第一高校生が利用する駅の名前はずばり「第一高校前」。
駅から学校まではほぼ一本道だ。
途中で同じ電車に乗り合う、と言うことは、電車の形態が変わったことにより無くなってしまったが、駅から学校までの通学路で友達と一緒になる、というイベントは、この学校に関して言えば頻繁に生じる。
入学二日目の昨日もそういう事例を数多く見たし、今朝も先程から、そういう実例を何度も目にしている。
そして、今目の前にしている光景も多聞にもれない中の一つだ。
「ねぇ、司波くんって生徒会長さんと知り合いなのかな?」
「あんだけ親しげに名前を呼びながら駆け寄ってんだ、そりゃそうだろ」
「そうね、他人相手にする態度ではないわね」
三人の目の前には、司波達也に向かってさも恋人にするように名前を呼びながら手を振り駆け寄ってくる生徒会長である七草真由美の姿があった。司波兄妹は気後れすることなく挨拶をしていたが、その周りにいる千葉達は少し引き気味に挨拶をしていた。
比企谷はおそらく生徒会への誘いだろうと予想をしていた。
生徒会は毎年、新入生総代を務めた一年生を役員として迎える。今年は司波深雪が新入生総代であり、その司波深雪を効率よく誘うとなれば本人に対しても対応が必要だが、兄である司波達也に対しての方が重要度としては高いだろう。
人のよさそうな顔をしてやはりこの学校の生徒会長だと納得し、その中になぜか突撃する由比ヶ浜とそれに引っ張られた雪ノ下を置いて、無関係に無関心に一人で校舎に向かった。
捕縛されました。
できるだけ他人と関わりたくない比企谷であったが、こうなっては仕方がない。比企谷は由比ヶ浜を追加したその集団へ、雪ノ下にドナドナされて合流した。
「おはようございます」
雪ノ下は生徒会長へ綺麗に頭を下げた。
「おはよう、雪ノ下さん」
生徒会長はいつもの笑顔で挨拶を返す。雪ノ下に連行された比企谷にも、
「おはよう」
と、変わらぬ笑顔を向ける。ただ、名前を口にしなかったと言う事は生徒会長的に見て自分はその程度だと安心していた。
「うっす」
比企谷は無愛想に返事を返す。その挨拶に生徒会長は機嫌を損ねるどころか、少し嬉しそうにそれを笑みに還元していた。逆に雪ノ下と由比ヶ浜の機嫌が見る見る悪くなっていくのが手に取るように分かった。どうやら、さっきの態度が『綺麗な先輩にどう接していいか分からないから無愛想に返事を返した下級生男子』と映っていたらしい。比企谷八幡の3アウトチェンジが確定した。
「あ、そうそう。由比ヶ浜さんと雪ノ下さんたちも生徒会室でお昼ご飯をご一緒しない? 達也くんと深雪さんも一緒なんだけど」
そんな誘いに由比ヶ浜と雪ノ下は目を見合わせた。由比ヶ浜は少しだけはしゃいで、雪ノ下はどこか遠慮をして二人は比企谷の方へ顔を向けた。
「ヒッキーはどうするの?」
「比企谷君はどうするのかしら?」
「……パスに決まってんだろうが」
即答とは言わないまでも、既に答えというか返答は決まっていた。
「すみません、また別の機会ありましたら」
「ごめんなさい、遠慮させてもらいます」
二人同時に頭を下げた。
「そうね、また別の機会にでも誘わせてもらうわ」
二人の顔と比企谷の顔を交互に見て、ふっ、と笑みを浮かべた。
「じゃあ、私は行くわね。達也くん、深雪さん。またお昼に生徒会室でね」
生徒会長は手を振って校舎の方へ小走りに去って行った。
さて、逃げるか。と、昨日の下校時のように気配を限りなく薄く霧散させた。
「ヒッキー、どこへ行こうとしてるのかな?」
「比企谷君、無駄よ」
両側からがっしりと腕を掴まれ、息の合ったコンビプレイによって校舎裏へと引きずられていく比企谷達を残りの五人は見送った。
「……おい、なんだったんだ」
「知らないわよ」
「でも、仲がいいですね」
「美月、それはどうかと思うが」
「お兄様、時間もない事ですので私達も行きましょうか」
はてさて、解放されるのはチャイムが始まる前か後か。
早くも昼休み。
司波達也が妹を待っている間、いつもと言うにはそれほど日数が経ってはいないが、いつもの三人組みと雑談をしているその横を通って教室から脱出しようとしていた。その横を通る際、千葉が比企谷に気がつかれないよう横目でチラリとうかがっていた。比企谷は当然そのことを理解していたのだが、気が付かず分からぬふりをして歩みを止めなかった。
横を通り過ぎ教室のドアを開けようと手を伸ばした瞬間、自動ドアのようにドアがいきなり開かれた。開かれたドアの目の前には、長い黒髪を揺らし透き通った肌を持つ司波深雪、ではなく雪ノ下が立っていた。その後ろには由比ヶ浜と司波深雪、それに光井と北山の姿があった。
「比企谷君、ちょうどよかったわ。今朝の話の続きを食堂でしましょうか」
と、有無を言わさぬその双眼で射抜いていた。比企谷は完全に諦めた表情をうかべ、手錠をかけられた被疑者のように頭を垂れた。
その頭を垂れた比企谷の向こう側にいた雪ノ下の後ろにいる自身の妹に気がついた司波達也は、三人と一緒に比企谷の後ろへと移動した。
「お兄様、お迎えにあがりました」
「ああ、すまない」
うやうやしく頭を下げる妹に、笑顔と言うよりふっと緩んだ表情を返した。
「じゃあ、俺達は生徒会室に行くが……比企谷はどうするんだ」
「……お前、何言ってんだ?」
本当に不思議そうに厄介そうに顔を司波達也に向けた。
「なに、考えが変わったのか聞いておきたくてね」
「っは、断る」
片手を顔の高さでひらひらと振り、雪ノ下たちの横を通り過ぎて廊下に出た。廊下に出て自然に日常風を装いどこかへ行こうとして、
「比企谷君、どこへ行こうとしているのかしら?」
と、振り向かなくても分かるほどに笑顔を湛えた雪ノ下がいるだろう。その後ろで、ハッと気がついた由比ヶ浜も急いで駆け寄ってきて。
「ヒッキー、逃げられると思ってるの?」
「光井さん、北山さん。それでは食堂の方へ行きましょうか」
「エリカたちも一緒にいこ!」
苦笑を浮かべている司波兄妹と、茫然としていて一連の流れにのれていない五人の姿があった。
比企谷八幡は考える。
引きずられながら考える。
なぜ司波達也が話を振ってきたのか。生徒会室に一緒についてきてほしくなかったのか、はたまたその逆か。声の様子では一緒に付いてくることを多少なりと望んでいたように思えたが、意図が測れない。
なら、司波達也の行動原理から探ろうと再び思考をめぐらす。
行動原理であり思考原理を突き詰める。つまるところ、優先順位だ。
司波達也はおそらくだが、いや高確率で自身の命よりも妹を優先する。その順位の付け方は比企谷と被ってくるが故に、前提として正しいと言える。
妹である司波深雪にとって有益であるのか。それか、護衛の際に有益であると判断したのか。なら、その有益とはなんだ。
顔合わせをさせる事か? 比企谷八幡と言う存在を生徒会に認識させることなのか? 牽制という事なのか?
少なくとも、あの生徒会長の保護下ではかなりの安全性は確保されるだろう。生徒会長である七草真由美は数字付き【ナンバーズ】なのだから。
魔法師の能力は遺伝的資質に大きく左右される。
魔法師としての資質に、家系が大きな意味を持つ。
そしてこの国において、魔法に優れた血を持つ家は、慣例的に数字を含む名字を持つ。
数字付き【ナンバーズ】とは優れた遺伝的素質を持つ魔法師の家系のことであり、七草家はその中でも、現在この国において最有力と見なされている二つの家のうちの一つだった。その、おそらくは直系の血を引き、この学校の生徒会長を務める少女。つまり、エリート中のエリートと言うわけだ。
その後ろにもう一人いるのだが、こっちもこっちで厄介な人物だと憶えている。事前に重要人物、危険人物などのデータを収集しいているが、実際に遭遇する時に知らない振りをするのは疲れるな、と心の中でため息をついた。
庇護下に置くか、監視してもらうか、監視対象とさせるか、おおよそそのあたりだろうと思考をいったん切る。
「雪ノ下、由比ヶ浜、ちょっと止めてくれるか」
「なに、逃がさないわよ」
「いや、ここまで来たら逃げねぇよ。ちょっと自販機でMAXコーヒー買いたいんだが」
「じゃあ、あたしが行ってくるから先にゆきのん達と行ってて」
そう、由比ヶ浜が腕を離して買いに行こうとしていたが、すぐに比企谷は腕を掴んで引き止めた。
「おい、由比ヶ浜。MAXコーヒーについては譲れん」
いつもの濁って腐って淀んだ目から想像できないくらいに情熱がその目に宿っていた。
「あ、うん、分かった」
由比ヶ浜も雪ノ下も引いていた。ついでに言えば、一緒に付いてきている五人も結構引いていた。
雪ノ下達はその背中を見送り各自昼食を取りに行き、比較的な大きなテーブルについた。並び的はE組とA組できっちり別れた、比企谷はもちろん雪ノ下と由比ヶ浜の目の前になるようにE組の方に椅子の空きを作った。
しばらくすると二本の缶をトレイに乗せた比企谷が現れた。比企谷は席の並びを確認し西条の横に開いた椅子を見て、近くにあった一人用のテーブル足を向け、
「座りなさい」
「はい」
脅されました。
結局、西条の横に座りトレイをテーブルに置いた。
「なぁ、比企谷。その見たことねぇやつはなんだ?」
二本あるうちの一本目を手に取り、うまそうに飲んでいる比企谷の手元の缶を指差しながら西条は聞いた。
「なに、MAXコーヒーを知らねぇのか。これはな……」
「比企谷君、うるさいわ」
優雅に箸を使っておかずを口に運んでいた雪ノ下に遮られ、不承不承ではあるが口を閉じて一気に残りをあおった。
「あ~少し飲んでみたかったんだが」
「西条君、悪い事は言わないわ。飲まない方が賢明よ」
「……そんなに、なのか」
雪ノ下のその物言いに、驚きと引きとなぜか少しの羨望を混ぜた視線を比企谷に向け自分の食事に戻った。
「あの、雪ノ下さん」
「何かしら、柴田さん」
「ずっと思っていたんですけど、雪ノ下さんって深雪さんとよく似ていますね」
「あ、美月もそう思ったよね。実はあたしもそう思ってたんだ」
と、それが口火となったのだろう。他のメンバーもそう口々にいいだした。
それから雪ノ下に話題が振り、そこから入試次点である雪ノ下の魔法講座が繰り広げられた。どうやらかなり打ち解けたようで、これからこのメンバーに加え司波兄妹も追加された集団で行動するんだろうなと憂鬱な日々を想像しながら飲むMAXコーヒーはちょっぴり苦かった。
まぁ、それのおかげで雪ノ下と由比ヶ浜の追求が無かったことに胸をなでおろした事も確かだ。
昼休みが終わり、一年E組は実習授業の真っ最中だった。
とは言っても、リアルタイムに質疑応答を行うべき教師はいない。E組の生徒たちは壁面モニターに表示される操作手順に従い、据置型の教育CADを操作している。今日の授業内容は入門編中の入門編として、授業に使うこの機械の操作を習得することだった。
事実上のガイダンス、といっても、やはり課題はでている。監督している教師がいないのだから、課題の提出が唯一、履修の目安になる。今日の課題はこのCADを使って三十センチほどの小さな台車をレールの端から端まで連続で三往復させる、と言うものだった。言うまでもなく、台車には手を触れずに、である。
E組の生徒達は数台の据置型の前に数人ごとに分かれて列を作り、課題をこなしていっている。比企谷は目立たないために列の人数が少ない端の方の据置型を使おうと移動しようとしていたのだが、西条が目ざとく発見し今はご存じのメンバーと一緒に並んでいた。
「風紀委員!?」
昨日の下校時のように気配を薄めできるだけ無関係を貫こうとしている時、そんな大きめの声が聞こえてきた。盗み聞き、にはならないだろうが耳を澄ませて聞いていると、どうやら司波達也が風紀委員としてスカウトされたと言う話らしい。
司波達也自身は乗り気ではないようだが、周りの三人はそれなりに肯定的なようで司波達也はやれやれと言ったような態度を取っていた。少しの間その話で本人以外が盛り上がっていたが、司波達也の順番が回ってきたことで一旦途切れた。
比企谷八幡は観察に入る。
据置型の上面全体を占める白い半透明のパネルに掌を押し当て、サイオンを流した。返ってきた起動式に目の端の筋肉がピクリと動くか動かないかの、普通でも異常でも気がつかないくらいに脈動していた。返ってきた起動式から魔法式を構築し、台車に向けて放つ。台車は二、三度つまずくような挙動を見せた後、無事に動き出した。
おそらく、司波達也は魔法の『実技』が苦手なんだろう。
だが、魔法を使った『戦闘』はもう得意、不得意の次元にはない。呼吸をするように当たり前のこととして、つい数瞬後にでも体が動くだろう。
しかし、さっきの筋肉の動き。普通でも、異常でもない、異端だからこそ気がついた動き。それが何を意味しているのか、比企谷八幡は答えを決めかねていた。ただCADのメンテが杜撰だったのか、自身の力量を再確認したからなのか、それとも別の要因があるのか。
そこで思考を止めた。
どうやら思考に意識を取られ過ぎて気がついたら順番が回ってきていた。
さて、どれだけ情報を盗まれるか。と、据置型CADの前に立ち掌をパネルに置いた。