ、比企谷の方へ体を向けた。
「ああ、助かる」
「比企谷、明日は好きにして良いんだよね」
「相手次第だが。ま、武力行使してくるだろうがな」
川崎は少し微笑み、どこか楽しそうにしていた。比企谷は川崎をしごき過ぎて少々好戦的になっている事に若干反省した。が、戦力的に問題が無いので特に何をする訳ではない。
そして、公開討論会当日。
全校生徒の半数が、講堂に集まった。
「意外に集まりましたね」
「予想外、と言った方がいいだろうな」
「当校の生徒にこれ程、暇人が多いとは……学校側にカリキュラムの強化を進言しなければならないのかもしれませんね」
「笑えない冗談は止せ、市原……」
順に、司波深雪、司波達也、市原会計、渡辺先輩のセリフである。
「そうね、市原先輩の言う通り、カリキュラムを強化すれば一科生と二科生の実力差はなくなるわね」
「ねぇ、ヒッキー。ゆきのんが怖いよ」
「言うな」
比企谷達は、舞台袖から場内を眺めていた。
本来なら生徒会手伝いの比企谷達は舞台裏ではなく、講堂の場内に居るべきなのだが市原会計の言葉で生徒会と一緒に舞台裏で待機していた。七草会長は三人に今起こっていること、関わっている組織の詳細を教えた上で二人が選んだ。
舞台袖に居ない七草会長は少し離れたところに、服部副会長と二人で控えている。
反対側の袖には、同盟の三年生が四名、風紀委員の監視を受けながら控えていた。
「実力行使の部隊が別に控えているのかな……?」
独り言のように、渡辺先輩が呟く。
あくまでも「ように」であって、独り言ではないのは明らかだった。
「同感です」
まさに司波達也も、同じ事を考えていて、それが分かった上での呟きだった。
会場をざっと見渡す。
その中に同盟のメンバーと判明している生徒は、十名前後。
その中に、放送室占拠メンバーの姿は無い。
「何をするつもりなのかは分からないが……こちらから手出しはできんからな」
これもまた、言わずもがな。
先手は常に向こう側にあり、こちらは相手の出方を窺うことしかできない。
「専守防衛といえば聞こえはいいが……」
「渡辺委員長、実力行使を前提に考えないでください。……始まりますよ」
まだ、何事か反論――と言うか、ぼやきかけた渡辺先輩だったが、市原会計の一言に、視線を舞台へ移した。
「これより、学内の差別撤廃を目指す有志同盟と生徒会の公開討論会を行います。同盟側と生徒会は、交互に主張を述べてください」
パネル・ディスカッション方式の討論会が始まった。
「非魔法競技系よりも予算が明らかに多い!! 一科生優遇が課外活動にも影響している証です! 不平等予算はすぐに是非すべきです!」
「それは各部活動の実績を反映した部分が大きいからです。非魔法競技系クラブでも優秀な成績の部には、見劣りしない予算が割り当てられております」
このように、同盟側の質問と要求に対し、七草会長が生徒会を代表して反論するという流れを辿った。
とは言え、同盟側に何か具体的な要求があったわけではない。予算配分一つとってみても「平等に」と言うだけで、どこそこの部にいくら、あるいは何割増しの予算を加えるべき、といった要求は出せなかった。
元々彼らは、司波達也に唆されて引っ張り出されたようなものだったのだ。
「二科生はあらゆる面で一科生よりも劣る扱いを受けている! 生徒会はその事実を誤魔化そうとしているだけだ!」
「あらゆる面でと言うご指摘がありましたが、施設の利用などは一科生も二科生も同様となっております」
討論会は、やがて、七草会長の演説会の趣を呈し始めた。
「一科生(ブルーム)と二科生(ウィード)――――残念ながら多くの生徒がこの言葉を使用しています。……生徒の間に同盟の皆さんが指摘したような差別意識が存在するのは、否定しません。
しかし、それだけが問題なのではありません。
二科生の間にも自らを蔑み、諦めと共に受け入れる。そんな悲しむべき風潮が確かに存在します」
いくつか野次が飛んだが、表立った反論は無かった。
凛々しい表情と堂々とした態度で熱弁をふるう七草会長に対して、同盟の反論は、既に尽きていた。
「その意識の壁こそが、問題なのです」
再び、野次が飛んだ。
だがそれは、賛否双方を含むものだった。同盟の支持者が飛ぶ野次に対して、二科生が固まっている辺りから聞こえてきた「うるさいぞ、同盟」と言う声は、風向きの変化をハッキリと示すものだった。
「学校の制度としの区別はあります。しかし、それ以外での差別はありません。その証拠に、第一科と第二科のカリキュラムは全く同じで講義や実習は同じものが採用されています。
私は当校の生徒会長として、現状に決して、満足していません。
ですが二科生を差別するからと言って、今度は一科生を差別する、そんな逆差別をしても解決にはなりません」
雪ノ下と由比ヶ浜は七草会長から比企谷に視線を向けた。建前とは言え七草会長と同じことを言っていた比企谷を誇らしく思ってなのか、それとも七草会長でも完全になくすことができないことをしようとしている比企谷を心配してなのか、そんな比企谷と共に歩んでいくことを覚悟してなのか。いや、少なくとも二人は覚悟しているだろう。
「一科生も二科生も、一人一人が当校の生徒であり、当校の生徒である期間はその生徒にとって唯一無二の三年間なのですから」
拍手が湧いた。満場の、と表現するには手を叩いている者が少なかったが、まばらな拍手、でもなかった。手を打ち鳴らしている者に、一科生(ブルーム)と二科生(ウィード)に区別は無かった。
拍手の潮が引き、場内に静寂が訪れた。一科生も二科生も、拍手していた者もしていなかった者も、壇上の七草会長を食い入るように見詰め、息を潜めて彼女の話しに耳を傾けていた。
七草会長と同じ壇上で、同盟代表のパネリストが、彼女を口惜しそうに睨みつけていた。
「制度上の差別をなくすこと、逆差別をしないこと、私たちに許されるのはこの二つだけだと思っています。
……ですが、実を言うと、生徒会には一科生と二科生を差別する制度が一つ残っています。それは生徒会長以外の役員の使命に関する制限です。現在の制度では、生徒会役員は一科生から指名することになっています。そして、この規則は生徒会長改選時の生徒総会においてのみ改定可能です。
私はこの規定を、退任時の総会で撤廃する事で、生徒会長としての最後の仕事にするつもりです」
どよめきが起こった。生徒達は野次を飛ばすことすら忘れ、前や後ろ、右や左の生徒同士で囁きを交わした。七草会長はそのざわめきが自然に収まるのを無言で待っていた。
比企谷はそろそろ討論会は終わりだろうと端末を取り出し連絡がないことを確認してから、すでに製作してあったメールを送り端末をしまった。
「……私の任期はまだ半分が過ぎたばかりですので、少々気の早い公約になってしまいますが、人の心を力づくで変えることはできないし、してはならない以上、それ以外のことで、できるかぎりの改善策に取り組んでいくつもりです」
満場の拍手が起こった。
七草会長が訴えたのは差別意識の克服。
同盟の行動は、確かに、学内の差別をなくしていく方向へ足を踏み出すきっかけになった。ただしそれは、彼らが望む変革とは正反対のものだった。
革新派は往々にして、目的の達成だけでは満足しないものだ。
彼らは自らの思い描いた手段で目的を達成することに拘る。
この結末は、同盟のメンバーよりもむしろその背後にいる者にとって、満足できるものではなかった。
――そもそも、彼らは、裏で壬生たち煽っていた黒幕は、最初からここで終わるつもりなどなかった。
突如、轟音が講堂の窓を振わせ、拍手という一体行動の陶酔に身を委ねていた生徒たちの、酔いが醒めた。
動員されていた風紀委員が一斉に動いた。
普段、まともに訓練など行っていないとは信じられない、統率の取れた動きで、各々マークしていた同盟のメンバーを拘束する。
窓が破られ、紡錘形の物体が飛び込んできた。
床に落ちると同時に白い煙を吐き出し始めた榴弾は、白煙を拡散させずに、逆再生を見ているような動きで煙もろとも窓の外へ消えた。
司波達也が賞賛を込めた視線を向けると、服部副会長は不機嫌そうに顔を逸らした。
それを見た七草会長がクスッと笑いを漏らしている。
渡辺先輩が出入口に向けて、腕を差し伸べていた。
防毒マスクをかぶった数名の闖入者が、段差に躓いたかの様に一斉に倒れ、そのまま動きを止めた。
予想されていた奇襲は、爆発物および化学兵器という予想外に過激な手段を伴っていたが、予定通り速やかに鎮圧されつつある。
この場のパニックは、誘発未遂で収まりそうである。
「では俺は、実技棟の様子を見てきます」
「お兄様、お供します!」
「気をつけろよ!」
渡辺先輩の声に送り出されて、司波たち兄妹は最初に轟音が聞こえた区画へ向かった。
その様子をいっさい手を出さず傍観していた比企谷は、端末に三人からの連絡が入っているのを確認し、二人に声をかけた。
「雪ノ下、由比ヶ浜。俺も行ってくるわ」
「私も行くわ」
「わ、私も!」
「いや、お前らはここに残って生徒会の指示に従ってくれ」
「嫌よ、あなたは目を離すと何をするか分からないわ」
「ケガしたヒッキーはもう見たくない」
絶対に一緒に行くと言わんばかりの視線を比企谷に向け、折れる気はないと語っていた。
「……大丈夫だ、すぐ帰ってくる」
そう言って二人の頭を撫で出入口に向かって走った。
比企谷は二人に直接触れることはほぼない。それに加え、頭を撫でることは年に一回あるかないか、ない方が基本である比企谷が、頭を撫でた。
「いいのか?」
渡辺先輩が二人に聞く。
「……はい、それだけ彼にとっては大切な事だと思いますから」
「ヒッキーが帰ってくるって言ったから」
「そうか」
少しだけ楽しそうに渡辺先輩は笑った。