ジェネックス杯二日目も正午を回り、残り半日。
参加者たちはプロもアマも変わらず、より多くのDPを手にしようと奔走していた。
しかし一部はそうではない。
人間のデュエル大会とは別の、神々の盤上で行われる人間世界の戦い。
神々の戦争。
百柱の神々が神々の王の椅子をかけて争うバトルロイヤル。この大会を利用して多くの神々が跳梁するが、今は非常に大きなイレギュラーが発生していた。
ティターン神族。
かつてギリシャのオリュンポス神に敗れ、封じられていた彼らが復活し、今神々の戦争に大きな一石を投じている。
さらにギリシャ神話を中心とした怪物も、人間を使ってティターン神族の配下として大会の裏側で暗躍している。
混沌とした戦場。神々の跳梁、悪意の前に人間など塵ほどの力もない。
それでも立ち向かうものはいる。
例えば、神々の戦争の参加者の中で、神がヒトに強いる理不尽に憤り、両足に怒りを、胸に勇気を込めて戦う者たちだ。
「彼らもまた、己の正義に従って戦っている。順調にティターン神族の数を減らし、さらにギリシャ神話の怪物たちも打倒しているよ」
東京都内、秋葉原。
かつては電気街。今はその要素も含みつつ、オタク文化が開花した混沌としたその街で、その男は人目も引かずにスマホで連絡を取っていた。
東京の夏の只中にいるにしては、少々浮いた格好をした男だった。
撫でつけられた灰色の髪に落ち着きのあるディープブルーの瞳、黒いシルクハットとフロックコート、きっちりと着込まれたベストと、絵に描いたようなジェントルスタイル。
しかし炎天下の東京ではひたすらに浮いている。
それでいて本人は一筋の汗もかいていないのだから大したものだった。
フレデリック・ウェザースプーン。神々の戦争の参加者で、契約を交わした神は北欧神話の神、ヘイムダル。
彼は電話の向こうにいる相手に近況報告を行っていた。
「先程コナー君がティターン神族を一柱討ち取ったらしい。これで四柱目。敵戦力のうち、大きなものを三分の一削り取った」
『まだ三分の二いる。油断はしない方がいい』
「分かっているとも、ラーズウォード君。特に、今まで倒れたのはアマチュアやBランクまでのプロ。本命中の本命、Aランクプロの契約者とはまだ出会っていない」
『
電話の相手は今回ジェネックス杯には参加せず、一人別行動をとっているAランクプロ、レイシス・ラーズウォード。彼は契約した神、スプンタ・マンユとともに独自行動をとっており、それについてはフレデリックも承認済みだった。
きっと、彼らの行動が今後の助けになる。フレデリックはそう確信していた。
「ああ。確かに
『君はそう思っていないのでは?』
「勿論だ。黒神君は復帰するよ。私はそう信じている。それに、敵のAランクプロに対抗する手段だってないわけじゃない。
『そういえば疑問なんだが、穂村崎さんの所にはティターン神族は出ていないのかな?』
「接敵していないようだ。どうやらティターン神族は神々の戦争の参加者をターゲットにしているようだが、それとは別に、いいや、もしかしたらより優先順位の高い仕事をしているようだ」
雑踏は自分たちの用事に夢中で、フレデリックの格好に奇異を覚えて一瞥こそすれど、すぐに通り過ぎていく。それでもあえて人通りから離れたところでフレデリックは電話をしていたが、それでも周囲をもう一度見渡し、傍らのパートナー、ヘイムダルにも目で問いかける。
監視の様子はなし。
「ティターン神族は我々神々の戦争の参加者とのデュエルも勿論こなすが、それ以上にこのジェネックス杯に参加した一般の参加者をバトルフィールドに引きずり込んでいる。そこで神々の戦争と同じ、ダメージが実体化するデュエルを強要し、多くの参加者を傷つけているようだ」
電話の向こうが僅かに沈黙する。フレデリックが考えるに、敵の残虐さに絶句した、ではあるまい。フレデリックの知っているレイシスは善良な人間だが、同時に思慮深く聡明だ。
相手が意味のない行動をしないという前提で考え、敵の策略を見抜こうとしているだろう。
『ミスタ・ウェザースプーン。どうやら、私とスプンタ・マンユの行動は、杞憂では終わりそうもない』
「……そうかね。どうやら、クロノス率いるティターン神族を打倒しただけでは、終わりそうもないな」
まるで石を飲んだかのような、重くて苦い口調のレイシス。対するフレデリックも、レイシスの言わんとすることを察して暗澹たる気持ちになった。
ジェネックス杯二日目。時刻は午後に移り、参加者たちはますます盛んにデュエルを行っているだろう。その裏に潜む邪悪に気づくことなく。
(それに解せないことがある)
気にかかっているのはティターン神族の暗躍だけではない。
ティターン神族によって痛めつけられた参加者の行方が知れない。どこかに収容されているのだろうことは分かる。おそらくは、ゾディアック本社か、そこに近い場所に。
(それほどの権力を動かしている。射手矢弦十郎《いでやげんじゅうろう》……、己の権力をフルに活用し、明るみに出たら会社存続の危機であるリスクさえ飲み込んで参加者を襲う。その理由……、本当に、嫌な予感しかしない)
連絡が繋がらなくなっている友、ルートヴィヒ・クラインヴェレのことも気にかかる。
不確定要素が暗雲のように広がっている。この戦いが、どういう局面を迎えるのか、フレデリックにも分からない。
と、思い出したようにフレデリックは左手首に巻いた腕時計を見た。
「いかんいかん。人と会うのであった」
『ああ、ならばこれで。君たちの勝利と幸運を祈っているよ』
「ありがとう」
通話終了。そのタイミングを見計らったかのように声をかけてくる影があった。
「終わったか?」
短めの銀髪に赤い瞳。左目は黒い眼帯をつけており、銀の鋲が入った黒の革製ジャケット、黒のレザーパンツのパンクルック。引き締まった筋肉を持つ姿はまさしく筋骨隆々。精悍な顔つきだが。場違いにごつい眼帯が、彼を近寄りがたいものにしている。
「ヘイムダル。終わったよ、待たせたかな?」
「観察に忙しいから待ってはいない。……ゼウスのパートナーの所に行くのか?」
「ああ。
「意地を張る人間というのは時として大きな働きをするが、どうにも困り者だな」
「それが彼の悪いところでもあり、いいところなのだよ。己の中に絶対に譲れない芯があるから、揺らがない。故に、強い」
コツコツと足音を響かせて、フレデリックが向かったのはとあるインターネットカフェ。
入り口をくぐると、エアコンの涼しい風がフレデリックとヘイムダルを出迎えた。
「涼しい。やはりエアコンは人類が生み出した偉大な発明だね」
「外で汗一つかかなかった奴が言っても、説得力が薄いな」
呆れたような目つきのヘイムダル。フレデリックはおどけたように肩をすくめた。
それから受付に近づき、気怠い芽をした青年に訊ねた。
「107号室の客は中にいるかな?」
青年はちらりとフレデリックを一瞥し、後ろの棚から一枚の用紙を取り出した。
「名前をここに。鍵は開いているのでご自由に。ただし帰る時は必ず声をかけてください」
特に愛想がいいわけでもなく、淡々と告げる。フレデリックは言われた通りに名前を返して、容姿を青年に返した。
「はいどうも。ごゆっくり」
「そうさせてもらうよ」
受付を曲がって、狭い廊下を進む。扉出かかったプレートで部屋番号を確認。目的の107号室を見つけた。
「狩谷君。いるかな?」
「なんだァ?」
返事があったので中へ。そこには部屋に備え付けのソファに寝そべり、だらだらしている狩谷の姿があった。
百八十を超える長身、浅黒い肌、黒い総髪、黄色い瞳、鋭い犬歯、ダメ―ジーンズをはき、シャツのボタンを全部外した野性的な姿、知能を持つ黒獅子の風情。
「やぁ狩谷君。調子は?」
「暑ィ。日本の夏ッてのはなんでこんななんだ」
「さて。地球温暖化だとか、いろいろ原因はあるんだろうね」
愚痴だと分かっていたので適当にあしらって、フレデリックは乱雑に散らかった部屋を見る。
「ここ、一応私が料金払ってるVIPルームなんだが……、随分散らかっているね」
「仕方あるまい。人が生活すれば乱れるものだ」
声は備え付けのパソコンの方から。
視線を向けると、あまりにもPC前の小さな椅子には不釣り合いな男がいた。
三十代前半の外見、狩谷をさらに超える、二メートルを超える巨体、荒々しい金髪に白い肌、奥に炎がちらつく氷河のような青い瞳、胸板を惜しげもなく晒す白シャツ姿。だがそこに嫌らしい感じはなく、伊達男風のセクシーさを醸し出している。
狩谷のパートナー。ゼウスであった。
「部屋の中なのに、そして女の前でもないのにそんな格好なのか」とヘイムダルが半目で言う。
「勿論だとも。いつでも美女が吾輩を訪ねてもいいようにな」何か問題が? と言わんばかりのゼウス。
「こんなところに来るものかよ」
ため息交じりにヘイムダルがそう言って、会話を打ち切った。
狩谷に会話の意志は薄く、ゼウスもまたPC画面に向き直った。
会話の主導権は再びフレデリックの許にやってきた。
「さて狩谷君、今日はギリシャの怪物と戦ったかね?」
「インヤ。今日は一度も襲ってこねェ。なんだ、ギリシャ神話の怪物ってのは一日負けたらもう折れる玉無しばかりかァ?」
フレデリックの予想としては戦い、今は小休止かと思った。
だが予想に反して答えはNo。これはおかしい。何しろ、ギリシャ神話の怪物たち、そしてそれらと束ねるティターン神族にとって、目の前でPC画面を見ている神こそが、不倶戴天の天敵であるはずだ。
ならば多くの手勢を率いて攻めてきてもいいはず。
「さて、吾輩たちよりも優先する敵がいるのやも知れんぞ」PC画面に向いたまま、ゼウスが言う。
「我々かね?」
首肯の気配が伝わってきた。フレデリックは顎に指をあてて考える。しばらくして思考が閃きにつながった。
「そういうこと、か……。確かに
慌てる様子はないが、足早に退出するフレデリック。その後を追うヘイムダル。一人と一柱が立ち去った後、残された狩谷とゼウスは揃って天井を―――――そこからは見通せぬ空を見た。
「忙しいこった」
「今更だが狩谷。貴様も合流してもいいのだぞ?」
「ハッ! 冗談。群て気遣われるのはオレの流儀じゃねェ。一度しかねェ人生だ。花火のようにパッと咲いて散るさ。誰に顧みられることなくな」
パッと両手を広げて、狩谷はそう言った。ゼウスは「そうか」とだけ答えた。
冷房の機械音とPCの駆動音だけが鳴る部屋の中、一人と一柱はそれっきり言葉を交わさなかった。