ぼっちのじかん   作:お話下手
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ぼっちのじかん 前編

 教師とはこの世で最もキツいサービス業である。

 

 幼稚園・小中高校などの教職員の時間外勤務は1カ月平均で72時間56分、さらに自宅で仕事をする時間は、約22時間半、部活動が増える中学では、時間外勤務は114時間25分にもなるらしい。 生徒指導や保護者対応で忙しくなったほか土日の仕事が増えて残業時間を押し上げている。

 

 夏休み冬休みも、基本は毎日出勤。水泳指導や家庭訪問など子どもに直接関係する仕事の他に、会議や学校での職員作業(草取り、環境整備などの校内大掃除)。 それだけではない、夏休みになると「研修会」「講習会」「研究大会」などが、この時とばかり開かれる。毎日2箇所同時に出席しないと消化できないほど。

影分身の術でも使えないだろうか。

 

 先生が一生懸命組み立てた授業でも、生徒はなかなか聞いてくれないこともあり授業中の居眠り、遅刻、ボイコットなど、真面目に受けてくれない生徒は間違いなくいるはずだ。

 

 生徒間のいざこざ、教師に対しての暴力、他人への暴力、そして万引きや傷害など、さまざまな頭を抱える問題が。 何か悪いことが生徒に起こった場合、全力で責任を追求、職を失うリスクも。

 やっぱ働くってないわー。

 

 部活動をやっている報酬は、若干出るところもあるが、ほとんどボランティア、さまざまな子供たちを一人ひとりを把握し、荒れている子ども、アレルギー体質、障害などについても考慮しなければならない。

 

 総括しよう。 残業は当たり前、休日出勤で雑用の毎日、出たくもない会に出席し、お客様(生徒)は常識が通じないのに糞生意気なガキばかり、お客様が何か問題があれば責任が此方へくる可能性も。

 うん、理不尽である。 故に教師とは最もキツいサービス業だ。

 

 …結局何が言いたいかといえば、察しの良い人は既に気づいているだろう。

 

 「早まったかもしれん…」

 

 自らの前に立ちはだかるのは、高さ1,5メートル程の簡素な門。 広大な敷地内をグルリと囲むコンクリートの壁と1つに繋がっている、小学生でさえ頑張れば登れるそれは、俺にとって邪悪なるパンデモニウムにしか見えない。 外側から中を覗けば糞生意気そうな小悪魔達が愉しそうに走り回っている。

 

 「比企谷先生、早くいきましょう!」

 

 隣で眼鏡がキラキラと眩しい瞳を輝かせ急かす。 青木大介よ、お前にはあのデビルズ・サンクチュアリが見えないのか?

 良さげに見えて、実は毎ターンライフが1000ポイント削られるんだぞ。 アニメ版のルールなら4ターンで死ねる。

 これも全部、我が恩師と雪ノ下達のせいだ。 何が公務員の中で教師は良いだ、普通に考えて一番キツそうだろ。

 それにホイホイ乗っちゃう俺もどうかと思うが、アイツらの説得が言葉巧みすぎる。 催眠術の資格でも持っているに違いない。

 じゃなきゃ専業主夫で一生を過ごすと決めていた俺がこんなところに、小学校の先生なんてやるはずがないのだから。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 季節は梅雨入り前だ。 過ごしやすい気温だが、徐々に夏を感じさせる湿り気が確実に近づいているのを実感させる。

 本来ならば基本子供達が入学すると同時に、俺達教師も新たな学校へと赴任するが俺と青木先生は事情によりこんな半端な時期に新任を任されることになった。 青木先生の方は事情を知らんが、俺はあれだ…。

 新学期早々、黒いハーレーに牽かれたんだよ。 また同じ車種とか俺はハーレーに恨まれているのだろうか?

 それとも雪ノ下か由比ヶ浜の怨念が載せられていたのか、考えれば考えるほど嫌なことしか頭に浮かばないが、ともあれ両手両足骨折という事態に陥ったせいで最初の仕事場でもぼっちスタート確定されたのである。 青木? コイツ友達多そうだから波長合わなそうだわぁ。

 子供達? 人間とすら仲良く出来ねぇのに、デビルズチャイルドに仲良く出来るわけがない。 ていうか子供が友達とか泣けるわ。

 

 いよいよ3─1教室が目の前に迫った。 ここが俺の最初の仕事場である。

 いや、本来ならば俺の担任だったんだがな、確か…中村先生だったか? あの人辞めたから元々の位置に戻ったに過ぎない。

 中村先生良いなぁ、ニートは良いよなぁ。 くそ、今からでも止めて、平塚先生の専業主夫になるか…?

 いや、何故かBAD ENDしか見えないからやめておこう…。

 

 「今日から新しい先生がくるみたいだよ!」

 

 「どんな先生かな、楽しみだなぁ」

 

 「カッコいい人だったら良いよね!」

 

 フッ、早速扉の向こう側では俺の噂をしてやがる。 期待を裏切る結果にさせて悪いが、こちらとら伊達に目が死んでるアンデット君をやっていない。

 見ればショックだろう、何故お前みたいな奴が担任なんだよと。 あれ、なんか泣けてきた。

 くっ、この扉は重いぜ…! でも俺は開ける!

 

 「おはよーござい、ます…」

 

 「え?」

 

 「え?」

 

 気合い充分、声はやる気無さげに扉を開けると目の前に広がる光景は、女子生徒達が着替えている状況であった。 え、なにこれ、恐い。

 見れば簡素な白い服を其処らかしこで着ている、着ていない子もいるが。 どうやら次は体育の授業だったようで体育服に着替えていたようである。

 

 ちょ、八幡聞いてない。

 

 「きゃあああ!」

 

 「先生のエッチー!」

 

 ちょっと待て小学3年生でハァハァする程、俺は落ちぶれちゃいない! 戸塚にはハァハァフヒヒだけどなッ!

 

 「えっと…大丈夫だ。 見る程の物でもなッ──!?」

 

 顎に強烈な一撃を受けて一発KO。 誰だ、国語辞典投げた奴は……がくッ。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 「あれが新しい担任? なんか目が死んでるね、りんちゃん」

 

 「そうだね」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 最悪である。 自己紹介のために黒板へ自分の名前を書き込んでいくが、背後から俺の陰口が聞こえてくるのだ。

 やれ痴漢やら変態やら覗きやら、隠すもんも無いくせに……って、誰だ今俺のことをゾンビみたいな目と言った奴!

 

 「きょ、今日から君達の新しい担任になった比企谷八幡だ。 よろしく」

 

 相手は南瓜南瓜。 昨晩散々練習した簡潔に、尚且つ的確な自己紹介終了。

 オドオドしないかひやひやしたが、なんとか平常に言えた。 …言えたよな?

 

 『よろしくお願いします!』

 

 驚いた。 みんなが一斉に此方へ名一杯の挨拶を返してくれたことに。

 俺の小学を思いだせば、元気良く返事のふりをして教師からあれー? 声が小さいなぁ? とか明らかに聞こえているのに聞こえていないふりをするウザい教師がいたから絶対やらねぇとか考えていたけど、これなら心配する必要は無さそうだ。

 たまにあるよな、やたらテンション低い奴らだけで構成されたクラス。 それでも俺のぼっちは変わらないのだが今はこの話し関係ねぇ!

 

 「それじゃ、顔と名前を覚えるために出席をとるぞ」

 

 ちっ、自分で顔と名前を覚えると言ってむしゃくしゃしてきた。 俺の頃は比企谷って誰? って言われるのが当たり前だったが俺の教師になったからにはそうはいかない、絶対に覚えてやるぞー、ぼっちサーチ舐めんなよー。

 お、今の八幡的にポイント高い。

 

 「えー、先生のこと色々教えてよー」

 

 横槍入れるな! 先生の自己紹介は先程終わりました、これ以上はない。

 えっと、今話しかけてきた足まで届く髪を二つ結びにしているあの子は確か……九重りんか。

 くっ、見れば間違いなくクラスの上位カーストに位置しているような雰囲気だぜ。 美少女で活発な性格、初対面の大人に怖じけづきない肝の座りよう、絶対に俺とは合わなそうなタイプである。

 あーしさんみたいだな。

 

 「せ、先生のことより、先ずは君達の方が先だ。 少しずつ教えていくから」

 

 「はーい」

 

 OK。 素直な子供は好きだぞー。

 

 「気を取り直して……相田」

 

 「はい!」

 

 「飯塚」

 

 「はい」

 

 「宇佐美々」

 

 「先生、宇佐ちゃんは体調不良でおやすみです…」

 

 …やはり返事はないか。 クラスに1つだけ空きのある席、入った瞬間に気づいた。

 出席名簿も見ればここ1ヶ月不登校のようで最近である。 初めはイジメかと思ったが、机に落書きの後はなく掃除はされているようで綺麗だ。

 わりとクラスでの扱いが丁寧だし、どうも違和感を感じるな。 なーんか初っぱなから面倒な事情がありそうだ。

 

 「次、鏡黒」

 

 「はーい」

 

 やる気無い返事を返したのはクラスでも特に身体が小さい女の子。 名前の通り、真っ黒な黒髪長髪で俺には目も向けずにスマホを弄っている。

 おい、先生が目の前にいるんだけど。 あれか? 既に俺のことなんて存在していない人間として扱われている?

 先生なのに存在が確認出来ないなんて、いよいよ俺はまどマギの理から消滅してしまうのではないだろうか。

 

 「つ、次…九重りん」

 

 「はいはい! はあーい!」

 

 返事は一回で良い。 三回も言わなくても存在を認識出来るから。

 いや、ちょっと待てよ…返事を沢山すれば認識されやすいのかな? 雪ノ下に比企谷くんって言われた時、沢山返事をすれば二人はきっと友だ──ないわぁー、罵倒されている未来しか見えないわぁ。

 

 「ねぇねぇ! 比企谷先生って何歳?」

 

 「先生とのさっきの会話、もう忘れたの?」

 

 自己紹介は後って言ったよな。

 

 「良いじゃん、減るもんじゃないし」

 

 「先生のテンションとSAN値が下がるわ」

 

 「面白ーい! なにそれきもーい!」

 

 「がッ!?」

 

 小学生にきもーいって言われた…。

 

 「じゃあさ、彼女はいるの?」

 

 「い、今その話しは関係無いだろ…?」

 

 「あはは! いないんだ!」

 

 子供は空気を読めるのに残忍である。 世の中には空気を読めるのに残忍な大人もいるが。

 

 「なら、りんが彼女になってあげる!」

 

 「なんでそうなるんだよ」

 

 ていうかいつの間にか普通に話してるし。 俺とお前は友達か? 友達だと思うだろ。

 

 「だってぇ、先生にりんの裸見られたもん。 責任取って…?」

 

 上目遣い止めろ、猫撫で声止めろ。 メチャクチャ可愛いじゃねぇか、ロリコンになっちまう。

 

 「いいか、女の子がそういうことを言うのは止めといた方が良い」

 

 「うわぁ、早速説教がきた。 どうせ自分を大切にしろとか言うんでしょ」

 

 ノンノン、ところがギッチョンなんだな。 鏡黒よ。

 

 「これは俺……じゃなくて知り合いのA君の話しなんだがな。 A君が小学あれは丁度3年生の頃だ、図書室で本を探している時、後ろから声をかけられた。 その子は自分のクラスでもスポーツ万能な人気女子の親友でな、彼にこう言ったらしい。 A君って好きな子いるの? ってな。 A君は答えた。 いや、いないよ。 …と。 A君の心は一気に暴れまわった、何故ならA君はクラスでも地味で目立たずおとなしい男の子だったので女の子に話しかけられるのに驚いたからだ。 え、何? 何なの? とクールに装いながらも内心では疑問の渦がグルグルと回る。 まさかこの子、俺のこと好きなの? そんな考えさえ過ったが出来ればA君にとってそれは勘弁してほしかった、何故なら話しかけてきた女の子はA君にとってあまり好みのタイプではなかったからだ。 だが、その予想は良い意味で外れることになる。 女の子は話しが終わるといつの間にか背後にいた別の女の子、話しの冒頭に登場したスポーツ万能の人気女子のそばにより、耳元で何か囁くと人気女子は真剣な表情で頷いていたのである。 A君に衝撃が走った、まさかこれは…自分とは月とスッポンほどの差があるあの人気女子が俺のことを好きで友達伝いに好きな子がいないか確認したのではないのかと。 これには流石のA君も心臓がレボリューションした、彼にとってその女の子はちょっと好きになりかけていた存在だったからである。 自分に自信のないA君は当然、その子に告白なんて出来な……おいちょっとお前達、寝るな。 話しを最後まで聞け」

 

 「だって先生の話し長いんだもん、どうせフラれたってのが落ちなんでしょ」

 

 一斉に頷く3─1組。 くそ、お前らエスパーか。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ああ、疲れた…。 無事に午前の授業を終わらせることが出来たが初日の前半でこれ程とは、やはり仕事するんじゃなかった。

 溜め息と共に職員室に戻り椅子に座り込むと、目の前に湯気たつ緑茶が置かれる。 青木先生の前に。

 

 「お疲れ様です。 青木先生」

 

 あの…俺の分は?

 

 「あ! 比企谷先生居たんですか!? すぐに用意しますね」

 

 3─3の担任であるボイン、じゃなくて宝院先生が気をきかせてくれたらしい。 ふふっ、どうやら別に俺の存在に気づいていなかったとかそう言うわけではないようだ。(白目)

 やめてください、今の俺に優しくすると好きになりそうなので。

 

 「あ、比企谷先生」

 

 同じく俺の存在に気づいた青木先生、その顔はとても明るく穏やか。 俺と同じ新任のくせにリア充の余裕か?

 

 「実は比企谷先生に同じ新任として色々相談したいことがあるのですが…」

 

 同じ新任ねぇ。 青木先生自身も不安があったのだろう、自分と立場が同じ相手ならば話しやすいし、対等としての意見も交換しあえる。

 駄菓子菓子! 青木よ、お前は俺の様子を見てどう思う?

 お前に比べて明らかに上手くいっていない奴にしか見えないはずだ、そんな俺の意見を聞いたところで役にたつことなんてない。 俺と話すくらいならベテランの御矢島先生か白井先生に聞いた方がよっぽどマシである。

 

 「俺、ちょっと疲れてて…」

 

 「そうですか。 スイマセン…」

 

 なんで謝んだよ、俺の方が悪いはずだろ。

 

 「しょうがないですよ、3─1の子達うるさいですから」

 

 宝院先生の言う通りである。 アイツらの騒がしさは恐らくこの学校中最強なのではないかと言われるくらい元気いっぱいなのだ。

 誰だよ、俺をこのクラスに指名した奴、悪意しか感じない。

 

 「色々と大変でしょう。 困ったことかあったら、何でも相談してくださいね」

 

 細目の中年、御矢島先生が後ろから優しげに声をかける。

 

 「じゃあ、ひとつ聞きたいことがあるのですが。 この宇佐美々って子、1ヶ月も不登校ですね、何があったのですか?」

 

 「あー、その子ですか…」

 

 困り顔で頭をかく御矢島先生。 

 

 「実は我々の間でも理由がよくわからなくて。 恐らく前任の中村先生が何か関係しているのではないかと思うのですが、子供にアンケートを取ってもわからない結果しか出ないもので…」

 

 その様子にウソ偽りはない。 宝院先生も同じく表情はかなり渋かった。

 ということは子供達自身が何か隠している恐れがあるな。 知らないはずがない、それでも語らないということは自分達自身を守るために答えていないということになる。 …とか言ったりして。

 

 さて、そろそろ行くか。

 

 「あれ? 比企谷先生、どこ行くんですか」

 

 「トイレです」

 

 ウッソー。 本当は昼飯食べに行くんだよ。

 俺の分の給食、存在してなかったから買いに行かなきゃいけないし、それにこんな人の多いところで落ち着いて食べられないしな。 あと、白井先生から鬱陶しいって顔されてるし、青木先生と宝院先生はなんかラブ臭がするし、御矢島先生は……関係ないか。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 体育館の裏。 滅多なことでは人が通らなそうな場所に弁当箱を広げるぼっちひとり。

 ああ、この空気久しぶりだわ。 懐かしくて涙が出ちまうぜ。

 

 「にゃー」

 

 「あん?」

 

 塀の端にある茂みから不細工な野良猫が現れる。 なんだよ、こっち見んなよ。

 この唐揚げは俺のだぞ。

 

 「にゃー」

 

 くそ、コイツ馴れ馴れしいな。 すり寄るんじゃねぇよ、甘えんじゃねぇよ。

 俺よりランクが上のかまくらより可愛いじゃねぇか、お持ち帰りしたくなる。

 

 「にゃー」

 

 「わかったよ、ほら…」

 

 去らば、唐揚げ。 お前の犠牲は無駄にしない。

 

 「二ャー、どこいるのー?」

 

 はわわ、敵が来ちゃいました! ご主人様! ><

 

 「あ、比企谷先生だ」

 

 「こ、九重か?」

 

 2つのピンク色の大きなボンボンが付いた髪止めで纏められた、腰よりも長いふわふわした髪を揺らしながら現れたのは、散々授業中に俺を弄り倒した悪ガキ九重りん。

 その手には折り畳まれた食パンが握られており、成る程どうしてか、この子が面倒を見ているらしい。

 

 「うそ!? 二ャーがなついている!」

 

 対価として唐揚げが消えたがな。 忌々しい猫が…!

 と思ったが、横から立たれた九重にジーッと見つめられていることに気づき、慌てて怨念を断ち切る。 悪霊退散悪霊退散。

 

 「横、座っても良い?」

 

 「ああ、いいぞ」

 

 静かに腰を下ろす九重。 食パンを二ャーに差し出すと、おずおずといった様子でパンをかじりだした。

 

 「前はね、凄いガリガリだったんだぁ。 だからこうして毎日給食の残りを持ってくるの、本当は食パンよりロールパンの方が好きなんだよ」

 

 「ふーん」

 

 まぁ、俺も食パンよりロールパンの方が良いな。 味を感じるし。

 

 「追い出したりしないでよね」

 

 「え?」

 

 猫みたいな目をした九重が俺を睨むように此方を見た。 美少女であるせいか、余計に凄みが増し、かなり怖い。

 川、かわ何とかさんを思い出すな。 つーか顔近ぇ、本当に可愛いなお前。

 

 「大人はすぐウソをつくし、誰かを平気で傷付けるし、酷いことする…」

 

 「……」

 

 酷いことする、ねぇ…。 どうも含みがある言い方に中村先生のことが頭を過った。

 

 「動物を大切にしましょうとか言っておきながら、殺したりするじゃない…!」

 

 「まぁ、九重の言う通りだ。 大人って嘘しかつかねぇし」

 

 「先生もウソつくの?」

 

 「メチャクチャ嘘つく。 おかげで目が腐ってるだろ」

 

 下げたくもない頭を下げないといけないし、行きたくもない飲み会に行かないといけないし、常に相手に合わせて会話をしなければならない。

 そしてそれは相手も同じ。 向こうも本当はそんなことしたくないのに、しなければならないのだ。

 誰かが決めたわけでもない、法律でそう決まっているわけじゃない。 ただ、雰囲気というのだろうか。

 それがこの人間社会で形成された真実で闇の部分とも言える。

 

 「先生も大変だね」

 

 「は?」

 

 「嫌な人間社会…」

 

 え、いや…ちょいまて。 まさか俺、口に出してた?

 うわあああああ!? マジきめえええええ!

 

 「比企谷先生、頭抱えてどうしたの?」

 

 「いや、何でもない…」

 

 「やっぱり比企谷先生って変なの」

 

 「よく言われる。 ……一応言っておくが、二ャーのことは黙っているから安心しろ」

 

 「本当に?」

 

 疑っていらっしゃる。 いやまぁ、俺は大人だから信用ないだろう。

 

 「確かに俺は汚い嘘はつくし、愚痴は溢すし、卑怯なことをメチャクチャする大人な男だが、猫は殺したりしない。 実家に猫飼ってるからな、かまくらって名前なんだが……」

 

 「あはは! 先生って本当に一言余計だよね!」

 

 「……」

 

 褒めてるの? 馬鹿にしてるの?

 楽しそうだから別に良いんだけどさ。 なんかツラい。

 

 「……って、痛!?」

 

 やられた、二ャーに思いっきり人差し指を引っ掻かれてしまった。 鋭利で鉤状になっている猫の爪は人間の皮膚を簡単に傷つけ、カッターで切りつけたように少しずつ血がにじみ出している。

 なんなのだこの猫、なついたと思ったら急に襲ってくるとは…。

 

 「貸して」

 

 九重は俺の手を掴むと、自然な動きで指をくわえた。 自身の口内へと。

 何やってんだお前えええ!? 指チューか? 指チューなのか!? 漫画やアニメでヒロインが料理の最中に怪我をして、イケメンがフッ馬鹿だなお前……とか言いながら指をくわえるラブコメシーンじゃねぇか! 九重さんマジイケメン!

 

 つかヤバい、舌が中でうねって…変な気分になる。

 

 「ん…、ほら。 血が止まったよ!」

 

 眩い笑顔が向けられた。 此方をからかうような意地悪な笑みではない。

 これが、九重りんという子の本当の笑顔なんだろうか。 …むしろこれが演技だったら末恐ろしい。

 きっと将来、数多くの男どもがこの笑顔にやられる。

 

 「じゃあ私行くね!」

 

 「お、おう…」

 

 あーあ、何が血が止まっただよ、ドキドキして余計に出血し始めたじゃねぇか。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 午後の授業は習字である。 手本の“希望”と書かれた教材を黒板に貼り付けて、習字紙を十字に折るよう指示し、バランス良く書きやすいよう基本は教えた。

 後は一人一人見回りをして細かい部分での指導だが、お前ら喋り止めろ! 走り回るな! 手のひらに墨汁を塗って、手形をやるな! 俺もやってたけど!

 

 「先生ー! 見て見て! りんも書いたよ!」

 

 「意外と真面目に取り組んだな、九重さん……って、お前は何を書いてんだよ!?」

 

 “中〇し希望”の文字が書かれた習字紙を慌ててくしゃくしゃに丸める。 本当に肝が冷えるから! こういうのは勘弁してくれ!

 

 「先生彼女いないんでしょ? 私が筆下ろししてあげよっか?」

 

 習字道具である筆を口元に近づけ、舌舐めずりする。 小筆はあれか、俺のマグナムに例えているのか、泣くぞ。

 

 「げっ! 比企谷って童貞なの!?」

 

 俺が否定しなかったからか、鏡黒、お前はなんて察しが良いんだ。 こういう時はな、わかっていても「あっ…(察し)」で対応するんだよ、お子ちゃまめ。 

 

 「先生はな、魔法使いになりたいから童貞なんだよ。 トム・リドルからヴォルデモートになったらさっさと卒業するわ」

 

 「はぁ? マジ意味わかんないだけど?」

 

 くっ、ネタが通じないってツラい。 大半がポカーンだ、爆笑してるのは九重だけ。 お前本当は意味わかってないだろ。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 帰りの会が終わった頃には雨雲が空を覆っていた。 夕方により日も沈みかけているせいか、外はもう暗い。

 昼まではあんなに晴れていたのにこの天気である。 恐らく油断して傘を持ってきていない生徒もいるだろう、なるべく早い内に帰るよう注意した。

 

 教室から出ると廊下では宝院先生が男子に先生“パイパイ”とセクハラ紛いの挨拶を受け、誰がパイパイじゃあー!…と、切れている。 俺もセクハラした…ゲフンゲフン!

 

 「あ、比企谷先生。 ちょっと良いですか?」

 

 「ふぁ、ふぁい!?」

 

 おどおどしちゃった。テヘペロ

 

 「前任の中村先生についての話しなんですが…」

 

 宝院先生の顔色が優れない。 どうやら何か分かったことがありそれを伝えにきたのか、それも厄介な方で。

 彼女にそのまま階段の踊り場へ連れてこられ、差し出されたのは一冊の教科書。 それは生徒達の物とは少し違う、俺達教師専用で作られた教材道具の1つだ。

 勿論俺の物でも宝院先生の物でも、ましてや青木の物でもない。 辞めた中村先生の物である。

 中を開いて俺は彼が辞めた原因を理解してしまった。 いや思い出したと言った方が正しいかもしれない、本当はこんなこと知っているはずなのに。

 

 「あまり、驚かれないのですね…」

 

 「まぁ、予想は出来たからな」

 

 よく、ニュースで親が子供に虐待、教師が生徒に対して教育という名の侮蔑罵倒が取り上げられたりする。 彼らはこれを世の中の裏側や闇と声高らかに叫ぶが、そんなもんは本当の裏とは言わない。

 情報社会の現代だ。 腐るほど公開されて最早当たり前のように表へ出ている。

 本当の闇というのは強い光の中でこそ生まれるのだ。 ごく身近にある光、例えばそう、子供達とか。

 大人も子供も所詮は人間だ、頭でちゃんと考えるし、愚痴も言えば嘘をつき、場合によっては卑怯なことさえ出来る。 未成年、幼いという理由で守られ、闇の一片さえも見せることのないまさに深淵。

 だが俺は知っている。 幼い頃から深淵に閉じ込められ、裏側で傷つけられ、そして闇に染まった俺は知っているのだ。

 子供だって大人をイジメることが出来ることを。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 降りだした空。 俺は教室の教卓に中村先生の教材を広げて、それらに向き合っていた。

 あーあ、思春期じゃない小学校なら中高校生より楽出来ると思ったんだけど、いきなりヘビーな難題だぜ。 正直、先生初心者の俺の手に負えるものではない。

 中村先生の方は無理だが、“この子”だけはどうにかしないとな。 一応教師だし、与えられた仕事くらいこなさないと給料泥棒である。

 

 「先生」

 

 「…ッ!? こここ、九重か。 まだ帰ってなかったのか?」

 

 おおお落ち着け、俺の荒ぶる魂! バーニング・ソウル!

 まずはこの教材をナチュラル・トラップな動きで仕舞ってだな…!

 

 「死ね」

 

 「…!?」

 

 薄暗い教室の中で雷の光が差し込む。

 

 「カス、くせぇ、学校くんな、地獄に落ちろ」

 

 ゆっくりと此方へ歩み寄ってくる九重の表情は、今まで見たことがないような無機質な物へと変貌しており、射殺すような瞳が俺に向けられた。 この子が今言った言葉、それは全て俺に対してではなく、かつての前任、中村先生の教材に書かれた言葉だ。

 

 「これは、お前がやったのか?」

 

 最悪の状況だっていうのに、何故か不思議と俺の声は落ち着いている。

 

 「私はただ、中村先生と同じことをしただけだもーん」

 

 「同じこと?」

 

 九重の表情が変わる。 無機質から悪戯を考えている無邪気な子供のように嘘っぱちな笑みで、俺を試すように見つめた。

 

 「うん、先生が美々ちゃんに言ったこと。 声が小さい、おどおどするな、トロい、すぐ泣くな、お前を見てるとイライラする」

 

 オイオイ、ほとんど俺に当てはまるじゃねぇか。 俺が中村先生の生徒だったら不登校不可避! つーか宇佐に対して親近感湧く、ぼっちじゃねぇけど親近感湧く!

 

 「『なんで学校来ない』だって? オメーのせいだっつーのっ!」

 

 まぁ、だわな。

 

 「え?」

 

 まさか自身の怒りに肯定してくれるとは思っていなかったのか、九重は俺の返事に戸惑い固まってしまう。 こういう時、なんと言ってやるのが正解なのか俺自身よくわからん。

 

 「中村先生はやってはいけないことをしたのだから罰は受けるべきだ」

 

 「ほ、本当? 先生もそう思うでしょ!?」

 

 「そうは思うがお前、やりすぎなんだよ」

 

 なるべく平淡に突き放すよう言葉を投げ付ける。 九重が息を飲む音が微かに聞こえた。

 これが、今の俺に出来る一番まともな正々法、雪ノ下さんの十八番、論破である。 こんなのアイツにバレたら殺される自信があるな。 ネガティブな自信ってなんだよ。

 出来ればバレた時の対処法も考えたいが、雪の女王に勝てる程の氷結使いを俺は他に知らないし、エルサなら対当に立てそうだな、氷輪丸は無理そうだ。

 

 「お前が中村先生へやり返したように、今度はお前が中村先生にやり返されるのを考えなかったのか? 今、相手の状態を知らんから呑気に構えているけど相当精神的苦痛を受けたに違いない、下手すりゃ何しでかすかわからないんだぞ」

 

 追い込まれた人間はマジで危ないからな。 …色々諦めた俺が言うのも説得力ないけど。

 

 「だって、美々ちゃんは苦しい思いをしたのに中村は普通に生活していたんだよ! 悔しくて仕方なかったのに、先生は何もするなって言うの!?」

 

 「そう言ってるつもりだけど、わかりにくかったか? だから子供なんだよな」

 

 「……」

 

 ヤバい、泣きそう。 八幡も泣きそう。

 流石、豆腐メンタル。

 

 「それが世の中なんだ。 上の立場の人間にグズとか馬鹿とか使えないとか罵られながも黙って我慢して生きていくのが社会だ。 わかるか? わからないだろうなぁ、守ってくれる存在がいて守られる立場にいるお前達子供には。 これは黙っているから二度と同じことはするなよ──ゴフゥ!?」

 

 だ、大事なところを蹴りやがった…! 痛い、俺が言い過ぎたのが悪いってわかっているけどこれはキツい!

 

 「先生、最低…!」

 

 もう何回も聞き慣れた言葉である。 だが、これで少しは九重も危ない橋を渡ることはないと思いたい。

先生らしいやり方ではなかったが、仕方ない。 これしか知らないのだ。

 

 「でも、これだけじゃ何の解決にならないよな」

 

 なら、今度は先生らしいことをしよう。

 

 








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