懺悔。 それは相手に対して己の犯した罪を告白する行為。 大半、特に宗教が根強い地域や国では神に対して行い、自らの罪を赦され、或いは一人で背負い込まず分け与えることで罪の苦痛から逃れようとするのだ。 話すだけでも楽になることがあるよ!みたいな。
無論、俺自身も懺悔は行う。しかし、無神論者である俺。 神に対してどころか、恋人や友人さえもいないぼっちでは、懺悔を行う相手は必然的に限られる。
だが、妹の小町に対して懺悔をしたところでどうなるか。 ゴミを見るような目と共に侮蔑が飛んで、苦痛から逃れるどころか深く傷つけられるだけだ。
故に、ぼっちである俺が懺悔を行う相手は俺自身。 この比企谷八幡をおいて、他にはいない。
過去における、失敗、過ち、そして黒歴史。 俺……いや、私が赦そう。お前は悪くない、だって私なのだから。 私は私を赦す。 何故なら私は俺だから。 俺は私に優しい。 我想う、故に我あり。
おお、やはり俺は新世界の神だったようだ。
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「相田」
「……」
「飯塚」
「……」
あれから1週間が経った。別段俺の状況は改善されてはいない。相変わらず生徒達からは無視され、教師としての威厳もへったくれもない。しかし、俺にとっては昔から馴染んだ物であるためそこまで苦痛ではない。寧ろ、個人的に一番キツイのはコイツだ。
「九重」
「はぁーいっ!」
満面の笑顔で力強く挙手をする女の子。二つに結ったボリュームのある髪が大きく揺れる。猫みたいな雰囲気を纏う、無邪気でませていて、そして恐ろしい女の子。九重りん。
宇佐はだいぶ打ち解けてきたが、この子に関しては異常に俺へ対しなついている。授業態度は勿論、休み時間になればすぐさま抱き付いて過剰なスキンシップや、過激な質疑応答を行う。
主に俺のアレに手を伸ばしたり、胸板を擦ったり、経験はあるのかと、セクハラまがいなことばかり。因みに鏡黒は論外である。アイツは他の生徒達と違い俺に対して明確な敵意を向ける。恐らく九重を盗られたと勘違いしているに違いない、引っ掻き傷が痛むな。
「この前渡した宿題、将来の夢について書いてきた作文用紙を提出してください」
皆、無言ながら鞄から作文用紙を取りだし、後ろの生徒から順に、まとめて回されてくる。クラスでの立場が孤立しているが、最低限のことは成してくるのはきっと、九重のおかげだろう。元々リーダーシップのある子だから強く出られると他の生徒達は渋々従うことがある。…その内、何か礼をしてやらんとな。いや…講義で聞いたが、あまりこういうのは、良くなかったような気もする。えこひいきとか思われるとか、なんとか言っていたような。
「先生ー! 私の将来の夢聞いて聞いて!」
「別にやらんでいい。帰ってからチェックするから…」
「私の将来の夢は───」
聞いちゃいねぇ。
「せんせーの、お嫁さんになることでーすっ!」
「ぶほぉ!?」
コイツはまたそんなことを。しかもクラス中に大声で宣言するなんて、何考えてやがる。周りが白い目で見てるぞ。
「今すぐ消せすぐ変えろ…!」
「いやーん、先生近いー!」
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午後8時すぎ、漸く帰宅である。青木から飲みに誘われたが、丁重にお断りした。残念そうな顔が今でも浮かぶ、最近やたら俺に構うな、アイツ。別に嫌いではないが、どうにもあの熱い、もとい熱苦しい元気いっぱいな態度と空回りしている感じがどうにも苦手だ。シミ一つ残さずに洗い、柔軟剤をたっぷり効かせた綺麗な材木座といった感覚が一番近いと思う。眼鏡だし。
独り暮らしのアパートには出迎える者は誰もいない。ベッド、棚、テーブル、パソコン、必要最低限しか置かれていない部屋はやたら寂しい。最近はテレビも全く見ないし。
フローリングの床に腰を降ろし、鞄から回収した作文用紙を取り出す。誤字脱字、または問題ない表現がないかチェックする必要がある。職員室でやれば集中力が増し捗るが、残業が死ぬほど嫌な俺は、残りの仕事は全て自宅で片付けていた。
けして白井先生のプレッシャーが怖いとかそんな物ではない。えぇ、そうですとも。仮に半分学級崩壊を起こしかけていて怒りを買っているとかそんな物ではない。ないったらない。
そういえばあの人も眼鏡だった。なるほど、眼鏡は俺の天敵だったのか。海老名さんも眼鏡だし。
作文用紙に目を通していくと、これが酷い酷い。全員適当だ。石油王やお金持ちや大統領など。夢の無い内容ばかりである。いやまぁ…あの様子だと納得の物だがな。しかも俺が言えた立場でもない、専業主夫など石油王や大統領よりも夢がない。
しっかしまた…特に鏡のは意味不明だわな。
『私の夢は邪魔でキモい、エセイケメンゾンビを地獄へ落とすことです』
「何書いてんだ」
汚ならしい字から悪意が滲み出ているのは何故だろう。
それに比べ、宇佐のは小学生の女の子らしい心暖まる内容だ。
『私の夢は動物のお医者さんです。苦しんでいる動物を助けて仲良くしていきたいです』
流石は俺が見定めた第二の妹。ぐうかわすぎる天使。同じ眼鏡属性とは思えん、もしかしたらあの子は人間ではないのかもしれない。
「最後は九重か…」
一応書き直させたが、不安ばかりが押し寄せる。
『私の将来の夢は、裸エプロンで先生の帰りを迎えて、ごはんにする? お風呂にする? それとも、わ・た・し? をすることです! それで先生が私を選んで───』
「もう、寝よう」
南無阿弥陀仏。悪霊退散。脳内に浮かんだイメージを振り払う。色々な意味でこれはキツイ。比企谷八幡は考えるのを止めた。
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早天。微かに明るくなり始めた時間、生徒達が登校する前に学校へ出勤。涼しげな空気が立ち込める中、俺は嫌々ながら早めのお仕事である。もう少しゆっくりと出勤したいが、残念ながら九重に捕まると今朝から周りの大人達から怪しげな目を向けられるのだから仕方ない。
アイツ、俺の出勤時間に合わせて登校するのだ。朝早くから学校に来たとしても、鏡も宇佐もいないからつまらないと思うのだが。
ここ三日連続は出勤時間を変えて、かち合わないようにしている。
視界に写る校門。自然と足取りは重い。しかして、校門前に目の上のたんこぶが現れるまでは、その足取りはまだマシな方であっただろう。
「ん?」
身長からして九重ではない。明らかな高身長だが、俺よりも低く、また細い。亜麻色のセミロングをしたゆるふわ。そして、壁に背を預け、両手を前にして鞄を持ち、うつむき加減にふぅ…と可愛くため息つきながら“力無くて重いけど、私しっかり持ってますよ”アピールしている超絶あざといあの人物。間違いない。
「あっ! 先輩ー!」
「げっ」
見つかってしまった。隠れる前に見つかってしまった。実は最初から見えていてこの距離から気づいたと見せかけるように感じる。高校時代、俺の後輩だった一色いろは。よりにもよって逢いたくない上位に位置するコイツが現れるとは…!
「先輩酷いー! 今、間違いなく嫌な顔しました!」
「…なんで此所にいるんだよ」
「比企谷八幡先輩の愛しい後輩、一色いろは。参上ですっ」
昔懐かしい敬礼と共に近寄るビッチの化身。変わらないな、もう二度と会わないと思っていたのに。
「もーホント疲れました、しかも眠たいです」
「だから聞いてるだろ、なんで来たんだ。こんな朝早くに」
「そんなの、学校の先生なんて似合わないにもほどがある仕事についた先輩を、見に来たに決まってるじゃないですかぁ」
にやけそうな口元を隠しながら更に近寄る一色。近い近い、良い香りが漂ってくる。それは女の子が大人に変化しかけてる、軽い甘さを持ちながら何処か深い匂い。
まさかこれが加齢臭の始まりではないことを願う。
「平塚先生に先輩の学校は聞いたんですけどね、流石に住所までは教えられないと。だから此所でずっと待ち伏せしていたんです」
怖いよぉ。何が怖いって、平塚先生には俺の住所教えた覚えがないのにそれを把握している事実が怖いよぉ。まさかずっとつけられていたのではないかと、胃が縮まる。
「お前暇なんだな。よくやるよ」
「当然ですよー、先輩に嫌がらせ───げふんげふん、会いに来るのは後輩としての特権なんですから!」
おい、今不穏なことが聞こえたぞ。
「先生ー! 見つけたー!」
「マジか…」
背後から聞こえる幼い声、このタイミングか、このタイミングで捕まってしまうのか。此所には一色がいるというのに…!
振り向けばやはり、駆け足で飛び付いてくる九重が。真っ正面から受け、衝撃を抑えられなかった両者はそのままの勢いでアスファルトに倒れてしまう。背中から倒れてしまったせいで、主に俺へのダメージがデカイ。
「えへへ、やっと捕まえた!」
「ちょっ、先輩大丈夫ですか!?」
肺の中の空気が無くなる、さながらアクション系ラノベ主人公の体験をしてしまう。成る程。確かにこれはなかなか来るな。
「せんぱい?」
「高校の頃の後輩だよ」
九重が不思議そうに一色を見ていたので、補足しておく。スーツに付いた砂汚れを軽く払い起き上がろうとすると、一色は両手を差し出していた。
「あざとい」
「先輩相変わらずですね…」
「特に両手が重要だ、一色的にポイント高い」
「えっ! それってもしかして、ドキドキしちゃったりしてます?」
「別に、そこまで自意識過剰じゃない」
またしてもニヤニヤ。本当に嫌がらせの為だけに来たんだな、酷い後輩である。
「先生近い!」
「え?」
九重からいきなり引っ張られた。どうやら知らず知らずの内に一色との距離が目と鼻の先だったようだ。そんな敵意に満ちた目で睨むな。
「九重」
名前を呼びながら軽く背中を押して、一色の前に出すがすぐに俺の後ろへ引っ込んでしまう。なんでこんなに大人しいんだ?
「こんにちは、九重ちゃん…だったかな? いろはって呼んでね」
一色は苦笑いを浮かべながら覗き込む。九重は返事を返さずにただジッと一色を見つめていた。
「へー、先輩って子供に人気あったんですね。誠に遺憾ながら意外です」
「何故意外でキレてんだよ」
「あ、でも留美ちゃんも先輩になついていましたし、そこまで意外じゃないかも…。ハッ、まさかロリコン…!」
「ばっ…ちげぇよ」
新作ゲームの発売日に徹夜で並ばされたアレを、なついていたとは言わない。良いように利用させられていただけだ。最後は俺を置いてどっかに行きやがった。それより、九重はそんなにおろおろしてどうした。いつもの破天荒が見当たらない。
「一色、お前此所に来たのは良いけど大丈夫なのか」
主に仕事とか、仕事とか…仕事とか───彼氏とか? 前に彼氏出来たんですよぉ、って自慢のメールが来たのを覚えている。画像を送ってこなかったのでどんな奴かは知らんが、まさか葉山じゃないよな?
「心配してくれるんですか? ホント先輩って、学生の頃からスキあらば私にフラグを建てようと…」
それはない。つーか、自意識過剰なのはお前じゃねぇか。
「暫く有給取ったんですよ。二日ほど余裕があるので、この辺をうろうろしようかなー、と思って」
「チッ」
「舌打ち!?」
有給とは羨ましい限りだ。…それにしてもこの辺をうろうろって、まさか滞在するつもりじゃないだろうな?
「一応宿泊場所を探していたんですけど…。あ、そうだ!」
「断る」
「ま、まだ何も言ってないじゃないですか!?」
今の思考時間に三秒も掛かってなかった。明らかに予め考えられた“あ、そうだ!”だった。しかも人差し指を顎に添えていたというのに、閃いた途端上に掲げるなどあからさますぎて泣ける。もう少し上手く出来ないのか。
「良いじゃないですかぁ、先輩の家に泊まっても!」
「良いわけないだろ。子供がいる」
九重の前で聞かせて良い話しでもない。一色も状況を理解したのか、ばつが悪そうな顔で萎縮する。聞こえないよう今一度近寄り、耳元で小さく囁く。
「それにお前彼氏いるんじゃないのか、しかも俺男だし」
ごく当たり前のこと言っただけなのに、ピタリと固まる一色。
「え、あ…。あぁー、か…彼氏? ですか? も、勿論いますよ? でも、半分終わってるっていうかぁ、いないも同然っていうかぁ」
酷い、酷すぎる。もはや興味を無くしてしまえば、ホンの僅かな望みも叶わぬほど冷めてしまうらしい。本当にいつか、一色が殺されかねないか心配なんだが。
「先輩はヘタレですから、そういった心配もありませんし」
「そうかい」
「じゃあ良いですよね!」
だからなんでそうなる。そう言おうとしたが、それは第三者の悲痛な声に阻まれてしまう。
「…だめ」
「九重?」
「そんなの絶対だめ!」
幼い猫みたいな目は、どこまでも必死だった。
久しぶりに更新しました。続きの予定は無かったのですが、いろはすとの絡みを書きたくなったので。